52*薔薇に込められた意味

「……アトラントス王国に?」

「ああ。今はそこにいるらしい」


 レオナルド曰く、今どこにいるかまでは掴めたようだ。聞けばアトラントス王国の騎士が協力してくれたらしい。アトラントス王国といえば近国ではあるが、ここより近くもなく遠くもない、少し絶妙な位置にある。そこにいただなんて。


「で、ここからが本題だ。さっきロゼ殿なら見つけられるかも、って言ったが」

「? ええ」

「肝心の魔女はまだ見つかっていない。その仲間なら何名かもう捕まえてるが、魔女の居場所を聞いても誰も知らないらしい。しかも、仕事だけを行う関係なだけで口数は少なかったようだ。魔女だから、っていうのもあるかもしれないが」


 あの魔女はおそらく、ディミトリスに指示されて悪事を働いていた。そしてその場に集められた仲間は、きっとディミトリスの仲間だ。必要以上に馴れ合いをしなかったのは、当然といえば当然かもしれない。


「……それで、どうして私ならって」

「そんなの決まってるさ」


 得意そうにレオナルドはふっと笑う。

 そしてすぐに自分の指を鼻の頭の上に置いた。







「これはこれは。はるばる来ていただいてご足労をかけましたな」


 馬車から降りた瞬間、こちらに男性が近付いてくる。


 白を基調とした軍服をまとった、ぎょろっとした茶の瞳を持つ男性。アトラントス王国の騎士だ。男性にしては飛び出るほどに大きい二重で、その大きさに少し驚いてしまう。笑うと目尻に皺が寄り、歳はだいぶ上のように見える。


「こちらこそ、ありがとうございます」


 馬車の後ろにいた馬から降り、レオナルドが丁寧に頭を下げる。

 すると顔を見た男性は苦笑した。


「レオナルド殿。貴殿はかなり疲れているご様子のようだ」

「お恥ずかしい限りです」


 レオナルドは力なく笑った。


「しかし、ファンド殿も二日寝てないと聞いておりますが」

「ああ、まぁここの騎士団ではよくあることです。もう慣れましたよ」


 ファンドと呼ばれた騎士は、元気そうに大きく口を開けて笑う。

 なかなか豪快な人のようだ。少しキイルに似ている。


 アトラントス王国は別名、剣と武術の国だ。毎回それぞれの腕前を試す大会が行われており、それゆえにこの国に来る若者も多いと聞く。軍服が白色なのも、あえてらしい。その白い軍服を汚した者ほど称えらえるというのだから、いかに実力主義なのかが伺える。


 現にファンドの軍服もだいぶ薄汚れている。しかも足元には血痕がついており、ロゼフィアは思わずびくついた。するとファンドが気付いたのか、頭を掻いた。


「これは失礼。女性にはあまり気持ちの良いものではなかったですな」


 血気の多い国でもあり、ここに住む女性は強い人が多いと聞く。が、普通の女性からすればやっぱりファンドのような姿は驚いてしまう。だからこそ気遣ってそう言ってくれたのだろう。ロゼフィアは思わず驚いたものの、すぐに顔を振る。この国では普通なのだから、いちいち驚いている場合じゃない。


「いえ、立派だと思います」


 しっかりとした口調で言えば、目を丸くされる。

 その後にやっと笑われた。


「あのジノルグ殿が惚れ込んだ女性なだけはありますな。か弱い美しい女性かと思えば、心はお強いようだ」

「え、あの」


 色々とツッコみたくなったが、すぐに「ファンド隊長!」と声が聞こえ、皆そちらを向いた。若い騎士が走ってきて、ファンドに向かって敬礼する。


「現在、毒を所持していた怪しい輩を追っております。徐々に数は減っており、大半は捕まえることができたかと」

「――そうか。まぁ当たり前だな。ここをどこだと思っている」


 ファンドはにやっと笑う。

 先程とは違う、黒い笑みだ。ロゼフィアは思わず唾を読み込んだ。


 先程ここは剣と武術の国といったが、他の国よりも処罰が厳しい国でもある。実力のある騎士は多く、犯罪を犯した者がどんなに逃げても追いかけるのが流儀らしい。それが例え他国へ逃げたとしても。


「それで、魔女の件で……あ」


 話の途中で会話が途切れる。

 なぜだろうと思えば、急に耳の傍に心地よい声が聞こえた。


「道中大丈夫だったか」


 ぎょっとしつつ振り向けば、ジノルグだった。

 なんて心臓に悪い登場だ。


 実はアトラントス王国に三人で向かっていたのだが、ジノルグは身支度があったため遅れてやってきた(他国の軍服を着ていたり髪が染まっていたのを直すためだ)。さすがに自国の身支度でないと何があったのかと騒がれる。


「ジノルグ殿……!」

「あれが噂の」


 その場にいた複数の騎士からどよめきが生まれる。

 さすが、名は知られているらしい。


 ファンドが「ごほん」と少し強めの咳をすると、ようやく声が収まる。


「失礼した。うちの部下たちが」

「いえ。ご協力いただけて、感謝しております」

「そりゃあうちの国に入ったからには捕まえないと、こちらにも面子がありますからな。……いやしかしジノルグ殿、前よりさらに顔つきが良くなりましたな。彼女のおかげもあるのでは?」


 どこかにやっと笑いながらこちらに顔を向けられる。ロゼフィアは思わずその視線を逸らした。そんな事言われてもこちらは何も言えない。


「そうですね」


 するとジノルグは平然と答えた。

 何言ってるだこの人は。


「彼女がいるから俺は強くなれます」

「……ほほう。妬けますな」


 顔に手を添えてファンドがさらににやにやと笑う。

 ……勘弁してほしいこの状況。


「で、魔女の方はどうなった」


 ようやく話が進み、ファンドが部下の一人に聞く。

 騎士は「は、はい」と返事をしながら話の続きをした。


 現在探している魔女は未だ発見できておらず、行方も分からない模様。ただ、気になる点が一つあるという。それが何なのかと耳を凝らして聞いていれば、急にファンドが近付いてきた。


「『紫陽花の魔女』殿。貴殿は鼻が利くと聞いたのですが」

「はい」


 レオナルドに聞いたのだろう。

 それが理由で自分もこの国に来た。


「少し来ていただけますかな」


 彼は優しく微笑みながらそう言った。







 案内された場所に行けば、そこは廃墟になった教会だった。


 中は固定されている長椅子しかなく、荒れ果てた状態だ。建物の中だというのに、草まで生えている。こういう時、植物の生命力はすごいと感じる。例え人の手が加えられなくても、自分で育っていく。このような状況だというのに、思わずそんな事を思ってしまった。


 一番奥には教壇のようなものがあり、ファンドはそこに近付く。

 ついて行けば、気になるものがあった。


「……黒い薔薇」


 教壇の上に黒い薔薇が置かれていたのだ。

 大輪の花で、見事に咲いている。


 あまりに綺麗で、まるで、ついさっきここに置いたかのようだ。ロゼフィアはそっとその薔薇を手に取る。薔薇本来のいい香りだ。見た目はどこか毒々しいが、それでも華やかな薔薇の印象があった。


「実はここ数日、至る所に黒い薔薇が見つかりましてな」


 ファンドが言うには、悪事に手を染めた者たちを捕まえていくうちに、至る所で黒い薔薇を目にするようになったらしい。この薔薇が見つかったのも、昨日のようだ。だからまだこんなに綺麗な咲いているのだろうか。


 ちなみにこの国に黒い薔薇を作っているところはない。

 だからこそファンド達は魔女の仕業じゃないかと思ったようだ。


「魔女の意図は分からないが、それでも黒い薔薇にいい花言葉はない。国の者に被害が及ぶ可能性もある。だから早急に捕まえたいのです」


 確かに黒い薔薇は、「憎しみ、恨み」「貴方はあくまで私のもの」という花言葉がある。彼女の立場を想えば、確かに彼女が今抱いている思いなのかもしれない。……だが、それでもどこか、寂しさというものも感じた。


 なぜなら黒い薔薇には、もう一つ花言葉がある。


「私が、必ず見つけます」


 ロゼフィアは断言した。

 彼女の気持ちが、分かったような気がしたのだ。







「……ここに?」


 レオナルドが訝しげに声を出す。

 目の前にあるのは、深く暗い森に入る一歩手前だ。


「ここは手入れをしていない森であり、立ち入りは禁止されております。……人が入れるような場所じゃないのもありますが」


 ここまで案内してくれた騎士が説明してくれる。ここから見える範囲でも木の枝は伸び放題になっており、ツタが何本もぶら下がっている。通るのを禁止されているが、通る事さえ難しいのもあるだろう。


 道は整備されておらず、もはや道と言っていいのかも分からない。苔は生えているし、植物や木々の幹で覆われているような状態だ。


 だがロゼフィアは平然と答える。


「ですが通れないわけではありません。魔女は森を住処としている事が多いので」


 言いながらひょいと森の中に足を踏み入れる。

 周りから驚く声が上がるが、ロゼフィアは気にせず進み出した。


 するとファンドがふむ、と自分の顎をさすった。


「魔女なら……という事か」

「ファンド隊長、追わなくてよいのですか?」


 どんどん進むロゼフィア。そしてその後を追うジノルグ、レオナルドを見ながら、他の騎士達が躊躇ぎみに聞く。こんな場所を進むのか、という思いと、自分達も行くべきなのか、という半々の気持ちがにじみ出ていた。そんな部下達の様子に少し情けないと思いつつ、ファンドはふっと笑う。


「任せてくれと言われたからな。私達はここでお留守番だ」


 そう。実はここに来る前、ロゼフィアが言ったのだ。


『魔女の事は、私達に任せていただけませんか』


 最初は自分達の国で起こった事でもあるから、と言ったのだが、ロゼフィアは引かなかった。詳しい事は聞いていないものの、目は語っていた。ここは自分達が行く、と。言葉では聞いていないが、どうやら何か確信があるらしい。ここに来るまでもひと悶着あったようであるし、ファンドは素直に承諾した。


 それに。


「……あの真っ直ぐな瞳を見たら断れないものだ」


 思い出したようにファンドは微笑んだ。







 道がないものの、ロゼフィアは歩けそうな場所を見つけて左右に動いていく。だが目指すところは決まっているようで、少し遠回りをしながらも進んでいた。その後ろをついて行くジノルグも器用に歩いて行くが、レオナルドは少し足がおぼつかない。おそらく疲れもあるのだろう。


 ロゼフィアは気になり、思わず足を止めた。


「レオナルドは来なくてもよかったのに」


 心配して言ったのだが、どうやら逆効果だったらしい。


「な、んだよそれ。二人きりがよかったって?」


 大きい岩の上に足を置きながら不満げに言う。

 慌てて首を振った。


「そうじゃなくて! 疲れてるから、大変じゃないかなって」

「これでも俺は騎士だ。疲れとか言ってる場合じゃない」


 おそらく騎士のプライドもある。

 言葉に詰まり、それ以上は何も言えなかった。


「……で、なんで森だと思ったんだ?」


 丁度立ち止まったからか、レオナルドにそう聞かれた。

 ロゼフィアはあっさりと答える。


「一番身を隠しやすいからよ」

「……それだけ?」


 拍子抜けした声を出される。


 だが、同じ魔女だからこそ、身を隠すなら森、という考えは容易に思いついた。むしろ町の中では身を隠しにくい。森に入ってしまえばこちらのもの。森をよく知っているのもこちらの方だ。しかも、ただの森ならあっさり見つかるだろうが、誰も近寄らない森ならなお見つかりにくい。


「もちろんそれだけじゃないわ」


 言いながら鼻の頭に人差し指を乗せる。

 森の中に、薔薇の香りが微かにしていた。


「香りって……俺が最初に提案したけど、よく分かるな。全然分からん」


 レオナルドがジノルグに顔を向ける。

 彼も同じように頷いた。二人は香りがしないらしい。


「まぁ魔女は常に植物と共にいるからね」


 苦笑しながら答える。

 一種の職業病みたいなものだ。


 しかも、薔薇は種類によって香りが若干違う。

 気候とか土とか、生まれた土地によって違うのだ。


「そういえば、黒い薔薇にはもう一つ花言葉があると言っていたな」


 ジノルグが聞いてくる。


「うん」

「それは何だ?」

「それは、」


 と答えようとした時、急にきつい香りが鼻孔をくすぐった。

 これはさすがの二人も分かったのか、一斉に香りがする方に顔を向ける。


「……あっち!」


 ロゼフィアは思わず駆け出した。



 近付けば近付くほど、より濃厚な香りが広がる。

 少し道が開け出口かと思えば、広い場所にたどり着いた。


 そして中央に、木の幹にもたれかかっている女性の姿があった。


「…………!!」


 見れば女性は、無防備に垂れ下がる手の先から黒い薔薇の花びらを生み出していた。つま先から、はらはらと花びらが舞う。クレチジア帝国で出会った女性と同じ顔をしている彼女に、ロゼフィアはゆっくりと近づいた。


 するとそれまで目を閉じていた彼女の目が開く。

 琥珀色の綺麗な瞳だった。


「……ああ、やっぱり来たのね」


 息を吐きながら弱々しい様子だった。

 最初に会った時の威圧感や殺気もない。


「どうして」

「……どうせ来ると思ってたわ。でもそれがあなただったなんて」

「どうして自分の命を終わらそうとしてるの」

「「!?」」


 ロゼフィアの言葉に、ジノルグとレオナルドが目を見開く。

 だが彼女は薄ら笑っていた。


「……さぁ、どうしてかしら」

「その口調も、本当は違うんでしょ。セナリア」


 名を呼べば、彼女はぴくっと身体を動かす。

 ロゼフィアはそっと腰を下ろし、目線を合わせた。


「エレナに会ったわ。あの子は今でもあなたの帰りを待ってる。だから」

「知らない」


 急に吐き捨てるような口調になった。


「そんな名前の人は知らない。さぁ殺してよ。罪で真っ黒になった私を殺してよっ!!」


 ロゼフィアは思わず顔を歪ませた。

 痛い程に彼女の気持ちが分かる。


 セナリアはおそらく、ずっと囚われていた。囚われて、悪事に手を染めてきた。本当はそれをしたくないのに妹を人質に取られて、言う事を聞かざるを得なかった。……そうしてずっと、自分を偽って生きてきたのだ。


「罪を償おうと思って死のうとしたのね。魔法を使って」


 手元に咲き続ける黒い薔薇を見ながら、ロゼフィアは言った。


 黒い薔薇を見た時、一体どうやって生み出しているのか分からなかった。黒い薔薇は実際に作るとなると色々と条件が揃わないと難しい。だが、魔法を使えば、そして黒色のものさえあれば、作る事は可能だ。


 ――彼女は、常に複数の毒を所持している。


 毒を使って黒い薔薇を作ったならば、薔薇本体にも毒がある可能性が出てくる。そのことを恐れたが、毒で誰かが傷ついた話はファンドから聞いていない。実際に黒い薔薇に触れて香りも嗅いだが、身体に害はなかった。


「薔薇自体に毒はないのね」


 そっとロゼフィアはできたばかりの薔薇に触れる。

 生まれたてのように美しく、その花びらは柔らかい。


「……毒はただの毒じゃない。毒同士を組み合わせればそれは良薬になったりする」


 つまり、複数の毒を混ぜて毒の効果を消したのか。

 さすが毒に詳しい魔女だ。


「……この花、陛下の事を想って作ったんでしょう」

「っ!」


 彼女の肩が強張る。

 そして震え出した。


「……惨めよね」


 どこか自虐的に言う。

 もうこちらに反抗する気もないらしい。


「いいえ。とても美しいわ」


 黒い薔薇の花言葉。

 それは「決して滅びることのない愛、永遠の愛」。


 花だけでも、彼女は想いを込めた。

 そして魔法で自身も花として咲き去ろうとしていた。


 魔法は万能ではない。妹であるエレナは魔法を使えば体力を消耗する。セナリアはそんな事ないようだが、黒い薔薇を作るために魔力を使い続けた。町で発見された大量の薔薇を想像するに、かなりの魔力を使った事だろう。今の彼女は弱り切っている。このまま使い続ければ確実に死が近付いてくる。


「……あなたが羨ましかった」


 唐突にセナリアが口を開く。


「国を転々としているうちにあなたの話を聞いて、羨ましいと思った。魔女は常に一人でいるもの。そうシュツラーゼで教わったのに、あなたの傍には常に騎士がいた。……本当に大事にされているのが分かった」

「…………」

「でも魔女は虐げられるもの。愛してなんてもらえない。傍に誰も来てくれない。来てくれたってっ……!」


 彼女の瞳はいつの間にか涙が溜まる。


「どうせ、いなくなるのよ」

「ちが」

「それは違う」


 はっきりと答える声が後ろから聞こえ、ロゼフィアは振り返る。

 するとその姿を見たセナリアも、驚きつつ言葉を止めた。


 ここには決していないはずであろう人物が、そこにいたのだから。

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