49*光と影の正体

「……陛下のお部屋は先程伝えた通りです。いつもは近くに兵士を配置しておりますが、今夜は数を減らしております。何かありましたら私も別室にて待機しておりますので」


 オルタは淡々と説明をする。


 いつも通り真面目に仕事をこなしているように見えて、少し違う。なぜか目線は下がっており、こちらと目を合わせようとしない。あからさまな動きではないとしても、さすがに相手の様子がいつもと違う事くらい分かる。


「一緒に行かれないのですか」


 エマーシャルも気付いたのか、そう聞く。

 ちなみにヒューゴも全く同じ事を思っていた。


 フィリップスから丁重にもてなされ、そして協力に応じるといっても、オルタはあまりいい顔をしていなかった。それはこちらに対して不信感があったからだろう。皆で顔を合わせて話していた時も、始終渋い顔のままだった。


 最後はフィリップスに言われて仕方なく同意したようにも見える。だからこそ、今夜同行するものとばかり思っていたのだが。


 するとオルタは渇いた笑いをする。


「陛下がお二人でいいとおっしゃったのです。それに、さすがに三人は多いでしょう。私は秘書官であり、腕っぷしは強くありません。お二人に任せた方が安心です」


 ヒューゴは言わずもながら、エマーシャルは魔女なのでその辺は上手くやれる。秘書官としてオルタは優秀なようだが、武術や剣術などは扱えないらしい。だからこそ自分の幕じゃないとはっきり伝えてくる。その辺は分かっているようだ。


「それでは、よろしくお願い致します」


 丁寧に頭を下げ、オルタはその場を歩き出す。

 残された二人はその背中を見送った。


「……なぜ私もここにいるんですか」


 オルタがいなくなると、唐突にエマーシャルが聞いてくる。


「前も言ったはずだけどな」

「嘘でしょう? あなたほどの騎士なら一人の方が動きやすいはずです」

「へぇ、褒めてくれるのか」

「一般的な評価を言ったまでです」


 はっきりと自身の評価ではないと伝えてくる。

 ヒューゴは特に気にせず答えた。


「あの秘書官がもし同行するなら、その相手をお前に任せようと思っていた」


 オルタがどう動くのか、あの場では読めなかった。


 様子からしてこちらを警戒しているようにも見えたし、少し怪しいとも思っていた。以前ロゼフィアに質問したのも、オルタがこの問題に関わっているのではないかと疑っていたからだ。聞けばオルタはフィリップスに早く正室を作れと言っていた。正室が無理なら、側室でもいいと、色々と根回ししていたらしい。それは一見フィリップスのためのように見えて、何か裏があるように見えた。


 だから今夜同行して、自分達よりも先にその女性をどうにかするのではないかと思った。同行するならオルタの事はエマーシャルに任せ、自分がその女性の正体を掴むつもりだった。逆でも別によかったが、その女性が鍵を握っている事に間違いはない。だからこそ自分が行った方がいいと思ったのだ。


 が、どうやら杞憂だった。オルタはフィリップスに隠し事をされていた。そして自分よりもこちらを信頼していると知り、おそらく傷心している。だからあの態度だったのだろう。


「なるほど。怪しい人は私に任せ、自分はのうのうと女性を見物しようとしたのですか」

「ああ」

「普通逆では? 男の相手は男に限るでしょう」

「お前は魔女だろう。一人でなんでもできるんじゃないのか? それともこういう時だけ、か弱い女性のふりをするのか?」


 鼻で笑いながら答える。


 するとすぐに胸倉を掴まれた。

 間近に彼女の顔が迫る。


「……どうしてそういつも煽るような言い方しかできないのですか」


 真っ直ぐこちらを睨んでくる。紅茶色の瞳に自分が映った。

 ヒューゴは真顔で相手を見つめ返す。


「最初に喧嘩を売ってきたのはどこのどいつだ。俺は大事な主君や国、仲間のためにお前と協力してる。これがもし個人的な理由だったら絶対に協力していない」

「…………」

「これは仕事・・だ。何も文句はないはずだろう」


 掴まれた手を振り払う。

 そのままフィリップスの部屋に向かった。


 エマーシャルも黙ってついてくる。

 前しか見ていなかったが、足音で分かった。


「行くぞ。入ったら……。!?」


 振り返ろうとしてヒューゴはぎょっとする。

 なぜならエマーシャルの目には涙が溜まっていた。


 深夜な事もあり、城内の光は最小限になっている。

 が、それでも涙が反射してよく見えた。


 必死に声は出さないようにしていたのだろう。溜まっていた涙は何かの拍子に一筋の雫となって落ちる。それが引き金となったのか、ぽろぽろと涙が流れていく。その姿を見て、ヒューゴは呆気に取られた。


(…………ここで泣くか?)


 こんな性格だからか、喧嘩を売られる事はよくある。その度に喧嘩は買ってきたし、負けた事がない。とことこ潰すつもりでやるし、相手もそんな勢いでやってくる事が多い。そしてこちらが皮肉を返せば相手も返してくる。そんなやり取りを何度も繰り返す。中には真っ直ぐ意志を貫く者もいる。ロゼフィアがいい例だ。まだ完全に認めたわけじゃなくとも、ジノルグに似たいい瞳をしていると思った。


 ……とにかく、言い返して来る者が多かっただけに、こんな風に泣かれた事は今まで一度もなかった。女性で喧嘩を売ってくる者は大抵強かだ。エマーシャルもそうだと思っていた。だから言い返すか黙るかどちらかだと思っていたのだが。


 唖然として見ていれば、エマーシャルははっとするように涙をぬぐう。こちらを見る事はせず、ただ簡潔に「気にしないで下さい」と言ってくる。


「いや、」


 気にするなと言われる方が無理な話だ。


「泣いて許されると思って泣いてるわけじゃないですから」


 言い方はいつも通りだ。

 だが目の前で流れる涙は嘘じゃない。


「見なかった事にして下さい」


 こちらが無言の状態でいると、エマーシャルは顔を背けた。背けたまま涙を拭っている。その姿が少し痛々しく見えた。同時に居心地も悪い。


 思ったより自分は相手を傷つけていたらしい。


「少し言い過ぎた。悪い」


 すると顔を向けてくる。

 今度はこちらが視線を合わせられなかった。


「いえ。あなたの言った事は間違ってないので」


 無感情な物言いだ。それが彼女らしいといえばらしい。


 相手への罵詈雑言はすぐに思いつくが、慰める言葉はすぐに見つからない。どうしたもんだと思いつつ考えていれば、エマーシャルは言葉を続けた。


「急ぎましょう。時間がありません」


 彼女が先にドアノブに手をかける。

 ヒューゴもその後ろをついて行った。


 そっと二人で部屋に入る。


 さすが皇帝という事もあり部屋は広い。奥に寝室があるようで、二人は慎重に歩いて行く。そしてこれまた大きな衣装ダンスあったのでその傍で身を隠した。女性が一体どうやって入ってくるのか分からなかったため、窓とドアに目を動かす。エマーシャルも傍で同じように見ていた。


 すると、どこか鈴が鳴るような音が聞こえた。


「ヒューゴ様、窓です」


 そっとエマーシャルが教えてくれる。

 初めて名前を呼ばれたと思いつつ、同じように窓に目を向ける。


 すると、何かしら無数の小さい光が窓から入ってくる。


 まるでそれは、妖精がやってきた道を辿るような光で、ゆっくりと八の字を描きながら眠っているフィリップスの傍に寄ってきた。そしてぱぁっと光ったと思えば、それは女性の姿になった。


「!?」


 声を出さないように気を付けつつ、二人は驚いた顔でそれを見る。


 光は女性の姿になったが、はっきりとは見えなかった。光の粒が女性のシルエットを映し出していたのだ。髪が長い事は分かるが、顔などは分からない。無数の粒が合わさった形で、何かフィリップスに話しかけている。その言葉もはっきりせず、何か訴えかけているのは分かるが、何を言いたいのか分からない。


 もう少し近付けば分かるだろうかと距離を詰めようとする。と、自分の足元で小さくなっていたエマーシャルに当たる。そして彼女は少しこけそうになった。


 小さく床が軋む音が鳴る。


「!」


 女性はこちらを向く。

 どうやらバレてしまったらしい。


「待て。話を」


 声をかけたが女性はすぐにまた無数の光に戻る。

 そしてその光は窓に向かって進み出した。まずい。このままでは逃げられる。


 急いで走るが、やはり光の方が速い。窓から顔を出すと、光は下に向かっていた。高い場所にいる今からだと追うのは難しい。それとも階段を使っていくか、と迷っていると、すぐに自分の横を何かが通り過ぎた。


 見ればエマーシャルは躊躇せずに窓の縁に乗って傍にあった木に飛び移る。その身軽さは人間離れしており、呆気に取られた。


「私が追います」


 彼女はいつもの冷静な顔ですぐに飛び降りた。

 それでも高い場所だ。危ない、と思わず声が出た。


 が、エマーシャルは降りながら何かを木の枝に引っ掛ける。どうやら長い紐を持っていたらしい。すぐに紐と共にスムーズに下る。地面につけば彼女は光を追って走り出した。自分も足を動かす。フィリップスがこちらに気付いていたが、気にせず向かった。とにかく光を追わなければならない。


 それでも深夜であるため、極力足音が鳴らないよう配慮しつつヒューゴは走った。一番下まで降りてみれば、エマーシャルが突っ立っている。近付くと彼女の目の前に一つのドアがあった。他の部屋と違う、黒塗りで重そうな鍵がついている。見るからに怪しい。


「この中に入っていきました。鍵があるので、開けるのは難しそうですが」

「明日にでも頼んだ方がいいな」


 勝手に開けて大騒ぎされても困る。城の出入りが自由で小回りの利くロゼフィアやヴァイズにやってもらった方がいいだろう。


 そう思いつつ、ちらっとエマーシャルの横顔を見る。

 近くに光があったおかげで、顔がよく見えた。薄っすら涙の跡が残っている。


「では私が二人に」

「――すごいな」

「…………は?」


 ぽかん、と口を開けてこちらを見てくる。

 その間抜けな顔が少しおかしかった。口元に手をやる。


 笑った事は隠したかった。


「いや、あの状態でよく木に飛び移ったなと思ってな」

「……魔女ですから。森での暮らしは慣れています」

「しかも動きに無駄がなかった。さすがだ」

「…………褒められても何も出ませんよ」


 相手はどこか歯切れが悪かった。

 手のひらを返されたように褒められたら、誰でもそうなるか。


「今夜は一緒にいてくれて助かった」


 手を差し出す。自分としては敬意を示していた。

 が、なぜか彼女は後ずさりし始める。怪訝そうな顔をした。


「……急になんですか気持ちが悪い」

「気持ちが悪いとは失礼だな。認めるべきところは認めただけだ」

「……散々人を馬鹿にしておいてすぐに信じられると思います?」

「それもそうだな」


 すっと手を下ろす。


「今後は発言に気を付ける。協力している身なのはエマーシャルも同じだった。人の事は言えなかったな」

「…………」

「ま、泣かせた責任は取るから安心しろ」


 すると分かりやすく相手は顔を赤くする。


「あれは、見なかった事にしろとっ!」

「俺はこう見えて義理堅い。泣かせておいてほっておく事はしない」

「ほっておいたじゃないですか!」

「最初はそっちが言ったんだろう。だから今、拾った」

「ああ言えばこう言う……! どうしてあなた達騎士はそう勝手なのですか!」


 あなた、という事はおそらくジノルグも入っているのだろう。確かにいくらジノルグに頼まれたといえ、あのやり方は少し無謀に思えた。成功するのかさえも危うい。が、それでもやると言い切った男だ。それはおそらく。


「信念を貫き通すのが騎士だからな」







「ここが……」


 ドアを目にして、少しだけ胸が高鳴る。


 昨夜ヒューゴ達が女性の姿を追ってたどり着いたのがこの部屋だった。そしてその部屋は何の部屋なのか、ロゼフィア達も分からなかった。だからアカネに聞いた。彼女は事もなげに教えてくれた。


 教えてくれた、が、頭の中は混乱していた。

 一体どういう事なのだろうと。


 この部屋の持ち主は一体、この部屋に何を隠しているのだろうと。


「ああ、ロアさん」


 すると声をかけられる。

 この部屋の持ち主に。


 ゆっくりと声がする方に顔を向け、ロゼフィアはぎこちなくも笑った。


「お疲れ様です。室長」


 彼はいつものように笑った顔をさらに濃くする。

 手には何やら資料を持っていた。


「すみません。お忙しいのに部屋を見せてほしいとお願いして」

「いえいえ。丁度薬も完成したばかりで、見せたいと思っていたんです」


 ディミトリスは慣れた手付きで鍵を開ける。


 そう、ここはディミトリスの研究部屋だった。扱う薬品や薬草が危険な種類もあるという事で、ドアもわざわざ重い鉄でできているらしい。そのドアをゆっくりと開ける。重いからだろう、ギギギギと鈍い音が響く。地下室になっているようで、下へと続く階段がドアの中から顔を覗かせた。


「それでは、行きましょうか」

「はい」


 先にディミトリスが下りるのを確認して、ロゼフィアはちらっと後ろを見る。壁の影で隠れていたヴァイズが小さく頷いた。もしもの事も考え、一応彼女に待機してもらっていたのだ。


 本来なら一緒に部屋に入る予定だったのだが、あえてロゼフィアだけ行くようにした。ディミトリスにもヴァイズと一緒じゃないのかと聞かれたが、上手く誤魔化しておいた。彼もそれ以上は気にしていない様子だった。ちなみにヒューゴ達も別室で待機してくれている。


 ロゼフィアは様々な思いを胸に、階段を下りた。


 部屋の中は思ったより広い造りになっている。薬草が入っているカゴは棚に並べており、できた薬品も別の棚にきちんと一列に並べている。前は散らかっていると言っていたが、片付けたのだろうか。かなり綺麗だ。


「これが完成した薬です」


 大きい瓶に入っていたのは、薄い黄緑色の液状の薬品だ。

 そっとディミトリスが蓋を開ければ、爽やかで良い香りがする。


「これは……」

「ハーブを使用しています。良い香りだと人は惹きつけられますしね」

「何の薬ですか?」

「さて、何でしょう。当ててみて下さい」


 そう言われてしまい、しばらくロゼフィアは薬を見つめる。香りを元に成分を当てようとしたが、ある事に気付き、話題を変えた。


「この部屋は、室長以外も入ったりするんですか?」

「なぜですか?」

「研究は室長だけがされていると伺いましたが、誰か手伝っている方もいるのかなと」

「助手がいます。とても手際の良い女性が一人」

「その方は、私も会った事がある人ですか?」

「いいえ。でもこれから会う事になるでしょう」


 どういう事だろうと思えば、ディミトリスはすっと懐からある物を取り出す。小さい小瓶のように見えるそれを振りながら、ご丁寧に説明してくれる。


「液状の薬品は便利な物です。ですがやはり量に限りがある。より多くの人に薬を届けるのは、どうしたらいいでしょうか」

「え……?」


 いきなりそんな質問をされ、戸惑う。


 よく見れば、ディミトリスは微笑んでいた。

 だがその目は、笑っていない。


 思わずその場から逃げようと足を進めたが、それよりも先に彼が手を動かす方が早かった。瓶を開けて中の液状をこちらにかける。避けようとしたが、腕に薬品がかかってしまった。どんな薬か分からない以上、一体身体にどんな害があるのか。


 自分の腕を見ながら焦るが、ディミトリスは安心させるように言う。


「大丈夫です。肌に直接触れたからといって、何か起こる事はありません」

「……どうして薬を」

「ただ教えてあげたかっただけですよ」

「教える……?」


 言っている意味が最初は全く分からなかった。

 が、すぐに判明する。


 頭がくらみ、目が開けられない状態になる。


 ――――香りだ。


「嗅いだらそれだけで相手を思い通りにできる。便利ですよね」

「……なぜ、こんな」

「さてなぜでしょう。あなた達・・・・はまだ掴めていないんですか?」


 どこまでだ。どこまで彼は知っている。

 立ったままでいる事ができなくなり、その場にへたり込んでしまう。


 相手は立ったまま、足を動かす。

 どこかに行こうとしていた。


「待っ……」

「ではまた後で。紫陽花の魔女」


 そうして足が遠ざかっていく。


 どうにか追おうと手を伸ばす。

 だがすぐにロゼフィアはその場から倒れ込んだ。

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