36*昔々の物語

「ちょっ……と」


 少し慌てる。


 すぐにどかそうとするが、やはり体格差があるのでそう簡単に動かない。というか、ジノルグは遠慮なく身体を預けている状態なのだ。はたから見れば自分などすっぽり隠れてしまっている。動かないのと耳元で聞こえる寝息から、寝ている事だけは分かった。おそらく一度目を覚ましたが、そのまま寝てしまったのだろう。


(とりあえず……重いっ!)


 この状況で色々と思う事はあるのだが、一番はそこだ。

 本当に重い。苦しい。このままだと本当に潰れる可能性すらある。ロゼフィアはすぐにジノルグの身体を横に押した。押し続けていると少しずつ移動していく。そしてようやくジノルグの腕から脱出できた。


 はぁはぁ言いながら上半身だけまず起こす。

 隣を見れば、こちらに顔を向けたまま寝ているジノルグがいる。


 このような無防備の寝顔はとても珍しい。

 自分の前でも気を緩める姿を見せる事は滅多にない。


 これは予想だが、おそらくずっと気を張っていたのだろう。いきなり魔女には襲われるし、いきなりこの国に来る事になった。来てからも様々な事があり、ジノルグも疲れていたはずだ。


(今は……休ませた方がいいわよね)


 そっと髪を撫でた後、ロゼフィアはベッドから降りようとした。いつも自分の護衛で疲れているだろうし、このまま寝かせておこうと思ったのだ。そしてその間に、先程の女性に薬用酒の作り方を聞こうと思った。自分がいない方がジノルグも気にしないだろう。


 起こさないように慎重に動く。

 そしてそっと足を床につけ、立ち上がる。


 が、後ろに引かれた。

 すぐにバランスを崩してまたベッドの上に戻される。


「った……」


 と思えば、痛くない。思ったよりも背中に衝撃がなかった。ほっとしていると次の瞬間、脇の下からジノルグの腕が絡んでくる。そのまま後ろからぎゅっと抱きしめられた。


「ジ、」


 名前を呼ぼうとすると、急に相手は右肩に頭を置いた。と思えば、うずくまるかのように頭を下げる。ロゼフィアの顔の横に頭が出ている状態で、黒髪がさらっと流れる。貸してもらった服は襟元のないタイプなので、肌に当たって少しチクチクする。


「ジノルグ?」


 再度名前を呼べば、さらに力を込めて抱きしめられる。

 まるで決して離さない、とでも言うように。


「ちょ、ちょっと」


 思わず戸惑う。

 一体どうしたというのだろう。


 寝ぼけているのか、それとも起きているのか。

 迷いつつも身動きも取れず、しばらくそのままになる。


 コンコン。


 ノックをされ、ロゼフィアははっとする。

 この場面を人に見られたら何を言われるか分かったものじゃない。


 思わず動かした手は丁度よくジノルグの目の辺りに当たったらしく、相手は少し怯んだ。申し訳ないと思いつつ、ロゼフィアはそそくさと逃げてドアを開ける。見れば先程の女性だ。「お腹すいてると思って軽食を持ってきたんだけど」「あ、ありがとうございます。あの、別の部屋で」「え? 別にここでも」「お願いします」と会話を交わしてロゼフィアは部屋を出る。


 後ろを振り向く余裕なんてなかった。




「どうしたの? 急に」

「すみません……ちょっと」


 別室に入ってから、ロゼフィアは息を吐く。

 ようやく気が抜けた気がする。


「そういえば騎士さん、よく寝ていたみたいね」


 女性はくすっと笑う。

 どうやら部屋を出る際に少し見たようだ。


「もしかして、効果出たのかしら」


 彼女は部屋にある棚に移動する。

 そしてとある瓶に入った薬を見せてきた。


「これね、前にここに寄った薬師の方がくれたものなの。確かよりリラックスする効果があるって。男性の方が疲れた顔をしていたから、彼にだけ混ぜたのよね。だからもしかして、これのおかげかなって」


 蓋を開けてにおいを嗅ぐと、落ち着いた柔らかい花の香りがする。カモミールのようだ。確かにこの香りは気持ちを和らげる効果を持つ。ハーブティーにもよく使われているし、それと同様の物だろう。


「会った時から少し硬い人なのかと思ったけど、良かったわ。あなたの前だと安心できるのね」

「え?」

「ほら、騎士さんって常に守らないといけない立場でしょう? だから気を張るし疲れも溜まる。うちの国の騎士さんもそういう人が多いの。でも傍にいて心を安らげる相手がいるって大きいと思うわ」


 女性は優しい笑みを向けてくれる。


 薬の効果が大きいと思うが、自分がジノルグにとってそう思われていたら……少し嬉しいと思う。実際のところは、守るために気を張ってくれている事の方が多いだろうけど。でも、助けられるばかりでなく、自分にできる事はしたい。


「それで、他に用事はあったかしら?」

「あ、さっきの薬用酒の作り方を」

「ああ、あれね」


 にこっと笑って頷いてくれる。

 と、急に足音が聞こえてノックされる。


 一瞬びくっとしたが、入ってきたのはサラだった。

 どうやら迎えに来てくれたらしい。


 だがなぜか、彼女の顔は暗かった。


「サラ……どうしたの?」


 気になったのはサラの表情だけじゃない。

 なぜか一人だったのだ。


 本来ならもっと人数がいたはず。診療所が狭いから大人数で入るのはよくないだろうという配慮もあるだろうが、サラ一人だけなのは少し気になる。真っ先にアンドレアが来てくれそうなものだが。


「それが――オグニス殿下が倒れました」

「…………え?」







「ふーん、ふんふーん♪」


 積もっている雪を踏みながら、鼻歌を歌う。


 温かい毛糸の帽子に隠れているが、雪と同化した白髪の髪に柘榴色の瞳。そんな珍しい容姿を持つその人物は、城を見て笑みを浮かべる。どこか楽しんでいるような、何かを見据えているかのような表情だった。







 ロゼフィア達はすぐに城へと戻っていた。


 サラの話によると、「雪の宝石」を見終わった後に急にオグニスが倒れたらしい。どこか怪我をしたわけではなく、元々持病があったようだ。だが、傍にいたダビトやマリー達は、主人が倒れたというのに動じていなかった。むしろ、ひどく冷静だったようだ。


 城に着けばすぐに内容が伝わっていたのか、部屋に案内される。入れば、そこにアンドレアとクラウスの姿があった。アンドレアはただ口を閉じ、一点を見ている。いつも笑顔であるのに、その表情は珍しい。


「アンドレア」


 名前を呼べば、こちらに気付いたのか立ち上がる。

 すぐに手で制し、向かい側にロゼフィアは座った。


「それで……どういう状態なの」


 するとすぐにドアが開き、ダビトが入ってくる。

 顔はどこか真剣だった。


「皆様お揃いのようですね」


 冷静な声色だ。いつもの穏やかな声色よりも、どこか冷たい。

 アンドレアはすぐに飛びつくような勢いで「オグニスは」と聞く。

 

「安静にしておく必要があるとの事です。伝言を預かっておりますので、お伝えいたします」


 一呼吸置き、ダビトは続けた。


「『今回の事は自分の不注意。どうか気にしないでほしい。そしてこうなった以上、ここにいてもらっても仕方がない。どうか国に帰ってほしい』と」


 本来ならあと一日残る予定でいた。

 だがオグニスがこんな状態では、確かにいる理由もない。


 ロゼフィアを始め、周りは少し苦しい表情になる。

 アンドレアは少し動揺しつつも、はっきりと答えた。


「……分かったわ。でも、一つだけ。オグニスの看病をさせてもらう事はできるかしら。少しだけでいいの、少しでも」

「『必要ない』と、殿下はおっしゃっていました」

「っ……」


 まるでこちらが言う事を分かっていたような口ぶりだ。ダビトの言い方もあるかもしれないが、アンドレアに対してオグニスの言葉は冷たい。あんなにも仲良く過ごしていたというのに、どうしてそんなに突き放すような言い方をするのだろう。


「私からも、お願いします。私は魔女です。だから、何か役に立てるかも」


 思わずロゼフィアもそう告げる。

 だがダビトはぶれなかった。


「必要ありません。主治医もいますので」

「…………」

「今日はゆっくりお休みください。それでは」


 後は何も言わず、ダビトは出て行ってしまった。

 残された部屋には、静けさだけが残る。誰も何も言えなかった。


「……先に、部屋に戻るわ」


 アンドレアは呟いた。

 その声が若干震えていたのを、皆気付いていた。







 豪華で大きな扉を目にする。

 金の装飾が施されているが、木で作られた温かみのある色合いだ。


 柘榴色の瞳でそれを見つつ、そっとドアを開けた。

 そして中に入って床に伏せるオグニスを目にした。


 いつもと変わりなく、仮面をつけている。


「……来たか」


 少しか細いが、しっかりと声を発する。

 まだ元気である証拠だ。


「久しぶりやな、王子」

「本当に来てくれたんだな」

「そろそろ頃合いかと思ってな」

「……そうだな。それで、どうなんだ」


 オグニスが何を指しているのかすぐに分かった。

 だがそれを簡単に言うつもりはなかった。


「今王女が来てくれとるんやろ? やのになんで帰そうとするん?」

「……どうしてそれを」

「ダビトに聞いた。彼女に協力してもらえばいいやん」

「っ……! それは」

「前も言うたけどこれは『病気』じゃない。『呪い』や」

「――――呪いって、どういう事?」


 振り返れば、アンドレアが荒い呼吸をしながら立っていた。

 オグニスは驚き、後ろにいたダビトに顔を向ける。だが彼は「入れるよう指示されましたので」としれっと答えていた。彼女は王女の姿を見てにこっと笑う。


「うちが呼んだんよ。そのまま自国に帰ってもらったら困るけんな」


 アンドレアは戸惑いつつも、こちらに近付いてくる。


「サンドラからあなたの事は聞いています。路地裏で店を開いているとか」

「お初にお目にかかります、王女。知られているとは光栄やわ」

「あなたは……何者なの? なぜこの国に」

「――私の名はヴァイズ」


 伸びやかな声で名を伝える。

 彼女は真っ直ぐアンドレアを見た。


「百年前、彼の呪いをかけたんは私の先祖や」

「…………え?」


 そう呟いたのは、アンドレアだけじゃない。

 丁度呼ばれて着いたロゼフィアも、同じ反応を示した。







「ヴァ、ヴァイズさん!」


 部屋から出ていく彼女を、ロゼフィアは追う。

 なぜなら自分の正体を明かした後、勝手に出て行ったのだ。


 その行動がよく分からず、慌てて追った。

 ちなみにアンドレアとオグニスは今、二人きりの状態にいる。


「なんや紫陽花の魔女、わざわざ『さん』付けなんてせんでいいで?」


 苦笑交じりに言われる。

 そう言われるならと、ロゼフィアは普段通りの言葉遣いに直す。


「さっきのはどういう事。先祖って」

「そのままの意味よ。うちはここに住んどった魔法使いの子孫。だからオグニスの呪いの事も知ってる」

「でも今はこっちの」

「そう。そっちでお店をしとる。まぁ色々あってなぁ」

「……ヴァイズも、魔法使いって事?」


 薬学に詳しい女性という事しかサンドラには聞いていない。

 魔法が使えるなんて初耳だ。


 すると彼女は微笑んだ。


「いいや、違う。魔法使いは呪いをかけて魔力も全部失ったみたいやけんね。やから、うちらの一族で魔法を使えるもんはおらん」

「そう……」

「魔法使いは日記を残しとった。それを代々、引き継いどってな」


 言いながら古びた本を取り出した。


 とても年季が入っており、開くと紙が少しぼろぼろになっている。だが達筆でびっしりと文字が書かれていた。どうやらずっと魔法使いは日記をつけていたらしい。百年も経てば本の状態を保てないようにも思うのだが、その日記には魔法がかけられていたようだ。だからまだなんとか形状を保っている。


 そこには、この国の歴史も書かれていた。




 昔々あるところに、一人の王子様がいました。


 彼はとても優しく賢い王子でしたが、愛を知らない子でした。

 それは幼い頃に国王と王妃に愛されなかったからです。


 そのまま成長した王子は、持ち前の賢さと優しさでやがて国王になりました。誰もが彼を愛しました。そして誰もがその愛を独り占めしたいと思うようになりました。王子は愛を受け取りました。ですが愛は返しませんでした。彼にとって愛とは何か分からなかったのです。彼は持っている善意と優しさだけを与えました。それを愛と勘違いする人が増えていきました。


 ……やがて、王子を取り合うような出来事が増えてきました。

 そして王子は一人ではなく、複数の女性と関係を持つようになりました。それを知った者は彼を毛嫌いするようになりました。『愛する伴侶はただ一人だけ』。周りがどんなに王子に伝えても、王子は聞く耳を持ちません。『与えられる愛をどうして全て受け取ってはいけないのか』。そう言いながら彼女達の愛を全て自分のものにしようとしたのです。


 臣下は困り果て、森に住む魔法使いを訪ねる事にしました。

 『魔法使い様、どうか王子を助けて下さい。このままでは大変な事になります』。民の願いを叶える魔法使いはその願いを受け入れ、王子を訪ねました。そしてこう伝えました。


『王子、あなたは愛を知らないのです』

『愛なら知っている。彼女達がいつも私に与えてくれている』

『いいえ王子。愛は自分勝手ではいけないのです。相手を想い、相手のために与える。それが愛です』

『私は愛をもらっている。だから関係ない』

『いいえ王子。愛はもらうだけではいけません。もらった以上に返さなければなりません』

『ちゃんと返しているし与えている』

『いいえ。あなたの愛は本物の愛ではない』

『……うるさい奴だ。私に歯向かう者は許さないぞ』


 やがて魔法使いは牢屋に入れられました。

 国王の命令には逆らえません。誰も魔法使いを助けられませんでした。


 魔法使いは牢屋に入れられたまま、何度も冬を過ごしました。

 そうして魔法使いはずっと魔力を溜めたのです。


 彼を、王子を呪うために。



「呪い……」

「その魔法使いは王子を呪った。正確にはその子孫を呪ったんや」

「どうして、そんな事」


 オグニスが悪いわけじゃない。

 その王子が体たらくだった。どうしてわざわざそんな事をしたのだろう。


 するとヴァイズは自虐ぎみに笑う。


「その魔法使いも王子を愛してしまったからや」

「え……?」

「王子にも優しさや良心はあった。それを与えられると『愛』と勘違いしてしまう。魔法使いも勘違いしていると分かっていながら……惹かれたんやろうな。そして愛したと同時に憎んだ。どうして自分だけを愛してくれないのかと。どうして憎しみがすぐに消えないのだろうと」


 彼女は溜息交じりに「それで」と言葉を続ける。


「魔法使いはその王子に呪いはかけられなかった。だから百年後の彼の子孫に呪いをかけた」

「百年後……」

「自分も死んでいなくなっている世界。自分が苦しまなくていい世界に呪いを残した。……うちらからしたらありがた迷惑な話やけどな」

「その魔法使いって、もしかして」

「ああ、女性よ」


 あっさりと答えてくれる。

 そして笑いながら「誰も男とは言ってないやろ?」と言われる。


 ヴァイズによれば、魔法使いは王子に呪いをかけた後すぐ国を出たようだ。逃亡したと言った方が正しいかもしれないが、国に留まりたくなかったのだろう。そうして色んな国を転々としながら、暮らしていた。大きな呪いをかけた事により魔力はほぼなくなってしまい、魔法使いというよりは薬学を勉強し、各国の薬草を摘んだり、薬を提供していたようだ。


「うちも薬草摘みは続けとる。サンドラに頼まれる事もあるしな」


 そういえば研究所に薬草が届けられた事はあった。

 この国にはない薬草を目にした時は、珍しさで少し感動したものだ。


 その薬草詰みのついでに、彼女はオグニスに会ったりもしたようだ。最初は戸惑われたようだが、今では和解もしており、呪いを解くために力を貸しているらしい。その日記には呪いを解くための方法も書かれていた。だが所々虫食いのようになっていたらしく、ヴァイズも探すのに一苦労していたらしい。


「うちが今の国に留まっとるんは、ただ条件が良かった。薬学に詳しい人もおるし、人も優しい。食べ物も美味しい。この温かい国やったら腰を下ろしてもいいかなと思ったんよ。……でも、こんな偶然ってあるんやね。王女に出会えた」

「アンドレア?」

「そう。王女の力が必要やから」


 思わず何度も瞬きしてしまう。

 どういう事だろう。


 ヴァイズはちらっと今出たドアを見つめる。

 そしてふっと笑った。


「病気を治すんも、呪いも解くんも、最終的にはあれ・・しかないけんな」

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