一章 つかの間のルーヴェにて3

「そ、それは……リ、リエラ様……かな?」

 オルフェリアは小さな声で答えた。

 ここでフレンと答えたら、自分の本当の気持ちまでばれてしまいそうで、ついリエラと答えてしまった。


 フレンはオルフェリアの答えを聞いて面白くなさそうに唇と引き結んだのだが、オルフェリアはリエラと対峙しているため気づかなかった。


「ありがとう! そう言ってもらえると役者冥利につきるよ! 最後に褒めてもらえてうれしいなあ」

 リエラはがばっとオルフェリアのことを抱きしめた。

「ひゃっ……」

 王子様から抱きしめられてオルフェリアは固まった。女性にしては高身長の彼女に抱きしめられると、本当の男性からされているように感じてしまう。リエラからはいい香りがして、よけいにどぎまぎしてしまう。

 フレンは鬼のような形相をした。

 彼はすぐに二人の間に割って入ろうとして、地獄の使者のような低い声を出した。

「おいこら。いい加減私の婚約者から離れろ」

「フレンでもやきもち焼くのねえ」

 ユーディッテが感心してしみじみとつぶやいた。

 彼女にしてみたら、あの常にのらりくらりと女性を躱し続けたフレンが一人の女性に対してこうも必死になっているのが物珍しいのだ。


 リエラは面白がって余計にオルフェリアを抱きしめる腕に力を入れる。

「いーやーだーよー」

「リエラ、離れろ!」

 フレンがたまらず叫び出す。

「んん~、オルフェリア様やわらかくていい香りがするなあ」

 リエラの顔がオルフェリアの首筋にうずめられて、背筋がぞくりとした。「ひゃっ」と小さく悲鳴を上げた。

「オルフェリア様の声可愛い」

 リエラは楽しそうにオルフェリアへの密着度を高める。


「きみは変態か!」

 フレンはもう我慢がならないとばかりにオルフェリアからリエラを引きはがそうとリエラの腕をほどこうとする。

「フレンに言われたくないなあ」

「なんだと」

「あー、もう。リエラもそのへんにしておかないと、オルフェリア様が困っているわよ」

 苦笑しながらユーディッテがとりなしたおかげでリエラはオルフェリアを離した。

「残念。オルフェリア様抱き心地よかったのに」

「抱き心地がいいなんて、言うな」

 リエラとフレンはまだ言い争っている。というかフレンが一方的にいちゃもんをつけている。


「オルフェリア様お疲れさま。リエラに抱き着かれるとどきどきするでしょう」

 ユーディッテの言葉にオルフェリアはこくこくと頷いた。

フレンに抱きしめられるのとどっちが心臓に悪いだろうかと考えて、いや、どちらも心臓に悪いという結論に達する。

「ごめんね。ちょっといたずらが過ぎちゃったね」

 リエラがオルフェリアの頭の上にぽんと手をのっけた。

「い、いえ。大丈夫です」

 オルフェリアはぶんぶんと頭を振った。


 そして気を取り直して舞台の感想を伝える。

「あ、その……。舞台とても面白かったです。リエラ様とユーディッテ様の掛け合いがとても軽妙で面白くて。でも、リエラ様の最後の剣さばきもとってもかっこよくて」

「ありがとう。今回はね、わたしが主役なんだけど、ほかにも騎士隊長の見せ場も多く作ってもらったり、いろいろと実験的な意味合いも多いんだ」

「そうなの。わたしと侍女役の子と、二人ともヒロインのようだったでしょう?」

「あ、はい。四人とも平等に見せ場があったように思いました」

 リエラとユーディッテの言葉にオルフェリアが頷く。

「群像劇っぽくて面白いだろう? 毎回の掛け合いも楽しかったな」

「そうねえ。あなたたまに演技を忘れているのではなくって? わたし、自分自身に喧嘩売られているのかと思ったこと一度や二度じゃないわよ」

 ユーディッテが挑発めいた口調でリエラを流し見る。

「それはきみの気のせいだよ。きみに喧嘩を売ったのは後にも先にも、きみと初舞台を踏んだあの日だけだよ」

「もう。またその話ね」

 ユーディッテが腰に手を当てた。

 リエラとユーディッテの付き合いは長い。二人はずっとフリージア組の舞台でコンビを組んでヒーローとヒロインを演じてきたのだ。


「わたしはこれで退団するけど、オルフェリア様は引き続き女組をよろしくね」

「はい。もちろんです。このあと、少しの間留守にしますけど、ルーヴェに戻ってきたら公演に通います」

「ああ、ロームに行くんだっけ」

 リエラが知っているよ、という風に頷いた。

「はい」

「いつかカルーニャにも遊びに来てよ。フレンに愛想を尽かしたら逃げておいで。愚痴ならいくらでも聞いてあげるから」

 リエラは魅惑的な笑顔でオルフェリアの顎に指をかけた。

 上に向かされる格好となったオルフェリアは今日何度目かになる赤面顔を作る。


「オルフェリアは私に愛想なんてつかないし、そもそも私が彼女を手放すわけないだろう」

 と、ここでフレンが再び会話に混ざってきた。

「あの。いつかわたしリエラ様に会いに行きます。そのときはよろしくお願いします」

 オルフェリアはリエラにまっすぐ視線を向けた。

「ああ。おいで。待っているよ。とびきりのカルーニャ料理とお酒を用意して待っているから」

 リエラはからりと笑った。


 頼もしさも含んだ笑顔を受けてオルフェリアも小さく微笑んだ。

 大丈夫。フレンとの契約が終わっても、この一年間にたくさんの出会いがオルフェリアを支えてくれる。

「あら、そのときはわたしも一緒に行くわ。みんなでおいしいものを食べて騒ぎましょうね」

 ユーディッテが高らかに宣言をして、三人はそれぞれ目配せをして、朗らかに笑みを作った。


◇◇◇


 一方そのころ。

 ルーヴェのファレンスト邸ではミネーレがオルフェリアの旅支度を整えている真っ最中だった。

 大好きなドレスを丁寧に手入れをして長持に入れていくのだかいまいち気分が乗らない。それはきっとせっかくの旅行なのにお嬢様のドレスを新調できなかったせいだ。

 いつもは気前のよいフレンだが、今回に限っては遊びに行くのではないのだからドレスは目立つものを避け、簡素なものを支度するように厳命をした。


 せっかくのルーヴェなのに、ミュシャレンから持ってきたドレスやファレンスト邸に残されていたオートリエやレカルディーナのドレスを詰める羽目になっている。

 つまらない。

 旅行といえば着飾る絶好の機会なのに。

 と、反論すれば本当に必要なら現地で調達する、とそっけなく返された。


『あんまりドレスを新調してばかりいると、お金のかかる子ってフレンに思われちゃうから、あんまり新品を用意しなくていいのよ』

 とはオルフェリアから受けた苦言である。フレンなど取り柄はお金持ちというところくらいなのに、と酷いことを思うミネーレである。


「ああ、ここにいたのかミネーレ」

「あら、アルノー。来ていたんですか」

 ふいに部屋に現れたのはフレンの秘書官のアルノーだった。

 ミネーレは長持の傍で座って作業をしていたが、彼が立っているため、自身も身を起こすことにした。

「フレン様たちもお帰りですか?」

 ミネーレは首をかしげた。


「いや。女組公演の後、宝石商に寄るとおっしゃっていた。オルフェリア様も一緒だ」

「ああん! 宝石! わたしもご一緒してオルフェリア様にあんなものをこんなものをより取りみどり飾りつけしたかった」

「あほか! 宝石を買いに行くんじゃない。情報を仕入れに行くんだ」

 ミネーレが体をよじらせて悶え始めたところで鋭い突っ込みが返ってきた。

「なあんだ」

 ミネーレは唇をすぼめる。


「それより、オルフェリア様の荷物に余計なものを入れていないだろうな。前回みたいに長持や鞄をたんまり用意されたのではかなわない」

「まあ、ひどい言い方。乙女の荷物は無限大なのですよ」

「そんな無限大に付き合っていられるか。大体、おまえロルテーム語は順調に覚えられているのか? 碌に会話もできなければおまえだけ即回れ右させてルーヴェへ引き返させるからな」

 アルノーは淡々と低い声を出す。

 その眉間には深いしわが刻まれている。若いうちからそんなにもしわを深くするとは、絶対に後年になってしわが取れなくて後悔するに違いない。

 ミネーレは自身がアルノーのしわの一因であることを棚に上げて、彼の心配をした。


「それは……まあ、なんとか。大丈夫です。先生も最後は笑顔と身振り手振りが万国共通の会話法だとおっしゃっておりましたし!」

「……」

 ミネーレの言葉に先行きの不安を覚えるアルノーである。


「大体、私は反対なんだ。オルフェリア様を連れていくことに。せいぜい、よおく彼女を見張っておくんだな。あの令嬢は時折こちらの予想を超える行動を起こすことがあるから」

「まあ、アルノーはお嬢様とフレン様の結婚に反対ですの?」

 なんとなく、聞きそびれていたことをミネーレはこの機会に聞いてみる。

 ずっと思っていたのだ。

 アルノーのオルフェリアを見る視線の厳しさに。

「……ああそうだ。私は、メンブラート嬢はフレン様の妻にふさわしいとは思えない」

 アルノーははっきりと言い切った。


 まさかあっさり認めると思っていなかったミネーレである。ミネーレに明かすくらいだからフレンにもすでに同じように伝えている可能性もある。

「どこが、と伺っても?」

 ミネーレはとりあえず気になったことを聞いてみた。あんなにも可愛らしいお嬢様のどこに不満があるのだろう。

「彼女には社交の素質がまるでない。ファレンスト商会の妻としての立ち居振る舞いができるのかどうか。確かめるまでもないだろう。無理に決まっている。彼女のような令嬢はどこか田舎の領地にでも引きこもっているくらいがちょうどいい」

 これまたずいぶんと辛辣な意見である。

 ミネーレの考えとはまるで反対だ。


「そうでしょうか?」

 ミネーレの反論にアルノーが片方の眉をぴくりと跳ね上げた。

「オルフェリア様は確かにまだ世間に慣れていませんけれど、素直で可愛らしいお方ですわ。貴族もブルジョワ層も確かに腹の内が見えないお方も多いですが、そうでないお方もいらっしゃいますし。現にアルンレイヒでは王太子妃様やイグレシア子爵夫人に気に入られています。リュオン様がご成長されて伯爵として発言力を持てば、表立ってオルフェリアお嬢様を悪しざまに言う輩も減っていくでしょう。フレン様が腹黒な分、オルフェリア様くらいに純粋な方が妻のほうがかえって丸く平和に収まるというものです」

 ミネーレはにっこり笑顔で流暢に言葉を操った。まごうことなきミネーレの本心だ。

 長い反論にアルノーは少しだけ面食らったように小さく息を吞んだ。


「ふん。侍女風情がなにしたり顔で意見をしているんだ」

「あら、秘書官風情がお嬢様に難癖をつけないでほしいですわね」

 ミネーレはアルノーの言葉をそっくり引用してあてこすった。

 ぴりりとした視線が絡みあう。

 二人ともしばらくの間にらみ合って、どちらからともなくそっぽを向いた。

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