二章 なりゆきで花嫁修業4
◇◇◇
一方その頃。
ルーヴェで忙しく決済やら会議やら視察やらをこなしているフレンは時間を見つけてとある宝石商の元を訪れた。メンブラート家の盗まれたダイヤモンドの行方を得るために同業の人間からそれとなく、最近訳ありのダイヤモンドが持ち込まれたかどうかを聞き出しに行ったのだ。
結果としては外れだった。
盗品は盗品で専用の売買ルートがあるからだ。それでも人の口を完全に閉ざすわけにはいかない。なにかしら有益な情報が得られるのではないかと、大粒の紅玉の耳飾りを買ってみた。店主は揉み手をしながら何かあったら知らせると言ってきた。そして、もうひとつ。最近訳ありの宝石や美術品はロルテームの王都、ロームに集まるのだということを教えてくれた。
(ロームねえ。大叔父殿の動きも気になるし……。面倒だな。人をやるか)
父に呼び出された理由の一つにここ最近飛び込んできた大叔父の動向がある。
とんでもない報告がもたらされて父は立腹していた。フレンも忙しくなりそうである。
「フレン様。いささかメンブラート嬢に肩入れしすぎなのでは?」
と、フレンの思考を遮るようにアルノーが声を駆けてきた。固い声音である。
宝石商を後にした、馬車の中である。
「そうかな?」
フレンは嘯いた。肩入れなら十分にしている自覚はある。
「ええ。人探しなど、専門に人でも雇えば済む話でしょう。自ら宝石商の元に出向いたり、件の人物が住んでいたとされる場所に行ってみたり。フレン様がすることではありません」
確かにフレンは数日前時間を作ってデイヴィッド・シャーレンが昔住んでいたという集合部屋(アパルトマン)に行ってみた。しかし、これといった収穫はなかった。ルーヴェの東側の、どちらかというと家賃の安い地域である。学生が多く住むあたりは人の入れ替わりが激しい。下宿を管理する夫人に聞いてみたが、これといった特徴のない男のことなんて覚えてもいなかった。こういう男がいた、ということは記憶に残っていたが、その彼がどういう来歴で、どこに行ったのかということまでは知らないと言った。
「部下にだって探らせているよ」
フレンの部下たちも聞きこみをしているがこれといった収穫はもたらされていない。
おそらく、彼は捜されても自分に行きつくはずはないと踏んで経歴の一部を漏らしたのだろう。そういうところも気に食わない。
「そういうことではなくてですね。……フレン様。彼女のことを一体どうしたいのですか?」
アルノーは大まじめに聞いてきた。
「どうしたいとは?」
「最近のフレン様を見ていると、メンブラート嬢をただの仕事相手として見ているとは思えません」
「ああ。私は彼女を一人の女性として想っているよ。契約が終了したら、彼女に気持ちを伝えるつもりだ」
フレンがあっさりと気持ちを吐露したことにアルノーは驚いたようだった。
思えばこれまでこの秘書官にこういった話をしたことはなかったかもしれない。
「……それは、メンブラート嬢を妻にしたいと、そう望んでおられるということでしょうか」
「妻か……」
フレンは穏やかな顔つきになった。あの夢が実現したらどんなに素晴らしいだろう。
そんなフレンの優しい表情に、アルノーは絶句した。
オルフェリアが、彼女のこの先の人生にフレンが隣にいることを望んでくれたら。
それはどんなに喜ばしいことだろう。
それを叶えるためにも。
(あいつの目的がオルフェリアなら、おそらく彼はまたこちらに接触してくる)
アルノーが黙り込んだのでフレンは再び自身の考えに没頭した。
一応、ミュシャレンの部下にはオルフェリアのことをそれとなく警護するよう言い含めている。命じた部下の前で大げさに婚約者を案じるそぶりを見せたから、彼はおそらくフレンのことを内心狭量な男だと思っているに違いない。
と、オルフェリアのことを考えてフレンは渋面を作った。
こっちは彼女のことが頭から離れないのに、手紙の一つも寄こさないとはどういうことだろう。声が聞きたいし、顔だってみたい。不機嫌そうに「フレンの馬鹿」という言葉でだって今のフレンにしてみたら懐かしい。
そう、手紙である。
実は先日ユーディッテとリエラから自慢げに見せびらかされた。オルフェリアから届いたという手紙を。
どうして彼女らには手紙を書いて、婚約者(偽装だが)には便りの一つも寄こさない。普通、婚約者と離ればなれになったら文通くらいするだろう。文面に寂寥の思いをぶちまけるものだろう。
オルフェリアから手紙が来ないので、こちらから書くことにした。なんだか負けた気がしないでもないけれど、届く気配のない手紙を待っていても仕方ない。
◇◇◇
フレンから荷物が届いたのはオルフェリアがインファンテ邸でくつろいでいる時だった。ちょうど叔母と家族用の居間で刺繍の練習をしている時だった。
実はオートリエに上級学校の奨学金集めの慈善市の手伝いに誘われたからだ。ファレンスト商会の妻たるもの社会貢献活動は必須とのことらしい。バザーに出す商品を作るため裁縫の練習は必須である。
来客の応対をした使用人が荷物を持ってヴィルディーの元へ戻ってきた。
「お嬢様にお荷物です」
「まあ、どなたからかしら」
ヴィルディーがおっとりと返した。
「ファレンスト様です」
その言葉にオルフェリアはぴくりと反応した。
「あらあら」
ヴィルディーはオルフェリアに向かってにっこりと笑った。心得た使用人がオルフェリアに視線を寄こして、オルフェリアは頷いた。了解を得た侍女が下がり、ほどなくして荷物の中身を運んできた。
中身はオルフェリアに向けた手紙の束と、贈り物だった。
「あら、わたしたちの分まで。悪いわねえ、気を使わせて」
ヴィルディーらにはフラデニア産のぶどう酒や日持ちのする菓子が同梱されていた。
「ファレンスト商会の特別便と一緒に運ぶそうで、明日もう一度訪れる時に手紙の返事を渡してほしいとの伝言を承りました」
なんでもファレンスト商会はミュシャレン支店とルーヴェ本店との間で社内便を行き来させているとのことだ。郵便を使うより専用の人を雇って列車で行き来させた方が格段に早いからだ。
オルフェリアは受け取った荷物を手にそわそわした。
「手紙が読みたいのでしょう。今日はもういいから。部屋に行きなさい」
「で、でも……」
言葉では反論するが、オルフェリアの気はすっかりそれてしまった。フレンからの手紙と聞けば素直に嬉しい。早くあけたい。
ずっと、さみしいのを、会いたいのを我慢していた。彼は仕事で戻っているから、だからしばらく会えないのは仕方のないことだと言い聞かせてきたのだ。
「そんな嬉しそうな顔をして。いいから早く読んできなさいな」
ヴィルディーはくすくすと笑っている。うずうずしているのが顔に出ているのだろうか。自分では隠しているつもりなのに。
「ありがとう。叔母様」
オルフェリアは急いで立ち上がって、手紙と荷物を抱きしめて自室へと掛け込んだ。
封筒を破るのももどかしい。
開いた手紙を、目に飛び込んできた文字に胸がいっぱいになった。
『私の可愛い婚約者オルフェリアへ』なんて書いてあって、その言葉だけで胸が高鳴った。
彼の字に指を這わせた。まるでそこにフレンのぬくもりが残っているかのように、慎重に、こわごわと滑らせる。
フレンに会いたい。手紙一つで、こんなにも心が揺さぶられる。
『私の可愛いオルフェリア、元気にしているかな。きみが一向に便りの一つもくれないものだから、私の方から手紙を書くことにするよ。普通恋人同士なら手紙のやり取りくらいするものだけど。しっかり婚約者を演じてほしい』
彼ったら相変わらずだわ。フレンの苦言すら懐かしくてオルフェリアは無意識に顔をほころばせた。
そうか、婚約者なら手紙をかわすのが当たり前なのか。筆無精に加えて、文通相手もいなかったから失念していた。叔母たちも何も言わなかったし。
私の可愛いオルフェリア、なんて。彼はただ仕事の一環として手紙を書いているだけなのに。それでもオルフェリアは自分が本当に彼の特別になったかのような錯覚をしてしまう。
可愛い、なんて書かれると胸の奥がくすぐったくなる。ほんわかとあったかくなって瞳の奥がじんわりしてくるのを自覚した。
手紙にはフレンの近況報告と、ユーリィレインが無事にフラデニアの寄宿学校に編入したことが書かれていた。リシィルも付き添いでルーヴェに滞在していたらしい。というか、現在進行形でルーヴェのファレンスト邸に居座っていると書いてあって吃驚した。なぜだかユーディッテと趣味(酒)が合い意気投合して、時間の許す限り飲み歩いていると書かれていて、オルフェリアは眉間に眉を寄せた。
(お姉さま、ずるい)
オルフェリアはミュシャレンで留守番をしているのに。彼女はフレンの近くにいるだなんて。
手紙には、寒い日が続くけれど体調には気をつけて、という言葉で締めくくられていた。
じっくりと手紙を呼んで、嬉しくて三回くらい読みなおしてからオルフェリアはそのほかの荷物を検めた。
フレンからの手紙のほかにいくつか封筒が入っていた。
裏を返して差出人を確かめると、ユーディッテとリエラからだった。
訝しがって中に目を通すと、『郵便よりも早いので』という理由が書かれてあった。
手紙の内容はフレンと大差なかった。ユーディッテからの手紙にはオルフェリア様のお姉さんと飲み仲間になりました、と書かれていた。飲み歩いている時に酔っ払いに絡まれて、それを持っていた棍棒でリシィルが退治したと書かれている。
(お姉さまったら。何をしているのよ……)
どこにいても通常運転な姉に苦笑を禁じ得ない。
その場に居合わせたかった。
それと同時に、胸の奥が少しだけつんとした。オルフェリアの知らないところでフレンと会っているユーディッテらに嫉妬したのだ。彼女らを疑っているわけではない。前にもはっきりと恋愛対象ではないし、お互いになんとも思っていないと話していたからだ。それでも、ユーディッテらとフレンは友人で、女子歌劇団の団員はフレンと会う機会もあるのだろう。自分の知らないところでフレンが女性と話しているというだけで、もやもやしてしまう。そんなこと考えたくないのに。オルフェリアだけを見てほしい。
フレンに会いたい。
さみしくてたまらない。今すぐルーヴェに飛んでいきたい。
一度溢れだすと止まらなかった。勉強や社交に集中することで、フレンのいないさみしさを紛らわせていたけれど、思い出すと次々とフレンのことが頭の中に浮かんでくる。
意地悪な言葉ですら懐かしい。
(わたし……フレンのことが好き……。友達とか、そういうのじゃなくて彼が好き)
これ以上、この気持ちを見ない振りなどできそうもなかった。気付かないふりなんてもうできない。フレンのことが好き。大好き。認めてしまえばその気持ちはオルフェリアの心の中にすとんと落ちてきて居場所を作った。
オルフェリアは最後の荷物を手に取った。
ガラスの入れ物に入ったすみれの砂糖漬けだ。
『きみの瞳の色にそっくりだろう。入れ物も可愛かったから、つい買ってしまった。気に入ってくれるといいんだけど』と書かれていて、包装用のりぼんを取って、入れ物のふたを空けた。
「わたし、こんなにも綺麗な色していないわよ」
オルフェリアの瞳は薄い紫で、少し灰色かかっている。それがコンプレックスで、どうせならリュオンのように濃い紫色が良かったってずっと思っていた。
なのに彼はオルフェリアの瞳と、ガラスの入れ物の中に入っている菫が同じ色だと言う。どれだけお世辞がうまいのだろう。そんな言葉真に受けないんだから、と心の中で強がるのに、胸の奥が嬉しさでいっぱいになる。
ガラスの入れ物は薄いピンク色で、ふたの上の取っ手が花の形を模している。
もったいなくて食べられないかもしれない。しばらくは観賞用にとっておこう。
それからオルフェリアはフレンから貰った図鑑を広げたり、カフスボタンを眺めたり、手紙を読み返したりして夕飯までの時間を過ごした。
夕飯を食べている時に思い出した。
手紙の返事を催促されていた。何を書けばいいんだろう。
男性への手紙って、どんな封筒を使えばいいのだろうか。持っている便箋だってちょっと少女趣味すぎるだろう。
そもそも緊張しすぎてまともな文章が書ける気がしない。
変なことを書いてしまったらどうしよう。フレンに呆れられてしまうかもしれない。
この日、オルフェリアは何を食べたかまるで覚えていなかった。夕飯を口に運びながらもどこか上の空の姪を微笑ましく見守るヴィルディーの視線も当然気付かないオルフェリアだった。
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