三章 新年の空は曇り模様6

◇◇◇


 ユーリィレインは子供部屋隣の勉強部屋へダヴィルドを通して、熱いお茶と焼き菓子を提供した。お茶はカリティーファの育てているハーブから作られたものだ。

 ダヴィルドは焼き菓子を手にとって、ぱりんと割って、半分を口の中に入れた。


 もぐもぐと咀嚼をして、それから無感動に口を開いた。

「あーあ、絶対にあれ、こじれちゃってますよ。いいんですか、レインお嬢さん。あんなことして」

「あら、実際にしたのはダヴィルド先生の方じゃない」

「僕はレインお嬢さんのお願いをきいただけですよ」

 ダヴィルドはもう半分の焼き菓子を口の中に放りこんだ。固焼きのクッキーは人形の形をしている。この時期特有の、年末を彩るクッキーだ。


「いいのよ。お姉さまったら、いつも一人だけ美味しい思いをしているんだもの。このくらいしたって罰は当らないと思うの」

 ユーリィレインは立ち上がって、窓辺へと近づいた。

 あれからオルフェリアとフレンはどこへいったのだろうか。

「女の子の考えていることは、僕には理解不能ですよ」

 ダヴィルドはあっけらかんと言い放った。

「あなたにはわからないかもね。だって、先生は研究ができれば幸せなんでしょう?」

 レインは振り返ることなく返事をした。


 もとより、男性に、それもダヴィルドのような大人にレインの気持ちなんてわかるはずもない、と決めかかっている。

「そうですよ。僕は歴史学者ですから。そうそう、お嬢さんのお願いききましたから、今度は僕の番ですよ」

 ユーリィレインはダヴィルドの方を振り返った。

「わかっているわ。オルフェリアお姉様が浮気しているようにフレンお兄様に見せつけて、って頼んだ見返りでしょう。明日、もう一度来ればいいわ。明日は、みんな鎧祭りに駆り出されているから、人気が少ないと思うの」


 リシィル発案の鎧祭りだが、変化の少ない田舎の街の住人はなんだかんだで楽しみにしている。それはヴェルニ館の使用人らも同じことだ。

 カリストや一部の年配の使用人以外は好意的にリシィルと、彼女の舎弟の手伝いを申し出ている。

まったく、伯爵家の令嬢自らが祭りを主催しようだなんて。


「わかりました。明日また伺いますね」

 ダヴィルドはお茶を飲みほしてから立ち上がった。

「クッキー、包んでいく?」

「どうせならサンドウィッチの方がいいなあ」

 ダヴィルドの図々しいお願いにユーリィレインはくすり、と笑った。


 けれど、ここは鷹揚にうなずくのが令嬢らしいかな、と思い直してユーリィレインは近くにあったペンを持って、紙に書きつけた。

「はい、これ。厨房の誰かに見せたら何か包んでくれるんじゃない?」

「ありがとうございます。では、明日の午後にでもまた来ますよ」

 ダヴィルドはメモをひらひらと揺らしながら部屋を出て行った。

 ユーリィレインはそれを見送った。


 ダヴィルドに、ユーリィレインの気持ちなんて分かるはずがない。姉弟が多いと、どうしても誰が得をしているとか、誰の方が可愛がってもらっている、とかそういうものが目に付く。

 ユーリィレインは四女で、ようするに伯爵家にすでに女の子供はたくさんいるわけで。


 小さなころから何かにつけると「修道院へ入れてしまうぞ」とか「よその家に預かってもらいます」とか言われて育った。誰にとは言わずもがな。カリストからだ。一生懸命お行儀よくしたし、勉強だって頑張っていた。それなのに一番上の双子姉妹の自由すぎる振る舞いには文句を言いつつも、皆寛容なのだ。


 おかしいと思う。


 父は双子姉妹やオルフェリアと一緒にいる方が楽しかったのだろうか。

 双子のいたずらにも父は寛大で、面白がっている節があった。オルフェリアのことをとても気にかけていたし、街歩きに連れ出すのもオルフェリアばかりだった。

 年下のくせに、男だというだけで家令から敬われるリュオンのことも気に食わない。

 彼の言うことは聞く癖に、ユーリィレインがいくら新しいドレスがほしいといってもカリストは首を縦に振らない。


 話し相手として屋敷を訪れる市長や市評議会の娘らは陰でユーリィレインのことを嘲笑っていると言うのに!

 貴族の令嬢のくせに、ドレス一つも買ってもらえないかわいそうな子、と。


 リシィル様は突拍子もないことをするけれど、気さくだし、明るいし、男相手でもひるまないし、捕吏隊を従えて街を闊歩する姿がとても凛凛しい、など。よく言えたものだ。

 ユーリィレインの話し相手という立場のおかげで一流の教育を受けることができていると言うのに。


「お姉様は一人でさっさとミュシャレンに行ってしまったんだもの。このくらい、大したことじゃないわよね」

 何の前触れもなく勝手に婚約して、婚約者を連れて帰ってきたすぐ上の姉。

 まるでユーリィレインに見せびらかすように、きらびやかなドレスや宝石を沢山持って帰ってきた。毎日真新しいドレスを身につけて、ユーリィレインは悔しくて仕方なかった。


 商人と婚約がしたいわけではない。

 だって、ユーリィレインは由緒正しい伯爵家の令嬢だから。


 それでも、ユーリィレインが手を伸ばしても手に入れられないものをたくさん手にしているオルフェリアを見たら、意地悪をされたら、少し仕返しをしたくなった。

 それだけのことだった。

 胸の中にむかむかしたものを抱えて屋敷のまわりを歩いていたら知った顔を見つけた。

 ダヴィルドである。

 ちょうど、日課のご機嫌伺いに花束を持ってやってきていた彼を使うことにした。

 彼のお願いはユーリィレインもよく知っている。

 そんなにも大したことではないから、ユーリィレインは二つ返事で請け負った。

 それにしても、まさかこんなにもうまくいくとは思わなかったけれど。


  ◇◇◇


 オルフェリアとフレンは狩り小屋へ連れてこられた。

 森の中にいくつかある小屋のうちの一つだ。

 小屋とは言っても、贅沢に木材を使ったまずまずの大きさを持った建物だ。


 リシィルは扉を開けると、まず暖炉の火を起こした。森はリシィルにとって勝手知ったル遊び場だ。いくつかある狩り小屋や道具小屋はリシィルや、彼女の舎弟たちにとっては便利な仮眠室だったり、秘密会議の場所になったりする。

 暖炉の火でリシィルはお茶を入れてくれた。小屋に常備されているものだ。

 あまり広くない室内に火のはぜる音だけが響く。


「悪いね、簡単なものしかなくて」

 お茶はカリティーファの手製で、一緒に出されたのは固焼きのビスケットだった。

「いいわよ、別に」

 オルフェリアは出されたカップに両手を重ねた。

「さて。お茶も入れたし、聞かせてもらおうか」

 リシィルは自身もカップに口をつけてから、二人にじろりと視線をやった。


 リシィルの視線を受けたオルフェリアとフレンは隣同士、簡素な椅子に腰をかけていて、視線をそろりと横に動かして、相手方の出方をうかがった。

 正面にはリシィルが座っている。

 リシィルはどちらかが話すのを待っている。彼女にしては珍しく真剣な表情をしている。


「どうしたの、話せない? 確かに偽装婚約と聞こえたんだけど。オルフィー、あなたフレンと愛し合って婚約したというのは嘘?」

「愛し合って、というか……。恋に落ちたと言ったのよ」

 この期に及んでオルフェリアはどうでもいいところを訂正した。

「どっちも同じだろう。で、その恋に落ちたところが嘘だった、と。そういうことだよね?」

 オルフェリアは黙り込んで下を向いた。


 やっぱり全部ばっちり聞こえていたのだ。森の中なら安全だと思っていたのに、リシィルが追いかけてきていて、それも木に登って二人のことをうかがっていただなんて。

「私から説明するよ」

「そう? じゃあお願い」

 フレンはオルフェリアに代わって、これまでの出来事をすべて語った。

 もともとフレンがうるさい親戚から逃げ回るのに疲れて、適当な相手を探していたこと。領地の立て直しや金銭面の援助を希望する令嬢と契約を結んで、期間を決めてその間だけ偽装婚約をして、適当なところで別れるということ。結婚にまだ焦っていなくて、フレンよりも身分が高い令嬢なら、女性の方から婚約を解消してもそこまで世間から叩かれることはないだろう、ということ。

 フレンは淡々と事実を口上に乗せた。

 こうして改めて聞かされると、確かにオルフェリアとフレンの関係は契約だけの間柄だということが分かる。


「ふうん。なるほどね。ミュシャレンに行ってオルフィーも変わったと思ったら。全部ウソだったとは。あなた、なかなかやるね」

 最後は褒められているのだろうか。それとも内心では呆れかえっているのか。オルフェリアには判断がつきかねた。

「……」

「昔っから、何考えているんだかわからない子だったけど。なんというか……」


 リシィルはひとしきり頷いてから、おもむろにオルフェリアの方へ腕を伸ばしてきた。

 オルフェリアはぺしり、と頭を叩かれた。

 実際はそんなにもいたくなかったけれど、隣のフレンから息をのむ音が聞こえてきた。


「リシィル嬢、何をする」

「オルフィー、わたし前に言ったよ。一人で抱え込むな、って。何一人で勝手になにもかもやろうとするんだ」

 フレンの苦言を無視する形でリシィルはオルフェリアに強い口調を向けた。

「だって……」

「どうして、オルフィーが一人で背負いこむんだ?」

「リシィル嬢、オルフェリアを責めるのはやめてほしい。最初は彼女、渋っていたよ。確かにとんでもない提案だからね。それを色々と言い含めて、了承させたのは私だ」

 リシィルはちらりとフレンの方へ視線を寄こした。


「でも、結局は了承したんだろう。馬鹿な提案だと思ったなら、こいつを殴り倒せばよかったんだ」

 オルフェリアはまだ何もしゃべらない。

 結局、オルフェリアが何をしたかったのか。それは、彼女自身も曖昧なままだった。


 逃げるようにミュシャレンに行って、世界は広いことを知った。

 初めて乗る鉄道に、大きな王都の街、人の多さにも吃驚した。

 生まれて初めて働く経験だってしたし、人付き合いは困難と失敗の連続だった。

 世界が広がっていく中で、メンブラート伯爵家が置かれている状況だって、オルフェリアなりに見えたつもりだった。ミュシャレンでは、色々な噂を耳にした。

 技術革新で産業構造が変わり、列車は馬車に代わり、急速にその存在を主張し始めている。

 世間の変化についていけない、昔ながらの貴族が没落をしていく中で、新興層が台頭を始めた。新しい産業に目をつけ、商売にした人間がみるみるうちに金持ちになっていく。


「わたしだって、ミュシャレンで色々なものをみたわ。世界は急激に変わっている。昔ながらの生活をかたくなに続けていては、いずれはメンブラート伯爵家だってつぶれてしまう。大きな領地があるから、大丈夫だなんて、そんなことないわ」

 沈黙の後、出てきた言葉にリシィルは口を挟むでもなく耳を傾けている。

 オルフェリアは自分の言葉を必死に探した。

「リュオンが学校を卒業するまであと何年もある。わたしは、あの子に急いで大人になってほしくなかった。そのために、わたしにできることをしただけよ」

「それでオルフィーが傷つくことになっても?」

「別に、傷なんてつかないわ。悪口には慣れているもの」

「慣れているって。あなた、一体ミュシャレンでどんな生活していた」

「意見の食い違いくらい、誰にだってあるもの」

 他の貴族の令嬢たちからお高くとまった意地悪令嬢と揶揄されていることは言いづらくて、オルフェリアは言葉を濁した。嘘は言っていない。


「だったら、わたしにも相談してほしかった。どうしたらいいか、一緒に考えることはできたはずだ」

「お姉様、ちゃんと考えてくれたの?」

「いや。どうにかなる、くらいしか言えない」

 リシィルはあっけらかんと言い放った。

「だから、わたしが何とかしようと思ったのよ!」

 オルフェリアは大きな声を出した。

「土地売るとか? ああ、そうだ。宝物庫の中身全部オークションにかける?」

 オルフェリアは机の上に突っ伏した。


 結局、こういう案しか出てこないのだ。先祖代々の土地や思い出の品を守るために知恵を絞ろうというのに、それらを売ることから始めてどうする。

「もういいわ……」

 オルフェリアは力なく呟いた。

「で、リシィル嬢。私たちの関係を知ってしまったわけだけれど。きみはどうする? このことを全員の前で暴露する?」

 フレンが口を挟んだ。


「さあて、どうしよう。リュオンは喜びそうだけどね。あれ、怒るかな? うーん、読めない……」

「お姉様、お願い。言わないで」

 オルフェリアはリシィルに縋った。

「私はメンブラート伯爵家の力になりたいと思っている。これは嘘じゃない。彼女には本当に色々と力になってもらった。感謝しているんだ」

 こんなときなのに、オルフェリアはフレンの声の真摯さに胸の奥が熱くなった。

 いつもの軽口を言うときの声音ではなくて、もっと重みのある誠実な声。けれど、すぐに先ほどの言い合いが頭をよぎり、オルフェリアは悲しみの色を瞳に乗せた。


「さっきは言い合いしていたのに?」

 リシィルがいささか意地悪な質問をした。

「それでも、だよ」

「でも、おたくにとっても明日リュオンと決闘で負けた方が都合がいいんじゃない? あと、オルフィーにとっても。さっき、おたくも言っていたように、おたくが負けたらオルフィーとは円満離婚だ」

「まだ彼女とは結婚していないよ」

「似たようなものじゃないか」

「まったく違うだろう」

「じゃあ、オルフィーが働いた分だけうちの助けをしてもらうってことで、明日は負けて円満婚約破棄」

「お姉様はやっぱり反対しているの?」

 とげのある言い方にオルフェリアはリシィルの顔色をうかがった。

 彼女は怒っても笑っていもいない。


「さあて。どうでしょう」

 リシィルはひょいと肩をすくめた。

「茶化さないで」

「でも、二人ともさっき同じようなことを言っていたじゃないか。ダヴィルドの悪ふざけにまんまと乗せられちゃって。フレンも、なんていうか、面白いね。誰も見ていないところで迫真の演技だ。あれを見せられたら、二人の関係が嘘だなんて思わないよね。だから吃驚した。そのあとに偽装婚約とかいう言葉がでてくるから」

 リシィルはがたんといすを引いて立ちあがった。


 そろそろカップの中のお茶も冷める頃合いだ。リシィルは反対に座るオルフェリアのところまで回ってきて、彼女の腕を掴んで立ち上がらせた。

「さて、話も済んだし。戻ろうか。フレンはわたしたちとは別に返ってきてね。一本道だから迷わないでしょ」

「お、お姉様! ちょっと……」

 リシィルは一方的に宣言をした。そしてそのままオルフェリアの腕を掴んだまま小屋から出て行った。

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