五章 唄う伯爵令嬢3
「本当にそうかな?」
「どういう意味ですか」
リエラがまっすぐにシモーネを見つめた。
しばし、二人は見つめあった。
「それでは聞くけれど、どうしてシモーネはあの場にいたんだ?」
「それは偶然ですわ。たまたまオルフェリア様が小屋の方へ歩いて行くのが見えましたから」
「どこから?」
「ですから舞台の……」
シモーネはそこまで言ったあと、言葉をなくした。
舞台の左右に小屋は配置されている。しかし、人間一人分以上低く地面が掘られ、また木々が植えられている。客席上層部から裏方を見せないよう工夫された配置になっているのだ。
「そもそもオルフェリア様が到着したころ、わたしたちは舞台の上で柔軟体操を行なっていた。そのとき、きみの姿は見当たらなかった。まあ、全員があの場にいたというわけではないから、その時はなにも不信感は抱かなかったけれど」
そうしてリエラは、当時舞台上で柔軟体操を行なっていなかった役者の名前をもう二人ほど上げた。突然自分の名前が挙がった役者は肩をびくりとさせたが、リエラが笑って「別にきみたちを疑っているわけでないよ」と言い添えたため、名指しされた二人は目に見えてほっと肩を下ろした。
「あの時は確か、舞台で使う小道具や衣装の確認をするためにわたしも手伝いをしていました」
「普段は女優の職域にやたらとこだわるのに、今日に限ってはそうではなかったんだね」
「なにがいいたいんですか、お姉さま」
シモーネはしびれを切らしたかのように睨み返した。
普段のシモーネは女優の仕事とその他の仕事、職域を潔癖なくらい分けたがる。「それってわたしの仕事なのかしら?」が彼女の口癖だった。
「いや、ただね。なにもかもタイミングが良すぎたなって、話。まるで誰かがオルフェリア様のことを嫌がらせの犯人に仕立て上げたいみたいだ」
「その誰かが、わたしだと、お姉さまはそうおっしゃりたいのですね」
シモーネはリエラの前に進み出た。
「だって、犯人はきみだろう。シモーネ」
きっぱり断定したリエラに周囲はざわめいた。これにはオルフェリアも驚いて、口を中途半端に開いて、慌てて閉じた。
「い、いや。リエラ。いくらなんでもシモーネは」
慌てたエーメリッヒが口をはさんだが、リエラは視線だけで彼を抑えた。
ユーディッテは目を伏せたままだった。
「お姉さま!いくらなんでもひどすぎます。わたしを疑うなんて!」
シモーネは叫んだ。甲高い声だった。
「きみは雑用を引き受けつつ、小屋の鍵を開けてユーディのドレスを床にわざと投げ捨てた。そしてわざと小屋の扉を少しだけ開けたままにしておき、近くの茂みにでも身を潜ませていた」
リエラの言葉にシモーネはぎりりと歯がみをした。
それでも彼女は言い返そうとはしない。
「で、オルフェリア様が小屋の中に入ったタイミングで大きな声を上げた」
「それでわたしが針を仕込んだことになるんですか?」
「針はきみがオルフェリアからドレスを奪ったときでも十分可能だ。あの時みんなオルフェリア様に注目していたからね。背面に針を仕込む時間くらいは余裕だったはずだよ」
「けれど、それをいうならオルフェリア様だって十分に時間はありましたわ」
シモーネの言葉に他の面々も頷いてみせたりした。実際にオルフェリアにも一人きりの時間があるのから疑われるのは仕方のないことだった。
「確かに彼女にも時間はあった。しかし、きみにも不可能ではなったという話だ。あのときオルフェリア様からドレスを奪って最後にユーディに手渡したのはシモーネなんだから」
「それだけではわたしが犯人というには決め手に欠けますわ、リエラお姉さま」
シモーネは勝ち誇ったように笑った。
他の団員も同様に互いに顔を見合わせあっている。
「うん。けれど、これはオルフェリア様には分からなかったんじゃないかな」
リエラはそう言って足元に用意していた布袋を持ち上げた。
長方形の袋はクリーム色で、フリージアの刺繍が施されている。
「まあ、リエラの靴袋ね」
そこではじめてユーディッテが口を挟んだ。
「それがどうかしたんですか」
シモーネは面白くなさそうに自分の髪の毛を左手でくるくるともてあそんだ。
「うん。犯人の意図が劇を引っかき回すことだとしたら、たぶん狙われるのはわたしやユーディの小道具かなって思って、さっき休憩時間のときにいくつか調べたんだ」
犯人という言葉に周囲が再度ざわめいた。彼らの間では一連の嫌がらせの犯人は臨時で雇い入れた大道具係ということで決着している。
「で、本番当日に履く予定の靴に細工が施されていた」
リエラは靴袋の中から箱を取りだした。箱の中にはリエラ用の衣装、騎士の靴が姿を現した。革の長靴ブーツだ。
「ほら、ここ。よくみないとわからないけれど、おそらくわたしが本番に激しく動いたらヒールの部分が折れていただろう」
リエラが長靴のかかとの部分を指示したため、周りの人間が集まってきた。
エーメリッヒとウルリーケが息をのんだ。
確かにかかとの部分に細工が施されていた。
「わたしは舞台に上がるとき、靴には特に気をつけていてね。毎回必ず本番の要の靴を三足、四足作らせる。これはみんな知っていることだよね」
「わたしだけではなくファンも知っていると思いますわ」
「たしかに。新聞の取材でも答えたりしているし。けれど、どれをいつ使うかまではファンは分からないんじゃないかな。それこそ劇団関係者の、それも共演者じゃないと」
「そうね。リエラはここ一番、たとえば千秋楽とか初日などに履く靴を決めているわ。それはあなたも知っているわね、シモーネ」
「ユーディお姉さままでわたしを犯人扱いしているんですか」
シモーネの、まるで憎いものを見るような視線を毅然と受け止めたユーディッテは悲しそうに微笑んだ。
「どの靴もお気に入りだけど、まあやっぱりそれでも一番しっくりくる靴って生まれるんだよね。普段はローテーションで履きまわしているけれど。今回本番は一度きりだし、わたしはそれを最初から本番用の袋に入れて保管をしていた」
「それだってお姉さまがあの子に話していたら、彼女にだって犯行は可能です」
「わたしはそこでまオルフェリア様には話していないよ」
「わたしも初耳です」
オルフェリアは静かに言い添えた。
「それを信用しろと?」
シモーネは鼻で笑った。
「本番用の靴を入れている袋に施されている刺繍は紅いフリージア。この意味はきみだって知っているはずだ。わたしは折に触れて紅いフリージアの話を団員にしている。そして」
紅いフリージアの花言葉は純潔。
穢れない精神。フリージアの花言葉は『親愛の情』、『友情』など。舞台に対する穢れない精神を、というリエラの想いだ。リエラの持っている他の袋にもフリージアの刺繍は施されている。白と黄色。ちなみに白は三月十三日の誕生花。リエラの誕生日と偶然同じだったため。これはファンも知っていて、彼女の誕生日にはフリージア組所属のリエラにちなみ白のフリージアが多く届けられる。
「なんですか」
「彼女が犯人なら白のフリージアが刺繍がほどこされているものを選ぶんじゃないかと思って。わたしの誕生花だし」
「そんな理由でわたしが疑われるなんて。心外だわ」
しかし同じ役者仲間なら話は別だった。駆け出しの女優は端役から始める。端役のときは主演女優らの着替えを手伝うことも仕事のうちだ。シモーネだってリエラの衣装の用意をした経験はいくらでもあった。
「小屋の中、ドレス以外は整然としていた。オルフェリア様が短期間のうちにドレスも靴も両方に何かを仕込んだなのなら、もっと動かした形跡があってもおかしくなかった。実際、彼女が犯人なら、シモーネの登場は想定外の事態だったはず。片付ける暇なんてなかったと思うよ。きみは騒動のとき、小屋にオルフェリアが入って行ったのが見えたから慌てて追いかけて行ったような話をしていたね。だったら彼女が小屋に入ってたっぷりと時間があったようには思えない」
リエラの説明が進むにつれ、周囲の人間たちの間にシモーネへの疑念が膨らんでいく。それを肌で感じ取ったシモーネは居心地悪そうに小さく身じろいだ。
「それと、きみのことだから偽物の鍵はまだドレスのポケットかどこか、もしかしたら下着の中にでも隠し持っているんじゃないかな」
最後のリエラの追い打ちにシモーネは肩を揺らした。
「潔癖だっていうのなら今からわたしに身体検査をさせてくれる?」
にこりと笑ったリエラに対してシモーネの顔は蒼白だった。
「わ、わたしに何のメリットがあるんですか? 自分も出演する舞台を引っかき回して。わたしには理由がありません」
それでもシモーネは言い訳をする。
「理由ならありますね」
突然の第三者の声に、皆が一斉に後ろを振り返った。
「お帰り、アルノー」
フレンが穏やかに微笑んだ。
「シモーネ、きみは何度かディートマルと、そして彼の部下と接触をしていますね。それもフラデニアにいる頃から」
今度こそシモーネの顔色が変わった。
「それと、裏が取れました。とある紳士が公園の管理体制について意見をしてきてそのときに担当官は鍵を貸したそうです。その紳士はディートマル氏とも面識があります。あなたはディートマル氏本人、もしくは部下の人間から、模造した鍵を受け取っていたんじゃないですか」
シモーネは予期せぬ闖入者の方を振り返った。その瞳は怒りに燃えていた。
「私はフレン様よりディートマル氏を見張るよう言い遣っておりましてね。私と私の部下たちでそれとなく周囲を張っていました。あなたは先週の休暇の際にも彼の部下と会っていましたね」
「ふん。だから?」
シモーネは開き直ったのか、態度を一変させ、口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「ああそれと。私の方で役所に確認に行きましたが、オルフェリア様が事前に鍵を貸してほしいと申し出たことはありませんでしたので、念のため」
「アルノーの言葉はさておき。私はどちらかというとシモーネ、きみと大叔父の関係について興味があるね」
フレンはにこりと笑った。
「別に。彼と直接の関係なんてないわよ。彼の部下とちょっとした知り合いってだけ」
「シモーネ、きみは弱みを握られていたんじゃないのか。たとえば……、フリージア組で何度かあった女優の不自然な事故について」
リエラは依然として厳しい顔をしたままだった。
まっすぐにシモーネを見つめている。それはユーディッテも同じだった。
「まさか!」
エーメリッヒは大きく叫んだ。
「お姉さまは最初からわたしを疑っていたのね」
「リエラは最後まであなたを信じたがっていたわ。だけど……、わたしのせいね。わたしは見てしまった。『姫君と二人の騎士』のオーディションで、セリータ役を競っていたもう一人の子の飲み物にあなたが何か粉末を入れているところを。そうして翌日のオーディションで彼女は声を出すことができなかった」
ユーディッテは悲しそうに睫毛を震わせた。
「全部知っていたってわけ」
「けれど、それが原因かまではわからなかった。他にも、いくつかあった小さな出来事も。あなたがやったという証拠は何もないから。ただ、状況だけが、わたしにあなたを疑わせていただけだったわ」
「靴の細工は昨日の、小道具確認の時かな。ホテルの一室を衣装置き場にしていたけれど、昨日きみはそこにいるアデリアと一緒に最終確認をしていたね」
「ええ、アデリアと一緒だったわ」
名前を呼ばれたアデリアはびくりと肩を震わせた。
「彼女、さきほど青い顔をして話してくれたよ。昨日の小道具確認の際、一瞬だけ疲れで意識がとんでしまった、と。シモーネ、きみはほんの一分ほどだと言ったそうだが、実際はもう少し、たとえば五分くらいは経っていたんじゃないのかな。あらかじめ少量の睡眠薬を飲み物に混ぜておけば造作もない」
リエラの声は堅いままだった。
「まあね」
シモーネは肩をすくめてみせた。
開き直ったような態度がすべてを物語っているように感じられた。
「あらためてきみの身体検査をさせてもらってもいいかな?」
「勝手にすれば」
「シモーネ、あなたどうしてそんな小細工をしていたの。あなた、実力だってちゃんとあったじゃない」
ユーディッテはたまらなくなって叫んだ。
「実力? それってなんの役に立つの? 結局舞台でいい役を貰うにはいかに後援の金持ちにこびを売るかにかかっているじゃない。現にわたしよりも下手な子がいい役を貰うことの方が多かったわ。あんな、実力ではわたしに劣っている子たちが」
シモーネは顔を歪めて叫んだ。それはまごうことなき彼女の本心だった。
実力とは違うところで決まる配役。結局は演技・歌のうまさよりも金持ちの観客の好き嫌いで配役はきまっていく。
だが、それは仕方のないことでもあった。劇団側は客席を埋めなくてはならない。女優には人当たりの良さだって求められる。シモーネにはそこの部分が足りなかった。
その後リエラがシモーネの身体検査をした。彼女のドレスの内側から小屋の鍵がでてきた。
だがディートマルは白を切りとおすだろう。直接的な指示を示す証拠は何もなかった。
なんとも後味の悪い出来事だった。
◇◇◇
翌日。
事件は解決したかに思えたが、そうではなかった。
「なんだって! シモーネが失踪しただと?」
開口一番にフレンが叫んだ。
エーメリッヒは弱り切った表情で額の汗をしきりにハンカチでぬぐっていた。目じりが垂れ下がり、泣き出しそうな顔をしていた。
「ええ、そうなんですよ。失踪といいますか、自ら姿をくらませましたようで。先ほどホテルに人をやったところ、荷物もすっかり無くなっていました」
当初フレンの屋敷に滞在していた女優陣らは現在ヘリア・オレア公園近くのホテルに滞在している。こちらのほうが舞台にも近く、何かと便利だからだ。
「わたしが早朝の走り込みをしているときは……、どうだったのかしら。わたしも彼女の部屋までは注意をしていなかったから」
ユーディッテは毎朝体力維持を目的に走っている。これはもう長いあいだの習慣で、今朝も同じように走り込みをしていた。昨日は気まずい空気の中フリージア組の面々はホテルへと帰宅をしたが、特別シモーネを見張るというようなことはしなかった。
「わたしたちの詰めも甘かったということだね。彼女の女優としての誇りを信じたかったのかもしれない。まさか、直前になって舞台を投げ出すようなことをするとは」
リエラも悲痛な顔をしている。
「とにかく、彼女の居場所はフリージア組にはないでしょうなあ。今回の件で、こんな形で逃げ出した人間を制裁もなしに戻すことなんてできない」
エーメリッヒは相変わらずオルフェリアが心配するくらいの土気色の顔をしているが吐き出す言葉は厳しい。
それに対して他の女優らが異議を唱えることはなかった。
シモーネ失踪の件は関係者全員に知らされていて、本番まで幾日もないのに現場の空気はどよめいていた。なにしろ主要登場人物の一人が欠けた状態なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます