闇を切り裂く刃
まだ陽も登っていない薄闇の中、アルカナは馬を走らせ、森の中を進む。
「秋奈、今回は完璧に負けだ。一人でも多く帰らせなければいけない、どうするべきか分かるな」
約千五百の敵に対し、百三十三人で対抗するのは当然不可能。秋奈もそれは分かってると思われる。
「私が囮になって引き付けるから、冬と凛凪が他の騎士を連れて逃げる」
「まだ冬って呼んでいたのか。その名前はまだ認められてないんだぞお祖母様に」
突然鈍い音がすると、馬が暴れ出し、二人とも投げ出される。
「痛……くない?」
秋奈が驚いているのを、秋奈の下敷きになりながら聞く。
「大丈夫か秋奈。早く警戒しないと死ぬぞ」
秋奈は急いでアルカナの上から退く。
アルカナはゆっくりと立ち上がり、剣を握り、秋奈を脇に抱える。
「ちょっと何で抱えるの? お姫様抱っこが良い」
「こんな状況で我儘言うな。矢が飛んで来てるのに、お姫様抱っこしたら矢が弾けないだろ」
秋奈が何か言っているが、矢を警戒している為、殆ど耳に入れない。
ピュッ! と音と共に、矢が東の方角から飛来する。
それを剣で叩き落として、右に飛び退く。
先程まで目の前にあった木が、轟音を立てて倒れる。
間髪入れず、全方向から同時に矢が飛来する。
「降ろしてってば」
秋奈を降ろし、今度は抱きしめる。
秋奈に命中すると予測した矢を全て弾き、残りは間に合わないので、、自分の体で全て受ける。
鈍い音の後に、背中に熱く焼けるような痛みが襲ってくる。
「私が引き付けるから逃げろ。夜の内に全員連れて森から離脱。真っ直ぐ南タリアスに向かって進め」
「何してるの? 何で盾になんてなったの? 私なんかの為にそんなことし……」
「別にお前の為じゃない。良いか……もう一度だけ簡潔に言う、お前だけでも生きて帰れ」
矢の当たり所が悪かったらしく、意識が朦朧とする。
「自己犠牲で人を助けて、自分の死に方に納得したいだけでしょ? 命が有るだけで全員が全員救われるなんて思い込まないで! 死体になろうが指一本だけになろうが必ず連れて帰るから」
秋奈に支えられ、倒れた木の下に連れて行かれる。
「馬鹿言うな……死ぬ気はない。まだ聖冬の年齢を越えていないからな」
『はいはーい、此処はウチの出番とちゃうんか? 冬ちゃん』
最後の冬ちゃんの言い方に悪意があったと思うが、今はそんなこと言っている暇は無い。
「頼む斑鳩。体が壊れても構わん。作戦通り進めてくれ」
言い終わると意識が遠くなり、完全に意識が途絶える。
「死んじゃったの? ねえ!」
意識を失ったのを見て、秋奈は死んだと思ったようだ。
その光景を、この体の一、人格として見ることしかできなかった。
頬を伝う涙を拭ってやりたかったが、もう体は自分の支配下に無く、自分の透けた腕はどこに届く訳でも無く、ただ宙を彷徨う。
『斑鳩、秋奈に擦り傷一つ負わせるな』
「えらい無茶言うてくれるな。ほんにこの体のままじゃ死ぬぞ? ウチの体ちゃうから痛みは感じへんけど。あんたが戻った時に酷い激痛に襲われるぞ?」
『珍しく心配してくれてるのか? これは死ぬかもな』
「黙れクソ当主。冗談言えへん状況やぞ」
斑鳩が秋奈に、背中の矢を抜いて貰っているのが見える。
止血をして包帯を巻き、応急手当てをする。
「何一人で喋ってるの? さっきは死んだと思ったけど、今は大丈夫なの?」
直接自分の耳に届かない秋奈の声が、部屋の中を反響して聞こえる。
「心配いらへんで秋ちゃん、擦り傷一つ負わせへんと約束したろ」
いつもと全く違う喋り方に、秋奈は戸惑いの余り、声を発せずに此方を見ている。
『喋り方を直せ、私はそんな喋り方しないぞ』
「ういうい。では参りましょうかお嬢様。足下お気をつけください」
戸惑いながらも出された手を取り、秋奈が付いてくる。
「なんかいつもより優しい。なんか良い。これが本物よね? 死ぬ寸前になって素直になった? 壊れた? でも嬉しいから良い」
この状況でにやにやしながら来る秋奈と、笑いを堪えている斑鳩に、何も言う気が起こらない。
『東の方向百三十八度、西、七十九度。そこから扇状に五本。南東の方向から対称的に同じ形で矢が展開』
その指示を聞いた斑鳩は、東の方向から飛来する矢を全て剣で叩き落とし、秋奈の安全を確保する。ドドドドッ、と矢が体に突き刺さる。
「チッ。図に乗るなよ屑共が。男のくせに女みたいなこの華奢な体に傷を付けよって」
理由はさて置き、確かに傷をつけられるのはイラっとする。
秋奈を確認すると、しっかりと服の裾を掴んでいる。
「すまん冬、血が足りへんで動かれへんなった」
斑鳩は秋奈を庇う為に、秋奈の上に覆い被さる様に倒れると、同時に全身に激痛が走る。
「……っ」
激痛に耐えていると、近くで足音が聞こえる。
仕留めたと確信した敵が、遺体の回収に来たのだろう。
手元に転がっている剣を握り、奇襲の準備をする。
「冬……優しい、幸せ、好き」
覚悟をした時、下に居る秋奈に抱きしめられて、腕が動かせなくなる。
「おいおいおいおいおい」
近付いていてきた足音の主に肩を掴まれ、それから持ち上げられる。
捕虜になる覚悟をしたが、意外な人物がそこに居た。
「こんな所で見せつけてくれるな」
冗談半分でからかった後、凛凪が馬に乗せてくれる。
「あと一人アサシンが居るぞ」
凛凪が木に向けて矢を射ると、何かが落ちる。
「これで全員だな」
凛凪の幼い少女のような笑顔を見て安心したのか、気が緩んで意識が途絶える。
ーーーーーーーー
意識が戻ると、見慣れた天井が目に入った。
布団の中は蒸し熱く、窮屈なので、左右を確認すると、秋奈と凛凪に挟まれて寝ていた。
「何してるんだお前たち」
秋奈のほっぺを突っつくと、手を掴まれて腕を抱きしめられる。
次に凛凪のほっぺを抓ると、指を食べられる。
「細くて甘い味の指だな」
指を舌で舐められ、背筋がゾワッとする。
急いで指を引き抜くと、起き上がった凛凪に押し倒される。
「痛いな、何するんだ」
「怪我人は寝てろって、あと秋奈が起きたら礼を言っとくんだぞ。ずっと手を握っててくれてたんだからな」
そう言い、凛凪は浴室に入っていく。
「押し倒された理由が分からないんだが」
秋奈を見ると、相変わらず腕を抱きしめている。
左手を秋奈の背中に回し、ぎゅっと抱きしめてみると、温かい感覚が伝わって来て、眠気が襲ってくる。
「良い匂いがすると思ったら冬だったの」
秋奈がいつの間にか起きていた。
「すまない、起こしてしまったか。それで体はどうだ?」
「大丈夫、守ってくれてたから無傷で帰って来れた」
浮かない顔で話す秋奈は、なかなか目を合わせてくれない。
「どうしたんだ、目を合わせるくらいしてくれても良いんじゃないか」
秋奈が突き放すように体を押してくる。
「私は怒ってるの、盾になったことが気に入らないの。私は無傷で冬が大怪我なのが気に入らないの」
「それは謝る、でも私は秋奈に傷を付けさせたくない。痛いし跡が残る」
「私だけ守られて、冬たちが傷つくのをただ見てるのが嫌だって言ってるの」
秋奈が立ち上がり、剣を一振りこちらに投げる。
それを受け取ると秋奈が斬りかかってくる。
頭上から襲い掛かる剣を、座ったまま受け止める。
「痛いって、まだ傷が治ってないんだぞ」
「死にたくなかったら私を止めて」
「何でそうなる。お前には勝てないからさっさと殺せ。もう私に仲間を殺させるな」
「いつの話しをしてるの。あの時は殺さなければどうしようもなかった時でしょ。仕方がないことだったの」
「仕方がないで殺されたあいつらはなんなんだ。私のせいで死んだんだ。私に力があれば救えた命だ」
「全て救えるなんて思わないことね、八人でも救えた事は立派よ」
「立派な人間が今となれば違う世界で戦争ってか。本当に立派な人間なんて居る訳がないだろ」
浴室から凛凪が出てくると、驚く様子もなく近づいてくる。
「ほら秋奈、やめてやれ。一応怪我人だぞ。斑鳩も素直に礼くらい言ってやったらどうだ。二人とも素直になったらどうだ、子供じゃあるまいし、意地を張るんじゃない」
秋奈が剣を鞘に収め、ベッドから下りる。
「来て、ゆっくり話し会い」
「すまない。足が動かないんだ」
足が全く動かない状態になり、立つことすらできない。
「あと二日くらいで治るだろ、それまで車椅子だな」
そう言い凛凪が車椅子に乗せてくれる。
「車椅子なんてこの世界にあったのか」
「素材が全てこの国にあったから、設計図渡して作らせた。これも秋奈がやった事だけどな」
秋奈に車椅子を押してもらい部屋を出る。
「行ってくるわ、凛凪」
秋奈がそう言うと凛凪は笑顔で手を振り、送り出してくれた。
廊下を進むと、前から一人の青年が走って来る。
「大丈夫だったのか秋奈」
「帰って来てたんだ」
クラウスは前まで来るとこちらを見て、考え込む。
「どうしたんすかアルカナさん」
しばらく考えた後、拍子抜けする質問が飛んで来た。
「お前に関係無い。私たちが死にかけてる間、平和に家族と過ごしてたお前には全く関係無い」
クラウスは悪びれる様子もなく、「楽しかったっす」と感想を言う。
「北タリアス兵の殲滅任務押し付けられたんだけど、逆に殲滅されそうになってね」
秋奈がそう説明すると、クラウスは腹を抱えて笑い出す。
「殴って良いか? 良いよな。つか殴る」
「はいはい、クラウスそろそろ邪魔」
秋奈がクラウスを無視して、車椅子を押す。
「酷いっすね邪魔だなんて、主人と従者の仲じゃないですか」
「さっさとエルトに帰還報告して来て。私たちが北タリアスと戦ってる間、家族と平和に暮らしていたクラウスが戻りましたって」
珍しく秋奈がクラウスに厳しく接する。クラウスがこちらに手を振り、エルトの部屋に向かうが、二人でそれを無視して進む。
「どこに行くんだ」
秋奈が内緒と言い、口元に人差し指を当てる。
「はぁ……せっかく二人きりになれるのに、こうも人がいると、色々とやりにくいわね」
何をする気かは分からないが、追求しないことにした。
「せっかくだし街に出ないか。午前は中庭で、午後は街って感じでさ」
「良いわね。冬の初任給で何か買ってもらおっかな」
中庭に到着して、木陰に入る。
空を見上げると青が何処までも広がり、白い雲が漂っている。
無垢な青空を見ていると、心の中に溜まっていたものが溶けていく。
「良い天気だな、都子も七凪も鈴鹿も、皆元気かな」
秋奈に話しかけるが、一向に返事が来ない。
秋奈を見ると、うつむいて口がもごもごと動いている。
肩には届かないので腕を叩く。
「な、なに。はばかり? 喉乾いた?」
腕を引っ張り、前に立たせる。
「ありがと」
そう言ってから、思い切り抱きしめる。
「ふゎぁあぁ!?」
秋奈がびっくりして、変な声を出す。
「手、握ってくれててありがと。無傷で居てくれてありがと。いつも一緒にいてくれてありがと」
「え? お礼? うそうそうそ!? もう一回!」
秋奈が膝の上に乗り、向かい合う形になる。
「だから……いつも一緒にいてくれてありがと」
二度目は照れくさかったが、気持ちを伝えるのはこの場しかないと思い、もう一度言葉を振り絞る。
「当たり前じゃない。いつまでも一緒に居てあげるわ」
再び秋奈が抱きついてくる。
傷が痛むが声には出さず、じっと耐える。
「そろそろ良いか。見られていて恥ずかしいんだが」
中庭に居る騎士の殆どが、こちらを見ている。
「まだ言わないといけないことがある」
引き剥がそうとするが、秋奈は離れようとせず、膝の上に居座り続けている。
「分かった、言えるまで待つよ。焦らなくて良いからな」
秋奈が前屈みになり、額と額を合わせてくる。
「守ってくれてありがと。さっきはごめん」
頭を撫でると、いつも以上に心地好さそうに目を閉じる。
「もう昼だし、食事に行こうか」
そう提案すると、秋奈は立ち上がって、車椅子を押してくれる。
「せっかく二人きりなんだから、街で食べれば良いんじゃない?」
「いや、怒られるって。流石にまずいんじゃないか?」
秋奈は大丈夫と言いながら、城門に向かう。
「何食べよっか。その後は何処に行く?」
こっちの世界に来てから戦争続きだった為、秋奈の楽しそうな姿を見るのは、久しぶりだった。
「なんでも良いぞ。今日は全部出すから好きなだけ食べたり買ったりしても良いぞ」
その姿に負け、食事を外で食べる事にする。
城門に到着すると、門番の騎士に止められる。
「今日だけだめなの?」
「そんな事を言われましても」
秋奈に迫られ、困り果てている騎士が少し可哀想に思えてきた。
「エルトから許可を貰ってるんだ。殲滅任務で私が大怪我したから、そのお詫びってことでな」
騎士は仕方なく了承し、開門の指示を出す。
開いた門を潜り、王城と街を繋ぐ橋を渡り、街に出る。
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