番外1 冬の茶話

 嘉章が淹れてくれたのは、普通の濃さのとびきり旨いお茶だった。



「ヨシ兄、今いい?」

「よくない」

 嘉章はそう言いながらもパソコンのディスプレイから顔を上げた。目をしばたたかせながら、炬燵の向かいに座っている聖の方を見る。

「で、何だ?」

「勉強、聞きたいところがあるんだけど」

「見りゃわかるよ。報酬はないのかね、聖くん?」

 居丈高にこちらを見下ろすポーズを取って見せた嘉章に、聖は湯呑みを掲げて見せる。

「特別濃いお茶、淹れてあげる。後払いで」

「しっかりしてんな。……いいよ、問題見せろ」

 嘉章は目を擦り、大きな欠伸を一つこぼした。今日の嘉章は仕事から帰ってきたのも遅かったが、夕食後もずっとパソコンに向かって――睨みつけている、というのが正確なところだ――何やら作業をしていた。疲れも出るだろう。

 嘉章がのっそり立ち上がると、聖の側まで移動してきた。変な図形の内角の和を求めようとう唸っていた聖の頭には、『炬燵の辺 ひとつ分』という言葉が浮かんだ。重症だな、とこっそりため息をつく。

「これなんだけど」

「……ああ、これは」

 嘉章は問題を見たとたん、図形のところどころに直線を数本引いてくれた。たちまち、妙な多角形が複数の三角形に変貌を遂げる。

「こうすりゃ分かるだろ? あと、ざっと見たけど他の問題は全部合ってると思う」

「ありがとう! ほんとに先生だったんだね」

「何だよそれ」

 嘉章は渋い顔で漏らした。それから、ふと思い出したように言う。

「そういや、ひーって昔から成績良かったよな」

「……ううん」

 聖は否定はしなかったが、まじめに答えることも辛かったので言葉を濁した。。

 街で暮らしていた時期、一縷の望みを掛けて成績を上げようとした時期が、確かにあったからだ。もしかして、勉強ができたらみんなと仲良くなれるかもしれない。自分のことを受け入れてくれるかもしれないと、そう考えた。今にしてみれば浅はかな話で、実際に成績が上がったときに待っていたのは、以前よりも冷たい視線だったけれど。

 黙ってしまった聖を、嘉章は少し目を細めて見つめている。何か言わなければと、聖は慌てて付け加えた。

「テストなんか、悪くてもよかったんだけど」

「俺が聞いたら嫉妬でくすぐりたくなるような言葉だな」

 嘉章は真顔で冗談を言い、口を尖らせた。

「そういうときは黙ってりゃいいの。悪ぶるのは似合わないんだから。……できるにこしたことはないけど、認められたいだけで勉強するんならやめとけ。そんなんに縋らなくたって、お前のこと好きなやつはきっといるよ。俺だって――そうでなきゃひーを引き取るわけないだろ」

 聖の胸がどくりと鳴った。

 あまりお喋りではない聖の何を聞いて、どこを見て、嘉章はいちばん欲しい言葉をくれるのだろう。

 幼い頃からそうだった。聖に特別な力があると知って、すごいな、と無邪気に目を輝かせてくれた嘉章に、どれだけ心を救われたことか。聖が学校に行けなくなったと聞き、平日にもかかわらず、この村から車で会いに来てくれたときも。転校を考えている、と打ち明けたときも。

 そして、今も――。

「……ヨシ兄」

「お茶は俺が淹れてやろうではないか。とびきり濃いやつを作るから、時間がかかるぞ」

 礼を言いかけた聖の言葉を遮るように、嘉章は台所に立った。

 お茶がくるまでの間で、聖はぐずぐずいう鼻と、涙ぐんだ赤い目を元の状態へと戻すのに専念できた。

 ――ヨシ兄を信じて付いてきてよかった。

 そう伝えたかったのだけれど、嘉章は言わせてくれなかった。それはまたいつか、別の機会まで取っておくことにしよう、と聖は心に決めた。嘉章とのこの暮らしが終わる、近い未来のそのときまで。

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