性欲談義

 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。と、されてはいるが、健康で文化的というのをどこまで保証するのが最低限度であるかどうか、というのはもちろん議論が分かれるところなのである、が、しかし、ここに科学を持ち込まないというのは全く我が理解の及ばざるところである。マズローの欲求段階説によれば、人間の欲求は内的なものと外的なものに大別され、それをまた細かく分ければ五段階になるということなのだが、この中で一番基本的な欲求が、生理的欲求であるということである。生理的欲求とは、生存に必要な最小限の欲求であって、食欲、睡眠欲、そして性欲などが含まれる。マズローが言うには、低次の欲求が満たされて初めて、高次の欲求が満たされる、ということなのだそうだ。高次の欲求とはつまり、社会的成功とか自己実現とかそういうやつである。

 すなわち、自己実現のためには性欲が満たされていなければならないのである。

 なぜ私が性欲をことさらに問題とするか?食欲、睡眠欲、これらは国によって最低限賄おうという試みがある。すなわち、食と住みかとを与える生活保護である。むろんその不完全性や制度の抱える諸問題を知らぬとすっとぼけるつもりはないが、少なくとも国や地方自治体はそれらを最低限満たそうと努力はしているのである。而して、性欲はどうか?性欲を満たすことを目的とした施策は皆無であり、むしろ性欲を満たすような民間のサービスを取り締まるばかりではないか。これは憲法の観念に照らしてふさわしくない。本来であれば自己の資金で性欲を満たすことのできない貧困者には最低限の性的サービス(エロ本など)を与え、十分な資金のある人間が性欲を民間サービスで満たすことを取り締まらないというのが、政府のあるべき姿であろう。むろん性産業において適切な規制は必要であろうが、それは労働者の保護や過当競争防止を防ぐための最低限のものであるべきである。

 結局のところ、法曹も政治家も誰もこの問題に取り組まないというのは、国民の無知無能、すなわち性的なものをコントロールするのではなく遠ざけようとするその態度と、政治家自身の科学的素養の欠如、すなわち性欲を満たせない人間が高次の欲求を満たすことは難しいという科学的事実を無視するということにあるのであって、つまり、このモザイク画像は憲法違反である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る