第二章
第1話
夜刀、と夢果が俺を呼び、その声はほかの周囲の雑音よりも速く俺の鼓膜を震わせて、俺を目覚めさせてくれる。
夢果に呼ばれ揺すられて、気を失っていた俺は眼を開ける。
一瞬ぼやけた視界はすぐにクリアになり、俺は周囲を見回す。ホテルの部屋はかなり荒らされていて、それが戦闘の後なのだと知らせてくれた。
ゆったりと俺は夢果に支えられつつ上体を起こし、とりあえず夢果に「大丈夫か?」と声を掛ける。
「わたしは大丈夫だよ。それより夜刀は?」
「ああ、なんとか大丈夫」
言って、俺は立ちあがるが足がふらつき、また倒れそうになる。夢果が支えてくれたから倒れるのは防げたけど。
「ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫だ。たぶんさっき掛けられた聖水の所為だ」
まずはこの身体に纏わりついている聖水を洗い流す必要がある。
「シャワー、浴びる」
一言言って、俺は部屋のシャワールームへ向かう。ふらつく足で向かって、服を脱いで、シャワールームでシャワーを浴びた。
シャワーを浴びることで聖水を洗い流し、俺の気分は晴れていく。眩暈も頭痛も感じなくなり、気分は平常に戻った。
シャワールームを出て、とりあえずアメニティのバスローブを着る。
部屋に置いてある旅行バッグから着替えを取り出さなければと思い、部屋へ行くと夢果が誰かと電話していた。彼女が持っているスマートフォンは俺のものだった。
夢果が俺を見つける電話口で「あ、今、換わります」と言って俺にスマホを渡す。
夢果からスマホを受け取り、それを耳に当てる。
「もしもし」と言えば、スピーカーの向こうから声がする。
『やあ、大丈夫かな』
電話越しのその声は悪魔憑き保護協会の会長、甘木遊楽のそれだった。
「まあ、とりあえず、なんとか」
『帰る時間になったのにいくら待っても連絡が来なかったから何かあったのかと思って電話をした次第だよ。ま、話は夢果さんから聞いた。祓魔師に襲われたみたいだね』
「はい」
『それで灰ヶ峰椿姫を連れ去られた』
「はい」
『で、アド・アボレンダム、祓魔師協会、どっちの祓魔師に連れ去られたのかな?』
「祓魔師協会です。名前は確か、ローズ=デュランとか言ってたような」
『〈十二使徒〉が一人、《熱心者のシモン》、か』
先ほどもジルベール=ギーがそんなことを言っていたような気がする。いったいそれは何なのだ?
「あの、知ってるんですか?」と俺は訊く。
『まあ、有名だからね』と甘木先輩は答える。『〈十二使徒〉は祓魔師協会の中の部署とでも言えばいいのかな。祓魔師協会内の十二人の実力者のことを言うんだよ。祓魔師協会は祓魔師による組織の中でも最大勢力を誇っているから、そこの実力者ともなれば、まあ実質的に祓魔師の中でもそれなりの実力を持っているということになる。彼らはそれぞれ十二使徒にちなんだ異名を持っていて、熱心者のシモン、律法に熱心な者ということで、その異名を持つローズ=デュランはとにかく律法に厳しい人。神様や上層部の命令を絶対遵守する性質を持っているよ』
「命令に絶対遵守……」
『つまり、祓魔師協会の上層部が灰ヶ峰椿姫の悪魔祓いをしろと命令したならば、彼女は確実にそれを遂行するための行動をする』
「って、どうすればいいんですか。灰ヶ峰はローズ=デュランに連れ去られたんですよ。あいつが絶対に命令を遂行するってことは」
『灰ヶ峰椿姫の悪魔祓いが近いうちに行われるね』
「だからどうするんですか?」
『私はきみたちにこう命令したよ』と甘木先輩が言う。『――灰ヶ峰椿姫を保護しなさい、と。まさか、きみたちは私の命令に逆らう気なのかな?』
「つまり」
『戦ってでも、灰ヶ峰椿姫は連れて帰ること。いいね?』
灰ヶ峰椿姫との交流の期間は短いものだった。ぶっちゃけ言えば、俺はまだ彼女のことなんて言うほど知らない。助ける義理があるのかどうかは微妙なところだ。
けれど、灰ヶ峰の意思も関係なく悪魔祓いを行う祓魔師を俺は赦せなかった。灰ヶ峰を殺そうとするアド・アボレンダムは言わずもがなだが、灰ヶ峰を殺さず悪魔のみを祓うという祓魔師協会も結構ひどいことをしていると思う。祓魔師協会は灰ヶ峰に断りもなく悪魔祓いをしようとしている。祓われるのは灰ヶ峰だ。ならば、了解の一つや二つ取るのが普通ではないか。まるで悪魔憑きには意見を言う資格がないみたいな感じではないか。結局、祓魔師協会だって悪魔憑きを人間扱いしていない。
俺はまだ灰ヶ峰のことを知れていないのだ。知らなくてはいけないのだ。
知るためには、灰ヶ峰に会わなくてはいけない。会うためには灰ヶ峰を見つけ出すしかない。
だから、俺は甘木先輩の言われた通りに動くのだ。
「わかりました」と俺は言う。「でも、追うにしても居場所がわかりません」
『そんなのはきみたちが何とかしなさいよ。でも、一つ、助言をするなら……まあ、そうだね。そういえば、アド・アボレンダムはきみたちの潜伏先を襲って来たんだよね?』
「はい」
『きみたちは別にアド・アボレンダムに自分たちの居場所を伝えたりはしていないだろう?』
「当たり前です」
『ということはさ、アド・アボレンダムはきみたちを探し出す術を持っているということにはならないかな。悪魔憑きを探知する何かしらの術を彼らは持っている』
「……もし、そうなら」
『とりあえず、アド・アボレンダムから当たってみればいいんじゃないのかな?』
もし、アド・アボレンダムが悪魔憑きを探知する術を持っているのなら、アド・アボレンダムを利用して灰ヶ峰椿姫の居場所を見つけ出すことができる。
でも、
「アド・アボレンダムとはどうやって接触すれば……」
俺たちは彼らの居場所を知らない。彼らがどこに拠点を置いているのかを知らない。結局、見つけようがない。調べるにしても手掛かりがない。
『場所、知らないの?』
「はい」
『うーん』と電話越しの甘木先輩の声は思案の様子。数秒、唸りを続けた先輩が言う。『残念ながら、天空集住地には人を捜し出す能力を持った悪魔憑きがいないのよね。とりあえずさ、もう一度、イーノックを頼ってみなさい。どうにかなるわよ』
また大雑把なアドバイスである。
『じゃ、そういうことで。よろしくー』
通話が切れる。スピーカーから聞こえてくるのは先輩の声ではなく、ツーツーという規則的な電子的な音だった。
「先輩、なんて?」
心配そうな顔を浮かべて夢果が訊いてくる。
「灰ヶ峰椿姫は絶対に連れて帰って来いだって」
「うん」
「それで、とりあえず、もう一度、イーノックさんを頼ってみろ、だって」
「そう」と夢果。「で、夜刀自身はどう思ってるの? まさか、命令されたからただ従うんじゃないよね。夜刀だって思うところがあるから椿姫ちゃんを救いたいわけなんでしょ」
「当たり前だ」と俺は言う。「俺はまだ灰ヶ峰のことを知れていな。俺はまだわからないんだよ。灰ヶ峰が悪魔のことをどう思っているか。ぶっちゃけ、灰ヶ峰自身が自分に憑いている悪魔を嫌っているのなら祓魔師協会に悪魔祓いをされればいいと思っている。けど、そうじゃないならやっぱり俺はあいつを助けなきゃいけない。どっちにしたって、まずは会わなきゃ始まらない。だから、俺は灰ヶ峰を捜すんだ」
「なら、わたしは夜刀について行くよ」
「別に無理しなくても。なんならお前は先に帰っても……」
「夜刀、わたしがいなくても朝とか起きられるの?」
「は?」
「椿姫ちゃんを追うってことはまだ何日かはここで過ごすってことでしょ。寝たり起きたりするってわけでしょ。夜刀、ちゃんと朝、起きれる? 起きれないでしょ? だっていつもわたしが起こしてるんだもんね」
だいたい夢果がサキュバスに憑かれている関係で夜な夜な襲ってくるから俺はなかなか眠れなくて、朝に起きられなくなるのだ。夢果の所為で眠れなくて、そんな俺を起こすのは夢果。けれど、夢果が俺を起こしてくれるのは確かだし、たぶん……夢果がいないと起きられない。
「わかったよ。じゃあ、お前も一緒に」
「うん。一緒に椿姫ちゃんを助けよう」
♢ ♢ ♢
着信履歴からイーノックさんに再度連絡を取る。
『やあ、案外早く電話を掛けてきたね。もう次の仕事かな』
「はい」
『何かあったのかな?』
「アド・アボレンダムの拠点を知りたいです」
『どうして、俺が知っていると思ったの?』
「甘木先輩がイーノックさんに連絡を取ったら何とかしてくれると言っていたので」
『だろうね』
「え」
『さっき、甘木遊楽から電話が掛かってきたんだよ。報酬をはずむからもうひと働きしてくれってね。……まあ、確かに、なんとかしようと思えばできるよ。君たちがアド・アボレンダムの拠点を知りたいというのならどうにかしよう』
「ほんとに、どうにかできるんですか?」
『ああ、できる。俺を誰だと思ってるんだ』
「誰なんですか?」
『教えないよ』
電話越しでイーノックさんが笑う。彼は捲し立てるようにこう言った。
『とにかく、頼まれた以上はしっかりやらせてもらうよ。知りたいのはアド・アボレンダムの拠点だね。まあ、一日あればなんとかなるだろう。明日の今頃、また電話を掛けるからそれまでは適当におとなしくしていなさい』
とはいえ、どこでおとなしくしていればいいのだろうか。このホテルの部屋は先の戦闘で破損が激しく泊まれる状況じゃない。けど、ここ以外行く場所がない。再びイーノックさんのアジトへ向かうべきか。
「あの」と俺は言う。「そっち行ってもいいですか」
『ん? どうして?』
「このホテルで戦闘があって、部屋がボロボロで。泊まれる状況じゃありません」
『と言っても、俺の家も戦闘でぼろぼろになったし、今、俺はそこにはいないんだ。俺も隠れ家に潜伏中だよ』
いよいよ行く場所がないと思ったら、イーノックさんが言う。
『君たちがいるホテルから、少し歩いたら歓楽街があると思う。そこの「アイネリゾート」というホテルに行きなさい』
「え、それって」
歓楽街という言葉。『アイネリゾート』とかいうホテルの名前。なんというか嫌な予感が。
『ラブホテルだけど。何か?』
「いやいや、それはちょっと問題が」
『でも、俺が用意できる部屋はもうそこくらいしかないけど』
「……」
『嫌なら、そこに泊まりなさいよ。泊まれるのなら』
俺は部屋を見渡してみる。壁面には血が散っていて、壁紙も剥がれている。床にはテレビが転がっていて、ガラス片が散っている。ベッドもボロボロになっている。泊まれないこともないけど、正直言って泊まりたくはない。というかこんな部屋では落着けない。
それに……。
部屋の扉の所にホテルマンが立っているのを俺は確認する。
「すみませんが」とホテルマンは口を開く。「この階を封鎖するので、出ていってもらえませんか」
そんなことを言われる始末だ。
だからもう俺たちの行く場所はそこしかない。
「わかりました。歓楽街にある『アイネリゾート』ですね」
『そう。で、写真パネルで右下のパネルを選びなさい。使用中の表示がしてあるだろうがちゃんと選べるようになっている。その部屋が俺のキープしている部屋だ』
「はい。ありがとうございます」
そこで俺は電話を切った。
「ねえ、どうするの? もうここには泊まれないみたいだけど」と夢果が訊く。
「とりあえず、イーノックさんが用意してくれたホテルに行く」
「よかった」と夢果は安堵している。「どこにあるの?」
「それは……」
俺はそのホテルの場所を言った。安堵の表情だった夢果は顔を赤らめた。
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