ひよこがトマトになった日
俺の友達は頭がいい。なんでかっていうと、俺の知らない事をたくさん知っているし、それにいつもテストで百点をとるからだ。なにをやっても百点満点。どうしてそんなに頭が良いのかわからないくらい勉強しているところを見たことはないし、羨ましいくらい完璧な奴なんだ。
そんな奴と俺は家が近所だから昔から一緒に遊んでいて、いわゆる幼馴染って奴だ。腐れ縁、って言うのかもしれない。俺は友達とずっと一緒に居れたことが、とても幸せだと思う。それくらい、仲が良いんだ。
友達は俺が馬鹿なことなんか気にしないで、運動しかできない俺に勉強を教えてくれたり、一緒に遊んでくれている。すごく良い奴なんだ。友達のお母さんとかも俺が遊びに行くといつも嬉しそうで、やけに歓迎してもらえて最近はちょっと照れくさい。小学校一の天才と俺が一緒に遊ぶのを誰も不思議に思わなくて、それだけ長い間の付き合いなのが俺と友達で、それが俺の自慢だった。
友達は俺の頭の悪さを非難しないし、寧ろそんなことないって言ってくれる。他の奴からそんなんで話合うのかよとか言われた事はない訳ではないけど、頭悪いからって頭良い奴と遊べないなんてことないように、話は楽しいし遊ぶのも楽しい。大切な友達なのだ。
今日、その友達の家にひよこがやってきた。ふわふわのもふもふで可愛くて、黄色とちょっと薄茶のひよこは物凄く俺にとって面白い生き物だった。
「なまえはなにがいいかなあ」
友達がどうしようかなぁと呟く。俺はもう、もふもふに目を奪われていた。
「きいろいのがきぃで、うすちゃはちゃー、とか?」
「いいね」
もふもふした生き物を見ながらの俺の思いつきに、友達はあっさり笑って同意した。友達は昔からそういうところがある。単なる思い付きだったけれど、友達があまりにも嬉しそうに笑って同意するので、俺はその名前がとても良いものに思えてきた。そのことが凄く嬉しく思えて、俺も友達と一緒に笑った。
それから毎日、きぃとちゃーを見に行った。友達はいつもにこにこ笑っていて、きぃとちゃーはとても大切に育てられていた。
「あったかいなあ」
「あたたかいねぇ」
俺の考えなしの感想にも、友達は凄く嬉しそうに同意した。これが親ばかってやつかな、なんて半分冗談で思ったりもした。
きぃとちゃーはひよこだから段々大きくなっていく。俺はそれがとても面白かった。
「おっきくなるのはやいなぁ!」
「はやいよねぇ」
友達はやっぱり凄く嬉しそうに同意した。
ある日、俺は驚いた。何故かというと、いつもひよこの入っていた箱に緑のヘタが見えたからだ。その下には、つるんと丸い赤いもの。
それは美味しそうに熟したトマトだった。
ひよこってトマト食べるんだっけか? と頭の悪い俺は悩んでしまう。友達は頭が良い。ひよこの食べるものを間違えることもないだろうと俺は思いはしたのだけれども、やっぱりひよことトマトの組み合わせがピンとこないで悩んだままだった。
そんな俺に気付かずに、友達はいつもきぃを抱きかかえるような仕草でトマトを抱きかかえた。
「はい、どーぞ」
友達は笑って言ったけれど、俺はその意味がわからず戸惑って返事が出来なくなってしまった。そんな俺に、友達は不安になったようだった。
「ええときぃがよかった? あれ、そこきぃだっけ?」
「あ、えっと、大きくなったから段々似てきてわかんなくなってきちゃって驚いただけ。きぃ、大きくなったなぁ」
「ちゃも大きくなったよねぇ」
友達はにこにこ笑っていた。手の中で撫でていたのは、真っ赤なトマトだった。
俺は頭は悪いけど、理科は好きだった。兄ちゃんが理科を勉強する学校に行っているからってのも理由の一つ。俺は頭が悪いなりに、とある仮説をたてた。この現状を説明する為の仮説。
それは有り得ない、けれども有り得たらとても恐ろしい仮説となった。けれども もしかすると、と思った。もしかすると有り得るかも知れない、と。
仮説は恐ろしかったけれど、俺はそれが本当に思えて、だから俺は友達に聞いてみることにした。そうしなきゃいけない気持ちになっていた。
「かーくれんぼっ。俺どこだー」
「あや、こまったなぁ」
友達は本当に困った顔をした。笑っているのに、とても不安そうだった。
出来るだけ音は立てずに、わざと近くのダンボールに隠れる。けれど顔は出したままだ。普通ならあっさり見つかる状況。ただ俺は黙っていた。
俺は息を潜める。外から風が吹く音だけが響いている。友達はきょろきょろして、後ろの観葉植物を見た。
「そこかな」
友達の言葉に、俺はひどく悲しくなった。恐ろしくなった。
「違うよー」
「そっちだ」
「当たりー」
友達は俺の声で俺の居場所を見つけていた。
それからいつものように楽しく話をしていた。俺は俺が泣かないでいられるのが不思議なくらいだった。そうして友達の家から自分の家に帰り、俺は自分の部屋でうずくまった。仮説は無茶苦茶なもので、きっと偉い人は俺を馬鹿だと言うかもしれない。
それでも俺は仮説を確信していた。友達の目は見えている。でも、友達の目は俺たちを見ることが出来ないんだ。きっと。
兄ちゃんから分子とかそりゅーしってものとかを聞いたことがある。聞いたとき、俺は意味がわからないけどなとなく凄いと思っていた。そして仮説は、そのことから出来ている。
俺たちは分子だかそりゅーしだかで出来ていて、そのレベルで見ると皆ひっちゃかめっちゃかで訳わからなくなって、どれもこれも境界線ってのが曖昧になるらしい。すべてがひとつみたいで、それでも個体で、何がなんだかわかんなくなる情報量。友達はそんな世界で俺達を見ているんじゃないのだろうか。俺はそう思ってしまった。
友達は頭が良い。きっと出された食べ物を食べ物と認識して食べる。
友達は覚えた事を忘れない。きっといつもいろんな事を暗記していて、だから生活に困らないように、寧ろ天才なんていわれるように生きていけるんだと思う。
そういえば友達は昔いっぱい人がいるところは苦手と言っていた。きっと人がたくさんだからとは違うんだ。たくさん知らない分子に囲まれるのが、怖いんだ。
だからひよこの名前も感想も考えてみたら俺の真似っ子だ。仮説がやっぱり本当みたいで、考えたら考えただけ悲しくなった。
きっと声で俺たちを判断しているんだ。俺の顔はわからなくて、分子だけの気持ち悪い存在だろうに、友達は俺を友達といってくれて、仲良くしてくれている。それは凄く嬉しくて悲しくて、ひよこたちがどうなったのか考えるのはとても怖かった。
間違って食事のところに上ったのか。いや、それは考えたくない。それとも病気で死んじゃったのか。友達のお母さんやお父さんはなんでトマトをこんなところに置いたのだろうか。考えて考えて、ぐるぐるして、俺は帰ってきてしまった。怖い、悲しい、怖い。そんなことばかり思いながら、俺は帰ってきてしまった。
トマトがきぃとちゃーじゃないって言えなくて。俺は初めて友達に嘘をついて帰ってきた。
部屋の中で俺はずっと泣いていて、お父さんとお母さんと兄ちゃんと姉ちゃんと弟が心配した。けれど俺は理由を言えなかった。
友達を怖いと思ってしまったこととかわいそうと思ってしまったことと、悲しいと思ってしまったこととそれでも友達でいたくて仕方ないことと、きぃとちゃーはトマトじゃないんだっていつ言わなきゃいけないんだろうってことと、友達に嘘をついてしまったことと。いろんなことがごちゃまぜになって言えなかった。分子で出来た世界なんて想像出来ない。
ただただ訳がわからなくなっていて、俺は声を上げて泣くしか出来なかった。泣いたところでどうしようも出来ないのに、考えることすら怖くって俺は泣いていた。友達なのに。俺はなんの力にもなれないのだ。ただ泣きながらごめんごめんと謝るしか出来ない。
その日はじめて神様にお祈りをした。
お願いです神様、分子がどうとかいいんです。あいつがそれで生きていけるなら構わないんです。
ただ、きぃとちゃーのことをどうにかしてください。そして願わくばいつか俺がトマトになってしまわないように。それが我侭なのだとはわかっています。でもどうかお願いします。俺はあいつが大好きだから、あいつにとっての俺はトマトになったらと想像するととても悲しくなるのです。
それがとてもこわいのです。
その祈りが通じるかどうかは、わからない。けれども俺には祈るしか出来なかったのだ。
(「ひよこがトマトになった日」了)
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