おきゅうと/了俊

「あなたの街の物語」コンテスト公式

おきゅうと/了俊

 僕の小学校では月に二度、給食のおかずに『おきゅうと』が出た。


『おきゅうと』とはエゴノリやテングサなどの海藻で作ったトコロテンのような食べ物だ。博多の名産品で、漢字で書けば『お救人』であり、博多の町が飢饉に陥ったときに町民がこれを食べて飢えをしのいだからこの名がついたらしい。


 僕はこれが大嫌いだった。

 ぬるっとした食感と、海藻の生臭さがナメクジを食べているようだった。『おきゅうと』自体に味はなく、ポン酢で味付けしてあるのだが、酢も嫌いだった。


 こんな栄養価もないものが、なぜ給食のおかずになったかといえば、何代か前の校長が「今の豊かな時代に感謝するため」という趣旨で始めたらしい。子供心に「こんな不味まずいものを食べて飢えをしのぐなんてムゴい」と感じたのだから、校長のねらいは当たったのだろう。


 とはいえ、第二、第四水曜日の『おきゅうと』は災難だった。給食は残してはならない決まりだから、いつも我慢して食べた。僕は本気で元校長をのろった。


 二年生になっても、三年生になっても、それは続いた。第二、第四水曜日は朝から憂鬱ゆううつだった。

 

 ある日、席替えが行われた。クラスの全員がくじ引きで新たな席を決めて、そこへ移った。

「よろしくね」

 新たな隣人になったのは加藤君だった。引っ込み思案だった僕は、クラスのほとんどの子と話したことがなく、彼もその一人だった。でも、加藤君は屈託のない笑みで僕に挨拶あいさつした。


「う、うん、よろしく」

 僕も少し戸惑いながら挨拶を返した。邪気のない笑顔になれていなかった。小学校などサル山と変わらない。ボスと手下しかおらず、手下は自分の序列を上げようと、他人の足を引っ張ることしか考えていなかった。


 ところが、加藤君は違った。休み時間になると、さっそく「一緒に遊ぼう」と誘ってくれた。しかも、せっかく隣になったんだからと、二人だけで。

「何して遊ぶ?」

「何でもいいよ」

「じゃあ、キャッチボールをやろう」


 加藤君が僕の手を引いた。だが、教室から廊下へ出ようとして足を止めた。

「あ、そうだ。今日の給食の献立を見ようよ」

 その休み時間は二時間目と三時間目にある『中休み』だった。だから給食はまだ食べていなかった。


 加藤君は僕の手を引いたままずんずんと黒板の横に張ってある献立表に向かった。そこには一週間分の給食のメニューが記してある。僕は不運を呪った。その日は『おきゅうと』の日だったのだ。


 僕は「今日は『おきゅうと』だよ」と教えることができなかった。たとえ、すぐ知ることになるとしても、加藤君が悲しむ顔を見たくなかった。


「あ、やった。今日は『おきゅうと』だ」

 耳を疑った。やった? 喜んでいるの?

「『おきゅうと』好きなん?」

「大好きだよ」


 信じられなかった。まさか『おきゅうと』を好きな人間がいるとは。僕はいじわるをされないために『おきゅうと』嫌いを誰にも話していなかった。だからクラスメイトがどう思っているのかを聞いたことがなかった。


 僕の顔を見て、加藤君が驚いた顔をした。

「え、『おきゅうと』好かんと?」

「うん、好かん」

 加藤君が目を輝かせた。

「じゃあ、『おきゅうと』、くれん?」

「いいよ」

 加藤君が「やった」と飛び上がった。僕はまだ信じられなかった。こんなにうまい話があるのか? 


 給食時間になり、僕たちは同じ班として、机を向き合わせた。給食が配膳され、「いただきます」をすませると加藤君が目配せした。


 おかずのやり取りは禁止されていた。僕たちは誰にも見られないように、机の下で皿を合わせた。僕は思い切って半分以上の『おきゅうと』を加藤君の皿に移した。加藤君は自分の皿を見ると、「こんなにくれるの」という顔をしたが、僕の皿を目にすると「その大きいのもくれない?」とささやいた。


 僕は残ったものを全部、加藤君の皿に入れた。加藤君は「いいの?」と口にした。いいに決まっている。僕は大きくうなずいた。

 この日以来、僕は親友を得て、『おきゅうと』地獄からも解放された。これほどの互恵関係はその後の生涯においてない。

 

 しかも、幸運はこれだけじゃなかった。

 加藤君は僕の想像を超えるいいやつだった。

「僕だけがもらったら悪いけん。僕の給食から好きなものをとっていいよ」

 次の『おきゅうと』の日、加藤君はそう言った。少食で給食自体が苦手だった僕にこの申し出は嬉しくなかった。とはいえ、むげに断るのも気が引けた。

「じゃあ、マーガリンちょうだい」

 小学校の給食は食パン二枚に小さなマーガリンのパックが一つ付いた。どう薄く塗ってもそれでは足りず、僕はいつもぱさぱさのパンを食べていた。

「ええ、マーガリンを好きなん?」

 またもや加藤君は驚いた。その顔を見て僕も驚いた。

「マーガリン、好かんと?」

「うん、好かん」


 加藤君は喜んでマーガリンを差し出した。それだけじゃない。彼はマーガリンを嫌いな者は僕にやるようにクラスメイトに呼び掛けた。マーガリンはやり取りしてもいい決まりだった。

 それから毎日、僕の机にはマーガリンのパックが五、六個も置かれるようになった。たっぷりとマーガリンが盛られたパンは好物となり、僕は給食が苦手ではなくなった。


 そして大人になっても、月に一度は『おきゅうと』を食べている。美味うまいものではないけれど、僕にとっては『お救人』だ。

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