通天閣 ―僕が出会った新世界―/相沢泉見

「あなたの街の物語」コンテスト公式

通天閣 ―僕が出会った新世界―/相沢泉見

 十年前の夏。

 僕は三十歳にして初めて大阪を訪れた。目的は、彼女のご両親に結婚の許可を貰うためだ。

 僕と彼女が出会ったのは東京の僕の会社だった。そこへ関西の子会社から出張でやってきた彼女と意気投合した。

 以来、東京と大阪で二年間遠距離恋愛を続けて、先日プロポーズ。いよいよ彼女のご両親とご対面というわけだ。

 お嬢さんを僕にください、と彼女のご両親に向かって頭を下げる。シミュレーションはバッチリだったが、数日前から緊張し通しだった。

 その日の待ち合わせは通天閣。「せっかくだからうちに来る前に大阪観光しようよ」と彼女が言ったからだ。

 僕は東京から新幹線で新大阪へ出て、更に地下鉄を乗り継いでちょう駅へ降り立った。彼女が事前に教えてくれたルートだ。

 駅を出ると、そこにはディープな大阪が待っていた。

 様々な売り文句がゴテゴテと書かれたくしカツ屋の看板。かたどったちょうちん。大阪弁を連発しながら歩く派手な服のおばちゃんたち。新世界と呼ばれている繁華街だ。

 その新世界の中心に位置する塔こそ、通天閣。大阪のシンボルタワーである。

 観光ガイドによると、高さは百三メートル*。その名前には「天に通ずる高い建物」という意味が込められている。ちなみにエッフェル塔を模して作られたらしいが、あいにく僕はパリのエッセンスを感じることはできなかった。

 待ち合わせているのは上部の展望台だ。エントランスをくぐってから低層エレベーターと展望エレベーターを使い、目的のフロアへと赴いた。

 展望フロアは八角形になっていて、ぐるりと一周できるようになっており、一定の間隔で望遠鏡が設置してあった。一回りしてみたが、まだ彼女は来ていないようだ。

 僕は一つの望遠鏡のそばで立ち止まった。望遠鏡はコインを入れると一定の時間見える仕組みになっていた。何もしないでいると、これから待つ『彼女のご両親との対面』のことばかり考えて気が重くなってくる。気分転換に景色でも眺めようと思い、僕は望遠鏡に触れた。

 しばらくふもとの新世界の街並みや遠くの山などを見ていると、やがて男の二人連れがやってきて、隣の望遠鏡の前に立った。

 派手な二人組だった。ともに二十歳はたちくらいのようだが、そろってパンチパーマにサングラス。おまけに「どこで売ってるんだそれ」と言いたくなるようなひどい柄のシャツを羽織っている。

 まるで一昔前のチンピラだ。漏れ聞こえる会話はすべてコテコテの大阪弁で、どうやら地元の若者らしい。

 彼らはニヤニヤしながら望遠鏡をのぞきはじめた。そのうち、一人が大声で言った。

「おい、大変や。女湯が見えるで!」

 いま何と言った。女湯だって?!

 僕は慌てて彼らが見ている方に望遠鏡を向けた。

 しかしいくら子細に眺めても、女湯どころか風呂のふの字も見えない。どこだ。どこなんだ女湯は……!

うそこくなよ。女湯なんか見えるわけないやろ」

 その声で我に返った。

 二人連れのもう一方があきれ声で突っ込んだのだ。相方はへらへらしながら頭をく。

だまされへんかったか。お前女に困ってそうやから、イケる思ったんやけどな」

「アホか! 俺はモテモテや。彼女の一人や二人おる。女に困ってるんはお前やろ」

「ちゃうわ。俺だって彼女の百人くらいおるで!」

 完全に騙された……。

 いや、よく考えてみればここから女湯が見えたら一大事だ。別の意味で観光スポットになってしまう。いくら結婚の挨拶あいさつを前に緊張していたとはいえ、こんな子供騙しに引っかかるとは情けない。

 パンチパーマの二人はおそらく一般人のはずだが、これじゃまるでお笑い芸人のコントだ。すっかり巻き込まれてしまった。大阪、恐るべし!

 僕は気恥ずかしくなって望遠鏡から離れた。

 するとそこへ彼女がやってきた。……良かった。女湯を必死に探しているところは見られずに済んだ。

 気を取り直して、彼女と二人で改めて展望台を一周する。すると、彼女はフロアに置かれていた奇妙な像の前で足を止めた。

「ビリケンさんの像だよ。新世界の守り神なの。足の裏をでるとご利益があるみたい」

 その像はどことなく河童かっぱに似ていて、全体的にユーモラスな姿をしていた。

 しばらく見ていると、その像の前に誰かが立った。先程のパンチパーマの二人組である。

 二人はビリケンさんの前でパンパンとかしわを打ったあと、像の足の裏を撫でながら声を揃えて言った。

「かわいい彼女ができますように!」

 ――お前ら彼女おらんかったんかい!

 心の中で自然とツッコミが出ていた。しかも、大阪弁で。

 その時、僕は大阪を肌で感じた。

 街行く一般人さえもお笑い芸人を地で行く街。自然とこちらを巻き込んで、笑みを引き出してくれる場所。それが大阪だ。

 パンチパーマの二人が立ち去ったあと、僕もビリケンさんの前に立った。そしてそっと足の裏に触れた。


 この出来事がきっかけで僕の心はほぐれ、そのあと対面した彼女のご両親とはリラックスして話すことができた。

 十年たった今でも、通天閣で感じた『大阪の空気』について折に触れて話すことがある。今では妻となった、当時の彼女とともに。

 あの日、僕はビリケンさんにこうお願いした。

 ――彼女とずっと一緒にいられますように。

 その願いは今のところ、順調にかなっているようである。


*二〇一六年十月、通天閣は避雷針設置により高さ百八メートルになりました。

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