第17話 アスカの不可思議な1日②
ゆっくりと男の子に併せてアスカは歩く。すれ違う同じフロアの看護師からも散歩はほどほどにとは注意されるが、男の子が迷いながら行きたい方向へ向かうのでいつの間にか集中治療室に近づいていた。
(足取りがそっちなんだけど、大丈夫かな…)
流石にここは散歩だからとごまかしはきかないし、無関係の人を通すことはないだろう。
しかし、アスカの考えも空しく集中治療室の入口にさしかかる。その近くには気落ちしている若い夫婦の姿がある。男の子は止まることなく進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って」
慌てて男の子を止めるもアスカの手を振り払い、夫婦の元へ駆け寄り女性の手をつかもうとするもすり抜ける。
「もしかして…」
ある可能性を考えていると同時に集中治療室の扉が開き、担当していた医師や看護師が簡単な説明をして病院内用のストレッチャーに横たわった小さな子が後ろに控えている。そのストレッチャーに横たわっていた子は今ここにいる幽霊となった男のと瓜二つだった。
「そう…なるわよね」
幽霊の男の子に気づかず、夫婦は医師達と共に移動を開始する。その男の子は泣きそうな顔でその場に佇んでいた。
アスカ自身もこの男の子が元入院患者ではなく生死の境を彷徨い、結果的に戻ることが出来なくなりそのままあそこにいたのだろうと理解する。
「大丈夫、まだお父さん達と一緒にいれるから」
去ったあと、アスカは男の子に優しく声を掛ける。今から夫婦達が向かうのは病院裏口に当たる場所にある霊安室だろう。
アスカも祖母が亡くなった際、移転前の病院でそういった場所にて母達と葬儀会社の人が来るまである程度はその中や近辺で待つことになったのを覚えている。
「お姉ちゃんの背中に乗って。1階に行くから」
男の子を背負い夫婦が待っているエレベーターの場所を確認すると、早足で通り過ぎ階段に差し掛かると素早く駆け下りる。
今いる場所は10階建ての病院の6階になる。そのため1階についても追いつくことは出来ない。しかしそれでもある確認をアスカはしないといけなかった。
「…あった」
1階に下り、エレベーターの近くを見渡すと一角に非常口と書かれている透過防止ガラスの扉を見つける。
近くの窓から可能な限り外を見渡すと、一部屋くらいありそうな病院の壁が目に入る。恐らくそこが霊安室だろう。
この総合病院には地下駐車場がないのが一番大きなものだった。もしそうなっていたらアスカはこの男の子を夫婦の元へ届けることは出来なかっただろう。
男の子を下ろすと監視カメラや外の通りなどに人がいないことを確認すると扉から少し離れて目をつむる。
ある程度前の病院と同じ規模の霊安室であるのならどのくらいの通路の広さなのかをしっかりとイメージし結界の印を結ぶ。
目を開け扉の前に結界が張られるのを確認すると中に入るため西牙がしたように指先に精神を集中し、結界に向かって小さく円を描くと人一人通れるような穴が開く。
「ちょっとだけ待ってて。おとなしく出来る?」
そう訪ねるとこくりと男の子はうなずく。
それを褒めるようにポンポンと、軽く男の子の頭をなでる。
その中にアスカ1人で入り、結界の穴が塞がれるのを確認するとアスカは緊張しながらドアノブに手を掛ける。
深呼吸をし意を決してドアノブを回してゆっくりと扉を開ける。
そこには先ほどの夫婦や先生達がいたが、ピクリとも動いていなかった。
その光景に安堵するアスカ。
しかし、よく見ると結界は人のいるところには届かず中途半端なところで止まっている。
夢の中で見たものは人はいたものの、それを結界に閉じ込めて一時的な金縛りにするようなものだった。実際に今結んだ結界の印はこの方法だった。
どうやらあくまで視認している地点から先は夢で見た方法でも今のアスカでは出来ないらしく、扉の開ける範囲までしか結界が広がっていない。
(とりあえず、場所の確認が出来たのをよしとしますか)
そう納得させて扉を閉めると、結界の外へと出て結界を解く。
「もうちょっとしたらお迎えの車が来るから。そうなったらお姉ちゃんとはお別れね」
そう話すと男の子は悲しそうな顔をする。
とはいえ、あの傍らにあったストレッチャーには男の子が横たわったままだったことから今から霊安室でエンゼルケアの準備などがこれからということだろう。
「探検はおしまいになっちゃうけど、何か甘いもの食べようか」
そう訪ねると男の子は頷き、アスカは男の子を抱えて売店で適当な雑誌を購入し待合室近くにある喫茶店前へとやってくる。
ちょっと中を見ると先に会計をする仕組みのようで、見舞い終わりの親子がカウンターで注文をし番号札のアラームを受け取っていた。
「お姉ちゃんがメニュー指でなぞるから、食べたいのと飲み物をトントンってたたいて教えてね。あ、それとお姉ちゃんも一緒に食べるけどいい?」
そう話しかけるとやや不満そうではあったが男の子は頷く。
流石に男の子の分も併せての注文は甘いものは別腹とよく表現される女性であってもアスカにはちょっときつい。
というのも祖母の影響かアスカは洋菓子よりも和菓子の方が好きな方だ。もたれるとかで全く食べられないわけではないが、食べる機会が多いのは偶々和菓子だったという家の環境だろう。
カウンターに置いてあるメニューの前に立ちゆっくり指をなぞりながら男の子が反応するのを待つ。怪訝な顔をする店員の視線が向けられるアスカも理解しているが、こればかりは変に男の子と会話しながら決めるようにひどい独り言と見られるより幾分マシだろう。
「すみません、ホットケーキとリンゴジュースを」
注文後の対応は普通だった店員の行動にアスカは内心安堵する。
適当な2人掛け席に雑誌を置き、男の子を椅子の上に下ろす。幽霊であっても行儀が悪いが、こればかりは子供用椅子を用意してもらうのは流石に怪しまれるだろう。
時間にして15分くらいだろうか。アスカが受け取ったアラームが鳴り、出来た料理を受け取りに行く。
受け取ったトレイの中には焼き上がった2枚重ねのホットケーキと市販の小分けホイップバターを乗せた皿にシロップの入った容器、紙パックに入ったリンゴジュースが納められている。
テーブルの上に置き、男の子に確認しながらホットケーキにバターとシロップを塗っていく。そして紙パックにストローをさすと男の子の方に向かって皿の上にナイフとフォークを置く。
「はい、どうぞ」
改めて男の子の方へトレイを寄せると買ってきた雑誌を適当にめくる。一応周囲の目に配慮して少し何か読みながら後で食べるという形をアスカは取っていた。
(…あれ?…これってある意味ではお供えよね、これ)
適当に雑誌をめくりながらアスカはふとそんなことを考える。
確かにしていることは仏前等へのお供えと同じ行為だ。
ちらりと男の子の方を見るとどういうわけかナイフとフォークは皿の上にあるのに、それらを手に持っておいしそうにホットケーキを切っては口へ運んでいる。
(…棺に当人が好きなものを入れたりするのが今も残ってるのってちゃんと今も食べてくれてるってことなのね)
そんなことを考えながら時計を見ると霊安室を見つけてからもう40分にもなろうかとしていた。
「やばっ」
思わず声が漏れると同時に男の子が食べ終わる。
今の時間を考えるともうそろそろ葬儀会社の人が到着してもおかしくない。
ちなみにホットケーキの見た目は普通に男の子に渡したものと同じ状態だが、気持ち冷めて冷えたときよりもしぼんで見える。
「おいしかった?」
そう訪ねると男の子は満足そうに頷く。
「それじゃ、今度はお姉ちゃんが『いただきます』」
皿にのせたナイフとフォークを自分の方に来るよう回し、普段のお供え物を下げるように手を合わせ急ぎ冷めたホットケーキを次々と切っては口へ運ぶ。
「んぐ……」
時間の経ったホットケーキはシロップを吸って甘さが増しているだけでなく、部分部分でホイップバター特有の油っこさに冷めてパサパサした箇所のある独特のなんとも許容しにくい食感が合わさり口の中の水分も取られて飲み込むのに一苦労するものになっていた。
(本当に自分の分頼まなくて良かった…)
そんなことを思いつつも、ぬるくなり始めたリンゴジュースで流し込みながらアスカは急ぎホットケーキを処理するのだった。
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