第拾六話

 拾い上げてみれば、それは何の変哲もないただの玉簪だった。華美なところはどこにもなく、飾りらしい飾りといっても硝子玉くらいで、装飾品というよりは普段使いできる実を重視したものだろうか。

「おい、どうした?」

 春臣がしげしげと簪を観察していると、横合いから夏樹がひょいと手元を覗き込んできた。春臣は彼にもよく見えるように手のひらにそれを乗せた。

「えっと……これが落ちてて」

 夏樹は簪を持ち上げて、空に向かって透かしてみた。純度もいいとは言えないし、色硝子でもない。そこそこありふれた品だ。

「簪か……硝子玉ってことは、まあまあ高価な品のはずだが」

 そう言った夏樹に、それまで黙っていた紅尾がおもむろに口を開いた。

「……ちょいと貸してみな」

 それで察したらしい夏樹が、すぐに彼に簪を渡す。すると、紅尾は丹念にそのにおいをかぎ始めた。

「……なんかにおいするか?」

 固唾を呑んでそれを見ていた夏樹がたまらず声をかけると、紅尾はしばしの間を置いて首を横に振った。春臣に簪を返すと難しそうな表情を浮かべる。

「………いんや、だめだな。土のにおいと桜花宮のにおいが強すぎてよくわからん」

 その言葉に、白墨が呟きを落とした。

「……落としてからしばらく経っているということか」

「アァ、そういうこったろな」

 紅尾と白墨の短いやりとりを聞いていた夏樹だったが、すぐに春臣の持つ簪に視線を落として言った。

「とりあえず、そいつは拾っとこう。偶然にしろ何にしろ、落ちていた場所が場所だ。手がかりになるだろ」

「わかりました。……これ、僕が持ってますか?」

「あぁ、それがいいだろ。お前が見つけたもんだしな」

 春臣は頷いて、簪を持っていた手ぬぐいにくるんで懐にしまった。軽いはずの簪も、手がかりだと思うだけでどうしてか重いものに感じられた。

 紅尾はそれを見届けると、思案するように首に手をやった。

「白澤殿かお姫ちゃんに相談したほうが良いかもなァ。あの二人なら、俺たちには見えねぇモンも見えるだろう」

「白澤の知恵と魔鏡の先見の力を借りるのか?やれやれ……行ったり来たりと面倒だな」

 言外に手間だと言う筆神に、夏樹は苦笑して肩をすくめた。

「まぁ、仕方ねぇよ。むしろ、これだけとんとんと手がかりが見つかってるほうが珍しいって」

 彼はそう言うと羽織の裾を翻した。いつの間にか稜線の向こうから差し込んでいた朝日の鮮烈な光に照らされ、その髪は赤銅色にも似た色に見えた。数歩いったところで夏樹はこちらを振り返ると、にっと笑った。

「たぶんそろそろ清六のヤツも来てる頃合いだ。残りもちょちょいと見回って朝飯にしようぜ」

「てめぇは口を開きゃ食い物ばっかだな」

 先ほどのお返しのつもりか、紅尾もいつもの調子に戻って夏樹を揶揄する。しかし、当の本人は今度は怒らなかった。

「何言ってんだ。腹が減っては何とやら、食ってのは基本だぜ?」

「なら腹八分目ってのも知ってるよな?」

「それは知らねぇなぁ!」

 高らかにシラを切った青年に、春臣は声を上げて笑ってしまった。

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