八瀬での出会い
まだ宵の口とはいえ、真っ暗闇の夜だ。
雪が降っているのは、ちらほら程度だが、止む気配は一切ない。夜空を見上げても、月も星もなく雪雲が夜空を覆い真っ暗闇だ。
太陰暦のこの時代、月齢を調べておくことを忘れたことを思い出したが、もうそんなゆうちょに策を立てる頃合いは過ぎていることを思い出し、すこし笑いそうになった、孔明殿や子房殿ですら、この期に及んで、我等河内源氏の一党に献上出来うる上策はあるまいて、、、。
義平は、己が切り落とした
義隆は末子とはいえ、かの伝説の武者八幡太郎義家のれっきとした実子である。権威が嫌いな義平にとっては、不本意なれど、義隆のため短くなむなむと唱える。
雪が積もれば、相当熱心に探し出さないかぎり義隆の遺体は、みつかるまい。
義隆の始末が済むまで、
「豪胆じゃのう、おまえは、しかし、ここよりは、お前だけが頼りじゃ」
ここより、龍華別れ、途中峠までは隣は猛る高野川と近くでみると思いの外峨々たる叡山の山間の細い街道を駆け抜けることになる。
この街道は、鯖街道や、北国街道と呼ばれており、途中峠で北に転ずれば、越前から能登に至る。
義平は、数歩戻り、追撃してくるであろう平家の様子を確かめついでに鼬丸に女郎殺しが捨てていった、弓を拾った。猟も生業にしておるのか、割りとましな弓を使っている。そのうちのいい方を貰い、うち捨ててある矢もかき集めた。野盗くずれの得物を拾わなければならぬとは、落ち武者もついにここに極まれりである。
花園橋から山端の修学院のほうを振り向いたが、追撃してくる平家の篝火は一切見えない。
どうやら、六波羅で南への血路を開かんがために南へと相当無理に粘ったがために自分が一党の最後尾に居るらしい。
義平は、瑞雲の鐙に足をかけると、
「それっ」と声を掛け、瑞雲の腹を蹴り駒を進めた。
景澄から代え馬を貰い受けた父義朝は相当先に進んでいるだろう。果たして追いつけるか!?。
相当、瑞雲を急がせるもののこの叡山の山間の崖と沢の底の高野川に挟まれた細い街道から足を踏み外しはしまいか、心配になる。
心配を取り除くのは、目の前のことに集中することのみである。
武者でありながら武者でない遊び女の息子、義平は、そうやって生きてきた。そうやって死ぬだけである。
街道の脇には、思いの外、民家がある。しかし寝静まっているのか、源氏の落ち武者がこの街道を夜通し駆けて続けていることを既に知ってか、明かり一つ付けず、寝静まっている。
一番あなどれないのは叡山の法師の集団である。いつ叡山から墨染の黒母衣とともに駆け下りてくるかわからない。叡山は、最澄が開いたとされるが、同時期の空海は仏教上の儀式を天皇にとり行い帝すらその仏法の弟子にしている。帝か仏法、どちらが偉いのかなど、義平の完全な埒外であるが、(すくなくとも、どっちも敵であることには間違いない)白河院の言葉ではないが、なにかあると神輿を奉じて朝廷に強訴する状態。
帝にすら全くまつろわぬ勢力である。落ち武者となりし清和天皇の子孫である源氏など歯牙にもかけておらぬにちがいない。
この夜道、雪の中、細い街道して叡山を北回りで一周し都から退くなど、愚の骨頂である。
義平の読んだ話だと、景澄に語ったとおり、西の方の唐の国、さらに西の方に砂漠の大地が海の如く永遠と続き、その彼方に金色の髪の為朝の叔父上のような背丈の偉丈夫のお武家の国があまたあるそうだ。そこで古の古に、"
その"
もし、この大逃走が無事叶いしおりは、あの世でその"般似張"とやらと酒を酌み交わし、象を連れた大行軍と叡山北周り一周にについて語り会いたいぐらいだ。
義平が聞くところだと、叡山の十倍をもする高さの山を歩ませ越えさせた象はあまり役に立たなかったらしい。
そして、その難事業を成し遂げた豪傑"
世の中そんなものだ。あれほど、南へと言うたのに、北に逃げた父義朝を思い、義平は、一人ごちた。
街道には、もう既に新たな雪が積り、父義朝らの騎行した足跡が消えかかっている。それに左京ではゴロゴロ居た、落伍した一党の徒武者や雑兵、離れ駒も全然居ない。
義平も、まさか京の北に逃げるとは思っていなかったので、簡単にしか地図を見ていないが、叡山の登り口があり、八瀬があり、大原があると聞いている。しかし、高野川はともかく、叡山の峨々たる峻険さはどうだ。近くで見ると何者をも拒むような険しい山である。
進めど進めど、似たようなくにゃくにゃした細い街道、片側に険しい山、片側に深い川。 一体どの辺を自分が進んでいるのか、見当がつかなくなってきた。
別に構わない、このまま、越前でも能登までもいや、はては越後まで駆け抜けるうることが出来得れば、この義平の勝ちぞ。
そう思ったときである。
瑞雲が小さく何かを飛び越え、跳ねた。本当に予想外の出来事で思わず手綱よりも瑞雲の首にしがみつく義平。まるで乗馬の下手な頼朝みたいになった。
瑞雲は、何かを飛び越え、嘶いた。
「えーい、
正面より
瑞雲が跳ね走り過ぎた後、馬首を返しよく見ると、瑞雲が飛び越えたのは、数表の米俵で、その後ろに隠れていたのは、高下駄に墨染の黒母衣、白袈裟の頭ではなく、兜をかぶった見慣れた坂東武者だった。
「おお、これは、若殿」背の高い徒武者が慌てて、瑞雲の
「痛ててててて、、、様はないのう」
義平も仲間に出会い、一気に気が緩んだのである。
すると、街道脇や、米俵から数人の武者が出てきた。みな東国の源氏一党である。
「いえ、もうしわけありませぬ、私が、迂闊にも下手に馬の轡を取りにいったもので、馬を驚かせてしまいまして御座いまする」
「いやいや、この瑞雲は多少気難しゅうて扱い難いやつなのじゃ、この義平も閉口しておる」
数人の武者が出てきたと言っても、たった4人だ。義平を入れて5人。
「若殿、御無事でなにより」背の低い米俵に伏せていた武者が言う。背中中雪がつもり雪まみれだ。
「寝返りし頼政公の軍勢に一人飛び込まれたのを見たのが、みな若殿の最後、故、もうてっきり討ち取られたものと申しておったところ」
「この義平、どうにか、無事だ」
背の高い武者が尋ねた。
「後ろにはのきて逃げ来る、われら東国の
「多分この義平が最後、後ろは平家か頼政公の軍勢じゃ」
「なんと」背の高い武者はうなだれた。
「それより、父上はどうなった?」
「
「そうか」
少し、ほっとした義平。
「
「はっ、ご一緒です」
「そうか、それは一安心」
「悪源太殿もお怪我は?」と背の低い武者が言いかけ自分が悪源太と言ったことに気付き露骨にしまった、という顔をする。普段から、悪源太と義平のことを呼んでいることは義平にも容易に想像がつく。
「申し訳けございませぬ」とその武者が急いで謝るところを、義平も急ぎ遮る。
「構わぬ、怪我はない。今落馬しただけじゃ、あの駄馬から、、」と義平瑞雲の方を見て無理から大きな笑顔を作った。
「しかし、御大将に付き従って居るのは、もはや十数騎のみ」
「致し方あるまい」
「よう存じませぬが、
「船!?」それは義平も思いもよらなかった。
「はっ、堅田に大きな船の渡し場があるとの由」
「船とな」
この真冬の雪が降りし悪天候に果たして船が出るのだろうか、しかし芸もなく琵琶湖の湖西を南下すれば、南に下れば下るほど清盛の在所伊勢にどんどん近づくことになる。出るだけ早く琵琶湖湖西を南下した後、左に折れ、東国を目指したいのはわかるが、果たして目論見どおりいくのか?。
それに琵琶湖の南の端に位置する大橋、瀬田の大橋はどうなっているのやら、全く見当がつかない。
『で、その方らは、こんなところでなんとしておる』
と義平は尋ねそうになって、思いとどまった。
この4人の坂東武者は、殿軍なのである。殿軍とは、軍勢が破れたり撤退する時に時を稼ぐため居残る軍勢である。思い切って前に突撃して闘うことが出来ず、戦うとしても大変難しい。
そして、殿軍とは言う成れば使い捨ての死兵である。救援は誰もこない。ここで追っ手を命を犠牲に防ぎきれるだけ防ぎきり、大将や本隊を逃がすのである。
長風の長身の徒武者が小さな声で言った。
「ここは我らが防ぎまするゆえ、若殿は、どうか一刻も早う堅田へお退きを、さぁ、義朝様に追いつかれなさりませ。家重、早う、若様の馬を引け」
「おう」家重と呼ばれた別の武者が返答するや、瑞雲のほうに駆けていく。家重の胴丸についている草摺は襤褸の如く乱れ、方々がちぎれている。古くからの家伝の鎧なのだろうか、家のものが、戰場でよき働きをと手入れをした鎧なのだろうか?。短袴は尻のところが大きく破れ、この真冬にふんどしと尻が見えている。尻にはケツ毛がはえている。この家重を待っておるものは東国に居るのだろうか、そう思ったら最後だった。
「みなのもの、馬は居るのか?」
みなもの、と言っても、たったの4人だ。義平が尋ねた。
「はっ、一応、志内景澄から渡し受けた馬などに乗りて、ここまで退きたる次第、あちらの林に纏め、留め置いておりまするが、それが如何いたされました」
長身の武者が答える。士気はいまだ高い。
「みな、我が父や、政清の叔父上から、殿軍を申し付けられて居るのであろう」
義平はずかっと訊いた。
返答が全然ない。4人とも視線を落とす。
「我等一党、かくなる、様になりたるわ、単に我が父の差配の故ぞ。この義平、父上に変わりて、詫びを申す。どうか、この愚かなる父義平を許せ」
「若様、なにを申されまする。我等これでも坂東武者の端くれ、御大将の殿軍を勤めたるや、武家の誉と心得申す、身命を賭してここにてとこしえに御大将の退き口をお守り申す所存」
「おう!」
「いざ」
「そうよ、我等、殿軍を申し渡されて怯え泣き叫ぶような臆病者では御座らぬわ」
もう真冬の夜中近い中、四人の息が急に上がってきた。
「御大将の殿軍など、武家の誉でもなんでもないわ、この阿呆が」
今度は、義平が怒鳴った。
「みな、その変な意気は買うが、どうせ、領地に領民、土地や家督を持たぬ厄介者の次男や三男坊であろう。家のためここに残れとか、父や兄を逃がすため引き受けろとか、言われたとこの義平見受ける、相違ないか?」
四人共押し黙っている。実際のところ大当たりなのだ。そして誰も死にたくない。
「この悪源太も、源の氏を名乗り義の一字を貰いながら、長男ながら嫡男に成れぬ、姓のの大厄介者ぞ、この悪源太もここに居残り、阿呆の御大将父義朝の殿軍を務めんや、いざいかんや!」
四人共、義平の勢いに気圧されて何も言えない。
「いざ、いかんやーっ!」
義平は、大声を上げている。
「家の厄介者のくそ意地、この意気を御覧じ回せ、頼政公から、清盛公まで、それにこの近隣の京の外れに住みし者ども、いざ、いかんやーっ!」
義平は、大声を辞めない。
「いざー」
とうとう、四人共大声を上げだした。
「おう!」
「いざっ、」
「我等の死に様を見ろ、この本朝全ての長男共ーっ」
「いざー」
義平の周りの八瀬の段々畑に囲まれた村の家々にとうとう明かりがつき出してしまった。「うおー」
「うおー」
坂東武者五人は、叫び続けた。
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