一本御所内

 1159年 12月 27日 昼 内裏と一本御書所内


 これは、体の良い人払いであることは、明白であった。義朝は義平が陣の中心で東国とか退くとか、叫べば、それだけ武者や兵に里心が着き士気がが下がると踏んだのであろう。

 当然であるが、義平は内裏の中に入ったことがない。

 戦装束の馬上靴のまま、建礼門をくぐりづかづかと入っていく。

 一人か、二人は逃げ遅れた、女房や公家衆がいるかと思いきや誰もいない。

 大体、信頼のぶよりが内裏に逃げ込んだ様に見えただけで、内裏に居るとは限らない。そう思うとバカバカしくなる。

 一番、奥が北側にあたり後宮となり 南側に帝が政務を司る紫宸殿。どこで、父義朝は信頼と朝最後の会談を行ったのだろう。案外中は明るいが、何分天候が悪く、暗い。

 もうここにはみかどがおらず、本朝ほんちょうの中心ではないのだ。帝がいる六波羅ろくはらこそ内裏だいりと呼ぶべきなのだ。

 義平は、石切の大刀も抜かず、どんどん歩いて行く。 

 わかるのは、右側西側が、帝が実際に生活をする清涼殿であるということ。まさかこんなところには、いないなとか、思いながら、御簾を上げたり、くぐったりしながら、基本、奥の北側へ向かっていく。藤原家の摂関政治のころから、ここの中心を目指し幾度の政争が行われてきたのだ。そこへこの乱の真っ只中とはいえ、一番縁遠い遊び女の息子が一人入っていくのである。これど皮肉なこともない。やたら書物が積み上げてある内御書所。書物好きの頼朝が飛び上がって喜びそうである。しかし、なんということはない、棚があり書物が積んであるだけである。本朝のどの程度の歴史が記されているのであろうと一人思ってみたりもする。

「ぎあああぁぁぁ」

 悲鳴とも嘆きとも取れぬ声が聞こえ、驚いたのは義平の方である。聞き覚えがある、信頼の声である。

 義平が声のした方へ早足で向かうと、、。


 藤原信頼は居た。なんと二条天皇と後白河上皇を幽閉していたとされる一本御書所に。内裏を出た真東にあたる館である。

 一本御書所とは一冊しかない書物を保管または、写本した場所であることから名付けられた場所である。義平が覗くと、不思議なことに内御書所ほどは書物がない。二条天皇らが幽閉されて片付けられたのか、

「誰じゃ」恐怖に上ずりかすれた声が一本御書所内に響く。

「源義平にございまする」

「い、戦はどうなった?」

 声だけがする。が義平がよくみると書物を重ねた棚の奥の奥に信頼のぶよりが居た。

 もうわけがわからなくなっているのか、先ほど着かねていた大鎧の上に公家正装である束帯に頭には垂纓冠をかぶり片手には笏、もう片手には、抜き身の大刀をもっている。恐怖のためか大刀の重さに手が耐えきれぬのか大刀がえらく震えている。足元には櫃がどうやって運び込んだのか信じられないほど積み上げられてある、一人で持つのは不可能であろう。

「ま、負けたのか?」

「まぁ、正直なところ負けつつあるというところでしょう。父義朝はかなりちがう意見を持っておるようですが」

「よ、義朝、あやつはみどもをを今朝、脅しに脅しよった。貴様は確か、貴様は確か義朝が嫡男。よよ、義平」

「長男ではありまするが嫡男ではありませぬ、お間違えなきよう、この義平が嫡男の頼朝に誅されまする」

「それ以上、寄るな、これでもみどもは右衛門督うえもんのかみであるぞ、控えぬか」

「寄るなと申されるならばこの義平、寄りませぬ」

「み、みどもを、ま、まろを殺しに参ったのか?」

 義平は返事に窮した。そして黙っていた。書物を積んだ棚と棚から見えるのは怯えきった一人の太った男である。玄宗皇帝を弄んだ安禄山あんろくざんの面影すらない。

「答えぬか!!この右衛門督が尋ねておるのじゃぞ」

「お互い、風前の灯、言い争っても益はないでしょう」

「益がない?、どういう意味じゃ」

「文字言葉どおりの意味でございまする。父義朝は己が意地を貫かぬがため死地に赴くつもりのようですから」

「それは、今朝も言うておった」意見の一致をみて信頼は少し落ち着いたようである。

 信頼が疲れたのか座り込んでしまった。

 義平も続きあぐらをかいた。

「義朝は、二条に対する監視がどうのと責めてみどもを叫び倒しておったが、あやつは勘違いしておる」

 義平は黙っていた。

「そこもとも、このわしが二条や後白河を閉じ込め幽閉しておったと思っておるのか」

「そのようなこと、この義平、全く存じているわけがございませぬ」

「まろは、これでも権中納言にして、中宮大夫、右衛門督であるぞ、中納言といえば、従三位。帝まで上にはあと5人ぞ。そしてなにより帝の朝臣であるぞ」

 信頼の声は自身に満ち、自分を取り戻したようである。

「ましてや、後白河上皇本人のちょうを得、昇進したようなもの、それを幽閉など出来るか!!何もわからぬ、あの義朝が一方的に怒鳴りつけよって、あげくに清盛まで帝をさらいよってあやつこそ、悪辣な賊ではないか、なのになぜこのわしが賊として討たれなければならぬのじゃ」

 義平は、自分も同じだと口を挟もうと思ったが、事態が悪化しそうなのでやめた。

「二条と後白河も争っておってな、二条の周りで公教や経宗、惟方が動いておることはみどもとて知っておったは、しかし、帝をさらうとは、どちらが賊なのじゃ、そこもとに尋ねたい。しっかと源義平」

「負けたほうが賊なのでしょう、それこそ史文に幾度と記されておりまする」

 信頼は驚いたような顔をした。

「勝ち負けがあるのか?」

「はい、微妙ですが何事にもあると思いまするが」

「おぬしは、ほんに変わっておるなぁえ」

「よう言われまする」

「みどもは、わしは、、ただ、信西に勝ちたかっただけなのじゃ、、ただそれだけじゃ、信西に、、、。それがこんなことになってしまい」信西が相当優れた人物で政治家であったことは、今のの信頼の言に頼らなくとも想像に難くない。

 義平もわかっていたが、結局は単純な信頼と信西の私闘だったのだ。

「私闘ならば、お一人で決着をおつけなされ、人の力を頼ったとて、それは勝ちとは申せませぬ」

「なに!?」

「どんな甘言で父義朝を誘われたのか存じませぬが、この争いを見極められず、組みし与力した父義朝も甘いの一言に尽きまする。現在も当然の帰結に向かって進んでおるだけと存じまする」

 義平は、信頼に迷惑千万と言いたかったが意図的に言わなかった。信頼ほどの人間であれば、わかっておるであろう。

「御公家が御武家を頼ったとあってはしばらくは血で血を争う時代が続きましょう。兵を持たぬ帝や御公家の力では如何ともしがたいと思いまする」

「清盛が差配すると申すか」

「さあ、どの御武家かは、までは存じませぬ。ただ、最初から間違えられたわけではありませぬ。私闘なら私闘でけっこう。ただ信西殿を討たれた後に敵対すると思われる公家衆をほんの少しか多少京から離しておけば、もう少し長持ちいや右衛門督殿が存命の間はお持ちしたでしょう。勝った心地よさにすこし調子にお乗りなっただけのこと。武家の平家に関しては除目の折この義平が申したとおりにさえしておれば、いまごろ大手を振ってこの内裏を歩いておられたでしょう」

 ズケズケ言う義平に信頼もあっけにとられている。逆に義平に尋ねてしまった。

「いまからでもよい、みどもはどうすればよい?」信頼はとうとう殺しに来た男に今後の身の振り方を尋ねてしまった。

「困りましたな、。これほど著名なれば、容易に身も隠せぬでしょう、知行地に帰られては如何でしょう?。ただこの真冬の季節、知行地の陸奥の国への忍び旅は旅そのものが白刃の上を歩むようなもの。あまりおすすめいたしませぬが」

 信頼は黙っている。

「先ほどの右衛門督殿の言が誠であるならば、二条天皇はさておき、仁和寺にいると伝え聞く後白河上皇を頼られては如何か、ただ、右衛門督殿の言にあった幽閉でなかったということが前提ですが」

 信頼の顔が若干曇った。義平も幽閉していなかったという言葉をすべて信じているわけではないのでことを匂わせた。

「では、この義平は、これにて」

「ま、待て、その方、義朝に言われて、このわしを殺しに参ったのではないのか」

「いかにも」

 信頼は腰を抜かしたようになった。

「もう右衛門督殿は政治的には死んでおられまする、刃を振るうまでもありませぬ」

 義平は踵を返すとすたすたと歩き、一本御書所内を出ていった。

  頼朝用に一冊、見繕ってやればよかったと義平は思った。

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