快苦/快楽
「この世の終わりだ」
「終わらないから安心しろ」
◆
青い髪に同色の目。痛みに震え、害意に怯える現人間のサー・メンテナンサは、恐怖によって血の気の引いた白い顔でステッキを握っている。事の発端は、プレーブの発した気紛れな一言だった。同族殺しを示唆したプレーブは狼狽えるサーへ一本のステッキを渡した。人ならざる金の目と同色の髪に非人間的な表情。プレーブがあつらえた先の曲がった古風なステッキには、柄の部分に刃が仕込まれている。
「何をそんなに怖がることがある? 慣れればこんなに使い勝手の良いものはない」
プレーブは刃を抜き、くるくる回すと元のようにおさめた。
「毒は塗っていない。扱いに慣れたら塗るといいだろう。呼吸器に作用する神経毒が良い」
「神経毒……」
「基本的には抜かずに使え。棒状のものは持っているだけで幾らかの暴力的アドバンテージになる。知っているだろう?」
「…………」
怯えたように手の中のものを見るメンテナンサへ、プレーブはにいっと笑いかけた。
「転ばぬ先の杖というやつだ。うまく使えば盾にもなる」
「……そう、そうなの……?」
◆
「前にも言った通り、この家には精神体除けの結界が張られているが、いつ人間に化けて入って来ないともわからない。現時点で対抗手段をひとつも持たないお前に良いことを教えてやろう」
「な、なに……?」
指を繰り、プレーブはサーを呼び寄せた。寄ってきたサーの手を掴み、自分の胸に手の平を押し当てる。
「わかるか、ここに心臓が入っている。ここを刺せば高確率で人は死ぬ。この家には人間の体を持つものしか入れない。困ったら体重を乗せて刺せ。いいな?」
生身の手の平にはどくりどくりと脈打つ鼓動が確かな熱と共に伝わってくる。サーは冷や汗をかいた。
「や、やめろ……放してくれ……」
「その前に返事をしろ。わかったのか?」
引きはがそうとした手は強く握られ、逃れられない。どくどくと耳に届く鼓動は段々と早くなっていく。サーは声を荒げた。
「わかった! 心臓だろ!? わかったから放してくれ!」
「ああ、覚えておいてくれ。いつか必ず役に立つ」
プレーブは手を離した。サーは神経質に手の平をさすった。
「必ず……?」
「ああ、きっとな」
◆
「……プレーブ、それはなにをしているんだ?」
夜中。がしゃがしゃと鳴る音を聞きとがめたメンテナンサが部屋を覗くと、木のボウルに盛られた白い木片を掻き混ぜて、プレーブは細いペンライト片手に額縁を見ていた。
「サーか。これは人間の娯楽だ。ミルクパズルという。真白だろう? もともと一枚の絵をばらばらにして元のように組み直す遊びがあるんだが、それを白い図柄でやるのが面白いという話だ」
サーは半分ほど組まれた白いボードに目をやった。じゃらじゃらとプレーブがボウルを掻き混ぜる音が響く。プレーブは一枚取り出し、ためつすがめつ端にはめた。
「……面白い?」
「どうだろうな。俺にはよくわからないが、そのうちわかる時が来るのかもしれないな? まあ、なんだって良いだろう? こんなものに意味はない」
プレーブはすげなく言った。
「そ、そう?」
「そうだ。今日は寝ろ、もう夜明けだろう」
胸にペンライトを挿して立ち上がったプレーブは、メンテナンサの背中に手を回し寝室へと連れて行った。誰もいなくなった部屋、テーブルの上では、白いパズルがぼうっと光っていた。
◆
「……美味かったか?」
「ああ」
食事を終え、皿を下げたプレーブは手元の瓶からグラスに透明の液を注いだ。ふわりと花の香りが立ち上る。プレーブはじっと黙っているサーへ問いかけた。
「今日は機嫌が良さそうだな。ここへ来たばかりの頃は毎日死にそうな顔をしていたが……慣れてきたのか?」
「……ん……いいや、今日も退屈で死にそうだ」
サーは顔を歪めた。グラスに口を付けたプレーブは瞬きをして、持っていたグラスを降ろすと白いハンカチで口を拭った。
「そうだな、カードでもやるか? いや……パズルの方がいいか?」
「パズル……パズルか……」
呟き、サーは机に頬杖をついた。ぱちぱちと目を瞬かせたプレーブはひとつの結論に思い至る。
「…………ああ! お前はナイフ投げが好きだったな? 折角だからこの間覚えた手品を見せてやろう。食後の余興だ」
すっと口の端を釣り上げて、プレーブは目を開いたまま、にい、と笑顔を形作った。
「見ていろ」
プレーブは自分の胸に手をあてて背を反らすと息をゆっくり吐き、体に力を込めると、心臓のあたりからずるりと一本のダガーナイフを引き出してみせた。きらめく刃はぬるりと滑るように抜き出され、刃先はちらちらと冷たい光を反射する。プレーブは、軽薄な笑みを浮かべると最後まで取り出したナイフを無造作に机の上へと転がした。刃の薄いナイフは、机の天板にあたって、からん、と軽い音を立てる。サーはぱちぱちと手を叩いた。
「すごい、どうやったんだ?」
「んん? どうやったんだろうな? お前も練習すればできるようになるかもしれないぞ?」
目を細め、プレーブは上機嫌で言った。ナイフの刃先をつまむと、くるくると手の中で回し、柄を逆手に持ち替えるとそのままサーの胸に突き立てた。濃い色の血が胸からどろりと流れる。プレーブはうわべだけの笑みを浮かべた。
「……ところで、お前、誰だ?」
問われた男は顔を歪め、にやりと笑った。
「おや? 気づかれたか?」
◆
「メンテナンサをどこにやった? って聞いてもだめか」
プレーブは腕を取って脈を測り、すでに手首がなんの音も返してこないと知ると手を離した。床の上、落ちた腕は飛沫をあげ、いまだ湯気を立てている血液の池を少し広げた。眉をしかめ、プレーブは部屋を後にした。
「家の外には出てないだろうし、地道に探すか…… あの様子だと殺されてはいないはずだが……」
覚えている限り、偽物は最後までへらへらと笑っていた。メンテナンサのふりをしていたようだがお世辞にも似ているとは言い難く、その挙動はどう考えても不自然だ。直接手を下したとは考えにくい。
クロゼット、階段、ベッドの中、プレーブは順番に捜して回ったが、そのどこにもメンテナンサはいなかった。窓枠に吊るされているかとも考えたが、窓に開けた跡はなかった。
「どこだ……?」
台所にもいない。手洗い、洗面所。バスルームの前まで来て、プレーブは不審な水音を聞いた。扉を開ける。水音はバスルームの中からしているようだった。見回すと、床が濡れ、蛇口から水が出しっぱなしになっていた。ざあざあと流れる水は半分だけ蓋の掛けられた湯桶へと繋がっている。
「……っ」
靴を脱ぎ捨て、湯桶に飛びつく。蓋を撥ね、蛇口を閉めたプレーブが中を覗くと、そこには白い布で手足を縛られて全身を冷たく濡らした下着姿のメンテナンサが転がされていた。ひとつ、プレーブの想像と違ったことは、メンテナンサにまだ息があることだった。猿轡をかまされたメンテナンサは、目に涙をため、血の気の失せた顔でガチガチと震えている。
プレーブはメンテナンサを抱き起すと、猿轡と手足の拘束を荒っぽく外した。縛られたところは痕になり、青白い肌はまるで氷のように冷えていた。プレーブは冷えた肌へとぬるい湯をかけてやった。
◆
ぴちゃぴちゃとぬるい湯で温められ、強張っていた指がようやく動くようになる。口がきけなくなってしまったかのようにじっと押し黙っていたメンテナンサは、もたつく指でプレーブのシャツの裾を手繰った。潜めるようだった吐息が嘆願となって口から漏れ出る。
「……もういい、やめてくれ……怖いんだ……ここにはいたくない……」
サーの腕がゆるゆると腰に回され、プレーブは何も言わず蛇口を閉めた。
「立てるか?」
「ま、待ってくれ、足が動かない……」
プレーブはサーの濡れた服に目をやった。白い丸首のシャツは肌に貼りつき、白い肌を透かしている。
「…………とりあえずいま着ているものを全部脱げ。冷えると厄介だ」
プレーブはサーが服を脱ぐ間に大判のタオルを持ってきた。ふっくらした白のタオルで濡れた体を拭うと、プレーブは着ていたカーディガンを着せ掛けて、前のボタンを閉じさせた。
◆
「ひっ」
部屋に足を踏み入れたメンテナンサは掠れた悲鳴を上げた。食卓の上には血しぶきが飛び、床では血みどろの失血死体が転がっている。プレーブは苦い顔で首を振った。
「……悪い、片付けるのを忘れていた。寒いだろう。部屋で待ってろ。すぐに終わらせ……」
言いかけたプレーブの背が掴まれ、サーの頭が押し付けられた。
「……サー?」
「い、嫌だ……ひ、一人にしないでくれ……」
おずおずと伸ばされた手はシャツの裾をきゅっと掴む。プレーブは困ったような顔をした。
「どうしろっていうんだ? このまま死体と晩餐会というわけにもいかないだろう? ……片付けを手伝ってくれって言っても、お前は嫌がるだろう、サー」
「そう、そうだ……死体なんて、見るのも嫌だ……でも、近くにいてくれ……おれを、一人にしないでくれ」
プレーブは呆れたようにため息をついた。
「……目を瞑ったままそこの椅子に座ってろ。目を瞑るのが嫌だったら目を逸らしていればいい。俺はここで部屋を片付ける。それでいいか?」
「それでいい。近くにいてくれるなら、それでいい」
◆
「サー、目を閉じるのは好きにしろと言ったが、足は閉じて座れ。膝を合わせろ」
「え……あ、す、すまない……」
◆
「終わった。もう開けていいぞ」
顔をあげたサーは、揺れる青い眼でじっとプレーブを見た。
「……サー? どうした?」
「いや、なんでもない……きみは、きみだ。そう、そうだよね?」
プレーブは眉をしかめ、サーの瞳を覗き込んだ。
「……大丈夫か?」
一時間後、プレーブはサーのベッドの中にいた。シャツの胸元を掴んだサーが離さなかったためだ。サーはぽつりぽつりと話し始めた。
「……水音で目が覚めたんだ。手足が動かなくて……体の感覚もじきに消えた。気が付いたら、喉元まで水が迫っていた……」
時限装置だ。絶望を与え、じわじわとなぶり殺しにする。プレーブは明確な悪意に顔をしかめ、ふと湯桶に水が張っていなかったことの理由に思い至った。
「ああ、栓を抜いたのか……」
「そう、そうだ……」
メンテナンサはプレーブにしがみついた。くしゃくしゃのシャツのひだの隙間へ頬を押し付け、メンテナンサは恐ろしいことを口にするように言った。
「……寒かった。 プレーブ。もうだめかと思ったんだ、プレーブ」
プレーブは何も言わず額を撫で、青い髪を梳いてやった。
◆
メンテナンサが目を覚ますと、くしゃくしゃのシャツを着たプレーブが体を起こしたところだった。髪の金色にそれより幾分か温かな陽光が当たり、混ざり合ってきらきらと反射する。
「目が覚めたか? サー」
「お、はよう、プレーブ……」
「良い夢は見られたか? 見られたにしろ見られなかったにしろ、そろそろ放してくれると助かる」
「ごっ、ごめん……」
シャツをくしゃくしゃにしているのが自分の手だと気が付き、メンテナンサは手を離した。しかし、一度プレーブを解放した手は、ベッドから降りたプレーブを追った。
「や、待って……ど、どこいくの……」
「……着替えるだけだ。別にどこへも行きはしない」
立ち上がったプレーブは寝乱れて跳ねた髪をがしがしと撫でつけ、呆れたように言った。サイドボードに置いてあったクロスタイを拾い、メンテナンサの格好を一瞥して嘆息する。
「お前も起きて服を着ろ。いつまでもその恰好でいるわけにもいかないだろう?」
「うん……うん? あっ、ああ」
指摘され、メンテナンサはカーディガン一枚しか着ていない自分の格好を思い出した。
「わかったら着替えろ……んん? 替えの服がないな? ああ、そうか、しまったな……」
プレーブは、メンテナンサの下着と、自分の服を上下ふた揃い出した。
「悪いがちょっと今替えの服がない。替わりが来るまではこれを着てくれ。俺の服だが、おおむね問題ないだろう」
「あ、ありがとう……」
メンテナンサは広げたシャツに袖を通した。
「ちょっと、小さい、ような……?」
「寝ぼけているのか……? カーディガンを脱いで、下着を着ろ。サー・メンテナンサ」
◆
「あれ、これは……? 前は無かった……よね……?」
廊下に見慣れない白い絵を見つけたサーは、プレーブの裾を控えめに引いた。プレーブは振り返り、指差された絵を見ると、ああ、と言った。
「見てろ」
胸元を探り、プレーブはすっとダガーナイフを出す。メンテナンサはぎょっとして身を引いた。プレーブは不思議そうにナイフの柄を指で押した。
「プ、プレーブ? なに……どうしたの……?」
「うん? ……ああ、悪い、これじゃない。ペンライト、ペンライトを取り出したつもりだったんだ。……どこに入れたんだ? ……あとでいいか?」
ナイフを持ったまま、プレーブはごそごそと服のポケットを探った。薄い諸刃がちらちらと冷たく光を反射する。
「と、とりあえずそれ、しまってもらっていいかな……」
「おっと失敬。重ね重ねすまないな」
プレーブは今気が付いたというように言い、胸元に刃を収めた。手の中で冷たい光を放っていたダガーナイフはまた元のように胸元に消えた。
◆
「サー、サー? 機嫌はどうだ?」
「え、どう、どうだろ……」
「ああ、考え込まなくてもいい。ちょっと聞いただけだ」
◆◆◆
「サー、いるか? ペンライトが見つかったんだ。ちょっと来てくれないか」
プレーブは細いライトをくるくると回し、サーを呼びつけた。
「あ、ああ。それで、あの、白い絵は結局なんだったんだ……?」
「そうだな……」
人目をはばかるように周りを見回して壁から額縁を降ろすと、プレーブは表面を覆っていたガラスをゆっくりと外した。
「見ろ」
ペンライトのスイッチを入れると、ぱち、と青い光が灯る。光に照らされたパズルの表面には、妖しく光るインクで細かな点がびっしりと書き込まれていた。メンテナンサは驚きにより、目を見開いた。
「また暗号だ。この家の持ち主はよほど物好きと見える」
◆
ライトを消し、プレーブはガラスをはめ直した。額縁を持ち上げ、壁にがたがたと元のように掛けなおす。
「暗号は詳しいか? サー……ああ、いや、言わなくていい。聞かなくても知っている。俺はお前だ」
「それで……何が書いてあるんだ?」
「ん、んん……そうだな……知らないほうが良いかもな? どうだろうな?」
「えっ……」
サーがぞっとした顔でパズルに目を向ける。プレーブは表情を変えず、肩を揺らして笑う真似をした。
「ははは、冗談だ。まだ解読が終わってないんだ、内容については聞いてくれるな」
「……脅かさないでくれ」
メンテナンサが恐々と首を振ると、目を細めたプレーブはもう一度、肩を揺すった。
目を開けたプレーブは振り返り、不可視の記号を冷めきった視線でなぞった。冷ややかな笑みを湛え、それきりプレーブの口は閉ざされる。額縁のガラスの下では、行儀よく収まった白いパズルのピースたちが口を閉ざしたプレーブをじっと見ていた。
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