現代日本の魔法使い

風間義介

第1話 捨てた技術を受け継ぐ者たち

二十一世紀を迎え、科学万能を謳うようになった現代。

人間は、長い時間を経て手に入れたその知性と好奇心で、それまで「神の御業」といわれてきた数々の自然現象を解き明かし、神が引き起こすその御業を、被創造物とされる人間自らの手で引き起こす技術を手に入れた。

だが、そんな中で科学は決して解明できない存在もまた、この世界に息づいていた。

太古、人間はその存在を「神獣」「精霊」あるいは「妖怪」「悪魔」と称し、敬い、あるいは恐れ、崇拝の対象となした。

人と彼らは、昼と夜で生活領域生きる場所を分けて、共存していた。

だが、人が「科学」という果実を手に入れた瞬間から、その共存関係は終わりを告げた。

人が住む領域ではない場所に、人は手を伸ばし、その領域に入りこんだ。

かくして、人と人ならざるものの共存は終わりを告げ、いつしか人は、種の頂点と見られるようになった。

いや、そう思いこんだ。

真の種の頂点、それは、自分たちが好奇心という果実で作りあげたもので追いやった共存者であるということも知らず。


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近隣住民から「領巾山ひれやま」と呼ばれている、人の手があまり入っていない、ほぼ自然のままの山。

その山中に、一人の男がいた。

男の目の前には、こじんまりとした古びた祠が置かれていた。

――おぉ、これが……

目的のものを見つけた。

まるで、長年探し求めていたものをようやく探り当てたかのように、男は目を輝かせながらその祠に手を伸ばし、観音開きの扉を開いた。

扉の奥には、金色に輝く菩薩像が安置されていた。

だが、不自然な点が一つだけある。

この菩薩像が納められている祠の古さから考えれば、それなりの劣化が始まっているはずだ。

だというのに、この菩薩像はまるで姿かのような輝きを放っていた。

その原因が何なのか、男は知る由もない。だが、そんなことは、男にとってどうでもいいことだった。

彼の目的は、この山の昔語りとして語り継がれている伝承を解き明かすこと。

その最大の手がかりとなるものが、今、男の目の前にある菩薩像なのだ。

男は、まるで何かの憑りつかれたかのような目で、菩薩像に手を伸ばした。

菩薩像を手にした男は、持ち運んでいた風呂敷を取り出し、菩薩像を丁寧に包んだ。

本来ならば、この菩薩像を持ちだすのならば、祠を管理している寺社仏閣に許可を得なければならない。

だが、この仏像はその管理から漏れ出たもの。

持ちだされたからといって、誰が困るわけでもない。もし仮に、良心の呵責に耐えられなくなったのならば、またこうして人知れずに返せばいい。

そんな考えで、男はその場をそそくさと立ち去っていった。

その背後で、祠から禍々しい気配が陽炎のように立ち上っていることに気づくことなく。

その時を境に、山のふもとにある町に変化が起きた。

最初こそ、何人かにしか聞こえない物音や黒い影が見えるというだけだった。

だが、その影響は徐々に大きくなっていった。

時にそれは怪談や噂話として、人々の間に広まっていった。

だが、人々は知らない。

その噂話や怪談が本当のことであり、その話に登場する怪異は、すぐそこに迫ってきていることを。

そして、その怪異を静めるために活動を始めた人々がいることを。


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日本国内某所にある領巾市ひれし

山と川に囲まれ、古来、神域として寺社仏閣が多く存在したこの地域にも、人の手は入っていた。

そのため、百を超えたといわれた寺社仏閣も、今では東西南北に一つずつ残るのみという状況になっていた。

生き残った四つのうちの一つ、東側の神社。東稲荷大社ひがしいなりたいしゃの参道を、一人の少年が掃き清めていた。

少年、と呼ぶにはいささか年を取っているような印象を受けるが、かといって、青年と呼ぶには、いささか幼い印象を受ける。

そんな、青年期に差し掛かっている少年――土御門春明つちみかどはるあきがまとっている衣装は、浅葱色の袴に白い着物。

それだけを見れば、この神社の神官、あるいは神社の関係者であることは一目瞭然だ。

しかし、その瞳には一切の感情が込められていない。

まるで神社の神域に溶け込むようにして、ただただ静かに箒を動かしていた。

だが、ふと、自分の首筋に何かが冷たく突き刺さるような感覚を覚え、その方向へ視線を向けた。

「誰だ?」

春明のその声に答えるように、一匹の猫が茂みの奥から姿を現した。

ただの猫ではない。

春明の直感がそう告げていた。

「お頼み申す……この神域の守護を任された術者とお見受けいたす」

猫は何かに怯えているのか、かすかに震えながら春明にそう呼びかけた。

「お前……あやかしものか」

「いかにも、某、このあたりを縄張りとしているムラマタと申す小者でございます」

「自分で自分を小者呼ばわりか。むなしくならないか?」

「事実でございますゆえ」

春明からの問いかけに、あっけらかんとした態度でムラマタと名乗った妖怪猫は返した。

どうやら、自分が小者であることを認めており、かつ、大物になる気はないらしい。

変わった妖ものもいたものだ、と春明はため息をつき、問いかけを続けた。

「それで?俺に頼みというのは??」

「はい。近頃、妖ものの活動が活発になったことは、ご存知でしょうか?」

「確かに、最近になって増えたな。そういった類のものとしか思えない怪談や噂話……クラスの連中も話していたっけな」

春明はムラマタの話を聞いて、ぽつりとつぶやいた。

ここ最近、それこそ、二、三ヶ月の間にそういった類の噂話が増え始めたのだ。

もともと、妖ものが絡んでいると思われる怪談は存在していた。

だが、それはあくまで昔話として残されるだけのものであって、若い人間の間に広がるようなものではなかった。

それが、ここ最近になって若者の間に広がってきたのだ。

「その理由が、ここ最近になって表れるようになった妖ものの仕業なのでございます」

「……お前ら小者の悪戯じゃないのか?」

「某らの悪戯なぞ、怪談にも噂話にもなりはしません」

「そうなのか?」

「はい。せいぜい気に入った人間につきまとって転ばせたり、持ち物をちょっと移動させて困惑させたりする程度です」

前者はともかく、後者は一つの場所でやり続けたら怪談の域に達するのではなかろうか、と春明は思ったりしなくもなかったのだが、あえて突っ込まずにいた。

なぜか、面倒な押し問答になる予感がする気がしてならないのだ。

「それで?そいつらの噂か何かは流れてきてないのか?」

「はい。誠に遺憾ながら、我らも彼らの噂を聞かぬのです」

「……人間に被害が出てから動くか」

ムラマタからの話を聞いて、ひとまず、今は動きようがないことを悟った春明は、そうつぶやき、社務所の方へ向かっていった。

その後ろを、ムラマタはとてとてとついてきていた。むろん、春明はそれに気づいていたが、振り向くことなく問いかけた。

「着いてきてどうするんだよ?」

「某もこちらが行先なれば」

「……ふ~ん?」

怪訝な目を向けながら、春明は社務所へと向かっていった。


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春明とムラマタの奇妙な遭遇から数日。

その日、春明は教師からの頼み事を片付けていたために、帰宅が少しばかり遅くなってしまった。

ふと、春明は奇妙な気配を感じ取り、空を見上げた。空は茜色に染まっていた。

――夕刻……逢魔が時か

逢魔が時。

古来、人は夜を魔物の時間と考えていた。

そのため、昼から夜へと移る夕刻は魔物と遭遇しやすい時間として恐れてきた。

魔に逢う時、ゆえに、逢魔が時と。

科学文明が発達し、魔術や呪術の類が過去の遺物あるいは幻想ファンタジーとして扱われる現代いまでも、それは変わらなかった。

ゆえに、春明は家路を急ぎ始めた。

ひとえに、準備が整っていない不十分な状態での妖ものとの遭遇を避けるためなのだが、そうも言っていられなかったようだ。

突然、春明の耳に、鋭い悲鳴が聞こえてきた。

同時に、背筋に氷のような冷たいものを感じた。

「……まさか」

春明の脳裏に、それらを統合した一つの仮説が浮かびあがった。

現代社会でも、ごくごく稀に起こるある現象が。

ともかく、新たな犠牲者が出る前に、春明は悲鳴が聞こえた場所へと急ぎ向かっていった。

「適当に走って、場所がお分かりになるんで?!」

「あぁ、大丈夫だ!なにしろ、この時間帯であれば……」

走りながら、どこに向かうべきかわかっているのか、そう問いかけてきたムラマタに、息を乱さないまま並走している春明は答え、突如、立ち止まった。

春明とムラマタは、じっと同じ方向へ目を向けた。

その視線の先にあるのは、何の変哲もない公園の入り口なのだが、春明とムラマタは立ち止まったままだった。

見鬼けんき、いわゆる”視える”体質の人間であれば、公園の入り口が歪んでいることがわかる。

まるで入り口のほんの一部分だけ、瓶の底を覗き込んだようになっているのだ。

それは、この世ならざるものが住まう世界、霊界への入り口だ。

霊界には自分がいる場所と同じような景色が広がっているのだが、ありとあらゆるものが違う。

その際たるものが、霊界で活動を活発にするものの存在。

それが、妖ものの中でもとくに凶暴な性質をもつ妖もの――妖魔だ。

時に彼らは人を襲い、その血肉を自らの血肉とする。そして、襲われた人が関わった人間の記憶を喰らい尽くし、その人が確かに”いた”という

世界的な人口爆発を迎えた今の世界からすれば、それら人間に危害を加える妖の存在は世界の均衡バランスを保つ上で、重要な役割を担っていると言えなくはない。

だが、彼らが喰らうのは肉体だけではない。その肉体に内包されている精神――魂も喰らってしまうのだ。

普通、生命がその生涯を終え、現世の器として得た肉体が滅んだとき、内包されていた魂は現世から冥界へ移動し、そこで今生の行いからそれに見合った場所へ順次、送られていき、ある一定の時をそこで過ごし、また新たな生命として、現世に向かっていく。

これを繰り返すことで、この世界は冥界の魂と現世の肉体の総数が均等になるようバランスを保ち続けてきた。

だが、もし魂と肉体の均衡が崩れれば、最終的に行きつく先は、世界の消滅だ。

それを阻止するために、魔術師や呪術師と呼ばれる、人類が遠い過去に捨て去った技術を連綿と受け継ぐ技術者たちは、おのずから一つの組織を作りあげた。

それが春明も所属している、『協会』と呼ばれるものだった。

「……で、お前もついてくるつもりなのか?」

「えぇ。こう見えて某、『協会』からの訓練を受けた特別な妖ものなれば」

ムラマタはそう言うと、その姿が一瞬で変化した。

身長こそ変わらないものの、二本足で立ち、紋付きの羽織を肩にひっかけた立ち姿。そして、その肩には日本刀が担がれていた。

どうやら、変化する能力を身につけているらしい。

ならば大丈夫か、と春明は再び異界への入り口に視線を向けた。

「行くぞ、ムラマタ!」

「もとより!!」

春明の言葉に応えると同時に、二人は公園の入り口に身を投げた。


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科学万能が謳われる現代。その世界の中でも虚構とされた技術”魔法”は生き延び、伝承され続けた。

それら、歴史の影に埋もれた技術を受け継ぎ、生態系の真の頂点たる存在「妖魔」に抗う者たちはこう呼ばれた。

「魔法使い」、と。

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