私と取引しない?

 扉を開けたのはプリムだった。肩で息をしているところからすれば、ここまで走ってきたのだろう。


「って、そうじゃなかった」


 自分がえらい面倒くさい場面に割り込んできたのをプリムは感じ取ると、慌てて目的の人物に視線を向ける。


「ミールさんが言っていたのは本当だったのね」


 警戒しながら、プリムは冷たい笑顔を浮かべているスピリアを見つめる。


「あの人から何を聞いたの?」


 スピリアは何事もなかったかのような顔で問い掛ける。自分のほうがリーフに近い位置にいることを優位に感じていた。


「……計画を練ったのはお姉ちゃんだろうって」


 こうして対峙してみても、まだ信じたくないという気持ちを隠さずに呟きで答える。


「あの人もおしゃべりねぇ」


 耳の後ろに長い髪を掻き上げながらスピリアは答える。その台詞はプリムの台詞を肯定していた。


「そんな……」


(そんな言葉を聞きたくはなかったのに……)


 プリムは胸の奥が疼くのを感じた。とても痛い。


「どうだった? 彼を人形にした感想は」


 軽い口調でスピリアが問う。冷たい蔑むような目がプリムにはつらい。


「リーフ君は人形じゃないわ!」


「もう立派な人形じゃない。あなた、彼を修理できるんでしょ?」


「!」


 その台詞に、プリムはスピリアが今までの旅での様子を知っているのだと確信した。そして薄ら寒いものを感じた。


(……お姉ちゃん?)


「――ねえ、プリム、私と取引をしない?」


「取引ですって?」


 訝しげな顔でプリムは問いを問いで返す。


「彼の所有権を譲ってよ。指輪が外れないみたいだけど、わたしが契約エンゲージを上書きすればその指輪は消えて、わたしのところに来ると思うの。悪い相談じゃないでしょ?」


「!」


 プリムはすぐに答えることができない。


 リーフが人間に戻ることができなかった場合、どうするのが二人にとって最良なのか。プリムをウィルドラドまで連れて来てくれたミールは様々な手掛かりを示してくれた。その選択肢の中にはスピリアが望む結末が幾つか存在することもプリムに教えていた。そして、スピリアが出すであろう取引についても。


「――そうねぇ、所有権を譲るだけじゃ足りないって言うなら、わたしが持っているものなら何でもあげるわ。言って御覧なさい」


「あの……俺は景品ではないんだが」


 姉妹の間でなにやら嫌な取引がされそうだと感じたリーフは慌てて割り込む。


「だからさっきも言ったじゃない! リーフ君は人形じゃないって!」


「ならばこれでどう?」


 スピリアは懐に隠し持っていた護身用の短刀を取り出すと、リーフが反応しきれないうちにその脇腹を深々と刺した。


「く!」


 深く突き刺された短刀から伝う血液は全くない。痛みもただの想像であり、すぐにその感覚が消え失せる。リーフはそんな身体に恐怖していた。


「どう? 血の一滴も流れやしないじゃない。これのどこが人間だと言うの?」


 涼しげな顔でさらりとスピリアは言ってのける。


「な、なんてことを!」


 青ざめて、すぐにプリムはリーフに駆け寄ろうとするが、スピリアに阻まれる。


「どいてよ! お姉ちゃん!」


「リーフを修理するの? でも、彼は人形じゃないんでしょ?」


(すぐにでも回復させたいけど……でもそれでは……)


 スピリアの問いに、プリムは即断できない。回復させなければ人間に戻ったときに危険な状態になる。しかしここで回復させたらスピリアの思う壺だ。


(さぁ、どうする……?)


 頬を汗が伝う。この決断が関係を大きく変えてしまう。


「プリム……もう無理をするな」


「リーフ君!」


「俺のために苦しむ必要はないだろう? お前が体力的に限界なのはよくわかっているつもりだ」


 淡々と、とても落ち着いた声でリーフは告げる。


「でも!」


「この事態を引き起こした責任は俺にもあるんだ。スピリアばかり責められるもんじゃない」


 苦笑してプリムを見つめる目に元気はない。


「でもお姉ちゃんはあなたを人形に――」


「俺が人形である間、お前はずっと俺は俺だと認めてくれた。絶対に拘束しなかった。それが嬉しかった。俺が求めている傀儡師の姿だったから。もう、それだけで充分だ」


「ばかっ! 何言ってんのよ! あなたを人形にしないってあたしは誓ったわ! だからあなたを必ず人間に戻して見せる!」


「そう威勢よく言うけど、どうやってやるつもり?」


 プリムとリーフのやり取りを見ながらスピリアはせせら笑う。


「そ、それは……」


 スピリアの指摘に、プリムは口ごもる。しかしなんの策もなくここに乗り込んだわけではなかった。


(ミールさんが言っていたことを信用するしかないか)


 ミールの意見には納得できるところが多かった。『魔導人形理論』に書かれていたことにも一致しているので信憑性は高い。しかしそのためには……。


「みぃ」


 無意識に震えていた右手に反応して、ディルがプリムの顔色を窺うように見上げる。


(――そう。今、やらなければいけない)


「やっぱり方法なんてないんじゃない。気持ちだけじゃどうにもならないわよ」


「そうね……」


 心に決めて、プリムはしっかりスピリアを見つめた。


「で、リーフを譲る気になった?」


 強い意志の感じられるプリムの目は気に入らなかったが、思ったより素直にうなずく様子を見て満足げにスピリアは問う。


「それが最良な気がしてきたわ」


 プリムがあっさりと首を縦に振るので、リーフは不安になる。


(何か策でもあるのか?)


「リーフ君をお姉ちゃんに預けて、あたしは彼を人間に戻すための方法を探しに行くわ」


「まだ諦めないっていうの? なかなかしつこいのね」


 呆れたといわんばかりにスピリアは馬鹿にするが、プリムはそんなのお構いなしに続ける。


「あたしはこの旅で、自分でもちゃんと何かできるんだってことを知ったわ。あたしはお姉ちゃんの力を借りずに、必ず彼を救ってみせる!」


「馬鹿な子。あんたに何ができるって言うのよ? 彼が人形になってから大分経つけど、結局何一つ解決できなかったじゃない」


「もっと努力すれば何とかなるかもしれないでしょ?」


「努力、ね……ふふふ。まぁいいわ。これでリーフはわたしのもの」


 プリムはリーフの治療をできなかったことを悔やんだが、傷が致命傷でないことを祈り見守ることにする。


(絶対に失敗は許されない。機会はほぼ一度だけ。お姉ちゃんが隙を見せるとすればこの瞬間だけだろうし)


 短刀が脇腹に刺さったままのリーフの首にスピリアは腕を回す。


 リーフはそれに対し不機嫌そうな顔をしてスピリアの顔を見たあと、プリムに視線を向ける。プリムはリーフの視線に対し、まっすぐ見つめ返した。


(プリム、お前を信じていいんだな?)


(大丈夫よ、リーフ君。必ず助けて見せるから)


 嬉しそうに微笑むスピリアはようやく呪文を紡ぎだした。


「均衡の名において これより汝と我との間に生命の契約を交わす 我が力を持って この中に宿らんことを!」


 契約エンゲージの上書き。


 通常一体の魔導人形を複数の人間が使用することはできない。指輪の受け渡しにより契約を委譲することはできるが、今回の場合は指輪を外すことができないため、より高度な契約を上書きすることにより強制的にその契約を他者に移動させるという方法を使う。


 つまり、この契約エンゲージが成功した時点で、リーフはスピリアを主人とする魔導人形となることを示していた。


 白い光がリーフの足元で魔法陣を生み出す。プリムが使用しているよりもずっと複雑な魔法陣がそこに展開していた。


(さすがにお姉ちゃんの魔法陣は威力が違うな……って、感心している場合じゃない!)


 左手の薬指に熱が発生したことに気付いて、プリムは指を眺める。


(この指輪が消えてからが勝負だわ!)


 指輪が完全に消失したことを確認すると、プリムはすぐに精神集中に入る。


(絶対に成功させて見せるんだから!)


 ディルとプリムを繋ぐ糸が白く発光する。それを合図にディルが飛び出し、リーフの周りにその糸で二重の輪を作る。


 スピリアはプリムが何かを始めたことに気付いていなかった。自分の右手に生成された指輪を見て、気持ちが舞い上がっていたのだ。


 プリムはさらに精神を整えて束ねる。


 一から作られる魔法の像。


 効力、容量、標的の決定、対価……。


 通常の契約の解除を上回るだけの力を持つ魔法陣の構築が行われていく。


 ――もはや傀儡師魔術ではない。その大元となった陣魔術からの引用だ。


(あたしが必ず救って見せる!)


「肉体より放たれし 清き生命の源よ 世界の均衡に基づいて あるべき姿 あるべき形に戻りたまえ!」


 呪文はいつもと同じ。だが、その言葉一つ一つに力が込められる。


「な!」


 プリムが術を発動させたことに気付き、スピリアは慌てて対抗できる魔法陣を発動させようとしたが間に合わなかった。


 丁寧に発せられた言葉はそのまま魔法陣に反映される。展開された白い魔法陣は幾重にもなり、さらに大きな魔法陣を描く。


(お願い! お姉ちゃんの力なんかに負けないでっ!)


 今までにない巨大な魔法陣が部屋いっぱいに組みあがると一気にその効果をあらわす。


 光が、屋敷ごと貫いた。

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