こんな気持ちを、彼は
すっかり外は陽が落ちていて肌寒い。プリムは昨晩泊まった宿の階段を上る。
(どうしよう……あれからずっと連絡できなかったし、きっと怒っているわよね……)
プリムはずっと協会から宿までの道を不安な気持ちで歩いてきた。なんていいわけをしようとか、どうしたら怒らせなくて済むかとか、そんなことを考えながらとぼとぼと帰ってきたのである。魔導人形協会で仕入れてきた情報はかなり有益なものだが、扉を開けるなり怒られるんじゃないかという不安な気持ちのほうがずっと強かった。
廊下を暗い気持ちのまま歩く。昨夜と同じ部屋の前で立ち止まり大きく深呼吸をする。
(よし)
覚悟を決めて、おそるおそる扉を開ける。
「ただいま……」
扉を後ろ手に閉めて、リーフの様子を窺う。部屋はすでにカーテンが閉められ、角灯の明かりが照らしている。以前に泊まったどの宿よりも掃除が行き届いていて、調度品もそろっているあたり首都といった感じだが、値段もまた首都価格で高い。これでもこの町では安いほうに入るのだという。リーフは二台ある寝心地の良いベッドの片方に寝そべり、開きっぱなしの本を顔に乗せていた。
「…………」
プリムは返事がないことをとても不安に思いながら自分のベッドに移動し、荷物をベッドの横に置く。
「ごめんね。遅くなって」
プリムはなんて声を掛けたらよいのかわからない。リーフが怒っているのはこの部屋の空気からわかる。プリムは、何も言わず全く動かないリーフのそばに行く。
「怒ってる……?」
びくびくしながら様子を窺う。リーフは右手でそっと本を下げてプリムを見る。その目は無表情だ。
「連絡もしないで放置しちゃったのは本当に悪かったって思ってるの。だから許して」
頭を下げて素直に謝る。これが一番だとプリムは思った。リーフの目がプリムには怖かった。
「……ばかやろう」
呟くように言うと、リーフはプリムの手を掴んで引き寄せる。
「っ!」
そのままぎゅっとプリムを抱きしめる。
「心配したんだぞ。こんな時間まで独りでうろうろするなよ」
きつく抱きしめると、プリムの頭をなでる。怒っているようにも聞こえるがそれでいて優しい響きのある声。
「あ、うん……ごめん」
リーフのその行動はプリムにとって予想外のことで戸惑いを隠せない。心臓がどきどきといっている。
「嫌な予感がするとか、絶対に宿に帰ってろとか、心配かけさせるようなことばかり言いやがって」
「うん……反省してます」
言われて、申し訳なくなったプリムは呟くように答える。
「捜しに行こうかどうしようかすごく悩んだんだぞ。責任取れ」
ぼそぼそとした呟くような台詞。
「う、うん……ごめんね」
リーフの腰に手を回して抱きしめる。リーフの胸に耳を当てているが、聞こえてくる音はない。それが無性に悲しくなる。
「許して」
(……あぁ、こんな気持ちを彼は)
プリムがそうしていると、リーフはプリムを放す。どうやら照れているらしい。
「わかった。もういい」
言われて離れる。自分のベッドに戻ろうとしたところで、プリムはリーフに背を向けたまま立ち止まる。
「――こんなに心配しているなんて思わなかったよ。それに……寂しい思いをさせちゃったね。この状況で気持ちを共有できるのって、あたししかいないのに」
呟くような細い声は明らかに震えている。
「プリム?」
リーフは上体を起こして寝台に座る。プリムの様子に変化があったのに気づいて不安に思ったのだ。
「あなたが本を読むのに熱心な理由、今わかったような気がする」
プリムはリーフに背を向けたまま手の甲で目を擦る。
(孤独を忘れたかっただけなんだ。研究熱心ってわけじゃなかったんだ……)
ずっと誤解していたことを詫びる気持ちと、リーフの抱えている孤独や寂しさを感じてしまうと涙が止まらない。なんて自分は自分のことしか見えていなかったのだろうと責めたくなる。なんでわかろうとしなかったのだろうと、自分を責めてしまう。
涙が、止まらない。
「……泣いているのか?」
ベッドから出るとプリムの後ろに立つ。
「泣いてなんかないもん」
振り向かずに涙をしきりにぬぐう。
「なら、泣いておけ」
強引に振り向かせると、顔を見ずにプリムの顔を自身の胸にやさしく押し付ける。
「ん……」
リーフの胸を借りて、プリムは声を押し殺すように泣く。
(ごめんね、リーフ君……あたしは強くなりたいよ……強くて優しい人になりたいよ……)
その夜は、涙が枯れるまでずっとそのままの状態で泣いていた。
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