第19話「帝国の台所事情Ⅸ」


 ヴァドカの非正規戦用の部隊らしきものを見掛けて2日。


 速足で馬車を進めた先にその平地国家の首都はあった。


 幾つかの邦を併合したおかげで領土はヴァドカ程ではないが、それなりに広いという事らしい国の名はアルジーナ。


 アテオラの話によれば、山間から流れ込む水源を複数持っており、河川を通して山岳から切り出した樹木を運び、安い建材で急激に市街地を広げているのがアルジーナらしかった。


 近場には石や砂、砂利、宝石、鉱物も出る山々。


 一級河川を傍にして発展する国家は正しく日進月歩との話。


 平地の中では戦力を傭兵に依存気味だが、正規兵が山岳で強い為、一度山で守りに入られたら、余程の戦力差が無ければ、撃破は不可能。


 広がり続ける街を護らないという戦法を取る事で時には攻め込んだ邦の軍隊を街の一部毎燃やした事もあるという。


 戦術と巧緻に長けた戦上手。


 それがアルジーナという国家であるようだ。


「見えて来ました」


 地図は最初から正確なものを貰っていたが、それにしても帝国の地方都市程度の規模がある市街地が見えて来る。


 一級河川から穀物類の田畑をかなり挟んで存在する市街は防壁を持たず。


 しかし、用水路が田畑に網目状に張り巡らされているおかげで近年は飢饉知らずという。


「これがアルジーナか」


 何処か古き好き田舎を思わせる風情だった。


 まだ青い小麦の穂が風に揺れている様子は国が富んでいる事を思わせる。


 石作りの家は少なく。


 木製の二階建てや一階建てがズラリと立ち並ぶ様子は何処か日本家屋を見ているような錯覚があった。


 無論、その様式は日本とも違うようだ。


 帝国式の建築物の多くは欧州や特にギリシャ、つまりはローマ的な石を用いる建築が多いので解り易かったが、少し高床気味に造られた家々はまず家の玄関まで階段のあるログハウス風と言ったところだろう。


「その、僕目立つんじゃ……」


「立派でいいじゃないか。ウチの竜騎士殿はそのままでいてくれ」


 いつも荷台で楽をさせていたゼンドを馬車の横で並走させていた。


 市街地が近付いて来るとさすがに騎馬隊らしき部隊が次々に市街地の詰め所から飛んで来る。


 恐らくは監視網がしっかりしているのだろう。


 早馬、狼煙、何を使っていたとしても、期待が持てる対応速度だ。


『そこのぉー!! 何処の貴人であらせられるかぁー!!』


 止まった馬車からゾムニスがまず降りて、小道具である紅い絨毯を内部からメイド2人が道端に広げる。


 そこから静々脚を運んで騎馬隊の隊長らしき相手の前に出た。


「初めまして。わたくしは帝国の方から参りました。フィティシラと申します」


 こちらの対応にすぐ隊長である男も馬を降りた。


 筋骨隆々であるが、軍人器質なのか。


 パリッとしたシャツと青い軍服に身を包む口ひげの40代だった。


 微妙に頭部が剥げていなければ、美丈夫としては完璧だろう。


「帝国の方でしたか。これは失礼を……北部に貴族の方が来るのは極めて異例である故、こちらでは対応し切れず。オイ。お前達も馬を降りないか」


 その言葉に動揺するでもなく。


 冷静に馬を降りた騎馬隊が一礼して後ろに下がった。


「このようなところで馬車を止めさせた事。お詫び致します。されど、さすがに帝国貴族と言えど、他国に竜を持ち込むのは……どうか御寛恕願いたい」


「解りました。フォーエ」


「は、フィティシラ様」


 ゼンドが頭を下げてフォーエを降ろした。


「何処かにこの子を置いて置けるところは無いでしょうか? それが叶うならその傍の宿で構わないのですが……」


「は、えぇ、オイ!! 誰か!! 街の外に近い宿と水場と餌場がある場所を知っているか!!」


 すぐにそう隊員達に聞き始め、その耳に囁く者が一名。


「うむ。解った。今から、その宿を貸し切れ。他は追い出しても構わん。迷惑料として金は出してやれ。ウチの方で持つ」


 すぐに敬礼した騎馬が一名、街の方へと駆けていく。


「見つかりました。少し此処から遠いのですが、今の条件で本当によろしいですか? さすがに帝国貴族の方を留められる程の施設は作られたばかりの街の外縁では用意出来ず申し訳ないのですが……」


「いえ、十分です。ご案内の程、よろしくお願い致します」


 再び頭を下げると思わず相手が恐縮した様子となった。


 そのまま騎馬隊に先導されて緩やかに馬車が走り出す。


 勿論、ゼンドは後ろの台車へと逆戻りだ。


 その瞳はまたかと呆れているようでもあった。


「なぁなぁ」


「何だ?」


「そのぶりっこって疲れないか?」


「今更、それ言うのかお前」


「ふぃーはアレだな。ジョユーだな」


 デュガの言葉にノイテが呆れた視線をこちらに向ける。


「確かに……あの演技力なら帝国は大陸全てを併合出来そうですね」


「どうやって出来そうだって?」


「勿論、慎ましやかな聖女の如き笑みを浮かべる可憐な帝国令嬢は蛇毒も真っ青な国をも亡ぼす毒酒だった。という類の歌劇になれば、大陸全ての酒場を席捲出来るでしょう」


「生憎とまだ吟遊詩人連中の口に昇るような逸話は無いから無理だな」


 そう肩を竦めるしかない。


「「………(・ω・)」」


 何かメイドの視線が絶妙に生温かった。


(水を上手く使ってる場所、か……)


 大きな河川傍にある国という事で水運が盛んらしい。


 よく見ると遠方の川縁には大量の木材が荷揚げされており、平たい船に山積みの材木が水夫達の手で馬車に積まれている。


 それから十数分。


 馬車に揺られて市街地の外縁にある一角。


 要はまだ未整備の開拓予定地が隣接する一角にやってきた。


 大規模河川から引き込んだ水が用水路で流れ込み。


 また別の取水口から取り入れているのだろう水の流れは都市のあちこちに水路という形で張り巡らされているようだ。


 淀みなく流れる小川はあちこちに同じような川が掘られており、その周囲には石が敷き詰められており、明らかに治水技術は高そうに見えた。


「こちらです」


 隊長に案内された宿はまだ出来たばかりの様子で木材が真新しい事を除けば、それなりに良さげな風情だった。


 ログハウス風の二階建て。


 部屋は9部屋と結構な数がある。


 床が軋む音がしない店内はいきなりの来客という事もあってか。


 慌てて掃除したような小奇麗さ。


 埃こそ積もっていなかったが、開け放たれた木戸の窓枠が少し濡れていたり、開け放たれた陽射しの入る一角からは真新しい生けられた華の匂いが漂ってくる。


「よ、ようこそおいで下さいました」


 馬車を置いた場所は宿から少しなだらかな坂を降りた一角。


 周囲には馬小屋も複数あった。


 だが、殆ど匂いがしないのは掃除や消毒が行き届いているからだろう。


 消石灰らしき白い粉がこれでもかと豪快に巻かれていた。


「6人でしばしの逗留をお願いしたいのですが、如何程でしょうか?」


「い、いえいえいえ!? て、帝国貴族の方に泊って頂けるだけでわたくし共としては本当にもうありがたい限りで……」


 恐縮しっ放しのカウンターの20代の女性が引き攣った顔で固辞する。


「いえ、そうもいきません。帝国貴族がそのような待遇を受けると知れれば、大いに人々の批判を買う事になるでしょう。それでは逆に帝国の顔が立たないというもの……此処はどうかわたくし達の顔を立てると思って代金をお受け取り下さい。大体の相場で一月分程となりますが、よろしくお願い致します」


 ゾムニスが銀貨袋をカウンターの上に置く。


 予め用意していたものだ。


「帝国製の純銀硬貨です。混ぜ物をしていないので多少痛み易いのですが、近辺なら1枚で銀貨4枚と交換出来るかと……」


 女性がプルプル震えながら恐る恐る袋の中身を確認して、ゴクリと唾を呑み込んだ後、何度も頭を下げつつ、二階の部屋へと案内してくれる。


 朝昼晩の食事を付けるというのも此処を拠点にして外に出る場合もあるという事で、その時は食事を包む事で合意。


『………』


 これを後ろで見ていた隊長が何か怖い顔をしていたと後でひっそりデュガが教えてくれたが、何の事もない。


 帝国貴族とやらがどういう相手なのかを見定めようとしていたか。


 あるいは厄介な隣人がやってきたと真顔になっていただけだろう。


 用心するに越した事は無いが、それはいつでも同じ。


 こうしてアルジーナに拠点を構え一息吐く事が出来たのだった。


 *


 ヴァドカの隣国であるアルジーナ。


 今現在の状況を知っているのかいないのか。


 それを確かめる為に宿を取った脚で現地の乗合馬車を用いて案外に広い街の中心部まで移動し、歩く事になった。


 フォーエとノイテが荷物番。


 ゾムニスとアテオラとデュガが共に来ている。


(交易は盛んそうだな。軍備は持ってるが、都市を広げる方に金を掛けてる感じか? 急拡大してる街ってのは嘘じゃないようだが、何だこの違和感?)


 思わず首を傾げた。


 一目で賑わう良い街である事は解った。


 だが、何かこう歯にものが挟まったような違和感が拭えない。


 人に関しては何も問題が無いように見えるのだが、街全体を見渡すと何かがオカシイのだ。


 とにかく情報収集しつつの歩き。


 あまり目立ち過ぎないようにとフード付きの外套を被って市場見物と洒落込む。


「おぉ!? 懐かしいなぁ!!?」


 デュガがナッツ類らしいものが売っている場所で目を輝かせた。


「どうした? 故郷の食べ物でもあったのか?」


「そうそう。これこれ。よく行軍中に食べたんだ」


 さっそくお小遣いで買って来た褐色で色味が黒いナッツをデュガがガリガリやり始めた。


「南部原産か?」


「ノイテは南部中央で取れるって言ってたぞ。今は戦争も落ち着いたし、帝都よりも安い気がするなぁ♪」


 ボリボリ、ガリガリ。


 口に頬張ったナッツを噛砕きつつ、デュガが相好を崩す。


(……帝都より安い? んん? そんなわけ……)


 思わず周囲の市場の量り売りする食物の値段を見る。


 帝国領内の此処数か月の相場は把握している食べ物で国外産の保存食。


 という縛りで確認して驚いた。


 すぐに横のアテオラに視線を向ける。


「此処の河川は海まで伸びてるか? アテオラ」


「は、はい。一応伸びてはいます。でも、ここらへんは曲がりくねった個所が多くて、大型の帆船は通れない場所もあるので、船の積み荷はかなり載せ替えられて運ばれていて……」


(陸路よりは極めて安い海路経由。だが、載せ替えの手間や陸路間の業者を使った場合、中間で更に運賃が上乗せのはず。となると、不当に安いか。もしくは……)


 まだこれだけでは何とも言えず。


 そのまま市場を流しながら色々な物の値段を調べていく。


 知っている品目の値段の中で一部に関して通常では考えられないような値段で売られているものが何種類か発見出来た。


 この大陸の帝国近辺で最も穀物や食物の消費が多いのは帝国だ。


 その帝都に集まる相場の値段と比べても安い。


 というのは地理的な条件以外だと極めて考え難い。


 未だ馬車と船が物流の相場を決める重要なファクターである以上、距離の制約を無視したとしか思えない値段で売られる食物は極めて不自然だった。


 幾つかの食糧の出所をゾムニスなどに商人から聞き出させると一つの国からの荷が安い事が明らかとなる。


「ユラウシャ、か。他の沿岸国よりも安く大量に卸売り……これはこれは幾つか考えてみたが、どれもロクでもなさそうだな」


「どういう事だい?」


 中央市場の端にある屋台前のテーブル。


 麺類を啜るゾムニスが訊ねて来る。


「ユラウシャをヴァドカが責めるかもしれない状況。ユラウシャがいきなり商売上手。ついでにユラウシャ経由で誰かがオレを狙った。この状況から導き出されるのは帝国の地政学上の危機って事だ」


「チセーガクジョーの危機って何だ?」


 デュガが骨付き肉を齧りながら聞いて来る。


 どうやら、ナッツで小腹を満たしたら、今度は肉が食いたくなったらしい。


「お前、ホントに自分の部隊持ってたのか?」


「し、しつれーだなぁ!? 大体、副官や参謀に任せてたけど、持ってたぞ!!」


 胸を張る得意げな象徴系カリスマであった。


 溜息を吐かざるを得ない。


「何処の組織か、あるいは国かは知らないが、ユラウシャが何処かと組んで軍拡に走ってる可能性がある」


「軍拡?」


 ゾムニスが思ってもいなかった様子で呟く。


「そうだ。それも大規模にだ」


「その思う理由は?」


「大量に安く安価な南部産の食糧。普通はこの価格で出回らない。だが、合理的に考えれば、それが可能だから出回る。じゃあ、どうして出回る?」


「それは儲けたいから、じゃないかな?」


「そうだろうな。損害を出してまで食料を卸売りする意味は無い。じゃあ、南部から今まで届いていた以上の量が安価で出されるとしたら、その理由は?」


「船を大量に作った、辺りか?」


「そういう事だ。そういう事なんだ」


「船を……ッ」


 ようやくゾムニスが気付いたようだった。


「いいか? どんな船だろうと今の海運国家のスタンダードは漁船じゃなきゃ大半は軍艦と商船が兼用だ」


 つまり、商船は軍艦として運用可能な海運を担う国家基盤物流インフラの一つだ。


「大抵の大型帆船は国家規模で造るにしても資源が足りない。それこそ此処は北部諸国だ。商用だけに使う船を海運国家が作るのは不合理なんだよ」


「つまり、今回のヴァドカの侵攻準備と思われる出来事はユラウシャが問題だった可能性があると?」


「ヴァドカが軍事的に最初から急拡大を志向していたという事実が無い限りはそういう事になる。あるいは偶然にもどちらもそういう時期だったとも考えられるが、どっちにしても問題しかない……」


「それが君を襲撃するのとどう関係ある?」


「ユラウシャの背後にいる誰かがオレを狙う理由。それはオレが敵になるかもしれないと思わなければ発生しない事態だよな?」


「理屈の上で言えば」


「じゃあ、今帝国貴族に北部へ入られちゃ困るユラウシャは何をしてると思う?」


「―――何か帝国に隠したい事実がある?」


「オレの事を知った上で誰かが狙ってたって事なら、話は別だ。だが、この推測が正しい場合、オレよりも帝国を北部に入れたくない理由の方が最もらしく聞こえると思わないか?」


「成程。つまり、君はこう言いたいわけか。ユラウシャは黒で帝国の敵になった為、帝国貴族の介入で軍部増強の露見を畏れ、暗殺に動いた可能性が高い、と」


「ヴァドカが侵攻する前にユラウシャに向かう必要がある。此処を旅の拠点にして退路も確保しなきゃならない。やる事は山積みだな」


「どうする?」


「これ以上は宿で話そうか。どうやら、また面倒事が来たらしい」


 ゾムニスが周囲に視線をやって、正規兵らしい騎馬隊と少し違う制服の兵士らしい男達がやってくるを見付ける。


 その様子は明らかに緊張しているようだった。


「逃げるか?」


「逃げる意味が無い。ご同行しよう。手を出すなよ? デュガ」


「はーい。あ、これも美味しい♪」


 いつの間にか屋台の料理を大量に平らげていたデュガは満足気だった。


 アテオラはこちらの話を聞いて血の気を引かせてフシュゥと知恵熱寸前で困った事になったとプルプルしている。


 そして、兵士達に同行を求められた脚でアルジーナの国王がいるという街の中央にある祭殿へと向かう事になるのだった。


 *


「初めまして。フィティシラ様。このアルジーナの国王代理を仰せ付かっております。国王の長女メイヤ・アルジーナ・リシリトと申します」


 祭殿。


 神を祀る場らしい帝国式の列柱が立つ建造物の奥。


 20代の黒髪で褐色の女性が待っていた。


 高貴な身分というのはすぐに解る。


 薄い羽衣のような布地を幾絵にも巻いたドレスは祭祀に用いるもののようで幾つもの装飾が金銀の細工と共に施されている。


 細長の瞳に二重瞼。


 右手が不自由なのか。


 そちら側にだけ侍従らしき男。


 例の騎馬隊の隊長が軍服姿で控えていた。


 その指が微かに震えている。


「こちらこそ。お顔を拝見出来て光栄です。メイヤ姫殿下」


 そう頭を下げるとすぐに祭壇の上から彼女が降りて来る。


「はしたない話なのですが、もうお噂はお伺いしております。山の国の民に銅鉱山をお与えになったとか。北部に住まう者として多くの民が生きて行ける糧を得た事は大変喜ばしく思っております」


「いえ、あの地の人々の忍耐と生き抜こうとする努力の賜物でありましょう」


 こうしてジャブを撃ち終えて初戦は終了。


 祭殿に用意されていたテーブルへと促されて座ると次々に小皿で果実などが侍女達に持ち込まれた。


「我が国特産の果物です。お話の途中に喉が渇いたら是非ご賞味下さい」


「ありがたく。それで今回の会見の目的はどのようなものなのでしょうか?」


 その言葉に王女がこちらを何か見つめた末。


 ふぅと息を吐いた。


 普通なら失礼な話だが、どうやらあちらも困っていたらしい。


「失礼はご承知で申し上げます。フィティシラ・アルローゼン姫殿下。どうか、北部諸国を思うのならば、このままお帰り願えないでしょうか?」


 まぁ、当然のようにこちらの名前を知っているのは想定内だ。


「理由をお聞かせ頂けませんか?」


「……何処まで知って、この地に来たのかは存じませんが、今我が国。いえ、北部諸国は騒乱の一歩手前……直に戦乱が幕を開けるでしょう」


「その争乱の首謀者はお解りですか?」


「……ユラウシャを調べたところによれば、彼の国が大陸南部の何処かの国から船を大量に買い付けたとの話。そして、何処からか傭兵や奴隷が到着しているようだとも……」


「戦争準備をしていると?」


「はい。ヴァドカは我が国と国境を接するではありますが、今回に限って言えば、ヴァドカが新たに軍を再編し、北上しようと言う状況に我が国は不可侵条約を結ぶ事となりました」


「秘密協定ですね?」


「はい。ですが、もしも此処に帝国貴族の方が死んだというような状況になれば、この地に帝国の介入を招く事になる」


「つまり、帝国領になる事は避けたいと?」


「ええ、北部諸国の戦力を動員しても帝国が軍団を派遣すれば、一年と立たずに北部諸国の大半は沈黙し、従属を誓う事になるでしょう。それは構わないのです。今も間接的には帝国の武器の供給によって戦乱が制約されているのですから」


「なら、何を畏れているのですか?」


「……北部諸国はこの神殿と同じ。複数の地域において神々を祀っております」


「バルバロス、ですか?」


「はい。その最上位種にして主神たる超常の神獣を、です。帝国は……己の信じる神ブラジマハター以外を廃滅する性質を帯びていると聞きます。ですが、それは同時にこの地が地獄になる事を意味している」


「実在するのですか? 実在したとして、それらの存在が帝国と戦端を開くと?」


「南部の国々では神獣を軍事に転用しているとお聞きします。ですが、北部にいる神々はそういう人の手に余る巨大な力を持っている」


「帝国では勝てないと?」


「勝てるでしょうが、大規模な被害を受ける事は免れない。その影響で北部諸国の国々は崩壊してしまうと断言出来る。で、ある以上」


「火種は帝国に帰れという事なのですね?」


「……実に端的に申し上げれば、そのような言葉になります」


 僅かに背筋を震わせたメイヤ姫がこちらを見つめる。


 帝国に意見してまともに生き永らえた国は多くないと知ればこそだろう。


「お帰り、願えませんか?」


 その表情はもしも無理だと言うならば、無理やりにでも送り返してやるという気概に満ちており、暗いものだった。


 ゾムニスにしてもデュガにしても何故か『あ~あ~やっちまったなぁ。お姫様』みたいな顔をしている。


 そして、アテオラはあまりの急転直下ぶりにもう半ば意識が飛んでいるようだ。


「ふむ……メイヤ姫殿下。わたくしがこの地に来たのには幾らかの理由があるのです」


「理由、ですか?」


「はい。簡単に言えば、この地に眠る利益が欲しいのです」


「利益……」


 俗物がという視線が厳しくなる。


「ですが、それは宝石だとか。鉱物だとか。食料だとか。そういうものだけではなく。出来れば、人々が生きる中で生まれた価値が欲しい」


「それは一体……どういう事でしょうか?」


「今まで北部は物を売って生計を立てていましたよね?」


「え、ええ……」


「ですが、我々は事、事象、何かを誰かにして差し上げる事で発生する価値。それを利益として受け取りたいと考えているのです」


 何か不思議な事を言い出したぞこのアマ的な視線が騎馬隊の隊長から向けられる。


「よろしいですか? わたくしはこの北部諸国を統一し、我が帝国の後背地として守護者となるべき国を創るべく。この地に参ったのです」


「ッッ」


 その言葉に思わずメイヤ姫が一瞬、驚愕で立ち上がり、すぐにストンと力を失った様子で椅子に尻餅を付いた。


 彼女の後ろからは体調が落ち着けと僅かにその肩を掴んでいる。


「これは我が帝国。御爺様は知らない事です。また、帝国軍自体も関係なく。フィティシラ・アルローゼン個人が考える理想像。ですが、ご安心下さい。帝国領ではなく。あくまで同盟国として再編しようと考えております」


「一体、何を……そのような事が現実に出来るわけが―――」


 相手の言葉を切るように続ける。


「メイヤ姫殿下。ヴァドカ、ユラウシャ、確かにこの地方では大きな影響力を持っているのでしょう」


 果実を一つ齧る。


「そして、盤上の駒としては北部の中でならば、最強に近いというのは間違いないのでしょう」


 果実を二つ齧る。


「ですが、ユラウシャが何者かに唆された。そして、ヴァドカはそれに反応して戦乱の開始を告げようとしている」


 果実を三つ齧る。


「これらの絵を描いた人物がいる。そして、それで利益を得る者がいる。それは帝国がやって来た事と何も変わらない。しかし」


「し、しかし?」


「一つだけその誰かが間違えたとすれば、他人の庭に首を突っ込む度胸が足りなかった、という事です」


「度胸? それに庭……」


 メイヤ姫の顔が青くなっていく。


「姫殿下……陰謀というものにおいて、その何者かは間違った選択をしてしまったのです。帝国はそれを見逃しておく程に甘くは無い」


 ゴクリと相手が唾を呑み込む。


「同時にまた帝国も変わらねばならない。新たな時代、新たな世代、時代の転換点において、人々が遍く安らかに過ごす選択を間違わぬ為に……」


「フィティシラ・アルローゼン姫殿下っ……貴女は、貴女は一体、何をしようと此処まで来たのですか!?」


 それは悲鳴にも似ている。


「言った通りの事をしに……ただ、付け加えるなら、少しわたくしの利益の為にこの地の人々を救って差し上げるという極々一般的な独善を行いに来たのです」


 ニコリとしておく。


「それで人々が共に餓えず争わず健やかに過ごせる日々を得られるのならば、悪魔に魂を売っても良いとは思いませんか?」


「た、魂?!」


「特に戦乱を止めたい為政者層ならば、今はご自分の価値の売り時ですよ。勿論、最初の1人に名を連ねる方には特典もお付けします」


「特典……っ」


 相手がゴクリした。


「はい。北部諸国の事を考えられる人材が欲しかったのです。心の底から地獄に落ちても民を救おうとする若き人が……」


 不穏な言葉に彼女の背後の隊長の視線が厳しくなる。


「貴女がもしも民や自らの親しい人の為にこの貴女の力ではどうしようもない流れを変えようとするのならば……」


 そっと最後に齧った果実を一つ相手に渡す。


「共にその陰謀を砕く悪巧みをしてみませんか? 勿論、お代は結構です。貴女という方が我々に協力して下さるのならば、それ以上の利益は今のところありませんから……」


「――――――」


「ごほん。メイヤ姫殿下。お気を確かに……」


 そこで後ろから騎馬隊の隊長がさすがに見ていられなくなって、後ろから呆然とする彼女の肩に手を掛ける。


「今日はこの辺でお暇させて頂きましょう。ただ一つ付け加えておくならば、時間は左程無いでしょう」


「………」


「そして、戦端が開かれてからでは色々と手遅れになる事も多い。ご決断はお早目に……明日にはユラウシャへ向かう為の準備と手段を用意し、二日後には出立する予定ですので。では、これにて失礼させて頂きます」


 席を立つ。


「大変有意義な時間でした」


 相手がこちらを引き留める事は無かった。


 そして、やっぱりゾムニスとデュガの視線が何か生温く。


 完全に気絶したアテオラはデュガに抱えられ、祭殿を後にする事なったのである。


―――数分後、祭殿にて。


『イーゴリ。わ、私、どうすれば……』


『あれほどの怪物……【何も無かった事】にするのは恐らく不可能でしょう』


『……う、うん』


『さすが帝国最高位たる公爵の孫娘。アレは我々の手には負えぬかと』


『……ぅん』


『ですが、あちらはこちらの不自然さを敢て指摘しなかった』


『それって……』


『あのような怪物です。見抜かれていたのかもしれません』


『こんな時にお父様がいないなんて、どうすれば……』


『惨いようですが、ご自分でお決めになる以外ありません』


『イーゴリ。本当にそれでいいのでしょうか……』


『王とは元来、そのような孤独を耐える者。御父上もまた貴女様のお考えならば、今回の一件においての決断は任せた手前、口を挟みますまい』


『私の、決断で、この国が、民が……ッッ』


『まだ、子細を聞いてはいないとはいえ、帝国側が送り込んで来た相手です。個人的に行っているとは言っていましたが、草の情報では師団規模の護衛を付けて出向く予定であったらしいとの噂もあり……』


『帝国の庭を荒す陰謀を叩き潰す為に送り込まれた、と?』


『勿論、帝国とて一枚岩ではありますまい。ですが、あの方の身分に関してはほぼ間違いない』


『彼の悪虐大公の血縁……ああ、いつもよりも震えが……』


『夜はご自愛ください。彼の公爵は極めて孫娘を可愛がっているとの話は事実のようですし、実際に上手くいっていない西部の元敵国領を領地経営の指南用にポンと権利毎渡したとか』


『あ、あの年の子供に!? い、いえ、あのような物言いをするならば、帝国貴族としては合格なのかもしれませんが……』


『どうするにしてもお時間はあまり無いかと』


『………っ、此処で帝国に貸しを作る事。帝国もまた戦乱を望まないというのが本当であれば、我が国はそれを後ろ盾にして戦を治める主導的な立場になる事が出来るかもしれません。ですが、それは……』


『どう転ぶにしろ。もうユラウシャもヴァドカも動き出している。王が時間を稼いではくれるでしょうが、根本的な手立てとはなり得ない。である以上、決断が必要かと存じます』


『……解りました。明日までには……それまでの監視は任せます』


『は……今夜は眠れぬかと思いますが、よくよくお考え頂いて、じっくりとお決め下さい』


『はい。必ず……』


―――数分後、市場にて。


「あー疲れた~~」


「なぁなぁ」


「何だ?」


「ぶりっこ。疲れるのか?」


「疲れるんだよ。お前みたいに表裏ない性格だったら良かったと切実に思う」


「へへ、褒められたー!!」


「褒めてない褒めてない」


 また疲れが溜まりそうなデュガの反応にゲッソリしておく。


「それにしてもこちらも聞いていないような事をポンポンと……」


 ゾムニスが呆れた視線でこちらを見ていた。


「状況に対応して、臨機応変に話を少し盛っただけだ。そもそも可能な事しか言ってない」


「本当に止められるのか? もう戦力は集まっているという事だが……」


「何も難しい事じゃない。人間てのは信用と実績が第一。好き好んで戦争に来る馬鹿は少ないし、宗教がらみじゃなきゃ、即席の軍も通常の軍も止める手段はある。さっきの話で色々分かったからな。今日からウチの竜騎士殿には郵便屋さんになって貰う事にしよう」


「あーこれまた悪い事考えてる顔だぞ」


「そうかもしれない。否定出来る要素が無いな」


「一々、失礼だな。お前ら……はぁぁ。アテオラ」


「は、はい。な、何でしょうか?」


「お前の力が必要だ。最速でユラウシャまで行くルートを宿で一緒に考えて貰う。頼んだ……」


「は、はい!! 了解しました!!」


「(歴史は轍だってのは誰の言葉だったかな……)」


 人間がまともに仕事をしなければ、いつでも世界は地獄になる。


 それはあの現代でも同じ。


 合理的に、科学的に、まともな判断をすれば、大抵の事はどうにでもなるのにソレをしない人間が多いのもまた何処の世界も同じ。


 だとすれば、他人の台所事情に付け入る隙は幾らでもあるに違いなかった。

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