第326話「神爆誕」


 立て。


 そう言われて、立ち上がれば、全ての兵隊達は世界を見てしまった。


 何もかもが紅に染まっていたはずの情景はしかし―――今、ただ何処か違和感を持って彼らには感じられていた。


 それを最も思うのは大陸東部のポ連兵達だろう。

 意味の分からない世界に響いた言葉。


 そして、気付けば、己の背後にあるはずの荒野はなく。


 ただ、鬱蒼とした森が広がっている。


 何処か別の場所にいるのかと思えば、確かに彼らの視線の果てには巨大な鋼の連山が聳えている。


 空は蒼く。

 ただ、蒼く。

 雲すらない快晴。

 その中には僅か月が薄ら満ちて。

 樹木の合間には鳥が―――否、鳥達が羽搏き。

 何処かへと向かって飛び去って行く。


「何だ……一体、何が……」


 修羅の如く、獣の如く、戦士達は突撃し、果てゆくはずだった。


 しかし、どうだ。

 今、彼らの周囲は生命に満ちている。

 蟲の音色。

 獣の息遣い。


 樹木に耳を当てた者にはその幹の中を流れる水音すらも聞こえる。


 闇に光が射したような鮮やかさに艶やかさ。

 陽射しはまるで甘く。

 身体を蕩かせるように穏やかで。


『全ポ連兵、全ポ連国民に告ぐ。お前達の国家は救われた』


 世界に再び、先程と同じ声が響く。


 それは食料を出す玉を仲介して次々に世界のあちこちに複製を大地に埋め込み、ネットワークのように増殖しながら地球上の全ての人々へと声を届ける。


『独裁者よッ、聞け。人民よッ、聞け。今、お前達が知る大地が何であるかを。お前達の背後にいた【鳴かぬ鳩会】の首魁は時の彼方へ消え去った。もはや邪竜無く、もはや全ての兵は意味を失った。見よ……これこそが嘗て人類栄華の時代、人が見ていた世界だ。土地は滋味に満ち、穏やかな風を運んだ』


「誰の声だ。誰の―――」


 戸惑う者達が空に今度は無数の映像を見た。

 それはよく見れば、彼らの知る故郷の姿。


『陸を見よ。空を見よ。海を見よ。その世界に溢れる命に感謝を捧げて人々は己の血肉とした。食す物に貴賤優劣無く。全ての食材を全ての人々が食する事が出来た』


「何だ……津波に呑まれたんじゃ―――」


 兵達の間に動揺が広がっていく。


「お前、顔が戻ってるぞ!?」

「え!?」

「ほ、本当だ?!!」


 兵達が互いの顔の見分けが付く事に驚き。


『幾千、幾万の花々と樹木が紡ぎ出した世界。幾億の海の生物達が共生し、永久の輪廻を繰り返す世界。これらは全て本来、この星に存在したものであり、人が愚かにも戦争と己の傲慢から捨て去った日々だった』


 巨大な津波に呑まれ、消えていたはずの国家の数々。


 その大地の上にはただ無数の人々が今起きたかのように目を見開いて、周囲にいる誰かに何かを聞いていた。


「あ―――あいつ!? 生きてたのか!!?」

「か、母ちゃん!? 今、オレの母ちゃんが!!」

「津波に呑まれたと思ってた!? 思ってたのに!?」


 次々に生きていた家族を目にした人々が声を出して空の映像を食い入るように見入っていく。


『今、この未曽有の天変地異により死んでいった者達が蘇った。だが、未だ他者を殺す事は出来るだろう。再び、新たな災厄も訪れるに違いない。それと同じように今、お前達の中に悪を為そうとする者もあれば、正義を為そうとする者もある。だが、一度考えるがいい。今、すべき事が何であるかを……』


「蘇り―――まさか、空飛ぶ麺類教団の……この声は―――?!」


『全てが滅びても戦うか? お前達が本当に欲したのは何だ? 満たされて尚、お前達は人を殺し、虐げ続けて生きていくのか? 今、全ての人々に飢える事無き現実を与えよう……飲め、食い、歌え……お前達が本当に今やらねばならない事は決して人を虐げる事ではない……己の隣人と共に祝う事だ』


 世界中の人々の前に食料が一つ。

 彼らが食べて来た食物が一つ落ちて。


 世界の裏側で暗躍する者達すらもその声を聞いて食料を見ていた。


「ああ、ようやく辿り着いたのですね……我々は……」


 空飛ぶ麺類教団。

 その中枢で。


「まさか、アルコーン最終形態を……まったく、何てこった」


 今、ユーラシア北部に終結しつつある円卓の面々。

 最後の戦いに臨もうとしていた全ての妖精達が。


『見よッッ。世界は美しい!!! 人々よ!! 今、共にこの大地の上に空の果てに海の底に生きる人々よ!! お前達が共に歩む限り、人は自由だろう。お前達が共に進む限り、人は永遠だろう。今、共に走り出せ……お前達が帰るべき場所に……傍にいたい誰かの下へ……孤独なる者もまた人の輪に加われ……罪深き者も奪うより先に謝り、共に祝うならば、まだお前は人間だ……』


 世界に響く声が途絶えた時。

 急激に回復した北部の無線状況からか。

 次々にポ連兵達の下に連絡が入って来る。


 その確認が行われている間も男達が戸惑っていたのは僅かな時間だけだ。


 遠方の連山の方向から次々に空に響くような勧告が伝わって来たのだから。


【こちらは、ごパン大連邦、西部方面軍です。全ポ連兵に、告げます。食料耐性薬と、食料を生み出す技術の産物を、あなた方に、提供する用意が、あります。ただちに、停戦し、祖国へと、戻るのならば、我々は、追撃しません】


 間延びした空に響く区切り区切りの声に男達が己の目的を思い出す。


 ああ、そうだ。

 それはどうしてだったか。


 命を掛ける理由を今、彼らは一欠けらも感じていなかった。


『ふ、くくく、ははははっ!!! 逝ったか!? 終にあの魔女がッ!!! ああ、総帥!! 貴女は良い道化でした!! 謹んで、貴女の遺産は受け継がせて頂きましょうッッ!!!』


 世界の何処かで喜悦に歪んだ絶叫が響く。

 狂ったような笑い声が狂騒を帯びて高く高く。

 だが、彼は己の部下達が周囲から消えている事に気づく。


 鳴かぬ鳩会。


 大陸中央に存在せし、委員会最後の遺産。

 そう地球そのものを動力源と変えるソレ。


 だが、その中枢はもはや嘗て委員会が何とか完成させた……そんな不出来な欠陥品ではない。


 地下135km地点。


 中枢たる円筒形をしたアトラス・パイルの応用施設群が9つ。


 正八角形状に並んで頂点に最後の一つが鎮座している。


 地磁気を回路化するというソレは同時に世界最大の動力源たる素粒子融合炉、では無くなっていた。


 全長200mの真球が内部に浮かんでいるはずだった空間には今一つの指輪が浮かんでいるのみだ。


 量子転写技術とは言わば、アインシュタインが見つけてしまった数式をロスを限りなく低減し、直に現実へと現す代物だ。


 物質とエネルギーの等価交換。

 それに最も近いシステム。


 巨大な演算装置の処理能力が一定以上存在し、機材で囲える物質がある限り、天文単位の物質世界の領域内に影響力を行使する。


 つまり、自己再生産能力を用いて、物質ある限り、規模を拡大出来る真実、有限ではあるが果ての無い力となる。


「おぉ、遂にッ!! 終にッ!!! ツイにぃいいいいいいいいいいいいい!!!!」


 ただ一人。


 孤独な仮面の独裁者は己の主が使っていたソレを手に入れる。


 量子転写技術を指輪一つ程度の質量で賄うような事は在り得ない。


 だが、その制御中枢だけなら別物だ。


 深雲の本体たる地下に埋蔵された自己再構築型の量子コンピューター群は地球上に影響力を行使する際のハブとして“天海の階箸”を使っていた。


 ソレの全ての制御を指輪一つに集約する事など容易だ。


 マン・マシン・インターフェースは必要すらない。


 何故なら場に直接干渉する有機物型の量子システム。


 つまり、最終末期の委員会の人員が用いた遺伝情報によって場に干渉する脳機能を構築していれば、指輪へ意志を投影する事など簡単に過ぎるのだから。


「HAHAHAHAHAHAHHAHAHA―――」


 虚空の指輪が引き寄せられ、男の人差し指に嵌る。


 巨大な鋼の円柱の中。


 輝きに満ちた青白い鋼と薄ら緑の輝きが奔る回路の中枢たる広大な中枢炉心のある制御室の最中。


 仮面を被った男の肉体が変貌していく。

 仮面は正しく顔面として同化し。


 肉体はより強靭に強力に不滅とも思える強度と生体構造を獲得して、細胞はもはや人間のものではなく。


 有機物とも無機物とも付かない何かへと変貌し、無限に増殖し続ける事が出来るのみならず、あらゆる生物的な頚城から解き放たれた。


 テロメアは永遠に接ぎ足され続け。

 老化の主要因たる活性酸素が細胞を傷付ける事もなく。

 脳内の信号は遅れなく全身に伝達され。

 莫大な処理能力を獲得し。

 未来すらも見え―――。


「ナ、ニ?」


 その男が初めて愉悦に水を刺された様子で生物として超越した神とも言うべき己の不出来な部分に目を見張った。


 演算能力を駆使し、未来予測モデルによってあらゆる未来を予知のレベルで見てしまえるはずの彼の脳裏には何一つ明確なビジョンが浮かばなかった。


「どういう事だ。未来は見えるはずだ!! あの女はそうしていただろう!? 何故だ!!? 何故、見えない!?!」


 男が吠えた際の衝撃波で彼のいたアトラスパイルが内部からの爆圧に破壊されて、外部からの圧力で圧壊していく。


 マントルから直通で地表近くまでせり上がっていた巨大なマグマ溜り。


 その中で砕けていく施設中枢で男は頭を抱えた。


『お嬢様が何故、負けたのか。思考には至らなかったようで』


「バーバヤーガか?! 貴様!? どういう事だ!? 何を知っている!!?」


 男がその通信を送ってきた老女の位置を見付けようとして、地球上に彼女が存在しない事を理解する。


『あの黒の瓢が発現した時から、未来予知は全て不可能になっていたのですよ』


「なん、だと!?」


『恐らく、あの黒いアレは真なる真空……飲み込まれた彼が戻ってきたという事は虚無の世界において自己を認識者として重力井戸の底と同じ……特異点に干渉したという事……未来を予測する事は出来ます。ですが、予知は出来ない……いえ、それが世界に許されていないのでしょう』


「何!? 何だ!? まさか、あの男はッ!? あの男がッ!!?」


『定義が書き換わったのです。この世界では確率論やカオス理論の一部の既存情報が意味を為さない。我々には同じ世界にしか思えませんが、系に手が加わった以上、この宇宙を我々が知る昨日までの宇宙と同じと見ても意味はありません』


「奴は神になったというのか!?」


『さて、何をして神と言うのです? 副総帥……貴方はお嬢様の機能の一部を簒奪してはいますが、今だ単なるアドミニストレーター止まり。お分かりですね?』


「ッ、不敬だぞ!!! 私はッ!! 私は新世界の神だッッ!!!」


『あははははは。何故、私を見付けられないか分かりますか?』


「―――貴様ぁああああああああ!!?」


 暗にシステム内での権限が低いのだと言われて、男が激昂する。


『貴方が物質世界の神になりたいのならば、彼を殺すしかないでしょう。貴方は物質的には今確かに不死身の存在です。彼を下せば、残るは月の天才のみ』


「………く、くくッ、ならば、全て滅ぼす!! 貴様も首を洗って待っているがいい!! システムはジックリと今後、解析させてもらう!!」


『どうぞ、ご自由に。お嬢様が行かれてしまわれた今、この星に未練はありません。宙の彼方から見守っていますよ。この滅びゆく宇宙の中心を……』


 声が途絶える。

 それと同時にマグマの中で巨大な仮面の巨漢。


 白き肉体と一体化した衣服をそのままに全能の神には未だ遠い男が、その己を地表に向けて上昇させていく。


 それに追随してか。


 中央の制御を失ったはずのアトラスパイル群が男と共に地表へと昇っていく。


 その先にある地殻を砕き、全てをエネルギーに変えながら、大陸中央を大地震によって震わせたソレが8つ、地表の掘削施設周辺30kmを完全にマグマの内部に沈めながら、莫大な黒煙と土埃を上げて浮上する。


 荒野が広がっていた世界は一瞬にして地獄と化した。


 巨塔が次々に迫出して1kmもの威容を露わにしていく。


 大陸中央と接する全ての地域で震度8の直下型地震が発生。


 ただし、その揺れが極めて広範囲に及ぶ事はなく。


 東側の地域にまるで誘因されるかのように次々と広範囲に拡散しながら海の果てへと吸収されていく。


 巻き込まれた砲陣地の後方は壊滅的な被害を受けたが、そもそもの話。


 もう其処にある有人兵器であるNVや戦車に人は載っていなかった。


 あの紅の輝きの最中。

 大陸中央から人の姿は消えていたのだ。


 まるで誰かがこの時を予測したかのように人々は直接的な災害から遠ざけられていたのである。


「出力が上がらんッ!? 大陸中央止まりだと!? クソォ!? 私をッ、私を誰だと思っている!!? 私はッッ、私はッッッ―――」


 当然のように自分よりも上位者の権限からの嫌がらせであらゆる出力に制限を掛けられた男は吠える。


 そして、もはや自分には必要無いと思っていた残された砲陣地に密集する重砲や機動戦力の残骸を見て唇の端を曲げた。


 人がいない、なんて何一つ彼には問題ない出来事だ。


 何故なら、今だ天海の階箸のハブとしての制御権は彼の手にあり、その力を用いてシステムを積んだ兵器群を操る事など造作も無い事なのだから。


 赤黒い輝きが火山噴火のように噴石と噴煙に覆われた大陸中央で次々に吹き上がり、その奥底から無限のように戦車と重砲が溢れ出して全方位へと進軍を開始し始める。


「遅いッ!! 遅いッ!!? 何もかもがッ!? どうして私に気持ちよく力を使わせないのだ!!! 誰も彼もッッ!! 私を馬鹿にするなッ!? 私は神だ!!! 完璧な神なんだぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 あらゆる能力に制約を掛けられた男は吠える。

 世界なんか滅ぼして構わないと吠える。

 ようやく手に入れた力が十全に振るえない。


 そのストレスは怨嗟絶叫となり、心魂を穢すような人成らざる響きとなって、世界中の大気層を震わせる。


 今、暗黒と炎獄に世界は覆われようとしていた。

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