間章「その日の行方」


畢竟。

そんなのは今まで幾らもあった。


しかし、目の前の少女をそう言ってしまうにはあまりにも世界は幸福ばかり満ちている。


もう塩の高さに泣く必要はなく。

狂える軍の横暴に怯える必要もなく。

引き裂かれる家族を見る必要もなく。

空は蒼く。

硫酸の雨は降らず。

ネオンに煙る悪徳の街で戦い続ける必要もない。


「縁!! ほら、こっち」


手を牽かれて。

先に進む。


「お父さんが欲しい欲しいって言ってたやつ。ほら!!」


先を見れば、大きな倉庫内には巨大なドリルの付いた棒が陳列されていた。


「他にも一杯あるんだよ。縁とお父さんが構想してたやつとかも」

「そうなのか?」

「うん!!」


少女は笑顔だ。

そして、巨大な船の中を彷徨う自分は正しく亡霊か。

自分達の他には船の中に誰一人としていなかった。

バイオレットが走っていく。

手を牽かれて進む。


「此処は食堂!! メニューはお父さんと縁が好きだったやつばっかりにしたわ」


「そりゃありがたい話だ」


手を牽かれて進む。

まるで幽霊船。


人が先程までいたような痕跡はあるのに誰一人として存在しない。


「あ、此処はお父さんの部屋。皆隣室にしたの。私の隣は縁ね?」


「あんまり大きい部屋は好きじゃないって言ったんだが……」


「犬小屋にしてもいいの?」


ジト目のバイオレットに謹んで使わせて頂く旨を告げる。


「分かればよろしい。今度はえっと………」


いつの間にか。

数時間。

明るい通路を走り続けていたせいか。

全ての見せたい場所を回ってしまったようだった。

巨大な三胴艦内部は正しく遥か過去の時代。

考古学を志した男が夢描いた通りの装備が沢山。

しかし、それを案内する娘は……大事な事を忘れている。


「バイオレット。案内するところは此処で終わりか?」

「……うん」


手を握ったまま。

少女は静かに呟く。


「バイオレット」


「縁。お腹空かない? 私が特別に作ってあげよっか?」


「……料理出来なかっただろ。お前」


「で、出来るように練習したわよ!! 年頃の娘に対して失礼ね!!」


「塩と砂糖を間違えて食ったのに気付かない奴が何だって?」


「ぅ……そんな意地悪言うと作ってあげないわよ?!」

「はぁ……じゃあ、御馳走になろう。ほら、行くぞ」

「ぁ……う、うん!!」


少女は何処か懐かしそうに目を細めて、涙すら額の端に貯めて、微笑んだ。


(あぁ、畢竟……まったく、世の中、儘ならないもんだ)


誰もいない巨大な船の中。

もうドックに入っているにも関わらず。


誰も来ていない地下の奥底で厨房へと少女は喜々として入っていく。


それを追う事しか出来なかった。


―――西暦?????年3月3日。


その日、よく分からないSF世界で目が覚めたヲタニートを救ったのは一組の父娘だった。


気の良さそうな男の名をレッド。

父を呆れた視線で見ていた娘をバイオレット。

そして、彼らが所属する組織は白い鳩会と言った。

大きな半透明の球体状のドーム内に誘われ。


内部を見れば、其処にあったのは純日本風の庭園と西洋風の巨大な奥行きを持つ館で連れてこられた馬鹿野郎は少しだけ目を見張り、その家で世話となった。


レッドは自身を考古学の徒と呼び。

古の歴史の資料を集め、遺跡を発掘する学者。


その娘であるバイオレットは何処か抜けている父親を補佐する街でも評判のプログラマーだった。


旧い時代のOSやプログラム言語にも精通し、また科学技術を発展させる国家の技術


開発機関から独力で委託も請け負う才媛。


家にあまり帰って来ない父親とその父親の為に我が家で仕事をする娘。


そこによく旅人が来ることはあったが、長く滞在したいと言ったのはヲタニートな元学生だけだったらしい。


彼と彼女と少年の日常はそうして始まった。


時には遺跡で大発見もしたし、街の為に色々な業務を請け負う事もあった。


そう、それはそんな奇妙な未来に迷い込んでしまった男の物語だったのだ。


現実と虚構の境の全てが崩落するまでは。

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