第217話「真説~神降騎士~」


 女は歩みを進めていた。

 世界の終焉と破滅が迫る。

 そんな風説が飛び交い始めた国々を超えて。

 嵐と竜巻が渦巻く。

 商いの国の国境沿いから、天を突く虚無の塔。

 如何なる光も返さない終局の薗へ。

 連絡が入ったのは2日前。


 彼女がファストレッグにおいて巨竜兵達を相手にしていた時。


 都市を護る結界柱。


 そうとしか呼べないだろうものが無数に飛び出た都市。


 その外縁には鋼色の蟲が無限の如く湧き出し、正に為す術無く崩壊しようとしていた連合国と周辺国の軍を護るように盾となった。


 数日前は敵であった者達を護り、竜の攻撃を受け、崩壊していく無数の使い魔。


 これが誰のものか。

 考えるまでもない。

 早く逃げろ。

 地下に避難しろ。

 そう魔術による連続での勧告が流れる最中。

 数人の手勢と起こした神官達を全員説得した。

 今は共に無辜の人々を護るのが先決だと。


 分散した一般の反乱軍が各地で自分の数百倍では利かないだろう戦闘力を有する竜達に反撃を加え、人々を救わんとしている。


 こんな報告が通信越しに幾度となく報告された。

 後方の混乱の収拾をウィンズ卿に任せ。

 彼女を旗頭に何とか半日以上。

 使い魔達を盾に避難の時間稼ぎを終えた時。

 今度は天の海を貫いた光とそれに抗う漆黒の拮抗を見た。


 燃え散ろうという黒はしかし、急激に世界の色合いが暗くなるのと引き換えに何もかもを呑み込みそうだった光を食い潰し、天に空いた大穴へと伸びていった。


 そこで「ああ」と思ったのだ。

 奴が呼んでいる。

 そうに違いない。

 その確信はそれから程無くして事実となった。

 届いた報。

 灰の月より出でし、古の軍団。

 神すら畏れる旧き者達。


 その世界崩壊の一撃を受け止めた我らの魔王が窮地だと。


 何処のお伽噺か想像力の豊かな吟遊詩人かという話が飛び込んで来た。


(お伽噺ならば、差し詰め私は負けそうになった魔王を救う暗黒の騎士か)


 自嘲など当の昔に零し尽した。

 だから、今、自分の顔にあるのは決して皮肉ではない。

 神殿において、勇猛苛烈、その人在りと謡われて。

 だが、その内実、何も出来ない自分に絶望していた。

 木偶人形にも劣る。

 戦場で死ぬ兵士よりも価値が無い。

 後方にあって尚、人々を護れない。

 それが己の定めだと諦めていた。


 そうだ。


 彼女は諦めていたのだ。


 あらゆる意見を却下され、最後には反乱軍の相手をしろと左遷。


 人々の為に立ち上がる憂国の兵を前に人々の為にとその身を撃つ神官として。


 彼女は立たねばならなかった。

 だが、どうだろう? 

 彼女はその全てを圧し折られた。

 目の前の男は小さく。


 だが、何者にも曲げられぬ意志を秘めて、彼女の前に現れた。


 彼我の差は1対5000。

 馬鹿なと笑う英雄ぶり。


 でも、本当に見るべきは……負けてからの事だったのは言うまでもない。


 救えぬと匙を投げた神殿。

 何も出来ぬと諦めた彼女。

 男はやってのけた。

 手品だと嘯いて。

 自分は大した事は無いと謙遜ですらなく言い放ち。

 出来る事は出来るのだから、やらねば嘘だと言って。

 奇怪に立ち回ったかと思えば、正論を吐き。


 聖人君子もかくやという非常識を説けば、邪神すら温いだろう地獄を生み出す。


 しかし、だが、しかし、その最中でも常に……その瞳は諦めていなかった。


 食い下がる。


 自分ならば、もうダメだという時、その男は笑って、己の時間の全てを掛けて生み出した決然たる準備というただそれだけで……本当にただそれだけで事態を覆して見せた。


 百万の軍勢も、精鋭たる救国の騎士も、亡国の皇帝すらも、男は等しく退けた。


 なのに……上手くいっているのに……いつも、通信越しに見える顔は何処か済まなそうな顔をして、足りないと呟く。


 死人をもっと減らせたはずだ。

 誰にも迷惑を掛けずに済んだはずだ。

 もう少しやりようがあったんじゃないか。


 そう……それが男の願いだった。


 だから、なのか。

 ああ、だからなのだ。

 彼女は男の為なら死ねる。

 男は持つ者だった。

 だが、何もかもを捨てられる男だった。

 それに入らないのは手に握られたものばかり。

 手に囲われたものばかり。

 考えるだけでも馬鹿馬鹿しい。


 男は……男は……きっと自分の知る者、見た人、聞いた人、己が関われる限りの人々に……幸せになって欲しかったのだ。


 それを本人が自覚していたのかどうか。

 それを狂気と言うならば、男は確かに狂人だろう。

 傲慢に過ぎるだろう。

 自分の考えたソレを押し付けるのだから。

 世界を滅ぼすに足る災厄なのは間違いない。


 けれど、思わず震えてしまうくらいに……それは多くの者にとって少なからず優しかったのだ。


 でも、そんな男の手を以てしても護れなかったモノがあって。


 あの死者の数を、死者の名を聞く顔を見た時。

 彼女は決めた。


 この狂人が世界を滅ぼしてしまうのだとしたら、それはきっとこの世界が救うに値しなかったからなのだろうと。


 ならば、その世界一優しい狂人にを示すのはこの世界に住まう者達でなければならない。


 その防人は自分以外に無いと。

 神ならぬ身。

 神より見放された愚者。

 そう陰口を叩かれ。

 しかし、それでも男の下に付いた神官達は日々の中。

 多くを悟って来た。

 人々を救うのに必要なものは?

 それを得る為に大切な事は?


 子供達の笑顔、大人達の安堵、誇りを取り戻した兵士達の横顔。


 集う者に驚かれても、一度たりとて侮蔑は投げられなかった。


 その努力、その男が自分達に差し出した価値に報いる為の方法は?


「飛ばせぇええええええええええええ!!!」


 誓いは胸に。

 ありったけの激情を込めて。


「我らが希望と絶望を、人ならぬ身まで堕とされ、貶された人々に笑顔と取り戻したあの大罪人を、決して潰えさせるな!!! 我、神の徒を已めてもまた人足らんと欲すれば、仕えるべきは!!!」


 魔術は制約。

 価値は行動。


 然り、然りと積み上げた、その決意の先にある腕の行い。


【我らが魔王と見つけたり!!!】


 飛翔するのは僅か100人。

 だが、男が真に信ずるに足ると確信する手足。


―――我、世界の防人足らん。


 男は言った。


―――我、人々の守人足らん。


 女は言った。


―――我、汝の槍にして盾。


 老人は言った。


―――灰の月より来たりし者に仕えんとする者。


 若者が言った。


―――我らが名はッ!!!


【魔王軍第一親衛隊!!!】


 彼女は名乗る。


 今こそ、飛翔する超越者達を前にして、見えて来た漆黒の塔の最中へと突き進みながら。


「魔王の槍アウル・フォウンタイン・フィッシュが告げる!!! 各自!!! 最大戦速!!! 翼を形成し!!! あの領域の最奥へ最速で突っ込むぞ!!!」


 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!


「魔術途絶まで残り―――」


 この諦観に染まり尽した残酷な世界に未だ優しいとはどういう事かを示した男に対して、ソレが彼女の示せる価値だった。


 黒の外套に蒼の刺繍。

 豊満なる胸部に掛かるは魔王軍の紋章。


 はその鋭くも決意含む双眸に輝きを灯し、全てのコードが途絶する領域へと身一つ。


 鍛えた己の肉体と衣服を身に纏い突撃していった。

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