第187話「大人買い」

 月亀へとやってきて5日目。


 首都の歓楽街の治安が随分と改善して、猥雑さも失せてきた頃合。


 正午までに次々やってきた大型商船で月亀の港、潜水艦のドックから今まで買った人々が捌けていくのを確認しながら、ガルンからの報告を受けていた。


 ひっきりなしに出入りする艦の大半が他国の商船と漁船を日雇い的に借り受けた代物だ。


 水中を望む塔の最上層階の区画がコレほど頻繁に使われる事は前代未聞らしかったが、使用料金はしっかり払っているので月亀から今のところ文句は出ていない。


 魔王様大人買いの報は千里を掛けた報となって周辺国を駆け巡り、月亀の首都と周辺地域は突如発生した極大の需要を前にして空前絶後の好景気。


 それも裏社会界隈に極大の資金が投下された影響で羽振りの良い人身売買関係者達が毎日のように豪遊しているとの事だ。


 ついでに首都とその近傍であらゆるを同じ様に大人買い。


 民間で消費する以外のあらゆる不動産、動産、食料の在庫と債券や商会の手形も倒産しそうな優良なのは国営以外一律で買占めた。


 それらの中でも物資は全てレッドアイ地方へと送ってもらい。


 現地の物流業者にもフル稼働で対応してもらって3ヶ月以内には届くとの事。


 この短期間で1%以上の物価インフレが起きていたが、当局が動き出す程でもなく。


 法に抵触しない爆買いで好景気待った無し。


 その上で毎晩のように賭場で魔王様ご一行がしているのだから、人々はだと誉めそやすのに忙しい。


 このようなは月亀の軍事情報の大半が統制下にある事も相俟って、懐疑的な見方は民間で殆ど無かった。


 ウチにも何か買いに来てくれないかしらという商魂逞しい商会や個人店舗では魔王様大歓迎の看板こそ出していないものの、密かに魔王の部下と思しき人間に接触する輩が後を絶たない。


 そういう相手に対しても売るモノがこちらの要望に沿っていれば、即座数倍の値段で即決してで買い入れている為、現在借りた宿泊施設は全棟魔王様一行と現地で雇った部下と大量の食材や資材で埋まっている。


(そろそろか……)


 塔最上層で見上げる透明な天井の外では最後の首都からの月兎への直行便が出た。


 そのアクアリウムのような幻想的な青い世界が泥で濁ったのを機に置かれていたソファーから起って、ドーム状の待合室から出る。


 すると、其処にはガルンと護衛を数人連れたコラート王子が待っていた。


「おや? 王子自ら何か?」

「………王が会談をしたいとの事です」


「会談? オレはと言ったはずなんだが、何でまた」


 相手は困ったような顔となっており、何やら疲れた様子で額を揉み解していた。


「これが狙いだったのでしょう。気付いたら終わっていた……我が国はあなたの思い通りに動かされている。行政実務者としては敗北と言っておきましょう。ですが、王と家臣団もようやくあなたの言葉に耳を貸すでしょう。我が国の上層部はあなたを月兎の統治者の一人として認め、交渉する事を求めています」


 肩を竦める。


 その横ではガルンが「ああ、またセニカが何かやらかした気がする」という顔で微妙な表情となっていた。


「分かった……じゃあ、今日の7時に窺おう」

「我が国にとっては一刻を争う事態なのだが……」

「オレは


「―――他人を動かす術は魔術より魔術染みているとの噂に偽り無し。我が国の諜報員達の言葉にもっと真摯な気持ちで耳を傾けてくれば良かったと切に思いますよ。魔王閣下……条件をお聞きしましょう」


「アンタがオレの味方になってくれ。いや、違うな。橋渡し役としてオレのにお前らが呑める具体性と形を与えてくれ」


「……それがあなたの思惑ですか?」


「そうだ。無論、今から魔王様ご一行を皆殺しにして、この国家存亡の危機に対処するって強硬派支持に回ってもいいが、その場合は確実に首都壊滅と誰一人月兎側の人材を捕縛も殺害も逮捕も拘束も出来ずに軍総司令部がオレの手で消滅すると宣告しておこう」


「この今の状態があなたと交渉する唯一の機会だと?」

「逆だな。オレは要求と取引をしに来たんだ」

「だから、なのですね?」


「そうだ。受けるか受けないか。突き付けるのは具体案以前の提案だ。それをどうまとめるかは内情をまだ知らないオレには出来なさそうだからな。協力者が欲しかった。お前みたいに察しが良くて反戦派な王族がいたのはオレとしても望ましい出来事だった」


 肩を竦めれば、相手が溜息を一つ。


 後の軍人達に首を横に振る仕草をして、全員が険しい顔ながらも通路の先へと消えていった。


「セニカ様。一体何したの?」


 傍まで来たガルンが何か悪い事をしたのだろうかと尋ねてくる。


「ただ買い物をしただけだ。お前もやったろ一緒に。というか、主犯はほぼお前だけどな」


「え?」


「気にするな。何があったか知りたかったら、コラート王子に訊くといい。城に着くまでには話し終わるだろう。じゃあ、行こうか」


「……分かりました。王城内への王家直通の昇降部屋がありますので、そちらに」


「ああ」


 神殿風な内部通路を歩き出した王子の背中は通路上にある眩い照明によって白く照らし出されている。


 その背後を見たガルンは確かに目の前の男が何かを耐えているように感じるだろう。


 それは怒りか。

 あるいは理不尽に対する諦観か。


 同種のものを感じていたはずの彼女にだからこそ、その背中は雄弁なのかもしれなかった。


「セニカ様……魔王閣下は何をしたの?」


 その言葉に王子が溜息を一つ。


「自らやっている事を知らないとは怖ろしいものですね。あなたの口からそう聞く事になるとは思いませんでした。いえ、だからこそ、閣下は人を動かすのが上手いと言われているのでしょうか」


「?」


「……順を追って話しましょう。数日前から沢山城下で魔王一行はをされていますね?」


「うん。色々と」

「では、その支払いに何を使っていますか?」

「金のインゴット。でも、それが何か問題?」


「ああ、そちらに詳しいわけでは無いとなると……まぁ、魔王閣下が我が国に仕掛けた経済破壊の方法をお教えしましょう」


「経済を、破壊?」


「一言で言えば、そうなります。では、金貨を三枚と数人の人物を思い浮かべて頂けますか?」


「イエス」


「では、登場人物の一人が野菜を売っていたとしましょう。閣下はその相手に対して、金貨1枚で買えるのに3枚払ったとします」


「高過ぎ……」


「はは、例えなので。そして、その3枚の金貨の価値が金貨が3000枚この世界に存在していた時のみ野菜1つ分だとしたら、閣下は多くお金を払われたのでとても良客と思われる事になるでしょう。それが今の我が国の首都と周辺の現在です」


「何が問題なの?」


「では、金貨が6000千枚この世に出回っている時、金貨1枚の価値が半分になったとしましょう。一杯あるものを人は欲しがりませんから、値段が下がります」


「フムフム」

「では、金貨1枚で野菜が2個買えてしまいますよね?」

「それはそう。二つ分」


「じゃあ、その日、閣下が野菜を今度は1000個買うと言い出して前より安いはずの金貨で買い物をしたとします。その際、金貨を前よりも多く相手に支払ったら、相手はどう思うと思いますか?」


「それは喜ぶんじゃ……?」


「ええ、喜ぶでしょう。では、金貨の価値は下がっているはずなのに物の価値以上の支払いが発生し続けていたら、その支払った金貨の価格は更に下がるのでは?」


「………下がっても野菜は買える」


「では、金貨が600万枚になりました。金貨の一つの価格がもし野菜一個よりも下回ってしまったら、金貨でモノは買えますか?」


「―――ッ」


 ようやく気付いたらしく。

 ガルンの目が泳ぎ始める。


「ちなみにそれがもしも人を動かす事で掛かる手間賃であったなら、に金貨を払った事になるので現物は交換されていない事になり、金貨が総量としては増えて価格が下落するというだけで済みます。が、これを物と交換していた場合は……金貨と交換されたは数に限りがあるので価格が維持されているかもしれませんが、金貨そのものは下落するのでその品よりも低い価値しか有さないかもしれない」


「更に悪い事に我が国と周辺国。“昇華の地”で発行する主要貨幣は金貨と銀貨と銅貨。ですが、基本的には金本位制。金を主軸に財政の仕組みが組まれています。国家財政に占める取引には証券や債券など、その価値を担保する現物と交換出来る債券が使われています。さて、その価値を担保する現物とは一体何でしょうか?」


「……金?」


「その通り!! 我が国は金を元本として保証し、それが王家の倉に眠っています。この金はもしもの時の備えという意味で使われており、それ自体は殆ど倉から動きません。ですが、金の保有量と取引量は国内で厳密では無いにしても、管理維持されており、多国間で価値が保たれている。そして、だからこそ、金は価値があり、多くの人々が欲しがるとして優位な代物として今まで君臨してきた」


「そ、それで?」


「さて、此処で問題です。では、金が大量に流出した事で金の値段が下がってしまったら、その現物を売った人達が売った物を買い戻すにはどうすればいいでしょうか?」


「……金を返す?」


「いいえ、金が暴落した事を知る人間が一度、金が更に暴落する前に売り抜けようとしたら、今まで所蔵されていた金が更に市場へと出回る事でしょう。となれば、金の価格は?」


「……もっと下がる?」


「そうです。だから、売った時よりもより多くの金で買い戻さなければならなくなる。いえ、そもそもそれがもしも食料や使ってしまう類のものならば?」


「戻って来ない……」


「そうです。それ以前の問題として、金を別のものに変えようとしても、値段が安過ぎて、ロクなものに交換出来ません。金貨より高い銅貨や銀貨という現実。そして、元々品物を売って得たはずの価値が暴落したとあっては……売った者がどうなるかは火を見るより明らかでしょう」


「き、金を没収すれば!!」


「捨てても存在する。埋めても掘り返される。根本的に価値が消滅した事自体は変えられない事実として残り、その価値の暴落分の困窮を人々は我が身の生活で味わう事になるでしょう」


 ガルンがようやくプルプルと自分がした事を知って震え始めた。


「金で何も買えなくなる?」


「ええ、我が国の取引所はまだ大丈夫ですが、それも直に取引停止となる。それどころか。我が国がこの戦争で発行した軍票や債券の類は全て文字通りの紙屑。元本保証付きで発行してましたからね。全部、金で返す予定ではいましたが、それとて順次量を調整しながら十年以上の年月を掛けての償還だった。しかし、市場に膨大な金が放出された結果、償還したら更なる金の下落を招く事になってしまう……お分かりですか?」


「~~~ッ」


「我が国は金以外のありとあらゆる物を売ってでも借金を返済しなければなりません。ですが、金が使えなくなった以上、債券の額面上の価値を別の価値で補填してやる必要がある。その場合は恐らく更に借金は膨れ上がるでしょう。何せ約束とは違う金以外のもので返さねばならないのですから。それも債権者に対して納得出来るモノでないと債権自体の信用が落ちて、誰も買わなくなる可能性が非常に高い。その場合、我が国との取引を他国は完全に停止する可能性すらある。国外との取引には債券類が使われますが、その信用が0になったら、金以外の現物を使うしかない。国外に金を押し付けるという手もありますが……魔王閣下が使った金の総量的に我が国から他国へ流出させれば、同じ金本位制の国家からは非難轟々でしょうね」


「どうにもならない?」


「金本位を止めて完全に銀行券へと移行、紙幣経済にして、国が換金を続行し、金を死蔵する事も考えられましたが、そもそも莫大な金を換金しまくれば、その紙幣の発行額が膨れ上がる。混乱している市場経済に急激な物価上昇、そして、元本保証出来ない紙幣に何の価値があるのか。我が国には莫大な金に変わる価値そのものが今のところ無い。国土を売り払うのでも無い限りは無理筋でしょう。そもそもあまりにも急激な変動過ぎて対応出来ないのです。出来る仕組みを誰かが今日明日にでも考えてくれるわけでもなし。八方塞でしょう」


「……皆が金を売らなかったり、何かに変えなかったら?」


「金が死蔵され、価値が守られても、価値そのものが動かないという事はその価値分の物を金の保有者が変えられないという事。つまり、食料が買えなくなれば、餓死……そこまで行かずとも生活面で無数に困窮する理由となる。民間での混乱は避けられないでしょう」


「税金にして徴収したら?」


「税金ですか。では、金で物を売り買いしたわけでもない人間にも一律に大増税しろと? 金が満遍なく民間に広く積みあがっているならそれでもいいでしょう。ですが、そうではない。それどころか、裏社会や増税し難い裏稼業、ギルド、その他の政府ともコネを持つその筋にも大量の金が投下されている。増税で何とか得た大量の金を他国向けの債券の原資にして償還したとしても……恐らく金での支払いには限界がある」


「限界……」


「更に我が国は戦争中でして……戦中の債券には国家財政が戦後の償還で破綻しないよう戦争終結、それに類する講和条約及び和平条約が締結されて後に1次、2次、3次と時間経過で債券の償還する額面が増える仕組みを取り入れています。この債券の外国への償還開始が始ると同時に……事実上勝利した魔王統治下の月兎が我が国は破滅する」


「は、破滅?!」


「何故なら、金で償還しなければならない額面が8割以上だからです。国内向けが5割、他国向けが5割。償還を延期すれば、我が国の信用は地に落ちる……が異国に金の下落を承知で償還を開始しても、我が国は周辺国から非難され、弱っているところを叩けとばかりに開戦の理由ともされかねない」


「外国……外国って……ッ」

「?」


 初めてコラート王子が振り返る。

 丁度、重厚な扉。

 皮肉にも彫金が施されたエレベーターの前だった。


「ああ、言い忘れてたが、オレはちょっと買い物してたんだ。でな。ああ、此処よりは酷くないから安心してくれ。ギリギリくらいだ。ギリギリくらい」


「―――ッ」


 何がギリギリくらいなのか理解したらしい喉の干上がった王子が物凄い真顔で後にいたガルンを凝視する。


「ちなみに複数の周辺国辺りですか?」


 それにガルンが真っ青な顔となる。


「影域までガルンに出向いて貰ってた。世界中で買う物は幾らでもあったから、同時多発的且つ一斉に大量の物資と人材を買い付けてたんだ。この数日間」


 国内に目を向けていて、国外の状況を把握していなかったのだろうコラートにしてみれば、寝耳に水だろう。


「………国家を買う勢いですね」


「最初に言っただろ? オレは善意を利用したいと思ってるって。ちゃんと収拾してやるから、オレの味方を頼んだぞ? なぁにお前らが経済破綻で崩壊する以前に、この恒久界が100年昔に戻るか、価値の暴落で養えなくなった人口が7分の1くらい減りそうな瀬戸際ってだけだ。是非、お前らの善意でこの世界を救ってやってくれ。その為の方法は持ってきたんだ」


 コラート王子の顔は真顔であったが、その瞳には怒りというよりは畏れに似た色が宿っていた。


「どうやって今更この事態を収拾すると?」


「要は需要と供給が成り立ってればいいんだよ。金は天下の回り物。オレはお前らに極大の需要と極大の供給を用意してやろう。この恒久界の全てがきん余りで破綻するより先に投資先と見返りに付いて話そう。ああ、供給される現物とサーヴィス、それから新しい市場に付いてもな」


「どうやら我が国は勘違いしていたようだ」


 コラートが深い溜息を吐く。


「この数日間、我々はどうやって政治的に戦争を終わらせようか。いや、続ければいいのかと悩んでいたが、あなたは此処に最初から……銃弾の代わりとして金を武器に戦争をしに来ていたのですね。魔王閣下」


「戦争? 何の事だ? オレはしがない月兎からの旅行者で偶然にもお前らの前線にいた軍高官と兵隊達を自由に出来る力を持ってたってだけの一般人だぞ」


 もう何も言わず。


 エレベーターが開くのを待って、王子がどうぞとこちらを招き入れる。


「御冗談を」


「じゃあ、素直になれた月亀の皆さんにはオレの疑問を解決してもらおうか」


「……城内の会議室に関係者を全員集めました。そちらでお話しましょう」


「ああ、これでようやく仕事の話が出来る。頼んでくるくらいなんだから、譲歩を期待しておこう」


「セニカ様……」


 ガルンが戦わずして『どうか話をさせてくれ』と言い出した敵の様子に可哀想なものを見る目となって、こちらに半眼を向けた。


「様付け不要だ。それとオレは人命を大切にする事で定評のある魔王様なんだ。誰も戦わなくて済むなんて、これほどに喜ばしい戦争の終り方は無いよな?」


 蒼い空と白い雲。


 外を壁際で見やりながら、ようやく工程の4割を消化した事に内心で安堵しつつ、次なる未来を思い描く。


(とりあえず、話を聞くだけ聞こう……時間がまだあると信じて……あいつらの身体のタイムリミットもそろそろ半分……待ってろよ。全員……)


 王城内の一室へと通された時。


 其処に待っていたのは王族と家臣と異形。


 その獣の四肢を下半身に持つ豪奢な装いの相手はこちらを見てニヤリと唇の端を歪めた。


【―――我が名はパーン……いや、貴様には真名を告げておこうか……ラスト・バイオレットを継ぐ者よ】


 脳裏に話し掛けて来たソイツは正しくギリシャ神話にでも出てきそうな名前でこう言った。


【第491次主任研究員にして日本帝国連合統合幕僚本部付き技官。宮田東郷ミヤタ・トウゴウだ】


 どうやら。


 破滅した世界の片隅でまだまだ何ちゃって戦記にありがちな過去の亡霊は出てくるらしかった。

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