第157話「奴隷と難民」

 この世界において主食となっている作物は主に雑穀に分類される黍、粟、稗などが挙げられる。


 また、既存の果実とはまるで違うフルーツの類に野菜も50種類以上は存在しているようだ。


 しかし、一つだけ思わざるを得ないのが……食事の不味さだ。


 極めて不味い。

 恐ろしく不味い。


 沈まぬ太陽の帝国のメシマズさ加減すら超越しているくらいに不味い。


 渋いとか渋くないとか。

 苦いとか苦くないとか。

 酸っぱいとか酸っぱくないとか。

 そういう類のレベルではない。

 とにかく何でも極端な味付けなのだ。


 ついでに生野菜や果実の類は異様にボコボコと膨れていたりしてやたら不気味な形をしている。


 その不気味さを体現するようにそれら加工前の生食材はそのまま口に入れたらあまりの食感に気持ち悪くなる事請け合いだ。


 このような食材に対して苦いものは極限まで苦い。

 酸っぱいものは口が溶けるんじゃないかという程に酸っぱい。

 渋いものは死にそうなほどに渋い。

 という味付けが施されるのだから、顔だって引き攣らざるを得ない。

 ついでに甘味は稀少で砂糖類はほぼ最高級調味料扱い。

 ほぼ庶民では手に入らない。


 唯一、この世界でマシなのは飲み物関連と生食材でも極一部の稀少品だけだろう。


 果実が入ったものはほぼ全滅だが、穀物類を醸造した酒は一応飲める。


 水に塩を入れて乾燥した穀物類を無理矢理飲み込むのが一番楽である時点で料理に期待する事は無くなった。


 殆ど作業に等しい食事は苦行以外の何物でもないが、何も口にしないと色々と精神的にもアレなので仕方なくそうしている。


 食物が極めて不味かったり、料理が極端だったりする理由は朧げにだが特定出来るような気もするので誰に愚痴る事も無いが、少なくとも時間があったならマシな料理を自分で作る事だけは確実だろう。


「じゃあ、頼むよ~~」


 極めてその筋の柄の悪いヤンキーにしか見えないグラサンのひょろ長な男がガチムチで狗耳で顔とか腕に傷持つ黄色いアロハっぽいシャツ姿の連中に指をグネグネさせ、馬車を見送っていた。


 七両立ての荷馬車の列。


 王都から130km程の地点を現在難民の一団が通過しているらしい。


 事前調査の通りならば、“照華しょうかの地”では現在主要四カ国の内の二ヶ国が戦争中。


 国境地帯の街からは十万人単位で両国の人が追われている。


 主戦場となる前に逃げ出した者も多いらしいが、街一つの生産能力が喪失して人の生活を賄えるだけの物資生産地域はどちらの国でも周辺に無いらしく。


 其々の国家が独自に周辺地域で難民を収容してはいるものの、大半のキャンプは飽和する人数を支え切れずに政府援助から零れた人々が他国へと流出。


 移動しながら神殿などの援助を求めているのだという。


 勿論、食料も殆ど持っていない難民達は他国で食い繋ぐ為にあらゆる仕事を求めているが、求人が十万人単位で溢れているはずもない。


 更に親を失った戦災孤児も大多数となったら、これはもう盗む奪うが常態化するのも致し方ない話だ。


 神々はこれに慈悲深く当たるのだ、という神殿関係者の話を収集してみれば、実際には食糧支援などは行えても、犯罪に手を出す相手を大っぴらには助けられず。


 逆に地域住民からの請願で難民犯罪を取り締まる方に傾くのが常なのだとか。


 現実だろうがファンタジーだろうが難民が煙たがられるのはそれなりに理由がある。


 そして、その理由が最もなものである以上、難民に同情するのは本当に慈悲深く。


 また、難民が清貧を旨と為す場合だけだろう。


 当たり前の話だが、人権とは義務や責任を守る人々に対して優先的に国家が保障してやる代物であって、生まれた時から無償で発生しているような代物ではない。


 それこそ他国の人間にそれを保証するとすれば、それなりに必要なリソースが多過ぎる。


 同情の余地が在ろうとも犯罪者に人権を保障してやるには理由が必要だし、難民が可哀想だと同情して自国の民を蔑ろにするような行為は推奨されない。


 精々が慈悲の心と称して国際的な体裁を取り繕える程度の支援を行うのが関の山だ。


「………」


 月狗邦首都から各地に伸びる大街道は何千年にも渡って建設増築維持されてきたらしく。


 石畳の舗装された道が延々と各地に続いている。


 神殿が発起人となった道路整備は今も続いており、国家予算の二割程を毎年消費しながらも各国各地域へと分岐しながら大樹のように枝葉を伸ばし、少なくとも物流はかなり良さそうだ。


 見る限りの平野や山林の至るところに田畑が広がる光景は田舎の原風景というものを体現していたが、数時間も見れば十分な光景でもあるだろう。


 街道を時速30kmくらいで朝から休み無しで走った馬車が傾き始めた日差しの中、難民達を捉えたのはそろそろ男達も欠伸をし始めた頃合だった。


 荷馬車には水と食料が満載されていたが、最後の一両には鎖と首輪が大量。


 帰りは別に遅くてもいいという判断らしく。

 きっとゾロゾロ奴隷を引き連れて首都へと帰る事になるのだろう。


 こちらの馬車の列を見た難民達の動きはあまり変わらなかったが、変わりに十数人程の男達が薄汚れた麻布の服を着込んだままの姿でやってくる。


 手には農具。

 または剣、棍棒の類。

 だが、痩せ細った身体の者が大半だ。


 暮れ始めた数百人では済まない群集が馬車を連れて野の山林の方へと進む中。


 男達はこちらの荷馬車を睨み付けるかのように目を細めていた。


「やあやあ、難民の皆さ~~ん。食料は如何ですか~? 水と食料。水と食料。今なら御安くしておきますよ?」


 アロハ集団から金属鎧を付けた眼鏡姿の胡散臭い笑みの男が唇の端を吊り上げて、男達の前に進み出る。


 相手を馬鹿にしているのは一目瞭然。

 だが、男達は唇を噛むものの。

 何も言い返しはしなかった。


 男達の中から進み出た未だ立派な体格を有する身長の高い髭面の襤褸を着た男が鎧男の前に立った。


 その耳元は何やら薄緑色の甲羅……というか、何処かのロボの側頭部にありそうな楕円形型で曲線を描いた穴の開いたパーツが張り付いていた。


「何人だ?」


「月亀の方ですか? これは話が早い……男と女、年齢は二十から三十までで百五十人。どうかな?」


「……その車列に水と食料が満載されているとしても、それでは相場の二割り増しだ」


「ははは、馬鹿言うんじゃないよ。死に掛けの連中を首都まで連れて帰らなきゃならないんだ。途中で脱落するのが分かってる分を差し引いたら、十分な価格じゃないか?」


 両者に影を落とす日差しが鎧男の顔を暗く翳らせていく。


 荷馬車の最後尾から降りて話し合う男達の近くまで行くと殺気だった難民達の手がカタカタと震えているのが分かった。


 まぁ、自分の家族や友人や恋人を売れと言っているのだから、ヘラヘラ笑う鎧男を縊り殺したくなるのも無理は無い。


「荷物を検めさせてもらう。話はそれからだろう」

「……それが許される立場だとでも?」

「足元を見る人間に騙されてやる程にお人好しじゃない」

「チッ」


 舌打ちする男がこちらに気付いてか。

 何やら軽く手招きする。


「何ですか?」

「高い給料払うんだ。ちょっとは役立ってくれないか?」

「前金も無しに?」


「ああ?! ギルドへの上納金代わりに仕事発注してんだよ!? テメェみたいな何処の誰かも分からねぇ野郎なんざ、此処で奴隷にしちまってもいいんだぜ!? それともぶっ殺されてぇのか!?」


 鎧男が怒鳴り散らす。


 それを見た他のアロハ達が周囲では「また、やってんよ~」と苦笑気味だ。


 どうやらヒステリー鎧男の言動は毎度の事らしい。


「じゃあ、奴隷を貰えますか?」


「チッ、そっちの類か……ガメついんだよ!!? だが、それで他にお前の分の給料は無しだ!! いいか!! 分かったらとっとと仕事しろ!!」


「分かりました」


 自分より確実に10cm以上身長の高い襤褸男の前に立つ。


「とりあえず、今運んでる死人を渡して貰えます?」


 相手の耳に届くようヒソヒソと呟く。


「……何の話だ?」


 こちらの言い分に怪訝そうになった男が片手に下げていた剣をピクリとさせた。


「あの馬車の幾つか。もう死臭が出てますよ……そろそろ仮でも埋葬した方がいいと思いますけど」


「―――同胞をこんな所に見捨てていけと言うのか?」


 ピクリと襤褸男の片眉が動いた。


「さすがに神殿へ言えば、仕方なく埋葬した難民の遺体をどうこうしようって輩は居ないと思いますけど。時間が出来て、戦乱が終わったら回収して故郷の土に埋め直してあげては?」


「………お前はあいつらの護衛ではないのか?」


「ええ、護衛です。だから、一番死人が出ない方法で護衛しようかと。後方70m地点に20。右側面の雑木林に30。彼らの命の代金に其処の食料と水は差し上げます。ただ、食料は乾燥させて数年倉で保存していた代物だと思うので、かなり粗悪品ですけど」


「お前だけは助けてやろう……」


「いえ、一応。ギルドの人に迷惑は掛けられないので護衛らしく命だけは救っておかないと」


「ならば、敵だ」

「こっちで無力化しましょう。そうしたら、放置でいいでしょう?」

「……たった一人で出来ると?」

「もう終わってますよ」

「何?」


 襤褸男がこちらの背後に視線をやった途端。

 バタバタと男達が倒れ伏していく光景に僅か表情を変えた。


 それと同時に周囲から数十人の男達が奇襲とばかりに走ってくるが、すぐに男が馬車の傍まで駆け寄ると大声で男達を制止した。


「この男達には手を出すな!! こいつらは道端に退けるだけでいい!! それよりも食料と水を回収してただちに撤収する!! 最後尾に8班を付けろ!!」


 部隊は全員襤褸を纏っていたが、誰も精悍な顔付きで僅かに筋肉は細っていたが、それでも十分に歴戦の相手と分かるくらいには規律正しく馬車を乗っ取り、誘導し、中身を確認しても喜びの声一つ上げず粛々と言われた通りの命令を実行していく。


 傍まで戻ってきた男が先程よりは幾分か険の取れた顔でこちらを凝視した。


「魔術師か」


「そんなもんです。それでなんですが、一緒に行動させて貰えませんか?」


「一緒にだと?」


「ええ、こいつらは三日もすれば目が醒めます。放置してもいいので此処でお別れって事で」


「お前はこいつらから報酬をまだ貰ってないのではないのか?」


「目的は達成しましたから。今回の一件に関してあなたがこちらに感謝してくれる程度の気持ちがあるなら、道行に連れて行ってくれませんか?」


「難民と共に放浪したい、とは何の冗談だ?」


「盗賊ギルドでしたっけ。彼らに幾らか情報を集めて貰ったら、今戦争してる二つの国の国境警備隊が両国から見捨てられた難民に付いていって自警団を敵味方関係なく組織したとか。難民犯罪の取り締まりに神殿が山賊認定しても積極的には取り締まれていないとか。そういう話が聞こえて来たので、この仕事を受けたんです」


「……報奨金目当てか?」

「いいえ、出来れば、ちょっと自警団に取引を持ち掛けたくて」

「取引?」


「難民の数は両国から出ている者達だけで80万人規模。現在、周辺国に散らばったのが30万人。そして、残りの50万人は4方向に分かれながら各地の神殿の支援を受けつつ、影域までの最短ルートを持つこの月狗邦げっくほうの大街道付近を移動中。難民の最先頭の行き先は影域の盟主とも噂される【貴天の麒麟国】……影域では珍しい“人理の塔”を持つ国……これは噂なんですが、その国が難民支援として大蒼海アズーリアを難民達に解放し、影域各国とも連絡を取り合っているとか。此処から考えられる事態は三つ。難民を迅速に大蒼海アズーリア経由で他の影域に送り込んでいるか。もしくは衣食住を提供して労働力を大量に確保しているか。または大規模な軍備増強の人手不足を補っているか。という結論になるんです」


「………ほう? それで」


「まぁ、とにかく人間を短期間に大量に必要としている国家なんてのが面倒な問題を抱えてないわけもないですよね」


「そうだな。それで自警団に“貴殿”はどんな取引を持ち掛けるつもりだ?」


「自警団のトップは当然のように【貴天の麒麟国】との間に太いパイプを持っているはずです。ついでに千人規模の軍集団を統括していると考えていい。統率の取れた難民移動なんて芸当を部隊で行うには極めて高度な指揮能力が必要になる。だから、丁度いいと思ったんです」


「丁度いい?」


「ええ、ちょっと今、国家を一つか二つ欲しいと思ってたので。影域からの支援付きで行動出来る今が機会としては最良……まぁ、とりあえず難民達を餓えからある程度解放して信任を得たら、部隊を幾らか任せてもらえないかなぁ、と」


「………狂人の類だったとは思わなかったが……言っている事の正確性は評価に値する……つまり、貴殿は国家が欲しい。だから、それに見合う軍事力を保有する為に自警団に参加し、尚且つ我々の食糧問題を解決して差し上げよう……そう言っているのか?」


「簡潔に言えば」


 襤褸男が周囲で聞き耳を立てている部下を前にして僅かに目を細める。


「……貴殿、名は?」

「イシエ・ジー・セニカ」


「では、貴殿の言う事が事実だという証を立ててみろ。もしそれが出来たのなら、貴殿に部隊の一翼を任せよう」


「ありがとうございます。名前を窺っても?」


「ワタシは月亀王国げっき・おうこく国境街スッポン防衛部隊の元隊長ジン・サカマツ一佐だ」


「……探してた自警団の隊長が“兎殺しのサカマツ”って呼ばれてるんですけど」


「それはワタシだ」


 どうやら最初からビンゴだったらしい。


「じゃあ、三日後に影域へ向かう全ての難民集団に食料が行き渡るようにしますから。四日後にまた……300人程集めてもらっていれば、十分ですから」


「随分な自信だな」


「後、此処の難民集団に他にも物資が届くと思うので。そっちは好きに使ってくれて構いません」


「物資?」

「薬や食料、武器、色々必要ですよね?」

「……期待せずに待っていよう」


「四日後は月牛げつぎゅうの国境域に居ますから。確認と伝令の為の人員をそこら辺に配置しておいて下さい。じゃあ、これで……」


 背を向けて歩き出す。

 後からは視線のみ。


 魔術で照準くらいされるかと思ったのだが、耳は詠唱の一つも捉えなかった。


 ある程度の実力は認めさせる事が出来ただろうか。

 どうなるにせよ。

 下準備は既に終わらせている。

 寝る間もなくの移動と次の行動も決まっている。


 山積みの問題を一つずつ丁寧に迅速に解決していく事で状況は加速度的に輪郭を描き出すだろう。


 それを自分の思い通りにする為、まだまだ駈けずり回る必要がある。


 人の視線が途切れるのと同時に速度を上げて走り出す。

 夕暮れ時の天海は穏やかな橙色に染まっていた。


【一佐!! あの狂人生かしておいてよろしいのですか!?】


【……少なくとも此処にいる部隊だけでどうこう出来る存在には見えなかった】


【ですが、あの情報は!?】


【言うな……我々は所詮、難民にしか過ぎない……世の荒波に弄ばれれば露と消える……今、麒麟国もどうやら神殿との間に問題を抱えているらしい……いつ支援が滞るか分からない以上、何をしてでも民の命を優先するべきだろう】


【お言葉は分かりますが、あの何処の誰とも分からぬ男に部隊を預けるという約束は……】


【オレが傍に付く。もしあの男の言葉に嘘が無かったならば、だがな】


【……分かりました。ですが、本当に食料や武器が? 嘘にしても大言壮語が過ぎるかと思いますが……】


【嘘ならば、要求を突っ返せばいい。その時までに300人集めておけと言ったのはあちらだ】


【では、本当に集めるのですか?】


【最初からそろそろ本隊に各地の部隊の幾つかを合流させる手筈ではあった。神殿からの支援が滞り始めた現在、対決姿勢を鮮明にする神殿もちらほらと出てきたからな。次に合流ポイントで一度各隊の隊長と話し合わなければと思っていたのも本当のところだ】


【分かりました。では、任務に戻ります】

【ああ、殿は任せた】


 まずは首都に取って返す。


 移動手段が徒歩で馬よりも速く付くというのだから、自分もついに来るところまで来てしまった感があったものの、それに囚われている場合でもない。


 懐から取り出したインカムを装着する。


『応答しろ。話は付いた』


 相手の声を骨振動で拾いつつ、確保していた移動手段の待機状態を尋ね。


 次のポイントの情報を脳裏へと書き出しておく。


 接触の成功に内心の安堵を飲み下しつつ、速度を上げる。


 夕景は流れる光の洪水のように滲んでいった。

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