間奏「その日の出来事Ⅱ」

 緘口令の敷かれた邸宅周辺に出入りする怪しい影。

 そんなものは極めてヤバイと分かるだろう。


 だからか。


 近頃激しくなっていた各国の諜報部門の視線は唯の一つも現在邸宅の中では感じられなくなっていた。


 事態は急を要する。


 そして、関係各所に根回しして、あの老人と巨女に諸々の仕事を押し付け終わったのが数時間前。


 ようやく本国からやってきたその肩に黒猫を乗せたアイアンメイデン。


 鋼鉄の乙女は寝台横で準備していたこちらを見詰めて一言。


「……行くのかや?」


 そう訊ねた。

 未だ明け方は遠い。

 傍には未だ全ての肉体が寝かせられている。


「ああ、その前に維持は可能か?」


「うむ……ワシとて進歩はしておる。神経接続する機器自体は前々からあったものを幾らか解明もした。百合音の肉体を創る時に使用した時からメンテナンスも欠かしてはおらん。霊薬の研究成果も合わせれば、その人数でも生かし続ける事は可能じゃろう」


「そうか……頼んだ搬送用の機材は?」


「今、中庭に運び込ませておる……ちなみに羅丈は使っておらん……今回はあの老人の手を借りた」


「分かった。分離出来たら、こいつらの事は頼むぞ」


「任せておけ。だが、今回はさすがのワシも腹に据えかねるものがあるのでな。機械の身体の方で付いてゆこう」


「……無茶な事になるぞ?」


「今更ではないか。我が子を此処までされて黙っていては女の名折れというものじゃ」


「そうか。迷惑を掛ける」

「で、追い掛ける算段は?」


「今、他宗派にアンジュの部下が根回ししてる。このまま天海の階箸まで行って、発掘してたアレを使わせてもらう」


「フッ、まさか、この歳になって世界の外に飛び出そうとは人生分からぬものじゃな」


「統合側も混乱してるが、とりあえず生きてる前提で話してある。こいつらの詳しいところは伏せておいてくれ」


「うむ。良いぞよ。では、機材も来たようだし、外に出ようか。助けはいるかや?」


「自分の花嫁くらい自分で抱くさ」


 繭状に展開していたソレの下に繊毛状の器官を生やして移動を開始する。


 既に片付けられた庭の硝子。

 その場所に置かれた複数の連結されたポットの数々。

 どうやらトレーラーのようなもので運ぶ仕様なのか。

 機械式の液体に満たされた培養槽。


 メタリックな試験管にも見えるソレへ一人一人丁寧に触手を編んだ籠で肉体を入れ込んでいく。


 この光景を見ていたEE達の息を呑んだ様子が伝わってくる。

 だが、それに何を思う事も無かった。

 全員を丁寧に入れ終えるまで約十分。

 誰も声を上げる事無く。


 確かに全ての肉体が触手の切断後も首筋に伸びて連結されたボルトのようなパイプで維持されたのを確認して……目を閉じた。


「婿殿」


「……こっちは任せた。輸送機のところまで車両で移動だ。その後はそちらに任せてもいいか? 統合側には準備して貰ってるが、お前が来るなら最後の調整はお前に任せたい」


「勿論。ワシが自ら行おう」

「ああ、頼んだ」


 黒猫が連結されたカプセルの上に立ち。

 EE達に指示を出し始める。

 それを横目に着替えた花婿衣装の埃を払う。

 傍らに音も無く降り立った鋼のガイノイド。

 ヒルコを横に連れて歩き出すと。

 何やらEEの誰もが強張った顔で道を開けた。


「ああ、どうやらまだ居たようで」

「?」


 屋敷の玄関口。

 その門の前に1人。


 白いスーツの男が両手に大きな旅行鞄トランクを引いて立っていた。


 その桁外れの大きさは全長で3m。

 自分より大きいソレを曳いて来たのだろうかと思うのも束の間。

 おもむろに歩き出した男が目の前に立った。

 ヌッと。

 まるで悪魔のように。

 あるいは単なる好奇心によって。

 半貌がケロイド状の男が瞳を耀かせて、こちらを覗き込む。


「今、あんたの顔をマジマジと見ていたい気分じゃないんだが……」


「承知しています」


 スッと後に引いた現在の空飛ぶ麺類教団の仮のトップが微笑む。


「今日はご挨拶をと思いまして」

「何のだ?」


「本当は新婚祝いを持ってくるはずだったんですが、何かとご入用だろうと急遽用意させて貰いました」


 男がトランクから後へと後退し、片手を胸に当てて礼をする。


「耐熱対冷対真空対宇宙線。極地環境用の旅行鞄です。中身は開けてからのお愉しみという事で……」


「情報が随分早いな。手引きしたりしてないだろうな?」


「とんでもない。教団が捉えられたのは空の彼方へと上昇していく機影だけでした」


「……感謝はしないが、ありがたく使わせてもらう」

「賢明な判断です。ああ、それと」

「何だ?」


「帰ってきたら使い心地を教えて頂ければ。今後の開発に反映する予定なもので」


「帰ってきたらな」


「はは、帰ってきますとも。ええ、医者としての立場から言わせて貰えば、本人の肉体の信号を現在残っている遺失技術で100%欺瞞、維持するのは不可能です。機能だけならば問題ありませんが、神経細胞を伝わる信号の変化はそれだけで諸々、肉体に支障を来す。もし再接合が上手くいったとしても、寿命なり、病気なり、ストレスなり、非活性化する遺伝子やホルモンや脳内物質の途絶などでの悪影響は免れない」


「………」


「期限は恐らく130日以内。これは甘く見積もっての数字です。もしかしたら、現地で肉体を“生やす”方が現実的かもしれませんよ?」


「その忠告、素直に受け取っておく」


「ええ、是非そうして下さい。ああ、それと現実的に100日程度で帰ってこなければ、この国が無くなっている可能性も考慮した方がよいでしょう」


「何?」


 肩を竦めたケロイド男が溜息を一つ。


「実はある情報を入手しまして。どうやら、【鳴かぬ鳩会サイレント・ポッポー】が本気で動き出しました。総統閣下の演説に触発されただけではないようで……どうやら彼女も本気らしい。上がいないというのに対応に追われている最中なんですよ」


「戦略兵器の餌食になる覚悟で攻めてくるってのか?」


「ああ、そう言えば、戦略原潜持ってるんでしたか。でも、彼女の事はあまり知らないようで……言っておきますが、彼女美人の癖にかなりエグイんですよ。ええ、それはもう……戦略兵器くらいなら直撃してもケロリとしているかもしれないくらいの実力はあるとこっちは見ています。何もかもを守りたいと願うなら、お早めの帰還をお勧めしますよ……」


「このトランクは貰っていく。じゃあな……」

「また会う機会がある事を願っています」


 ヒルコが両手にトランクを持ったところで道幅ギリギリの巨大なトレーラーらしき車両が背後の扉を開いて待っているのが目に入った。


「行くぞ」

「うむ」


 降ろされたタラップを昇る背後で男が立ち去っていく足音が響く。


『自分より怖い顔なんて久しぶりに見ましたよ』


 そんな呟きを背に扉が閉まる。


 どうやら、自分もそろそろ旧世界者連中に諸々追いついて来ているらしかった。

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