第112話「風狂独禍」

 歴史にIFは無いと学者達は時折、口にする。

 もし独逸ドイツの降伏が日本より遅ければ。

 もし伊太利亜イタリアの脱落があの日より遅ければ。

 もしあの天下分け目の大海戦に日本が勝利していれば。

 時代は、歴史は……違っていたかのもしれない。

 浮かび上がるのは過程の合理性や妥当性。

 より多くを準備して、より多くを積み上げたかどうか。


 戦略シミュレーション系のゲームが戦術や戦略よりも内政によって戦争を有利に運べる事は因果的に正しい。


 どんな軍人も補給無しには戦えない。


 人間が食べられなければ死ぬのと同義の事として、用意されていないものは結果に繋がらない。


 航空戦力があっても、投下する爆弾が無い。

 重火器は一杯あっても、撃つ銃弾が無い。


 このような段になれば、もはや兵隊は己の身一つ万歳突撃でもするか。


 それとも追い詰められて自殺か。


 はたまた投降するというのが世の常である(生き残れるとは言っていない)。


 パン共和国。


 この“僕の戦い”に巻き込まれてしまった稀有な国家の最も優秀と断じられるところは……そのような内政から来る不備が合理的な民族特性と後天的な教育によって確立される人格的に優れた者達の用意によって、ほぼ無いという事である。


 まぁ、ぶっちゃけると官僚が超有能。

 上司が超有能。


 オレだけが無能なのかよと悩めるくらいには上層の上澄みが仕事の出来るエリートであるという事に尽きるらしい。


 実際、どうして言ってもいないのに必要そうな物資がしこたま襲撃前の待機地点に置かれているのだろうかと目を疑った。


 この戦う前の兵隊なら極めて嬉しいプレゼントは誰から?


 そう思いながら物資の木箱を開けたのは言うまでも無い。


 確認する限り。


 行軍に必要な物資は可能な限り集めましたと言わんばかりに全てあった。


 最新型の重火器。


 それも付属するカートン単位の銃弾はポ連装備の接収後に更新されたらしい最新式火薬を使った代物と来ている。


 つまりは確実に現代水準だ。


 狙撃用対物ライフルの試作品らしきものや大きな硝子製の盾や鎧。


 拳銃、小銃、手榴弾。

 他諸々の携帯糧食や水。

 極々小型の携帯コンロまである。

 正にこれから一仕事する兵隊には宝の山だろう。

 黒猫ボディーなヒルコを別働隊に回して通信を確保しつつ。


 空挺降下に使ったポ連輸送機の見える手前の場所まで来たら、それが既に置かれていたのだから、たぶんはこちらの動向を掴んでいる参謀本部将校辺りの采配だろう。


 仕事をしてくれた誰かには感謝しかない。

 実際、これから行おうとしているNVの破壊は難事だ。


 重火器があったところで目標を捕捉出来ないし、出来たところで戦えないが、それでも食料一つ、武装一つが生死を分ける事は多々有り得る。


 まぁ、それが本来の生死の境に飛び込む者の気持ちなのだろうが、実に有能な戦闘の実務者達が輸送機を監視しているNVを見えないにも関わらずに観測、監視していた事で死ぬ可能性は極めて低くなった。


 驚くに値するだけの忍耐とはこういう事か。


 情報部門の都市迷彩で市民に化けた男達はずっとNVの動向を追いながら、予測を立て、観測し易いポイントで只管に待ち、少しでも土煙や土埃の類で確認出来たら目を離さず。


 現在位置をマーキングし続け、こちらの見つける手間を省いてくれた。


 犠牲になる覚悟で隠れながらの追跡。

 これを交代で数十時間以上行う。


 そんな輩が自分へ数十人単位で張り付いている、なんて……ハイテクに慣れた連中には思いも至らない話だろう。


 人間が持ち得る能力を最大源に理解し、運用し、敵に対して今持ち得る手札で的確な対策を行う……この実際、戦場でしか磨かれようのない能力において【統合バレル】の兵は確実に実戦を潜り続けてきた共和国の一般兵にすら劣る。


 原始的作業による超技術の利点潰しとは……まるで物語の逆転劇を見ているかのようだろう。


『仕留める』


 敵の位置を最初から知っているこちらが一撃で相手を無力化する事は……もはや難事では無い。


『―――』


 ガトーが消えたまま背後から近付き。

 背骨の伝送系を一瞬で寸断。

 返すダガーを振り向こうとして崩れ落ちる相手の脇腹から差し込み。

 一撃でコックピットを破壊した。

 根気と努力と根性の勝利。


 相手の沈黙と同時にすぐ待機地点で待っていた補給部隊がポ連輸送機に馬車を走らせる。


 その上にいるのはガイノイドボディーのヒルコだ。


 狙撃用レールガンの搬入が終われば、すぐさま飛び立つだろう。


 上空からの攻撃は極めて複雑な弾道計算が必要という事から輸送機を遠隔操縦出来るヒルコが単独で行う事になった。


 まだ燃料はかなり残っており。

 作戦発動までの時間。

 空中での待機も余裕との事。


 もし共和国群の狙撃でバンカーバスターを撃ち漏らしても、その時にはヒルコが上空からサポートに入ると事前に打ち合わせは終わっている。


 レールガンを撃ち尽くしたら、即座輸送機から降下。

 相手に特攻させる。

 それがガトーとこちら……他一名が突入する合図だ。


『三分後に離陸する』


「ああ、気を付けろよ」


『ワシよりもそれは百合音に言うがよいぞよ』


 耳元のインカムからの声が途絶えた。

 昼時に差し掛かろうという日差しは未だ熱く。

 輸送機が背後のハッチを開ける様子を見送って。

 姿を現したガトーの左肩に飛び乗る。

 倒したNVは共和国軍に任せ、再び待機地点まで戻ってくると。


 特別突入部隊(仮)の新規隊員が部下の部下の部下の部下の部下くらいの男女達に次々指示を飛ばして、持ち歩ける小型電信設備……太いアンテナの立った大型リュックを背負う直立不動の男の横で何やら何処かに連絡を入れていた。


 不憫な事に僅か顔が険しい総司令官に横の30くらいの彼は冷や汗か脂汗をダラダラ掻いていた。


「あ、カシゲェニシさん。どうやらあちらにも動きがあるようです」


「まさか、もう投下を始めたとか?」


 肩から降りて傍まで行って訊ねる。


「いいえ。どうやら、地下で戦闘が起こっているようで」

「戦闘……最悪の事態としては……化け物がもう出てきた?」


 それならば極めて悪い知らせだ。


「少なくともカイジューでしたか? 巨大な生命体のようなものではないはずです。小銃の音が聞こえると観測班からの連絡が……」


「それはそれでマズイ……」

「もう一人の黒い影、ですか?」


「アレは……レールガンの直撃を避けた以外はチェーンガンを普通に喰らってた事から推測して、歩兵の携行火器で倒せるような相手じゃない。後、途中遺跡で拾ったコレと同じ素材を纏ってるとしたら、夜の危険度は昼の比じゃない。日没前に倒さないと首都の軍が全滅する可能性もあります」


 懐から黒い羽毛を透明なプラスチックで固めたようなソレを取り出す。


「これがカイジューの羽毛ですか?」


「ええ、自己を中心とした一定空間内の波を吸収する。音、光、たぶんはある程度の衝撃、運動エネルギー自体は減衰しない……言ってる意味判りますか?」


「隠密性能が極めて高いと」


「はい。夜の暗さじゃ絶対見えないし、聞こえません。これが連中に解析されて、音すらしなくなった見えない敵が大量に沸いたりしても、こちらは対抗出来ないと言っておきます」


「ふむ。それ売って頂く事は?」


 最もな話だ。


 自分達でそれを使えるならばという希望に縋りたいのは分かる。


 しかし、首を横に振る。


「生憎と非売品です。まだこの大陸から人間が絶滅するところなんて見たくないので。コレを見せたのは今たぶん地下でドンパチしてるヤツが出てきたら、説明してる暇なんてないからですよ」


「不死の人間でも倒せないと?」


「黒いのの装備と戦闘状況を見た感想ですが、アレなら戦い続けて一個軍団一人で消耗させる事すら出来るかもしれない……対人戦闘、対機甲戦闘、どっちもオレなんか足元にも及ばないと言えば、どれだけ危ないのか分かりますか?」


「………」


「倒したら絶対地下遺跡に放り込んで封印するので悪しからず。敵は再生可能な殺人大好き超人。話も通じないと見ていい。第一目標は【統合バレル】の制圧ですが、今の話が本当なら第二目標として、ソレとも対峙しなきゃならないかもしれない。ですが、その時はかなり厳しいと……覚悟しておいて下さい」


 こちらの言葉に耳を傾けていたベアトリックスが軽い溜息を一つ。


「今は貴方の言う事を優先します。父もそうするでしょう」


 レールガンを背中に担いで静かな視線で頷いた。


「オレが出会った時には元気でしたよ」


「そうでなくては困ります。実際、我々の不甲斐なさから公国に預ける事となりましたが、今も忸怩たる思いがありますから……」


 そう言った巨女の腕が僅かに血管を浮き出させる。


「やっぱり、心配ですか?」


「父のような狂人が真に人を幸せにすると信じて、此処までやってきました。少なくとも寿命以外の理由で退場は許されません」


 思ってもいなかった言葉に思わず目を瞬かせる。


「……意外です」


 苦笑が返る。


「父は家庭において優しい人でした。人が羨むくらいには良い生活をさせて貰い。人一倍時間が取れない中、人一倍の愛を注いで育ててくれた。でも、軍に入って父に仕えるようになってからは……どういう人間なのかがよく分かりました。その優しさは残酷さと同義だった……カシゲェニシさん。それは貴方がはずです」


「―――」


 二頭立ての物資を積んだ馬車が横を通り過ぎて地下へ続く鉄扉へと向かっていく。


「冷静に。例え、娘が死んだとしても、頭は冷たく。怒りと同等に計算を働かせる事が出来る。それは少なくとも人間ですが、普通の範疇ではない……」


 巨女の言い分は限りなく胸に突き刺さる。


 確かに……それは物分りが良過ぎたり、冷静過ぎる……高校生の領分に無いだろう勘や己を律して働かせる事の出来るニートには当て嵌まる話だ。


「だから、父が貴方に惹かれた理由は最初に出会った時から分かっていました」


 瞳にぎるのは必ずしも好意的な色ではない。


 そう、本当に一歩間違えば、軽く命の遣り取りが始まってしまいそうな……今まで自制していたのだろう巨女の笑みは渇いていた。


「父は本当に友と言える人間を欲していた。自分と同等の性質や素質を持ち、を……我々のようなには場所で思考する存在を……」


 耳に痛過ぎて、実際困る。

 そんなの自分が一番良く分かっている。

 分かっていたつもりだった。


 しかし、それを面と向かって指摘されるというのはこれほどにキツイものだろうかと。


 溜息すら出ず。

 最後の馬車が出る。

 それが目の前に止まって。


 二人で乗り込めば、こちらを確認したガトーが先頭の馬車を追い掛けて鉄扉を潜っていく。


「戦争への道には善意が敷かれていると父はよく言っていました。自分がそうしてきたからと。それなら悪意は何の道に敷かれているのかと聞いた私に答えは返らなかった……カシゲェニシさん……」


「何ですか?」


「どうか覚えておいて下さい。誰もが父と貴方のようには出来ない―――」


 ベアトリックス・コンスターチは初めて素顔を、僅か哀しげな表情を、こちらに浮かべた。


「身を滅ぼすのはいつだとて、無理解と傲慢であるという事を……」


「……肝に命じておきます」


 思わぬ処から来たナイフは胸を素通りしていった。

 それでも「ああ」と思うのだ。


 きっと、あの老人は……目の前の彼女の父親は……今の自分と同じ気持ちで娘にこう答えたかったのではないのかと。


―――悪意の敷かれた後に残るのは諦観と理解が示すもの……平和であると。


 いつだとて長い幸福は戦争に厭いた人々の願いから生まれる。


 もう戦えない。

 もう争えない。

 もう死ぬのは嫌だ。

 もう食べられないのは嫌だ。

 もう凍えるのは嫌だ。

 もう殺すのは嫌だ。


 そんな、あらゆる主義主張イデオロギーと消耗した合理性リアル感情エゴに負けた時。


 人はようやく悲惨な戦争から僅か学ぶのだ。

 あの遺跡を封印した者達がそうであったように。


「さて……しばらくは我慢の時。作戦開始まで少し仮眠を取りましょう。眠るのも兵士の仕事の内ですから……」


 今までの表情など嘘のように。

 出会った時から変わらぬ笑みを讃えて。

 そう巨女は瞳を閉じた。


「良い夢を……」

「……はい」


 自分が狂人の類だなんて事。

 人を殺した辺りからとっくの昔に気付いていた。


 少なくとも、自分は……百合音やフラムのように渇いた瞳すら出来ない人種だ。


 割り切れてしまう己に疑問は持てても、嫌悪感は無い。


 それが遺跡のせいなのか。

 単なる本質だったのか。

 どちらにしろ。

 今は戦うしかないのだ。

 何かを守りたいと願うならば。


(醒めた夢に憐れと涙する時間があるなら、オレはきっと剣でも筆でも構わず取るんだろう……それが例え自分を孤立させる力なんだとしても……まったく、誰に似たんだか……)


 瞳を閉じた後に残ったのはカラカラと回る車輪の音だけだった。

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