第91話「夏のカレーは渚にて」

 車輪が回っている。

 永劫の環の中で狂っている。


『エニシ。時間はお前の味方だ』

『エニシ。時間は貴方の味方よ』


 それはホイール・オブ・フォーチュンとでも言うべきなのか。


 母が言っていた。


 量子力学は並行世界が無い事を証明出来るが、運命が無いとは証明出来ない、と。


 紐は全ての形を描いて宇宙を規定する。

 紐の先が何処に繋がっているのか。

 あるいはどんな環が世界を創っているのか。

 それを知る事は運命を知るに等しいのだ、と。


 科学者が運命なんて言えば、鼻で笑うものという思い込みはあるだろう。


 しかし、実際には最新の先端科学技術分野は理解不能な事象を目に見える範囲で定義付け、肉薄して穴埋め問題を作っているようなものだ。


 その“抜け”になっている部分が本当に“無い”のかどうかは技術と観測行為の高度化があって初めて正しく判断し、修整が出来る。


 だから、それまでは考えられている“抜け”は正しく未確定。


 明日、従来の物理法則では説明出来ない物質が発見されるかもしれないし、運命が存在すると証明されるかもしれない。


 それにどんな学術的な名前が、科学的な用語を当て嵌めたコードが名付けられるのだとしても、本質は最初から変わっていない。


 人は見付ける事で既知を塗り替え、有無を選択し続けている。


 世界の在り様は法則を含めて、ゆっくりと変質したりもするが、人間という矮小な極々短時間しか存在出来ない生物が限られた時間と主観でそれを全て認識するのは不可能だろう。


『母さんはお前を最後の時まで発信し続ける』

『貴方がどんな世に辿り着こうとお父さんの残した身体があるわ』


 混濁する意識に浮かぶ雑然とした映像の群れ。

 それが形作るのは幼い頃。

 初めて入った親の研究室で見た不思議な色合いの環。


 きっと、母以外には正確なところも分からないのだろうソレこそが、何故か運命なのだと信じられた。


『例え、世界が万度滅ぼうと……息子よ。君は決して滅びない』

『例え、太陽が砕けても、貴方は決して欠けたりしない』


 車輪が回っている。

 永劫の環の中で狂っている。


 誰かの記録を見る度に誰かの記憶を思い出す度に少しずつ少しずつ時間は証明している。


 科学の進歩がこの世の全てに届くまで時間は然して残されていない。


『いつかの何処かがある限り』

『いつかの誰かがいる限り』


 好きだった人がいた。

 変えたい奴がいた。


『それが宇宙の終わりでも』


『あなたはきっと存在する。それが、其処こそが私達の未来よ。エニシ』


 助けたい世界があった。

 信じたい未来があった。


『さぁ、始まりの時だ』


 彼女は幸せだっただろうか。

 彼は何処まで行けただろうか。


 君よ……どうか宝物と共に……失われないでくれ。


 そう祈りは積もる。


『起きなさい……』


 歯車の上で、運命の車輪の上で、カウンターが午前零時を告げる。


 そして、昨日もまた今日となる。

 今日が明日となるように。


エニシ殿……】


 世界が暗転した。


 *


「?」


 ふと目が覚めれば、狭い場所にいた。


 天井付近の窓からは僅かな潮騒と磯の香りがする風と陽光が入ってきている。


 胡乱な心地で毛布が自分を覆っていると気付くのに数秒。


 しかし、それ以上に柔らかな温もりと僅かに汗ばんだ身体が妙に重たく心地良い感触に晒されているのを理解し、動こうとしたものの……失敗する。


 その上、何故か股間が張り詰めて心地良く圧迫されている。

 朝の生理現象かと思うものの。


 サラサラと毛布内部で腕を撫ぜ落ちる何かの感触に少し両手の指先を動かしてみた。


『んっ……ぁ……』


 甘く意識がふやけてしまいそうな声。

 指先から齎されるのは弾力。


 それも掴んだソレはしっとりとした質感でありながらも、僅かに微熱を帯びており、いつまででもそうしていたいという欲求に駆られた。


『―――よ』


「?」


『開け―――よ!!』


「??」


 外からの声が響いたような気がしたのだが、すぐに治まる。


 幻聴でも聞こえてきたのかとも思ったが、ふと自分のいる狭い空間の傍に小さな入り口と横にスライドさせる戸があると気付く。


 途端、ドガンッとドアがブチ破られた。


『開けるのよ!! A24!!』


「あ」


 その先から数人が雪崩込んでくる。

 狭い馬車の更に狭い寝台のある荷台である。

 思わず驚きに固まった身体は少女達を受け止め切れなかった。


「A24!! ようやく会えたのよ!?」


 抱き付いて来るのは眩しい笑みのオルガン・ビーンズのお姫様にして聖女様。


 パシフィカだった。


「ああ、ようやく……心配を掛けて、まったく貴方は……」


 その後ろからはサナリが涙目でこちらに安堵の笑みを浮かべていた。


「ああ、カシゲェニシ様!? リュティッヒはッッ!! リュティッヒはッッ!!? 感動の涙でま゛え゛が゛み゛え゛ま゛せ゛ん゛ッッ!!?!」


 更にその後ろではボロ泣きな胸のふくよか過ぎる料理上手なメイド長、リュティさんが、金髪メイド少女達に慰められている。


「此処は……共和国か?」

「ええ、お帰りなさい。エニシ」


 サナリが涙を拭ってから、笑顔でこちらを起こそうと毛布を―――。


『う~~重いでござるよ縁殿~~』


 周囲が固まる。

 無論のように自分も固まる。

 そして、パシフィカの下。


 毛布の中からモソモソと目を擦った……生まれた姿のままの……百合音が、身を起こした。


「「「!!!?」」」


 誰もが驚きに目を見開いたのは当然

 そして、気付いた事だろう。


 股間の上に座るようにして抱き付いていた美幼女の尻を鷲掴みにする男の手に。


「A24!! 百合音とばっかりずるいわ!!? あたしにもするのよ!!」


 その場で服を脱ぎ出そうとするパシフィカが顔を引き攣らせたサナリに止められ、それを金髪メイド達が「まぁ?!」と頬を赤くしつつ、両手で顔を覆いながら指の合間より覗き、「あらあら、お邪魔でしたね♪」と要らない気を利かせたリュティさんが「分かってますわ♪」とウィンク一つで馬車から出て行く。


「縁殿~~んぅ♪ もう少し強くても……っ、某はよいのでござるよ?」


 頬を染めつつ、艶美な姿態を恥ずかしげもなく見せつけ、こちらに流し目を送ってくる幼女が長い髪に姿態を包みながら微笑んで囁く。


「エ、エエエエ、エニシ!? つ、妻というものがいながら、どうして貴方はそうッ!? そうッッ!?」


 涙目になったサナリが自身も頬を赤くしつつも、肩を揺さぶった。


「サナリも混ざるのよ♪」

「あ、いや、ちょ」


 パシフィカのこういう時の行動力だけは凄まじい。

 思わぬ程素早く。


 プリーストっぽいサナリの衣装を……下だけガバッと勢いで下げた。


「ぶほ?!」


 思わず咳き込む程に衝撃的だったのはサナリの下半身が普通に露となった事か。


 普通、こういうお色気ハプニングでは無駄に光が差し込んだり、途中で邪魔が入るものである(アニメ的解決として)。


 しかし、そんな事は無かった。


「きゃ?! あ、やめ!?」


 下を隠そうと咄嗟に両手を使ったサナリの後ろへササッと回り込んだパシフィカが今度は上の大切な結び目を諸々三秒で解いた。


 バサッと衣装が前に落ちる音に少女は慌てて屈み込み。

 身体を覆うよう両手で衣服を引き寄せた後。

 また別の意味で涙目となって、こちらをジロリと睨む。


「な、何を見ているのですか!? エニシ!? つ、妻の裸とて、そう簡単に見ていいものじゃな―――」


『エニシ!! エニシは何処にいるんですの!?』


 また、何かやってきたらしい。

 一瞬で声が馬車に近付いてきたかと思うと。

 すぐ内部に見知った顔が入ってきた。


「あ、ようやく見つけましたわよ!? エニシ!!? わたくしがどれだけ心ぱ―――」


 内部の状況に絶句したのは……魚醤連合にいるはずの存在。

 そして、あの飛行船で共に遺跡へと向かった彼女。

 金髪を左に巻き毛にしたおほほ哄笑系お嬢様。

 褐色の肌をしたグラマラスなボディーの持ち主。

 銀色の貝殻を頭に付けた蒼い制服の美女。

 ベラリオーネ・シーレーンだった。


「な、ななな、あ、ああ、朝、朝から一体何してるんですのおおおおおおおおおおお?!!!?」


 目を渦巻き状に混乱させつつ、何処かの軍師みたいにハワワ状態になった海の国のテンプレ女がプルプルと震えながら、こちらを指差す。


「ま、ままま、まさか、朝からこんな小さな子から、可愛い子から健気そうな子まで全員と!?! ふ、不潔ですわぁあああぁあぁッッ!?!? やはり!? あの飛行船の一件でキャベツを食べさせていたのも貴方の命令だったんですのね!!? うぅうぅぅ、わ、わたくしの初めてをこんな男に!?!? このッッ!! カシゲェニシのキャベツ男ッッ!!」


「エニシ!? キャ、キャキャ、キャベツとはどういう事ですか!? 説明をッ!? 説明を要求しますッ!?」


「A24とキャベツ……パシフィカも食べるのよ!? ね? A24!?」


「縁殿~一緒にするのでござるか? ふふ……随分と猛っている様子 よいでござるよ? 某ならば……ちゅ」


「な?!」

「A24!?」

「カシゲェニシ!?」


 現場はもはや収拾不能。

 これは一度気絶せねば。


 いや、そもそも気絶芸とか覚えた記憶も無いが、此処は巻き込まれ体質と気絶回数覚えてない系主人公的な逃避行動が許されて然るべきだと瞳を閉じようとしたのも束の間。


 ギィィィィ、バタンと外に馬車の壁が倒れた。

 それと共に圧倒的な日差しと潮風が吹き込んでくる。


「ようやく開いたか」


 屋根の上から降りてきたのは……フラムだった。

 そして、こちらの光景を一瞬見た後。


 その顔が微妙なものを見るような視線となり、細められ、ゴシゴシと目が擦られる。


「ど、どうかしたのか? フラム」


 こちらの声に反応した美少女が……ニッコリと笑顔になった。


 あの、フラム・オールイーストが、心底に美少女ぶりを発揮して、優しい笑顔を……浮かべていた。


「私の見間違いだと思うのだが、今この目の前に私の婿候補が防音性馬車の寝台で野蛮人の女に跨られて、自身を怒らせながら、尻肉を鷲掴みにして、服を脱いだ二人の女に絡まれているようだ」


「―――」


 ゾワリと優しそうな声に鳥肌が立つ。


「そ、それよりもどうしてベラリオーネが此処にいるんだ?」


 ササッと美幼女を自分の上から退け、毛布を身体に巻いて、近くのパシフィカとサナリから遠ざかりつつ訊ねる。


「ああ、それか。この野蛮人の女が途中から教団の飛行船に乗って共和国に向かおうとした途中、物資の補給に立ち寄った時、関係者という事でお前が無事だと教えたのだそうだ。そうしたら、貴様はあの国をそれなりに救った恩人という事で無事を見届けろと言われたのだとか。しかし、その時にはもう国内から飛行船は飛び立っていた。それで同じように補給へ立ち寄ったこちらの飛行船に相乗りしてきた。というか……あれから四日も経ったのにお前はその間、その野蛮人と一体ナニヲシテイタ?」


 最後の方はもう言語も妖しいくらいに口元が震えていた。


「ま、また四日も寝てたのか? 百合音」


「うむ。縁殿の身体は素直でござったよ」


「違うだろ!? 心配になるくらい寝てたのが問題なんだよ!?」


「うむ。縁殿は……情熱的でござったよ(主に身体の一部分が)」


「止めてくれ。オレの寿命が縮む(懇願)」


「……ふフ。そうカ。エニシ貴様……いいだろう。貴様がそこまで女好きだと言うのならば」


 僅か額に汗を流して、フラムがいつもの外套の拘束を取り外していく。


「あの、フラム……さん?」


「イいんだぞ? エニシ……好きなだけ見せてやる。く、クくくくククくくく」


 不穏な笑みを零し続けるフラムが外套を砂浜に下ろし、軍服のボタンを上下とも全て外して、バッと脱ぎ捨てた。


「見たいなら見たいと言えッッッ!! これが私の全力だぁあああああああああッッッッ!!!!」


 フラムが自棄っぱちになった様子で自分の……あのファナディスとか言う狐顔なブティック店主から送られ、ついぞリュティさん以外に見せてこなかった下着を全開にした。


(………リュティさん)


 下着は下着じゃなかった。

 肌着は肌着じゃなかった。


「「「「?!!?!」」」」


 その想像を絶する夜のアダルティーな衣装を前にさすがの百合音も含めて女性陣全員が劇画チックに固まってしまう。


 だが、これで事態も少しは落ち着きを見せるかと思ったのも儚い夢だったらしい。


『カシゲェニシ殿!! 目覚められたのか!?』


 馬車の後ろの方からの声。

 振り向くと飛行船が背後にはデンと二つも着陸していた。


 その一つから足跡をつけてやってきたのはカレーの国のお姫様(真正)。


 クランだった。


「良かった。良かったッ!! 無事でッ!! あ―――ぁ、いや、その、そ、そうか……感動の再会で皆高ぶってしまったのだな? よ、良いのだ!! 私は理解のある、方……だから……えと、この方達が恋人の方々、なのだろうか?」


 下着姿に全裸に脱ぎ掛けに涙目と諸々の少女達の状態は至って普通ではない。


「は、初めまして!! カシゲェニシ殿の愛しき方々。わたしはグランメ・アウス・カレー。元皇女という肩書きだが、今はその……カシゲェニシ殿の新しい伴侶となった。よろしくお願い申し上げる。じゃ、若輩故……本日は挨拶だけで見学させてもらおうかと思うのだが、よろしいだろうか!?」


 ああ、と思う。

 クランもクランでたぶん一杯一杯なのだろう。

 そして、自分も一杯一杯だ。


 新しい敵の襲来に少女達は二段構えの劇画チック石化プレイ中。


 そんな様子を見て、笑みを浮かべるメイド長だけが全てを理解したような笑みで「分かってます」と言いたげに砂浜で火を焚いて鍋を煮ていた。


 他のも色々用意されているようだ。

 漂ってくる香気は正しく一つの料理だろう。


 カレーのように全てが混沌と煮込まれた時、其処に果たして素晴らしい景色が広がっているのかどうか。


 それが誰に分からなくても、自分の胸には少女達の生き様と共に刻まれている……その事だけは覚えておきたかった。


「お前ら服を着ろと」


 世界が如何にあろうとも。

 寿命が後一年だろうとも。


 何の事はない。


 人は腹が空けば、食わねばならないし、好きな女がいれば、愛するものだろう。


「朝食にするぞ」


 夢に人と描いて儚い。

 しかし、儚いが故に人は夢を求める。

 それがいつまでも続けばいいと願っても決して罪ではないのだ。


 一秒でも永く。

 一秒でも先に。


 未来を見果てるまで少女達の笑顔をこの手にしたいと願うなら、その努力だけはきっとし続ける。


 海岸線の淵から伸びる果て無き陸地を目の前にそう誓った。


「説明は腹一杯にした後で、だ」


 今日もまた夢の先でヲタクは夢を見た。


 馥郁ふくいくたる香りと夏の日差しを浴びる彼女達を陽炎まぼろしとはしない為に………。


 「ほら、行くぞ」


 幸せな食卓はきっと此処にだってあっていいのだ。

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