第69話「異説~醤の国にて~」

『よくよく詐欺師が使った手さ』

『そうそう詐欺師が使った手なのさ』


 ブランデーによって熟成された細粉状の珈琲豆。

 エスプレッソとして今回は頂くらしい。

 香りを愉しむのもいいだろう。

 甘くしてもいい。


 フレーバーを考えるならアーモンド類を使った焼き菓子と一緒にというのが上等な食べ方か。


『あの当時、委員会は財団からの拠出の少なさに困ってたんだ』

『だから、財団に接収される予定のブツにM資金を混ぜておいた』


 双子のような、青年のような、大人であろうが年齢不詳の男達が珈琲を片手に外洋の果て、巨大な岸壁を見つめていた。


『アレは内閣の金庫に入ってた表に出せない戦後の遺産』

『それが委員会の資産から接収されたんだから、驚いただろうさ』


 イルカが周囲を回遊している。

 それが本当にイルカなのかはさておき。


 まだまだ当分は開きそうにないパンドラの箱ならぬ壁を前にして男達は涼しい顔だ。


『彼らは彼らの事情に忙しかった。だから、精査なんてしなかった』


『そして、彼らは拠出資金を増やしたのさ。戦後の闇資金なんかで委員会を汚染される事を嫌ってね』


 男はいつもの制服姿だ。

 しかし、周囲の者は違う。

 いや、者と言っていいのかどうか。

 未だ電池が必要な二足歩行。

 精々がSFというよりは単なる近未来の玩具。

 その程度の鋼色の人型ロボットが周囲を取り囲んでいる。


『だから、接収した資金そのものが実は彼らの管理しているソレに近しい性質を持ってるなんて分からなかった』


『まぁ、NO《ナンバー》も振られなかった程度のものだ。けれど、ケテルの連中は薄々気付いてたかもしれない』


 珈琲が海へと零される。


『あのお騒がせな博士は気付いてたのかもしれない。まぁ、本当のところは今も謎だけれど』


『それくらい昔の話さ。だから、彼らの管理していたものさえ、もはや過去だ。そう思ってたんだけどね』


 イルカが嗤っている。

 キューキューと嗤っている。

 その声は船を軋ませていた。


『まさか、一番有り得なさそうなのが事実な辺り、世界は驚きに満ちてるよ』


『M資金の流用を切り出した大虐殺の主が実はXKクラスの危機から世界を救う研究者だったなんてね』


 イルカが僅かに歪む。

 歯車を思わせて歪む。

 しかし、岸壁の向こう側からは何も響いて来ない。


『まだ、生きてるのさ。あの狂人に封じられたものは……教団の連中は知ってた。財団も、その実行部隊たるサイト職員もいない世界においてソレをどうにかするのは自分達しかいないって』


『だから、“神の杭”……【惑星改造柱テラフォーム・ペネトレイター】……アトラス・パイルはあの頃から人類の進歩に必要な資源の大半を浪費しながらも定期的な増築更新を受け続けてきた』


『まぁ、もうこの世界に不思議なものなんて然して無い。それを昔の名前で呼ぶ事に意味も無い。だけど、君もまた過去でならば、そう呼ばれただろう』


『彼らがしていたようにナンバリングするならば、差し詰め君はNO.Fってところかな』


「そのFってのは何なんだ?」


『未来ってやつさ』

『永遠の男。エバーラスティング・マンと命名しよう(笑)』


 呆れた視線を向けるとニコヤカな笑みが返ってくる。


『漫画だろう?』

『アニメだろう?』


 寛ぐ男達はイルカが何処かに去っていくのを確認して立ち上がった。


『第二次統合M計画……何のMだったのか、ずっと疑問だったんだけど。マルサスのMじゃなかった』


『M資金のMでもなかった』

『人口や闇資金なんて話じゃなかった』


「結局、教団は委員会の遺産でを封じる為に今まで活動してたってのか?」


『そうなるかな』

『そうなるよねぇ』


「海洋大汚染、補助アプローチ案すら目暗ましだったと?」


『情報操作さ』


『まぁ、それらしい狂人の凶行って方がまだ救いがあったんじゃないかな』


「……大陸は正しく箱だったわけだ。この世界の果て、汚染原因から隔離された……」


『いや、箱というよりはおけだよね』

『丸いからね。僕らは遥か過去の狂人達が仕込んだお醤油さ♪』


 イルカはいない。

 だが、今度は鯨が周囲に見え始める。


『パイルが起動したね……』

『どうやら、は連合を併合し損ねたみたいだ』


「もう直接起動用の施設は使えないんじゃなかったのか?」


『海の底に沈んでるはずだよ』


『そうそう。特定してみた頃にはもう手が出せない状態だったんだ。何らかの再起動用のキーが設定されている事までは確認したけれど、それがどんな条件なのかは分からなかった』


「だが、起動した? どういう事だ……」


『彼らの誰かが残されたブービー・トラップに引っ掛かったのかもね』

『まぁ、どうでもいい事さ』


 男達は肩を竦める。


『委員会が残した最上位の遺産は殆ど潰れてる』

『制御手段が無いってだけだけれど』

『それでも自在に操れる者がいないなら、それは無いも同じさ』


 二人が懐から銃を取り出すと戯れに海中の鯨を撃ち始めた。


が失敗した以上、連合も安泰だろう』

『次のシークエンスに入るべきだ』


「あのご立派な平和主義者共がそう簡単に諦めるか?」


『ああ、それなら問題ない』


『どうやらパイルの作動で行われたのは大陸規模の海洋分断みたいだから』


『ほら』


 男達が互いに視線を虚空に向けるとデータが次々に出てくる。


 現在、大陸東各地の高高度を秘密裏に偵察飛行しているUAVが捕えた映像には大海洋を分断するように複数の海中火山が数百km規模の網目状に隆起し始めた事が示されていた。


 フィルタリングされた映像が複数枚出て、其々が隆起の上昇速度を即座に算出する。


『このままだと日に1mくらいずつ隆起するようだね』


『大陸の東海岸が一気に拡大してる。でも、これを見る限り地震のエネルギーは全部が吸い上げてるみたいだから、この設定をした誰かは確信犯だね』


「放っておいていいのか?」


『いいのさ』

『いいんじゃない』


 男達は苦笑気味に肩を竦める。


『僕らはあくまで教団を滅ぼせればいい』

『そうそう。滅ぼした後に統一するのは簡単だ』


が存在するとしても?」


『寝た子が起きたら、お終いさ』

『人類の叡智が負けたって納得するしかない』


「……目的は変わらず、か。いいだろう……海洋調査がこんな結果になったのには面食らったが……引き続き、任務は継続だ」


『了解』

『そうしよう』


「教団が今回の一件でどう出てくるにしろ。この分断や東海岸の様子を見る限り、連合が共和国の勢力下に飲み込まれるのは避けられない。あの老人がまた力を付けるのは癪だが、教団の影響力が強まるよりはマシだ……カレー帝国に向かうぞ。次の皇帝が選出される情勢なら、こちらの手駒に出来るやつを探そう」


『ああ、それにしても……あの平和主義者達が失敗するなんて、一体何があったんだろう?』


『もしかしたら、新しいお仲間が何処かで目覚めて妨害してるのかもしれないね』


『もしそんな奴がいるんだとしたら……身体がまだ残ってる事になる。まったく君並みに悪運の強い奴って事になるね。


「そろそろ、撃つの止めろ。いい加減、海洋保護団体に目ぇ付けられるぞ」


『はは、ナイスジョーク』


『資源の浪費じゃなくて、精神安定上必要な娯楽なんだけれどなぁ』


 鯨が水底に消えていく。

 人形達を背に船内へと歩き出す。


『あ、途中で乳の国。おっと、牛の国に寄っていっていいかな?』


「何しに行くんだ?」


『仲間内で今話題なんだ。どうしてあの国だけ、あんなに女性の、特に胸部に関しておおらかなんだろうねって』


『おっぱいの国なんて、検閲されそうな現実があるなんて正しく大陸はパラダイスだよ♪』


「………」


『ちょっと、写真を撮って売りさばくだけだよ?』


「はぁ……勝手にしろ」


 クルーザーが動き出す。


 未来への航路は示されずとも、目的の為に動く限り、まだ先に道は続いているように思えた。


 神ならぬ身。


 今日も上手く行かない現実は淡々と過ぎ去っていく。

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