第59話「懐柔せし海獣」
ショッツ・ルーの洞窟を出航して数時間。
浅い周辺海域に点在する諸島域の内部に移動した頃にはもう日が暮れ掛けていた。
梯子を昇って外に顔を出した途端、目に入ったのは大きな洞窟内部から見える夕景。
どうやら天然の小島。
珊瑚礁が波で侵蝕されて出来た地形らしく。
苔生した岩肌と満潮でも天井にぶつからない程の広さを持つ空洞は横ではなく上に出入り口が設置されていた。
天井には大型のクレーンが設置されて、物々しい雰囲気を醸し出しており、すぐ出入り口のカモフラージュの為か。
岩肌と波色の二色の幕が下ろされる。
完全に光が遮断されると天井のクレーンに設置されていた複数のライトが点灯され、数人くらいは乗れるだろう梯子付きの昇降機のような機械が下りてきた。
電柱や電線の点検作業に用いられるよう物を逆向きにしたような、と言えば分かり易いだろうか。
「さぁ、行こうか。本拠ではないが、今からは此処が仮のホームだ」
エービットと共に昇降機へと梯子で登る。
下の梯子と床の扉が閉められ、そのまま昇降機が上昇していく。
「本拠地じゃないのに随分と大規模だな……海賊には不似合いだ。それとこの昇降機……電力は何処から持ってきてるんだ?」
「ほうほう? これも分かるのか……作業機械を動かすのは全て島中に隠してあるパネルというのが生み出す電力で賄われているそうだ」
「そうだって……これも遺跡のものなのか?」
「我々の技術ではまだ解析出来ない。西部域や共和国なら話は別なのだろうが、使い方は知っていても詳しいところはさっぱりでね。私はさっきも言ったが西部技術の導入のパイオニアではあるが、基本的には文系で考古学好きな遺跡発掘調査大好きオジサンだったんだよ。それがこんなのに詳しそうに見えるかな?」
コンコンと昇降機を片手で叩いたエービットが肩を竦める。
「見えないが……まぁ、いいんじゃないか。使えるものは使う。現実的で合理的な判断だ」
「ちなみに此処の基地のこういった作業機械や機器の操作はエシオレーネがしてくれている」
「あの子が?」
「ああ、シンウンはあの子を自分の後継者にしたいと思っているようでね」
「後継者? 遺跡から発掘されたんだろ? その遺跡を継ぐって事か?」
「ああ、そうだ。彼女は八年前、僕が発掘した当時から遺跡の後継者を探していた。そして、彼女エシオレーネの存在を知ってからは、あの子を自分のものを受け継ぐ存在として教育している」
「色々と複雑そうだな。アンタも……」
「苦労人なのは性分だからいいんだ。ただ、自分の手が届く場所で自分のどうにもならない事がある……それがどうにも見守っているだけでは落ち着かない」
『何勝手にペラペラ喋ってるの? エー君』
シンウンが何処からか聞いていたらしい。
どうやらアームにマイクやスピーカーも搭載されているらしかった。
「おっと、これ以上は彼女の機嫌を損ねそうなのでお口にチャックだ」
その良い歳をした大人のお茶目な口を親指と人差し指で閉じていく仕草に僅かな違和感を覚える。
(チャックという単語はある。その意味も生きてる……なのに核関連の単語はピンと来ない。どんな言葉なら通じるんだ? 他国の辞書も当たってみるべきだな)
昇降機がゆっくりと20m近くあがってようやく少し寂れた一室に到着する。
ピッタリと昇降機が床と接合すると岩製のゴツゴツした部屋の外に続く扉の前で小さなコンソールをエシオレーネが操作し終えて、こちらを白い目で見ていた。
主にエービットに何を話しているんだというジト目が突き刺さる。
「ははは、恩人と軽い会話をしていただけだよ。お嬢さん」
「シンウンが後で連れて来るようにって……」
「ああ、分かった。では、それまで好きにしていてくれ。こちらは色々と話さなければならない事がある」
「………」
「もうお嬢さんの事は話さない。それでいいか?」
コクリと頷いた少女がテテテっと少し早歩きで扉の先へと消えていく。
しかし、すぐに顔を半分だけ室内に覗かせて、こちらを睨んだ後、何処かへと走り去っていった。
「悪い子じゃないんだ。悪い子じゃ、人見知りが激しいだけで」
「いや、別に気にしてはないさ。でも、あそこまで外部の人間を嫌ってる素振りなのにアンタの言う事に反抗したりしないんだなって思って……」
「固い絆で結ばれているからな」
「それ自分で言うと恥ずかしくないか?」
「……本国の連中にはよく彼女を助けた手前、犯罪者と揶揄されるが、なぁに……構わないさ。これでも博愛と正義と子供達の未来に対しての責任という奴は持っているつもりだからな」
男は歳に似合わず何処か若い理想主義者のようなニカリとした笑みを浮かべる。
こういう子供っぽい。
いや、安っぽく聞こえる理想の為に本当の意味で人生を投げ打ってしまえる人間だからこそ、それを信じていると他人に評価されているからこそ、男は海賊の頭領など出来ているに違いなかった。
研究者の転職先が犯罪者のお頭。
この落差を前にしても明るく。
己の為すべき事を見据え、楽しげに進んでいける強引さが少し羨ましいと思うのは自分が現実主義者というよりは悲観主義者に近いからだろうか。
いつだって、最悪を想定して動いていながら、何処か最後まで煮え切らない。
本当に覚悟が決められるのは差し迫った命の危機と誰かに感情移入してしまった後。
別に自分のそういうところが嫌いというわけではないにしても、此処まで理想論を明るく語り切ってしまえる姿には憧れに近い感情があった。
「では、こちらの重要人物に合わせよう。将冶君との話に出てきていた人物だ。あっちは引き潮と同時に小型艇で沖まで脱出。近辺に待機させていた高速艇で既に帰還しているそうだから」
「高速艇って……そんなのまであるのか?」
「ああ、遺跡からの発掘品だ。こっちは図体がデカイ分、発見され易い。それも遠浅の海では慎重にならざるを得ない。だが、あっちは島の影から影に移動出来る。連中が近辺に飛ばしていた偵察機を遣り過ごしたそうだ」
「……父親か?」
「ああ、僕の部下達は全て彼の部下だ。実質的には彼の卓越した戦術と海戦の知識が無ければ、此処まで戦ってこられるものではなかった。エシオレーネにとっても父親のようなものだろう」
エービットが肩を竦めて、こちらだと歩き出した。
通路は左右に電灯が付いている為、足元を気にする程は暗くない。
また、滑り止めの砂が僅かに蒔かれている様子でジャリジャリと音を立てていた。
通路を少し直進して、長く緩やかな階段を下りていくとやがて左回りの大きな通路に出る。
それから数分、交差路を通り過ぎて歩くと目的地らしい木製の扉が見えてきた。
ドア上のプレートには漢字で調教室と書かれてあり。
一瞬、薄い本が頭に浮かんだのを首を横に振って打ち消す。
しかし、海賊のアジトの部屋に調教という言葉がデカデカと書かれていたら、モヤモヤするのは必至なはずだ。
エービットがそのままノブを回して入っていく。
恐る恐る内部を覗いてみると潮の香りがした。
耳には潮騒の音。
其処は40m四方はあるだろう長方形型の部屋だった。
縦長な施設は岩肌で出来ていたが、その最も奥には外へと続く扉と硝子張りの窓からもう夕景が覗いている。
入ってくる光に照り返されて床下の海水が鏡のようになっている。
正方形の水槽のようなものが沢山あるようだ。
内部を海洋生物っぽい影がスイスイと泳いでいるのを見れば、それが海から此処まで続いていると分かるだろう。
目的地の夕闇に背中を照らされた男。
つまりはショウヤの父親なのだろう相手が……その眼光の鋭さと170後半以上あるだろう背丈と鼻から右の額に走る傷と髭の粗野さをまったく感じさせない模範的な軍人のようにも見える厳つい顔で何かを呟いていた。
景色に姿を溶け込ませいる様子は一枚の絵画のようだ。
「可愛いでちゅね~今日はがんばりまちたね~ほ~らご褒美のイワシでちゅよ~~」
「………」
とりあえず、扉から後ろまで下がり、ドアを閉じようとした瞬間。
ハッとした様子でこちらに気付いたそのナイスミドルが厳しい顔に鋭い視線を宿して、何やら漫画にありがちそうな日本の佐官級自衛官っぽい威厳マシマシでこちらを見つめた。
「誰だ?」
「いや、今更そんな繕われても緊張度ゼロだからな……」
残念な事にアトウ・ショウヤの父親は調教しているらしいイルカに赤ちゃん言葉で話し掛ける寂しいおっさんに間違いなかった。
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