第38話「穢された銀シャリ」

「?」


 瞳を開けると同時にガタゴトと自分が馬車に揺られている事に気付く。


「縁殿。起きられたか」

「百合音、なのか?」


 何とか体を起こすと幌付きの荷馬車に揺られていた。

 よく見ると隣には邪悪な幼女の姿がポツリ。

 どうやらあの戦闘から数時間は経っているらしく。

 樹木の上から降ってくる日差しからもう三時は過ぎているだろう事が分かった。


「それにしても縁殿は拉致されまくりでござるなぁ~」

「ペロリストが言う事かよ」

「ははは、今の某は極めて真面目な外交官でござるよ?」

「嘘吐け。というか、カレー帝国内に来てるって事は……もしかして追い掛けて来たのか?」


「半分正解でござる。フラム殿は爆破騒ぎの後、縁殿の姿が見えなくなって数日イライラしておったのだが、秘密外交中の部隊から電信が来て、即座にこちらへと向った。それで某も付いてきて、こちらのコネを使って状況を把握、迎えに来たというわけだ」


「そうか……?……ッ?! ちょっと待て!? オレをベアトリックスさんが見つけたのが昨日だったはずだぞ!? どうやって此処まで来た!? 少なくとも数千kmは離れてるだろ!!?」


「フラム殿も後数時間すれば、国境域に着くでござるよ」

「……秘密の乗り物でもあるのか?」


 少なくとも航空機でも無ければ、そんな移動は不可能なはずだ。

 ジト目で見るとニヤリと笑みが返される。


「縁殿は鋭いでござるなぁ」

「やっぱり、あるのか」


「この大陸で最大の領土を持つカレー帝国ですら、大陸の8分の1を保有するに過ぎない。我がごはん公国はこの一帯においては未知の世界と言われる西方に伝手があって、そっちから色々と技術を仕入れているのでござるよ」


「西方……そう言えば、フラムから見せられるような地図には内陸部も特定の場所までしか映ってなかったか」


「まぁ、賢い縁殿なら分かると思うが、大陸の通商事情は実際悪い」


「それは何となく分かる。この大陸においては自分の完全耐性食品が産出する一帯から離れられない。保存技術の向上や移動距離を伸ばす物流の革命でも起きない限りは時間や距離によって、行動が制限されるって事だろ?」


「その通り。実際には地域毎に運搬用の中継ぎルートが存在し、遠方とも交流が無いわけではないが、カレー帝国もパン共和国も今は自分達の国の事で精一杯。我が国は技術で共和国に負け、人的資源ではオルガン・ビーンズに勝てず、国土内の産出品目はKOME以外は脆弱という三重苦の大国なわけだが、血筋と耐性に関する話ならば、それなりに強みがある」


「……物流の中継ぎする場所やその先の西方の食品の耐性すら持ってる、とか?」

「大当たりでござる。やはり、縁殿は話がしやすくて助かる」


「そんな事で褒められても嬉しくないんだが。で、結局はそういうルートから秘密の乗り物を仕入れていると」


「然り。あちらはナイネン機関とか言うのが発達しておるらしくてな。燃料込みでちょっと輸入した奴をファースト・ブレッドに置いていたので、それを使わせてもらった」


(内燃機関……そうか。もう、そこまで……技術革新は早いと見るべきか)


「ちなみにフラム殿は途中まで一緒だったが、燃料が切れた後の乗り物を部下達に回収させている間に現地で馬モドキを現金払いで購入し、某を置いて行ってしまってな」


「つまり、また乗り換えるものがあると教える前に行っちゃったと」


「うむ。某は用意してあった二機目を使ってこちらに来たわけだ。元々、カレー帝国とごはん公国は比較的仲の良い国だ。時折、軍事演習にも参加しておるし、まぁ……現地軍の将官とコネもあったりするわけであるからして」


「NINJIN城砦で見た輸送鉄棺とか言うのと同じようなのがいただろ」


「ふむ。どうやら帝国は塹壕越えのアレに武装を付けて運用するようでござるよ。試作品を評価試験に掛けている最中とか。此処は帝国内でも通商関係のゴタゴタでかなり危ない地域でござるからな。試験用のマトに困らないので仕事は捗っていると言っておった」


「はぁ……」

「どうかしたのでござろうか?」


「何でもない。それでフラムはこっちに向ってるのをお前の部下が見張ってたりするのか?」


「無論。最後の連絡ではフラム殿は国境域までもうすぐとの事だった。必ず通る地点で待っていれば、捕まえられるであろう」


「………」

「縁殿?」

「無事なら別にいいんだ。問題は無事じゃない奴らの方であって」

「サナリ殿の事が気になると?」


「他にも色々いる。とりあえず、あいつらを放っておくのも良心が咎めるんでな。フラムとの合流は後にして探すの手伝ってくれないか?」


「………貸し借りは色々あるが、高く付くでござるよ?」

「具体的には?」


「ふぅむ。縁殿の軍事知識……と、言おうかと思ったのだが、今回は止めておこう。その代わり、帰ったら料理の知識、KOMEに関するものを教えて貰えぬだろうか?」


「料理か。まぁ、構わないが、一体そんなの聞いてどうするんだ? 食べられないものばっかり入ってるかもしれないぞ?」


「そこはほれ。自分達で色々と工夫するんでござるよ。それに高耐性者が比較的多い我が国ならば、レシピの改変次第では食べられるものもあるであろうし、料理という奴には無限の可能性がある」


「そう、なのか? いや、カレーからしてそうか」


 思い浮かべたのはカレー料理が帝国の礎となったという本の内容だった。


「カレー帝国は今まで興亡を繰り返してきた煮込み料理を下地とした国家の中でも最強に近い。彼らは一つの料理の開発によって人的資源の増加と精強さを獲得した事で伸し上がった。我らごはん公国にしても新たな料理の開発は今後の国家の未来を占うものだ。国民の耐性を増やし、寿命を延ばし、人的資源を増やす。料理は国家方針にも関わる重要な情報なのでござるよ」


「……分かった。じゃあ、今度丼ものとか色々と教えるから、それで手を打ってくれ」

「ふふふ、了解した。ドンものというのが何なのかは分からぬが期待していよう」

「じゃあ、ハヤシ族領の街まで戻ってくれ。探すのを手伝って欲しい」

「心得た!!」


 パチンと指が弾かれると今まで畦道を進んでいた荷馬車がゆっくりと方向転換し、元着た道へとUターンして戻り始める。


「そう言えば、カレーの国に来てから何も食べてないんだが、何か無いか?」


「おお、これは気付かなかった。某の糧食とこちらのスタンダードなカレーならば持っているが、食べられるでござるか?」


「まぁ、普通に」

「すぐに用意しよう」


 そう言って何やら百合音が揺れる荷馬車の床に何処からか木皿を取り出して、その上にポンとKOMEを焚いただけの白米の握りめしを三個置いた。


「某はカレーとやらは食べた事が無いどころか。香辛料に耐性が無い故、遠慮しておくでござるよ」


 そう言って、竹の筒らしきものが横に置かれる。


「耐性ないのにカレー持ってたのか?」

「現地軍からの貰い物でござる。ま、もしもの時の拷問用とでも思ってくれれば」

「……ああ、そういう。って……コレいつ作られたやつだ?」


「それなら大丈夫でござるよ。昼過ぎに焚いたKOMEと、その時に現地軍が作ってたものを頂いたものであるからして」


「分かった。そうか……そう言えば、国民食なのにこっちで一回も食ってなかったな。カレーライス」


「カレー、ライス?」


 百合音が首を傾げた。

 ライスという言葉に


「じゃあ、さっそく。頂きます」


 竹筒を開くとスパイシーというか。

 確実に日本人的なカレーとは懸け離れた香辛料の匂いが漂ってくる。

 だが、仄かに甘くも香っていたので大丈夫だろうとソレを白米に掛ける。

 とろみは付いていないが、無駄に赤いという事もない。

 ターメリックは入っているのか。

 純粋に日本人が思い浮かべる褐色のカレー色の液体だった。


「?!!!?」

「どうかしたのか? あ、スプーンとかあるか?」

「ス、ススス、スプーンでござるか?!!? そ、そそそ、それなら此処に……」

「そうか。ありがとう」


 何やら木製のスプーンをこちらに渡すと物凄い勢いで後ろに下がった百合音が怖ろしいものでも見るかのようにこちらを慄いた様子で伺っている。


「香辛料だから、この密閉空間で食べるのはマズイか?」

「い、いや……耐性は無くとも呼吸自体はコレで大丈夫なのだが……」


 スチャっと何やら鳥の嘴みたいな白い紙製らしきマスクを口元に当てた百合音がカレーライスを凝視していた。


「え、縁殿。何故、カレーをごはんに掛けるのござるか?」

「は? カレーライス、だからとしか」

「カレー・ライス……つ、つまり、それは料理、なのでござろうか?」


「そうだが、まさかカレー帝国なのにカレーライスが無いとか言わないだろ。さっきの話でも仲が良いって話だったし、一緒に食事とか取ったら、耐性さえあれば、カレーライス食うんじゃないのか?」


「お、ぉぉ、そうか。某は縁殿を侮っていたのでござるな……」

「?」

「縁殿……普通、カレーはカレー単体で食べるものでござるよ」

「!?」


 そこでようやく自分がしている事の意味に気付いた。


 嘗て、フラムにパンへジャムとかピーナッツバターとか塗らせてくれと言ってドン引きされた事がある。


 現在の状況はたぶんそれとほぼ同じなのだ。

 ごはん公国にとって、白いごはんは錦の御旗。

 それに他のものを付けるというのは抵抗があるのだろう。


 まぁ、付けていいものくらいはあるだろうが、その中で常識的にカレーという選択肢は無かった。


 そう、考えるべきか。


「内容によったら完全食なんだけどな。カレーライス」

「か、完全、食?」


 未だにこちらを異次元生物でも見るかの如く慄いている幼女は汗を浮かべていた。


「人参、玉葱、ジャガイモ、それに牛肉か豚肉、鶏肉の場合もあるか。後は香辛料にバター、水、塩……ええと、とろみを付ける時はルーに小麦だったか? ワインとか使うレシピもあったな。とにかく、カレーライスは極めて優秀な料理だ。カロリーも高いし、ぶっちゃけ、何でも入れられる。隠し味に珈琲とか。あるいはケチャップとか。ソースとか。大抵どんな材料を入れても純粋にカレーの範疇になるから、食べるものに困ったらカレーというのがオレの流儀だ」


「人参!? 玉葱!? ジャガイモ?!! こ、珈琲? け、ケチャップ?! ワ、ワイン……おお、おおお、某はやっぱり縁殿の事を分かっていなかったようでござるよ……」


 何やらカルチャーショックを受けて、床に両手を突いて脂汗を流す百合音は茫然自失な様子だった。


「もしかして、そういう具が入ってないのか? このカレー帝国のカレーって」


「縁殿……普通、カレーは香辛料に油と果実と水、後は肉で作る代物でござるよ……肉が入っていれば上等。他にも自分の耐性食材を入れて作るのが普通でござる……」


「それだけ? まぁ、それでもカレーだろうけど」


 その言葉にどうやら完全に打ちのめされた様子で幼女が引き攣った笑みを浮かべる。


「縁殿が毎日、あの劇毒の塊を美味しそうに食べているのを見ておったというのに……どうやら、某の精神修行はまだまだ足らなかったようでござる……」


「劇毒とか。リュティさんの料理は極めて真っ当な部類だぞ。まぁ、少し質素だけど」


「あれが質素?」


「分かった。もう、何も言わないから、その『お前何なんだ?!』みたいな顔で見るのは止めて下さい」


「うぅ、縁殿……ほ、本当にそれを食べるのでござるか?」


「そりゃあ、食べないで捨てるとか勿体無いし。そもそも食べられる以上は食べるだろ」


 スプーンを取って、一口食べてみる。

 すると、確かにカレーなのだが、物足りなかった。

 理由は単純だ。

 スパイスの種類がたぶんは少ない。


 その分、香りは引き立っているのだが、食べ慣れた日本式とは重厚さがまるで異なっている。


 果実が煮蕩けている為、甘みは申し分ないのだが、全体的な旨みが不足しているような気がした。


「うぅぅぅ!? そ、そんな色のものを銀シャリに……?! べ、別々に食べる事は出来ないのでござるか!?」


 その狼狽する様子は極めて珍しい。


「いや、カレーライスをカレーとライスにしても口に放り込んだら一緒だからな?」


「でも、でも?! そ、その色は!? さ、さすがに!?」

「色?」

「……乙女の口からは言えぬ」


 額に汗を浮かべた幼女は額を八の字にして、震えていた。

 どうやら色がダメらしい。


「ペロリストの口からなら言えるかもしれないぞ?」


「縁殿は女子おなごを苛めて愉しむ色情魔だったか……何という事……」


 もはや、グロッキー状態で空ろな視線になってきたペロリストに溜息一つ。


「分かった。じゃあ、後ろ向いて食べるから、それでいいな?」


 百合音に背を向けてカレーライスを頬張る。

 そうすると、何故かカレー帝国の本を見ていた時の事が思い出されていた。


 あの聖女様はカレーに豆を入れて食べる様子を見たら、どんな反応をするだろうかと想像してみるものの、まるで予測が付かない。


「この味……少し変わってるが、どんなところでもカレーはカレーだな。あ、ちなみに一つ聞いていいか?」


「な、何でござろうか?」

「カレーパンとかフラムに教えたら、あいつどうなると思う?」


「……某がとても我慢強いという事だけは、切に伝えておくでござるよ。縁殿」


 背後から掛かる声は萎れていた。


「そうか。撃たれるなら、教えるのは止めておこう……」


 肩を竦める。


(でも、リュティさんなら作ってくれそうなんだよな。実際)


 夢世界の常識はまだまだ現実には程遠いらしかった。

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