第2話「優しいトースト」

 思わぬ程に夢が現実よりもシビアである事は何でもありだと考えれば、然して不思議な事でもない。


 醒めない己の頭が悪いのだから、しょうがない事ではあるのだが……それにしても本日はお日柄もよく監獄暮らしである。


「………はッ!?」


 現実逃避。


 否、夢逃避していた己の頭を振って、周囲を見渡せば、其処にはポカポカ陽気というには少し暑過ぎる日差しがジリジリと照り付けていた。


 周囲5m四方が苔生した石壁。

 ついでに便壷というのだろうか。

 それ用のものが一つ切りの石畳しかない牢獄。

 目の前には鋼鉄製の寂れた格子。

 刑務所にしては酷過ぎる。

 鎖付きの大きな手錠は無くなっていたが、それにしても手首には跡が残っていた。

 衣服はボロボロの麻布か何かの貫頭衣ローブのようなものが一つ切り。

 下半身が明らかに装備不足だ。


 そう言えば、近頃のマイブームは負けてどん底からの一発逆転オレ最強ファンタジーだったので、そういう作品の影響なのかもしれない。


佳重縁かしげ・えにし


 自分の名前を再確認してみる。

 16歳。

 身長176cm。

 体重54kg。

 少し髪が長い以外は平均的な日本人。


 顔は悪くないと自分では思うのだが、モテ期はたぶん子供の頃に親戚のお姉さんにちやほやされていた時くらいのものだろう。


 目付きが悪いと言われるので目元を髪で隠して生きているのがコンプレックスだろうか。

 不良から如何にもカツアゲされそうな感じなのだが、そういう経験は無い。

 生活上の不満は無く。

 しかし、フリースクールに不定期登校している。

 ドロップアウトしているわけではない。

 家庭の事情だ。

 主に両親と国外で生活する事が多かった弊害である。

 海外転勤が多い父親とそれに付いていく母親。

 一年に十回以上帰国してはいたが、それでも国外を数ヶ月単位で転々としていた。

 ようやく年齢もそれなりになってきたからと日本での一人暮らしを言い渡されて数ヶ月。

 祖父母の葬式を済ませてから一ヵ月後。

 現在はその遺された家の整理を任されている。

 と、いうプロフィールなのだが、何故か夢から醒めない。


「はぁ……」


 石造りの通路の先から蝶番の軋む音がして、誰かが入ってくる音。


 ようやく先に話が進むのだろうかとそちらを向いていると妙に気合の入ったコスプレ白人がいた。


 全体的な印象は衛兵だ。


 何処かの世界一小さい国や島国の王室の重要施設を軽微していそうな仕立ての良い制服。


 白と基調として赤や黒の麦穂の刺繍が施されたボタンの多い代物は自分の頭の中にあるとは思えないくらい妙に繊細な仕立てだった。


 それを着ている四十台の無精ひげ一本生えていなさそうな厳つい顔の男がこちらを見て、牢の鍵穴にゴツイ青銅にも見える鍵を差し込んで、入り口を開放する。


「出ろ。これより取り調べを別室で行う」

「取調べ?」

「いいから、さっさと立て!!」


 首を竦めて、その声に仕方なく立ち上がる。

 牢から出ると後ろ手にされてローブを巻かれた。

 そのまま言われる方向へ従って石造りの通路を歩く。

 内部は薄暗いが、獣臭い臭いを昇らせる明かりのおかげで躓く程でも無かった。

 たぶん、緩やかに上へ昇っている。


 やがて、粗雑な造りだった通路がしっかりとした石材で組まれたものへと移り変わり、窓が現れた。


(近頃のCGは現実と区別付かないって言うが、夢も現実と区別付かないオレの脳の方が高性能な気もするな……)


 窓際からちらりと見えた世界には一面の黄金が広がっていた。


 日本人ならば、その一面の穂波を稲と思うのだろうが、生憎と外国くらしで穀倉地帯にもいた自分には麦だと理解出来た。


 長閑な田園地帯が延々と広がる美しい景色。


 これで弁当一つ在れば、近場の木陰で気持ちいい昼時が過ごせるのだが、そうもゆかない。


 窓が多くなる通路の先。

 示された木製の古びれた扉には取調室と書いてあった。

 そのあまりの違和感に苦笑が零れる。


 これがラテン語で書いてあれば、それなりに雰囲気も出るのだろうが、カツ丼でも出るのかという程にデカデカと日本語が書かれている。


「入れ。内部で暴れた場合、即座に処分されると心得ろ。この野蛮人め」

「はいはい……」


 野蛮人。


 黄禍論というのが現代にどれだけ生き残っているのか知らないが、日本語で言われても逆に新鮮過ぎて、新手のドッキリと言われた方が頷けるだろう。


 ドアが開かれ、後ろから押され、思わずたたらを踏んで体勢を立て直すと。


「ようやく来たな」

「あ、美少女」

「ッッ?!!? き、貴様!? そんな甘言でこれからの取調べが甘くなると思うなよ!!?」


 虚を突かれた様子になりながらも、険しい視線を向けてくるのは気を失う前。

 自分にどちら派だと聞いてきた彼女。

 白銀な透明甲冑美少女だった。


「座れ。これより取調べを行う!! 尚!! この取調べにおいては私に全権限が与えられている!! この場で即決裁判、即決死刑を言い渡す事も出来るのだ!! 覚悟して何一つ嘘を言うな!! 分かったな!! 分かったなら返事をしろ!!」


 ガチャリと重苦しい音がして扉がロックされたのだと分かった。


「はい……」

「ならば、良し!!」


 木製のテーブルと椅子。

 どちらも年季の入った代物。

 対面に腰掛けると益々……その言葉とは裏腹の美少女ぶりが目に入った。


 妙に花のような良い香りをさせているし、目付きは険しいが笑っていれば、華やかだろう顔は間違いなく世界のトップモデル並みだろう。


 ただ、美少女の癖に高嶺の華過ぎないというか。

 微妙に愛嬌のある目元は睨んで来ていても、最初に出会った時とは違い。

 怖いとは言えない。


「貴様!! あのKAB部隊とどういう関係だ!!」

「下部部隊? 株?」

「しらを切るつもりか!!」

「気付いたら、あの状況で何も知りませんとかしか……」

「……確かにお前は拘束されていたな」

「知らない内にあそこにいただけで別に何も関係は無いと思うけど」


「では、次の質問をする。お前は一体、何者だ? あの部隊はまだ戦えるだけの装備を残していた。しかし、NINJIN城砦から何故か単独で撤退。これは背後に何かあるはずだ。貴様はその理由を知っているな?」


「えっと……その……ニンジン?」


「知らないとは言わせないぞ!! あちらもこちらも今は激戦地域のあそこを注視している!! さぁ、吐けッ!! 一体、貴様はあの部隊にどうして拘束されていた!!」


「分からない……としか」


「く、くくく、舐めているな? 貴様、この私を舐めているだろう?! このフラム・オールイーストを年齢で舐め腐った野蛮人がどうなるか教えてやる!! おい!! 衛兵!! 衛兵!! アレを持って来い!?」


 激怒した様子で顔をヒクヒクと引き攣らせた美少女。

 もといフラム・オールイーストさんが邪悪な笑みを浮かべる。

 その声に反応してか。

 たぶん自分を此処まで連れてきた衛兵(本当に衛兵だった)が駆け出す音。

 そして、二十秒程でしてから扉が開き。

 こんがりと焼けた麦の匂いがドンとテーブルの前に置かれた。


 衛兵が何やら「こいつ終わったな……」的な憐憫の視線を投げ掛けてから、すぐに再び外へ出て行って扉をロックする。


「これが何だか分かるか? なぁ? 分かるか? これから貴様には知らないと言う度にコレを一切れずつ食べてもらう。貴様はごはん派だったな……どの派閥、宗派かは知らんが、本当の事を言うならば、今の内だぞ?」


「……えっと、質問どうぞ」


 やはり、これは夢なのだろう。


 何やら劇物でも飲ませてやるからな、と言いたげに美少女が持ったソレは……焼き立てフワフワでサクッとキツネ色をした―――。


「さぁ、このトーストを食べたくなかったら吐けッ!!」


 一切れのパン。

 それ以外の何にも見えなかった。


「貴様は一体、あの戦場からどうして運ばれてきた!!」


 もしかしたら、塗ってあるのが激苦漢方薬とか。

 激辛油だとか。

 そういう罰ゲームなのかもしれないが、やはり夢は夢らしく。

 ファンシーな拷問は丁度良い軽食に違いない。

 きっと、何も食べずに眠ったのが悪い。

 空腹は最高の調味料とはよく言ったもので尋問に付き合いがてらの朝食が始まる。


「とりあえず知らないとしか」


「分かった……分かった分かった。ならば、食わせてやる……そんなに食いたいのか? そんなに死にたいのか? 貴様のような気骨のある野蛮人は嫌いではないぞ? くくく、食えなかったら、この場で貴様を処分する名分には十分だろう」


 スラリと何やら机の下で見えなかった部分から細いレイピアらしきものが半分程抜き出されて、刃先がキラリと輝いた。


「さぁ、食え!!?」


 テーブルに腕が振り下ろされ、焼き立てのトースト一枚が目の前に手の型を付けられて差し出される。


「頂きます」


「ほう? 貴様、礼儀は知っているようだな。しかし、これから貴様の地獄は始まるのだ!! 一切れを食い切るのに日没まで掛かる輩もいる。泡を吹いて倒れる者もある。だが!! 私は一切の容赦手加減を―――」


「ごちそうさま」

「ッッッッ?!!?!?」


 劇画にでもなったようにクワッと目を見開いて、彼女が驚きに呆然としていた。


 焼き立てのトーストはもっちりとした内部とは裏腹に見た目の色付きのままカリッと焼き上がっていた。


 香ばしさも申し分ない。


 パン屋のパンと遜色が無い代物は何も付いていなかったが、十分に食べられる代物だった。


 寝る前に何も食べていなかったせいか。

 ペロリといけたのは自分が食べ盛りでもあるからだろう。


「~~~ば、馬鹿にして!!? そんな無茶がいつまでも続くと思うなよ!? 野蛮人め!!」

「あ、出来れば、飲み物とか……」

「衛兵!! 衛兵!! 水を用意してやれ!! この野蛮人が無理をした時に吐かせる用にな!!」


 それから二十秒。

 再び目の前に用意されたのは木製のジョッキ一杯に注がれた水だった。


 また戻っていく衛兵の目は「こいつ……もう生きて出てこられねぇな」という感じに憐憫3割増しだった。


「ふ、ふん!! このトースト一斤を食い切れた者など未だ嘗て存在しない!! もし、貴様がコレを食い切れたなら、法典に則り、我が一族の同胞として迎い入れてやってもいいぞ? まぁ、絶対に無理だろうがな!!?」


 邪悪な仮面に汗を浮かべつつ、顔を引き攣らせた尋問官の様子に自分の頭の悪さが悲しくなった。


 トーストを食べられなかったら、殺されるとか。

 トースト一斤食い切れたら、同胞とか。


(せめて、もっとシリアスだったら、救いもあったような気がする……)


「さぁ、再開しようか。では、次の質問だ。貴様の名は?」

「【佳重縁かしげ・えにし】」

「カシゲェニシ?」

「エニシでいい」

「ふん。では、エニシ。貴様は何歳だ」

「十六だ」

「ほう? なら、もうGENPUKU済みだな」

「げん、ぷく? 元服?」


「妻子がいるなら、このトーストの量を減らしてやってもいいのだぞ? まだ、死にたくなかろう?」


「え、いや、妻子とかいないし。そもそも、減らさなくても別にこのくらいの量なら」


「何!? 貴様、その歳で妻子も無いというのか?! ふん、この落ち零れめ!! どれだけ自堕落で家柄が悪いんだ。それともアレか。妻子に迷惑を掛けたくなくてだんまりを決め込むつもりか?」


「そういうのじゃ、ないんだが」

「まぁ、いい。ならば、二枚目を食らってもらお―――」

「ごちそうさま」


「貴様ぁああ?!!!  まさか、貴様はごはん公国の民ではないのか?! いや、ならば、あんな場所にいたはずも無い!! くッ?! まさか、高耐性者?! し、しかし、幾ら高耐性者でも限界は!?」


「勝手に盛り上がってるところ悪いんだが、せめてジャムとか、ピーナッツバターとか、マーマレードとか。もし無いなら、目玉焼きとかでも……ちなみにごはん公国って何?」


 自分の頭の悪さが夢に反映されまくっている事に諦観を覚えつつ、それでもトーストを齧る手を止めて要求してみる。


「ジャム?! ピーナッツバター!? マーマレードだと?!! き、貴様?! あ、あんなものを我らパン共和国の誇りたる白き身肌に塗り付けようというのか?! あ、ああぁ!? お、おぞましいにも程がある!? あの血の色のような粘液!? 滑り気を帯びた邪悪な香りのする褐色の粘液!! あの見るからに不自然な明るい色の粘液!! 目玉焼きはまだしも!!? あんなものを一緒に食するだと!? き、貴様のような野蛮人見た事が無い?!!」


 何やら勝手にブルブルと震えながら、まるで化け物でも見るかの如き瞳が恐怖に染まっていた。


 そして、そんな頭の悪い美少女を夢で見てしまう自分はどれだけ病んでいるのだろうかとへこむ。


 とりあえず、パン共和国って何ですかという言葉さえ、言葉にするのも億劫なのは間違いなかった。


 もう一々質問されるのも面倒になって、パンを食べる事に専念する。

 すると、数切れのトーストは他に塗るものも無い関係で胃袋に軽く収まった。

 水を飲み干して前を見ると。

 もう何やら怯えた感のある表情で彼女フラム・オールイーストが椅子を後ろに引いていた。


「た、食べ切った、のか? そ、そんなわけ、そんな……これは夢だ……夢なんだ……ふふ、そうに決まっている。私が、こんな野蛮人の……ふ、ふふ、ふははは……」


 壊れてしまったレコードを無理やり流したような、音程の狂った声。


 狂人染みた視線がギラッとこちらを睨んで、その後フラフラと立ち上がった彼女が横を抜けて扉を内側から開くと。


 そのまま驚く衛兵に監視を言い付け、何処かへと去っていく。


 中に入ってきた衛兵がこちらを見やり、パン屑がテーブルの上に落ちているのを見て、驚愕の表情で固まり、僅か引け気味に壁へ寄ってこちらを睨んでくる。


「一つ訊ねていいか?」

「な、何だ!!?」

「……彼女って結婚してるのか?」


「―――お、お前には関係ないだろ!! フ、フラム様のような高貴な家の出のお方はい、幾ら婚期が遅くてもまったく問題になんてならないんだよ!! たぶん!!?」


「そうか……」


 どうやら夢の世界の頭の悪い美少女はイキオクレているらしい。

 何がどうなって、こんな話になったのか。

 とりあえず、死ぬと目覚めるという話もあるが、試してみたくはない。


(ホント……どーしよう)


 未だ醒めない夢の続きは一向に終わる気配も見せていなかった。

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