1ー7

 その後大工を入れて、設計図を描いたり、実際に視界を遮ったりして試行錯誤の末、部屋にカウンターが作られることになった。

 調理場と客席を仕切る目的もあったが、ここは食堂を開くときに、客席にもなる。

 急ごしらえといった感じだが、これでラーラの家は、店として何とか機能するようになった。もちろんまだまだ改善点はあるだろうが、それは店を開いたのち、徐々に変更していけばいいことだ。

 カウンターが出来上がり、大工たちが引き上げたあと、ラーラはシグルドと店の掃除をおこなった。

 町にはじめてきたときは、やることなすことブツブツと文句ばかり垂れていたシグルドであったが、それも店が形になるにつれ、変わっていった。今では積極的とは言わないまでも、こうしてラーラが作業をしていれば、手を貸してくれる。

 すべての掃除を終えると、ラーラはシグルドをテーブルに座らせ、パンと作り置きしていた豆のスープを出した。

「お疲れさま」

 運び終わったラーラが、席に付こうとしたときである。カランカランと、入り口に付けた鐘が音を立て、扉が開いた。

 二人が入り口を注視する。

「あら、オーガストいらっしゃい」

 ラーラが声をかけると、オーガストは軽く手を上げ、返事をした。

「何しにきたっていうんだよ」

 最初の印象がよほど悪かったのか、オーガストを見たシグルドがぼそりと言った。ぎょっとして、オーガストの反応を伺ったが、聞こえていなかったのか、気に留める様子はなかった。

「大工に聞いた。店が完成したんだって」

 シグルドは店に足を踏み入れると、店内を見回して観察した。

「そこまで変えたわけじゃないんだな。おばさんの家のままだ」

「そう一気には、なかなかね」

 ラーラは自身が座ろうと思っていた引きかけの椅子を、オーガストに勧めた。

「遅いけど、昼食を取ろうと思っていたの。よかったら、オーガストも食べていかない」

 シグルドがあからさまに嫌そうな顔をしたが、ラーラは気が付かない振りをした。

 オーガストは頷くと、シグルドの向かいの席にどかりと腰を下ろした。

「店の名前は決まったのか?」

 オーガストの問いに、ラーラは開いた口元を隠すように手で覆った。

「あら、そういえばまだだったわ」

「そんなことだろうと思ったよ。町の奴らには声をかけたから、そのうち顔を出すと思うが、はじめて来た奴は迷うだろう」

 使えと言って、オーガストは抱えていたものを差し出した。

「これって、看板?」

「外には何もなかったからな。必要だろう」

 細い丸太に剥き出しの板が取り付けられている。オーガストそのままの何とも無骨なデザインだった。

「ダサッ!」

 シグルドの悪態は、どうやら今度は聞こえたようだ。オーガストは眉根を寄せて、不快感を表した。シグルドの言葉を打ち消すように、ラーラはすかさず言った。

「ありがとう。大切に使わせて貰うわ。でもまず名前を決めなくちゃいけないわね」

「候補は出ているのか」

「全然」

 ラーラは困ったように、肩を軽く上げた。

「じゃあ、こういうのはどうだ。〝ラーラの料理屋さん〟だ」

「いや、ちょっ、ちょっと待つんだ」

 それまで悪態を付くだけだったシグルドが、急に大声を上げる。よほど驚いたのか、ごほごほと咳き込んでいる。

「何だ。駄目か」

「いや、駄目っていうか、おかしいだろう」

「何が。わかりやすくていいだろう」

 シグルドは、頭を抱えた。

「あー、さっきの看板といい、そういうのが君の感性ってわけか」

「何が言いたい」

「田舎くさくて、野暮ったいってことだよ」

「お前、失礼な奴だな」

「失礼なのは、君のほうだろう。急にやって来たと思ったら、そんな田舎くさい店名を付けようとして。少しは頭を使ってくれよ」

「俺は、使っている。わかりやすいのが一番だから、提案した」

「わかりやすいのがいいなら、他にやりようがあるだろう。いいかい。店名っていうのは、言わば店の顔なんだよ。名前を聞いただけも、人はどんな店か想像ができる。店名が野暮ったい店は、即ち料理の味も野暮ったくなる」

「いや、待て。何なんだ、野暮ったい料理って。味なんか、食べてみなきゃわからないだろう」

「いいかい。名づけってのは、こうするんだよ」

 ふーっ、とシグルドが呆れたようにため息を付いた。

「〝フィルマーサ〟〝ルイアヌ〟〝ヴェルド〟これらは、実際にある店の名前だけど、ざっと挙げるだけでも、こんなに違う」

 シグルドが今挙げた名前は、ラーラも知っているような有名店だ。すべての店にラーラは足を運んだことがあるが、どれも格調高くて品のある店だった。

「何だ、その名前は。聞いたことがない言葉だ」

「今は外国語で店名を付けるのが流行っているんだよ。先ほどの名前も訳すと、〝最上級の味〟名前の通り、何を食べても美味しい店だ。最上級と言うだけあって、料理が洗練されている。次が〝恋人たちの晩餐〟これはカップル向けの店だ。女性を誘うのに適している。凝った内装の店内で出される料理は、見た目が派手な料理が多い印象だ。あとは、デザートに力を入れている。最後の〝ヴェルド〟は、こちらで言うヴルーテソースを意味している。基本のソースの名前を付けることで、ソースに力を入れていることをアピールしているんだ。ここの店主は創作好きで、色々なオリジナルソースが楽しめる」

「それで、お前はどうしたいって言うんだ。結局それは、他の店の名前だろう」

「君のラーラの料理屋さんも変えるとすると、オリシャス・ラーラと言ったところか。ほら、訳すだけでもかなり違うだろう」

「訳しただけで、同じ意味ってことだろう。なら、〝ラーラの料理屋さん〟でいいだろう。お前の名前は、何の店なのかわかりづらい」

「何の店かは、看板に絵を足すか、店の外観で表現すればいい。あと、この店は一部の客しか相手をしない、予約制の店になることが決まった。だからわからなくとも、困りはしないよ」

 ラーラが黙っているからか、シグルドは言いたい放題だ。予約制は提案したが、一部の客だなんて、公言したつもりはない。これには流石のラーラも割って入った。

「もう、また勝手なことばかり言って。オーガスト、真に受けないでね。確かに予約制にはするつもりだけど、普段は食堂を開いているから。気軽に遊びに来て」

 オーガストはこくりと頷いた。

「食堂か。酒は出るのか」

「もちろん」

「この町には酒が飲めるところが、少ないからな。助かるよ。案外、繁盛するのかもしれないな」

「予約制にするのは、お客さまにきちんと向き合いたいからよ。お店自体は気軽に立ち寄れるような雰囲気にしたいと思っているの」

「だったら、尚更〝ラーラの料理屋さん〟がいいだろう。町の人間も入りやすい」

「そうねえ。確かにわかりやすいものね」

 ラーラは考え込んだ。

 その真剣な眼差しに、これはまずいと焦ったのはシグルドだ。

「えっ、ラーラ。まさか本当にその名前にするつもりなのかい?」

「あら、いけない? 私もこの名前気に入ったわ。私も田舎くさくて、野暮ったいのが趣味みたい」

「いやいやいや! 大体わかりやすいって言うけど、そもそも君たちは文字が読めるのかい」

 これには流石にオーガストもカチンときたようだ。

「年寄りは読めないが、若い世代には読める奴も増えてきている。俺だって単語ぐらいなら、わかる。馬鹿にするな」

「失礼。馬鹿にしているわけじゃないさ。ただ確認をしておかないとね。折角看板を作っても、文字が読めないなら意味がないだろう」

「お前、やっぱり馬鹿にしているだろう」

 二人の間に不穏な空気が流れる。

 最初から感じていたが、どうやらこの二人は相性があまり良くないようだった。いや、シグルドが、というべきか。彼は男と名の付くものに対して、常に当たりが強過ぎる。

 その点、オーガストは違う。オーガストは昔から男に好かれる気持ちの良い男だった。

 ラーラは二人の間に手を入れると、空間を切るように上下に揺らした。

「はい、二人とも止める。揉めているところ悪いけど、ここは私の店よ。最終的に決めるのは私になる」

 二人の瞳が一斉にラーラを捉える。

「そんなに見つめられると、照れるわね」

「いいから、ラーラ早くして」

 シグルドに急き立てられ、ラーラは肩をすくめた。

「もうわかっているかと思うけど、お店の名前は〝ラーラの料理屋さん〟にしようと思うの」

 がたんと椅子が揺れる音がする。

 見ると、シグルドが机に突っ伏して落ち込んでいた。

「ごめんね、シグルド。あなたの考えてくれた案が、悪いってわけじゃないんだけど」

「わかっているよ。温かい雰囲気だろう。まあ、この店の外観的にもそっちのほうが合っていると思うよ」

 もしシグルドが猫の姿だったのなら、盛大に耳と尻尾が垂れていたことだろう。

 ラーラがどう励まそうが考えあぐねていると、オーガストが看板を持って立ち上がった。

「ペンキあるか?」

「ええ。家の補修に使ったものが、診察室にいくつか置いてあると思うけど」

「こういうのは早いほうがいいだろう。描いてやるよ」

 勝手知ったる様子で、オーガストが診察室に向かっていく。

 それを慌てて止めたのはシグルドだ。

「少し待つんだ。君だけでは心もとないのでね。僕も行こう」

 オーガストが立ち止まる。

「料理が冷めてしまってはいけないのでね。すぐ済む」

 シグルドはそう言うと、短く感謝の言葉を述べ、華麗な動作でスープとパンを口に運んだ。パンは先ほど焼き上がった焼きたてのものだ。手で割ると、ほんのりと湯気が上がった。パンの甘い香りが部屋に広がる。

 スープは豆を裏ごしして、牛乳で伸ばしたものだ。手間はかかるが、滑らかで、豆の甘さがよく引き立つ。

 シグルドはラーラに二、三感想を述べると、黙々と料理を口に入れた。

 がっついているはずなのに、下品に見えないのがシグルドのすごいところだった。

 ものの数分でシグルドは料理を平らげると、口元を布巾で拭き、椅子から立ち上がった。

「待たせたね。行こうか」

「お前、そんなに腹が減っていたのか」

 シグルドの食べっぷりに、オーガストが虚をつかれたように言葉を吐き出した。シグルドがやれやれといった様子で答える。

「まったく、これだから田舎者は困るよ。せっかくラーラが最高の状態で出してくれたんだ。それを無視するなんて、作り手や食材に対しての冒涜だよ」

 シグルドはオーガストに近付くと、彼の手元にある看板を覗き込んだ。

「それはそうと、看板を描くなんて言っていたけど、君は文字を描けるのかい?」

「また、それか。単語くらいならわかるって言っただろう」

「いや、君、絶対文字とか、汚いだろう」

「お前いったい何を根拠にそんなことを言っているんだ」

 二人はやいやい言いながら、薬品庫を通り診察室に入っていった。何だか楽しそうだ。

 ラーラは視線をテーブルに落とした。皿の中身は綺麗さっぱりなくなっていた。パンの食べこぼしもほとんど見られない。シグルドの食べ方は、いつ見ても美しい。

 ラーラはテーブルに残された食器を下げ、洗い物に取り掛かることにした。

 皿の量が多いときは、外の手押しポンプで洗うことにしているのだが、今日は量も少ない。ラーラは、台所にある流し台で洗うことにした。

 桶に水を貯めて、皿をかちゃかちゃと鳴らしていると、シグルドがラーラを呼びに来た。

「できたの?」

「まあね。ラーラ、いつになったら来るんだい? ずっと待っていたんだよ」

 ラーラは天板に置かれた布巾で、濡れた手を拭った。

 シグルドに手招きをされて、診察室へ向かう。

 看板は部屋の中央の土間に置かれていた。木目の看板に〝ラーラの料理屋さん〟と素っ気なく描かれている。

 文字の見た目からして、描いたのはシグルドだろう。彼はもっとごてごてと飾り立てるイメージがあったから、このシンプルな看板は意外だった。

「あまり派手にしても、君の店には合わないと思ってね」

 ラーラの心を読んだかのように、シグルドが答える。

「落ち着く見た目ね。それに字が綺麗」

「そうだろう。他に何か足したいものがあれば、描き足してくれ」

「そうねえ」

 ラーラは、看板を上から凝視した。周りにスペースが余っているので、シグルドの言うように、色々描き足すことができそうだった。

「ステーキや酒樽を描き込むんだ」

 オーガストが口にした。

「食堂だってのが、よくわかる」

 思わずラーラの口から、声が漏れる。

 シグルドがムッとした様子を見せたが、彼はもう何も言わなかった。

「それもいいんだけど、もっと重要なことを描いておかないと。そこにある細めの筆を取ってくれる?」

 シグルドから筆を渡してもらうと、ラーラは看板の側にしゃがんだ。シグルドの描いた〝ラーラの料理屋さん〟の文字の下に、小さな文字を描き足していく。

〝どんな料理でもお作りします。お気軽にご相談下さい〟

「これでよし」

 ラーラは立ち上がると、上から全体を眺めてみた。

 文字が乾いたあと、三人は看板を持って庭へと向かった。

「ここがいいかしら」

 ラーラは玄関から道路を繋いでいる小道の近く、道路沿いの地面に場所を決めると、オーガストに杭打ちをお願いした。

 オーガストは看板を地面に軽く突き刺すと、持ってきた木槌で杭の頭を叩いた。かん、かん、と小気味よい音がして、杭が徐々に地面に埋まっていく。

 杭を五分のニほど埋めると、オーガストは揺すってぐらつかないことを確認した。

「これでいいだろう」

「〝ラーラの料理屋さん〟の開店ね!」

 ラーラは両手を前へ突き出し、ハイタッチを求めた。

 オーガストは一瞬躊躇したが、遠慮気味に手を伸ばし打ち合わせた。

 ぱちんと乾いた音がする。

「おめでとう。ラーラ」

 シグルドに向き直ると、彼がにっこりと笑みを見せた。

 新たな門出のはじまりだ。

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