えそらごと ~人と人外の短編集~
ペグペグ
化け物と人間
『俺たちみたいな化け物と、人間が仲良くできるだなんて、しょせん絵空事だったんだ』
まだ少年の化け物が、口元とお腹に真っ赤な血をはりつかせながら、言った。降りしきる雨に黒い髪はしっとりと濡れ、同じ色の瞳にはかすかに涙がにじんでいる。
『そんなことない! だって僕らには、心があって、言葉も通じるじゃないか! それなら……それなら、いくらだって仲良くできるさ!』
化け物を抱きかかえ、嗚咽まじりに叫ぶ人間。どうにか化け物の体から流れ出る血を止めようと、その手は傷口をきつく押さえている。
けたたましい銃声が響いた。一発。二発。三発。ぐらり、と人間の体勢が大きく崩れ――
そこで、プツリと映像が途切れて、代わりにバラエティー番組が映し出された。ちょうど、人間と化け物のお笑いコンビが笑いを取ったところらしく、会場がどっと笑いに包まれる。化け物がきゅっと首枷を締め上げられ、顔を蒼くして手足をじたばた動かしている。その滑稽さがさらに笑いを誘い、会場はもう大爆笑。拍手と歓声の雨あられだ。
その映像もプツリと途切れ、ホロビジョンは沈黙した。つかの間の静寂が、リビングの空気に重くのしかかる。
「つまらん!」
ご主人様が、いかにも退屈そうに、ぷうっと頬をふくらませた。頭の角が赤く変色しているから、どちらかというと怒っているのだろう。
「まったくくだらんな! 報道局の作る映像などどこも変わらん。どんなに体裁を繕っていてもな、『我々人間は優れた種族なんだ』という価値観が透けて見える。やはり、これらの書物にある異種間交流などとは程遠いな」
ご主人様は、褪色の進んだ旧世紀の本をつまみあげて、肩をすくめて見せた。――どうやら相変わらず、最近解析中の過去の書物にご執心らしい。僕も少し見せてもらったが、その中では人と人ではないものが友情を結んだり、はたまた恋仲になったりするようだ。今の時代には、考えられないことだった。
「そんなことを言うのは、ご主人様だけですよ」
僕の言葉に、ご主人様は不機嫌そうに鼻を鳴らした。まだその角はザクロのように赤いままだ。
「こんなものは人間が作り出した支配システムのためのレッテル貼りだ」とご主人様は言うけれど、人間は高等種で、僕たちのような化け物は劣等種だ。僕にも、テレビの中の少年にも、お笑い芸人にも、その証の首枷がはめられているし、手の甲には先祖の罪をあらわすしるしと、管理ナンバーが焼き付けられている。
「ならば君、君よりも私が優れていると思う点を挙げてみたまえよ」
僕が用意した紅茶を一口すすり、挑発的に脚を組みながらご主人様が言う。僕は冷まし終えたばかりのチョコチップクッキーを皿に並べながら、「そうですねえ」と答えた。
「きりっとしたお顔立ち。知識が豊富なところ、それからその知識を扱うだけの頭脳があるところ。僕にもその知恵を分けてくださるところ。自信に満ちあふれているところ。正直なところ。とてもお優しいところ。……挙げればきりがありませんね」
「……すべて種族差ではなく個体差ではないか。話にならんぞ」
ご主人様はまた鼻を鳴らして、僕が旧世紀風のやり方で作ったチョコチップクッキーをさくさくとほおばった。赤かった角の色は、いつものクリーム色に戻っている。
「そもそも、ご主人様の持論では、“人間”と“化け物”の間に明確な差異は認められなかったのでは?」
「その通りだ。外見以外ではな」
隣に座って改めて見直せば、僕よりも頭ひとつぶん小さいご主人様の身体と僕とでは、見た目はずいぶん違っている。頭がひとつ、手足がふたつずつ。そこは僕もご主人様も変わらない。でも、僕には尻尾も角もないし、体を覆う鱗や羽毛もない。“人間”の身体的特徴は地域によってかなり差が大きく、鱗や羽毛の代わりに体毛が多い人や、角のない人、翼のある人、など様々だ。対する“化け物”はせいぜいが肌・髪・目の色が違うくらいで、人間ほど大きな差異はない。
これだけ見た目が違っても、人間と化け物の中身――つまり、脳だとか心臓、胃や肺などの器官は、ほとんど同じようにできているらしい。不思議な話だけれど、人間と化け物はかつては同じものだったそうだから、当たり前と言えば当たり前のことなのだそうだ。
「僕には、僕とご主人様が同じものだとは、やっぱり思えません」
ご主人様は皮肉っぽい笑顔を浮かべて、その凛とした金色の瞳で僕を見る。その姿はまさしく獲物を狙う爬虫類のようで、普段から見慣れていなければ、驚きのあまり縮み上がっていたかもしれない。
「言葉も通じて、同等の知性があって、同じ赤い血が流れていてもか」
――だってご主人様と僕とでは、何もかもが違いすぎるから。そんな言葉をのみこんで、そっと微笑んで見せた。
そもそも、僕たち化け物と人間では、生まれ育った環境が全然違う。化け物は単なる労働力として、専用施設で画一的な必要最低限の教育を受け、適性によってクラス分けされて、クラス毎に訓練を受けた後、人間の持ち物として希望者に配分される。僕はその中でも落ちこぼれと言われている家事労働クラスのさらに劣等生――対するご主人様は、一等階級である考古学者の家系に生まれ、大学でもトップクラスの成績を誇る、いわゆるエリートだ。
底辺から頂上まで、いきなり引っ張り上げられた僕と、もともとそこにいて、さらに太陽にまで手を伸ばしているご主人様。僕には到底、同じものだなんて思えなかった。時折、こんなにも住む世界が違うのに、どうして僕らは一緒にいるんだろう、とめまいにも似た感覚に襲われることすらある。
「いい加減、“ご主人様”と呼ぶのもやめてほしいのだがね」
軽いため息が耳に刺さる。ご主人様は僕を引き取ってくれた時から、「君とは対等な関係でいたいから、名前で呼んでほしい」と言っていた。けれど、僕にはご主人様が神様みたいに見えたから、名前で呼ぶなんてこと、できるはずもなかった。
「ご主人様は、ご主人様ですから。それに、外でうっかりお名前を呼んでしまっては、危険です」
「危険……は言い過ぎだろう。たしかに、いい顔はされないだろうが」
支配階級の人間は、あらゆる面で模範的でいなければならない。化け物を人間のように扱うのは、社会の規律に反する行為だ。明確にそれを罰する法律はないにしろ、周囲から疎まれるのは間違いがない。ご主人様をあえてそのような苦痛にさらすつもりは、僕には毛頭なかった。ご主人様は強い人だから、気にしないかもしれないけれど。
「君は全然愚鈍ではないが、まったく愚直すぎるな」
やや不服そうな顔のまま、ご主人様はひとつチョコチップクッキーをつまんで口に運んだ。
「私たち人間は、神様でもなんでもない。あまり妄信しないでくれ。……私は君に、ちゃんと自分で考えてほしいだけなんだ」
「こんな僕を、気にかけていただいて幸せです。でも、僕には何も……難しいことは、わからないんです」
本心からの言葉だった。僕には、ご主人様の言うことはすべて、絵空事のように感じられる。ご主人様の見ている世界と、僕の見ている世界は、たぶん全然違うものなのだろう。
でも、きっと僕たちは元から同じだったなら、出会うことすらなかった。だから僕は、ご主人様と全然違っていて良かったと思う。何もかも全部が違っていたから、こうして一緒のテーブルでクッキーと紅茶にありつける。こうして同じ時間を過ごせる。こうして笑って話ができる。口に出したら、ご主人様はまた角を赤くして怒ってしまうだろうけど。
ややあって、ご主人様はゆるゆると頭を振った。
「まあよい。何年かかっても、私は君と私が同じものだということを、証明してみせるぞ」
そう言って不敵に笑うご主人様の眼差しは、とても真っ直ぐで、美しく見える。滑らかな緑の鱗に覆われた、少し冷たい指先が、僕の硬くひび割れた手に触れた。自信に満ちたその瞳には、僕の顔が映っている。
「それまでちゃんと、私の補佐をしてくれたまえよ」
言われなくても、僕はご主人様がそれを許してくれる限り、いつまでだって側にいるだろう。
いつかご主人様の言う絵空事が、きっと本当になる日を信じて。
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