貴族生活

プロローグ ~リミルリの正体

 リミルリが朝起き、日課となった歩行訓練をしていると、ハルモアが後をつけてきた。方向が同じなのかと思ったが、いつまでもついてくる様子。

「ハルモア様、いかがなさいましたか?」

「もぉ、ワタクシのことはお姉ちゃんって呼んで!」

 リミルリはなにかを言おうとし、やめた。ちょっと言ってみたかったが、恥ずかしくなったようだ。


「それで──」

「リミの歩き方ってほんと綺麗だから真似したくなって」

 4ヶ月も噛まれ続けようやくできたものをそう簡単に真似できるとは思えない。

「どこが違うのかな……あっ、膝よ! ……ううん、つま先かな」

『うにゃっ!?』

(突然どうしたの?)

『あいつ、一見しただけであたしの高品位ウォークを見抜いたきゃ』

 モデルなどのいわゆるキャットウォークなどと違い、さり気なく些細なものだ。そこへ意識していなければ気付けない。


「可愛いというよりも洗練されていて美しいわ。それが可愛さを引き立てている感じ。リミの歩き方は生まれつきなの?」

「いいえ、常に意識する必要があるので、毎朝こうして調整してます」

「努力してるのね! じゃあワタクシも努力すればできるかしら」

(どうなの?)

『無理きゃ。あたしが直接教えられないんだから』

 リミルリの質問にきゅきゅは答えた。


 きゅきゅの言葉がわかるのはリミルリしかおらず、リミルリを介して話したとしても、きっと────いや絶対に口調が甘くなる。きゅきゅの方針はスパルタなのだ。やさしく育てることに意味を感じない。

 やる気のない人間に教える場合、やさしくしてもつけ上がるだけ。そしてやる気のある人間は教えなくても自ら学ぶ。こういう考えのようだ。

 それは一概に間違っているとは言い切れないが、必ずしもそうではない。恐らく教えるのが面倒なのだろう。ようするに言い訳だ。


「無理だと言っています」

「誰が!?」

 リミルリはうっかりきゅきゅの言葉を伝えてしまった。これにはきゅきゅも唖然。

「え、えっと……」

 こういうときのアドリブは全くできないリミルリ。きゅきゅが慌てて耳をガブガブ噛んで気を取り戻させる。

『うー……こうなったらバラしちゃっていいきゃ』

(いいの?)

 ここで変な子という印象を持たれても困るし、なによりハルモアはリミルリに対し、悪いことはしないだろう。


「実は私、動物の言葉がわかるのです」

「まあ!? ……ということは、そのラブリーキュートに教わっているわけ?」

「はい」

 ハルモアはまた膝から崩れ落ちた。外民どころか野性動物にまで品位で負けている。一体自分たち貴族はなにをやっていたのだろうと。


「わ、ワタクシ、獣以下……」

「いいえ、この子は元々人間で、作法などをとてもよく勉強していたそうです」

『そこまで言っていいなんて言ってないきゃ! ……もういいきゃ』

 言ってしまった以上、文句を言っても仕方がない。


 そしてハルモアは項垂れた。

「素敵かわいいリミに愛くるしいラブリーキュート。それだけでも羨ましいのに話までできるなんて……世の中不公平だわ! いいえ、ワタクシが不幸平だわ!」

 不幸であり不公平である。心の底から出た言葉は混ざり合って誕生した。

『こいつ、リミがどれだけ苦労したかわかってないきゃ』

 苦労させていた張本人がほざく。とはいえリミルリのためにもなっているし、やらねば今ごろどうなっていたかわからない。

 だが苦労したからとはいえ並以上の暮らしを今しているリミルリと違い、ハルモアはどれほど苦労してもきゅきゅと話すことができない。そう考えると不公平であるというのも仕方ないかもしれない。


「でもこれで納得いったわ。きゅきゅちゃんがあなたの本体だったわけね」

 きゅきゅは盛大にこけた。なにもわかっていない。いや、ある意味これが真理なのかもしれない。

 今あるリミルリは本当のリミルリではない。頭の天辺からつま先まで、それに思考や一挙手一投足。生まれ持った容姿以外、全てがきゅきゅによるものだ。

「失望されましたか?」

「そんなことするわけないわ! リミの正体がわかってちょっと嬉しいの」

 たかが外民の娘がこうも聡く、そして凛としていることがどうしても不思議だった。絶対にどこかで高貴な人間に教わっていたはずだ。まさかその相手が常時装着とは思ってはいなかったが。


『リミ、バレたついでだから貴族の礼儀を教わるきゃ』

(きゅきゅちゃんから教わったのじゃ駄目なの?)

『あれはあたしの世界の礼儀きゃ。この世界の礼儀はまた別に教わったほうがいいきゃ』

 リミルリが覚える必要もあるが、きゅきゅも興味がある。

 今リミルリが認められているのは、時間をかけて洗練した結果でしかない。正しいものを覚えたほうが、今後の役にも立つ。


「えっと、こちらから教えて頂きたいことがあるのですが」

「ええ! なんでも聞いて頂戴!」

 全てが完璧だと思っていたリミルリが教えを乞うことに、義理とはいえ姉であるハルモアは嬉しく感じた。


「彼女はこの国の知識がないので、貴族の礼について教えて頂ければと」

「必要ないわ!」

 考えることなくハルモアはばっさりと切り捨てた。

 リミルリは外国の人間だから礼儀作法が異なっているということで通せるらしい。

 理由は今の美しい作法の姿勢を崩してしまうのが勿体ないということだ。

 確かに、ここまできゅきゅが満足できるほどまでに完成されたリミルリの作法を、新しく覚えることで壊してしまうのは酷というもの。


「とはいえ他人から向けられる場合を考えておかないといけないわね」

 身分社会で礼を間違えるのは罪に近い。だから本来であれば貴族の名前と容姿を覚えたほうがいい。


 最敬礼は、例のコサック的な手のやつだ。ハルモアが実際にやって教えてくれる。

「右手を左手の下にするのは格上貴族へ、逆に右手を上にするのは同格或いは格下へ挨拶するときよ」

 右手は自身を表し、左手が相手を表す。相手がどちらかわからない場合は、普通ならば右手を上に挨拶する。

 確実に相手の方が自分より上だと認識しない限りは知らぬ人間に右手を下にしないものだ。家格に傷が付く。ただし、上位貴族を知っていることは貴族の常識なため、そうそうミスはしない。

「あとは女性だったら右足を前にして交差させ、男なら足を揃えるのよ」

『ふむふむ』

 いざとなったら使えるかもしれない。必要ないと言われたから無用とは限らないのだ。きゅきゅは頭の中の貴族メモに書き加えた。


「サマンタルア家は三位ヴェルメリオですよね」

「ええ。だから上には王家と一位ローシャ、そして二位アズーね。格下は四位アマレロ五位ブランコ六位プレート。つまりリミは基本的に最敬礼をされる側だと覚えておくといいわ」

「わかりました。他貴族の方々との交流はどのくらいあるのですか?」

「んー……そのうちわかるわよ!」


 ハルモアは笑顔でそう答えた。

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