第20話 救済編⑳
その夜。
美少女との会話が終わった私は机に向かって英語の予習を始めた。今回も目の前にある問題から逃げるために勉強をしたのだ。
(本当はもっとお父さんとお母さんと話し合わなければいけないのかもしれない。けど、それができない。私の行動一つでお父さんの生死が別れるなんて考えたくもない)
私は英和辞典を開きながら、ゆっくりと明日の授業の和訳を進めた。
翌朝。
私はいつも通りの時間に、食パンとサラダ、ベーコンエッグの朝食を
そして、母はため息と一緒にお弁当を渡してくれた。
母が弁当を渡してくれた際、私は図書室の司書の先生のことを思い出した。司書の先生から千円、借りている。
私は二階の自室に入ると、財布を
学校へ行く時間になると、重い足取りで私は家を後にした。
学校の門扉を通ると、肩に重石を乗せたような気分になった。身体がだるい。
私は二年生専用の玄関へと足を進めた。自分の下駄箱に手を突っ込む。
(今日の上履きはどうなってるのかな)
私は半分、
「あれ?」
私は
上履きに何もイタズラがされていないのだ。ガムはもちろん、
(変だな?)
いじめを受けない、ということに疑念を抱きつつも、私は教室に入った。
すると。
「おはよう!」
教室の女子が私に朝の
私は驚いて言葉が出なかった。
「おはよう!」
他の女子も私に元気よく挨拶をする。
(なんだ。なんだこれは?)
私は
(昨日までいじめられてたんだぞ。なのに、
私は恐る恐る小さな声を出した。
「お、おはよう」
私はゆっくりと自分の机に向かう。
「あれ?」
私は机を見て、おかしな声を出した。
(あの暴言の数はどこにいったんだ?)
私は机に鞄を置くと、教科書類を机に入れた。机の中に
(いったい、全体、どうなってるんだ)
私は椅子に腰掛けた。
すると、教室の女子の三人が私に声をかけてきた。いじめられる前は一緒にお昼ごはんを食べていた子たちだ。
「ねぇ。昨日のあの番組観た?」
一人の女子が満面の笑みを浮かべて私に話しかける。
私は動揺した。
「いや、観てないけど。昨日はちょっと頑張って英語の予習をしたから」
隣の女子が
「えー、あの英文を和訳したの? すごいなぁ。ね、もし良かったら、私に見せてくれない? 私、今日、予習をしてこなかったの」
「べ、別にいいけど」
「やったー!」
わざとらしいほど、彼女は喜んだ。
やがて、朝礼のチャイムが鳴った。
私の机にやって来た三人の女子はそれぞれの席へと戻って行った。
私は頭を
(いったい、何が起きたっていうんだ? 昨日までのいじめが嘘みたいじゃないか)
朝のホームルームが始まったが、私の耳にはまるで届いていなかった。
それから授業が始まった。授業中、私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
(なんでいじめが止まったんだ? クラスの皆がしてきた私への行動はなんだったんだ? それとも、これも新手のいじめなのか? いじめが終わったと思わせておいて、さらに
授業と授業の間の休み、仲良くしていた三人組の一人が私のもとへやって来た。
「ね、英語の和訳、見せてくれる?」
「い、いいけど」
「ありがとう!」
私は戸惑いながらも彼女に英語のノートを渡した。
「間違いがあるかもしれないよ」
「いいの。少しくらい間違いがあったって。私、本当に今日は何もしてこなかったの。だから、助かる。ね、代わりに今日のお昼にジュースでもおごらせてよ」
私は目を丸くした。
それは、「今日の昼食を一緒に
私はただただ返事をすることしかできなかった。
「あ、ありがとう。じゃあ、お昼にジュースを買ってもらうね」
「ありがとうはこっちだよ。本当に助かる」
彼女の笑みは不気味なほどいいものだった。いじめを受ける前ですらこんな笑顔を見たことがない。
(気持ち悪い)
私の素直な感想だった。
いじめがあって、急に周囲の態度が良くなる。
本当は喜ぶべきことなのであろうが、あまりの急変さに私は逆に居心地の悪さを感じた。
さらに、思い出したことがある。
(図書室の司書の先生にお金を返さなくちゃいけない)
次の休みの時間、私にジュースをおごってくれる、と言った女子のもとへ私は歩み寄った。
「ごめん、気持ちは嬉しいんだけど、私、今日、お昼に行くところがあるの」
「どこに行くの?」
「図書室の司書の先生に用事があるの」
「何の用事?」
私は、「お金を返しに行く」とは言えなかった。ほかに理由が見つけられないので、口をもごもごさせた。
「そ、その、司書の先生にちょっと借りたものがあるの。それを返しに行かなきゃいけないの」
相手の女子は相変わらずの笑みを浮かべている。
「それって昼食のときじゃないと駄目なの?」
「あ、別にお昼ごはんのときじゃなくても大丈夫かも」
言われてみればそうである。図書室は放課後も開いている。そのときに、千円を返せば良い。
私は苦笑いをした。
「よく考えれば、帰りに用事をすませることもできる」
「じゃあ、ジュースを買って、私たちと一緒にご飯を食べよう」
彼女は、「私たち」というところにアクセントを置いた。それは、もういじめはなくなりましたよ、という合図のようだった。
「わかった。じゃあ、一緒にお昼ごはんを食べるよ」
「そうして」
私は女子の席から離れた。机が入れ替えられた自分の席に戻る。
(全く、この変わりようはなんなんだ。いじめは
私は言い様のない不気味さを感じていた。
昼。
チャイムが鳴ると、例の女子が私のもとへ飛んできた。
「購買に早く行こう。欲しいジュースがなくなっちゃうかもしれない」
私は彼女に手を
購買はすでにちらほらと弁当や菓子パンを求める生徒が現れていた。
彼女は紙パックのジュースを売っている場所に足を運んだ。手を繋がれている私も引き寄せられる。
「何がいい?」
「え?」
「ジュースの種類」
「じゃあ、リンゴジュースで」
「わかった」
彼女は元気よく返事をすると、購買のおばさんに、「リンゴジュース一つ!」と叫んだ。
おばさんがリンゴジュースを渡すと、彼女はポケットから財布を取り出し、お金を払った。
釣り銭を受け取ると、すぐに私にリンゴジュースを手渡した。
「はい、リンゴジュース」
笑顔。
私は彼女の笑顔を見て、どうしても胸の中から喜ぶことができなかった。
それから、私たちは自分の教室へ戻った。
いじめが始まる前まで一緒に昼食を摂っていた女子たちと机を並べて、食事をする。
彼女たちは
「昨日のドラマ、観た?」
「観た、観た」
「あの男、サイテーだと思わない? だって、長いこと付き合ってた女の子振って、別の女に走ったんだよ。運命がどうたらとか言って」
「思った。私もサイテーだって」
私は母が作ってくれた弁当の卵焼きを食べながら心の中で思った。
(サイテーなのは、あんたたちだよ)
女子たちは
「ね、あのドラマは観てたっけ?」
話が私に振られた。皆の視線が私に集まる。
私は
「観てない。ごめん、あんまりドラマとか観ないんだ」
「あ、そうだったよね。ドラマとかバラエティーとか観ないタイプだったもんね」
「うん。ごめんね」
(
という気持ちを押し殺して、私は返事をした。
「そういえば、どんな番組観てるの? 難しい番組?」
「ドキュメンタリーとかが多いかな。あとはニュースとか。それから、幼児向けの番組も観たりするよ。結構、面白いよ」
私の周りにいる女子たちは箸を止めて、目を輝かせて私の顔を見ている。
「どんなふうに面白いの?」
「え、例えば、有名な作家の小説の文章の一部を紹介したり、モノがどんな工程で作られるかを短くまとめて動画にした番組とかかな」
「幼児向けでも、何だか難しそうだね」
「うん、私でも解けない問題が出たりすることがあるよ」
「へ~、そうなんだ」
私の周りの女子たちは興味津々という顔だ。まるで、今日の話の主人公が私である、と言わんばかりだ。
それから、私は色々な質問をされた。普段なら、話の割合は五分と五分なのだが、この日は圧倒的に私が話すことが多かった。
ウィンナーを食べようとしているときだった。
話は私がどんな音楽を聴くか、という話題になっていた。
突然、私は吐き気に襲われた。
私は口元を押さえた。席から立ち上がる。
「ちょっと、ごめん」
私は走って教室を飛び出した。トイレに向かう。
私はトイレの便器に向かうと、
胃の内容物が空になっても吐き気は収まらない。さらに吐く。酸っぱい胃液が口中に広がる。
五分ほど私は便器に向かってゲーゲーと吐いた。
吐き気がなくなると、最後にツバを便器に吐き飛ばした。
私はトイレの水を流した。胃液と混じった昼食が流れ去っていく。
私は手洗い場に立ち、手を洗った。目の前の鏡を見る。
そこには肥満した私が立っていた。若干、顔が青いように見える。光の角度のせいだろうか。
胃は空っぽになってしまったが、空腹感はなかった。
私はゆっくりとした足取りで女子トイレを後にした。
教室に戻ると、一緒に昼食を摂っていた女子たちが私のそばに寄って来た。
「どうしたの? 顔が青いよ」
「なんか具合が悪そう」
「保健室へ行ったら?」
皆、私を心配してくれている。が、私には彼女たちが発する気遣いを素直に受け取ることができなかった。表面上、そう言っているだけに聞こえたのだ。
私は無理やり笑みを作った。
「大丈夫。ちょっと気持ちが悪くなっただけ」
「一緒に保健室へ行こうか? それか保健委員を呼ぼうか?」
「大丈夫。私、一人で保健室へ行ってくるね」
「本当に一人で大丈夫?」
「大丈夫。汚い話だけど、胃の中もの全部出ちゃって逆にスッキリしてるし」
確かに妙な爽快感は覚えていた。が、それは肉体的なもので、精神的にはわだかまりが心の底に
私は弁当箱を片付けると、席を立った。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。ごめんね、せっかく一緒にお昼ごはんを食べてたのに」
私が席から離れるのを女子たちは黙って見つめていた。私の目からは女子たちがどこか
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