第148話 星屑

 ヴァネッサは自宅で庭に流れる水路の水位を測っていた。


(やはり、おかしい)


 彼女は水位計の目盛りを不審げに見つめる。


(アルバネロ公のせいで、協会の管理が杜撰になっているとはいえ、この水位の変化は異常過ぎる)


「ヴァネッサ様」


 彼女の腹心の部下が背後から話しかけてくる(彼はヴァネッサが長官職を辞した後も協会の内情について彼女に報告し続けていた)。


「どうした?」


「270階層、新港湾の付近でとてつもない嵐が起こっています。未だかつて見たことがないほどの規模です」


「ドリアスが起こしているものじゃないのか?」


 ヴァネッサは水位計から目を離さずに言った。


「無論、魔法を発動させているのはドリアスだと思われます。しかし、それにしても途轍もない嵐です。以前、評議会の方が起こされた嵐を見たことがありますが、それとてこれほどの規模ではありませんでした。何か他の力が働いているとしか……」


 ヴァネッサはスクッと立ち上がって、上階を見上げる。


 水の台地ウォータープレートはその時間によって昼は青空のようなクリアブルーに、夕暮れはオレンジ色に、夜は夜空のように暗紫色になるよう、太陽石が特殊に調整されている。


 今、夜のスウィンリルには暗紫色の天井が広がり、空を泳ぐ水棲魔獣の暗い影が雲のように蠢いていた。


(夢の中では街全体が水に沈んでいた。いくらドリアスの力が強いとはいえ、あれほどの災害を起こせるとは思えない。となれば……やはり、街自体に何か異常が起こっているんだ)


 ヴァネッサははるか上方、今、嵐が襲っているであろう新港湾の方を鋭く睨んだ。


 まるで階層全体に起きている異常、そしてこれから起こる未来を見抜こうとしているかのように。


(ドリアス。お前には何が見えている? これからスウィンリルに起こる災い、それが分かっているとでも言うのか?)


 水の天井の一点がキラリと光った。


 水棲魔獣のツルツルした体皮に太陽石の光が反射したものだった。


 それはまるで星のようだった。




 場所を戻して新港湾に聳え立つアルバネロ公の塔。


 そこでは今まさに、ドリアスとティドロ達の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。


 リンはドリアスの後ろに隠れながら聞き耳を立てた。


 先ほどまで聞こえていた嵐の音が全く聞こえなくなっている。


 この迷宮はその外と内で物理的に隔絶されているようだった。


 おそらく迷宮の外では、まだ嵐が猛威を振るっていて、ドリアスから魔力を奪い続けている。


(5対2のハンデだけじゃない。魔力を消耗しながら敵の陣地内での戦い。通用するのか?)


 ドリアスは敵の出方をうかがっていた。


(さて、敵は5人。どう来る? 『杖落とし』か『猛獣回し』か)


 ティドロ達は杖の先をドリアスに向けて、『物質生成魔法』を唱えた。


 杖の先が光り、光はみるみるうちに鉄球を形作っていった。


(『杖落とし』か。望むところだぜ)


 ドリアスも杖を相手に向けて光らせ、砲撃戦に応じる構えを見せた。


「ニール、顔面を俺のマントで隠しとけ」


「えっ?」


 直後、リンは背筋に悪寒が走るのを感じた。


 ドリアスから今まで感じたことがないくらい大きな魔力が放たれようとしている。


 ティドロ達もドリアスの放つ魔力の大きさに気づき、慌てて杖を下げ、回避態勢に切り替える。


「まずいっ。逃げろ!」


 ドリアスの正面に巨大な鉄球が展開される。


 ドリアスの砲撃とティドロ達の砲撃が放たれたのは同時だった。


 ドリアスからは一つ、ティドロ側からも一つの砲弾が放たれた。


 ドリアスの巨大な砲弾は、ティドロ達側の小ぶりな砲弾(決して小さくはなかったが、ドリアスのものに比べればずっと小さかった)を弾き飛ばして、迷宮中に鳴り響く轟音とともに、ティドロ達のいた場所を抉り、粉砕して、瓦礫と粉塵で覆い隠した。


「う、わっ」


 リンは爆風と飛んでくる小さな床の破片から身を守るため、ドリアスのマントに顔を押し付けた。


 しかし、ドリアスの背中と足下は見逃さないように注意する。


 室内は微細な粉塵で覆われた。


 ドリアスは自分に降りかかってくる粉塵とつぶてを魔法で払いながら、素早く左右に目を走らせた。


(四人取り逃がしたか)


 鉄球を前面に展開する直前、ティドロの声に反応して四人、左右に『加速魔法』で走り出すのが見えた。


 そして今、ドリアスは室内を満たす煙のせいで、ティドロ達を見失っていた。


 一方でティドロ側の一人は、立ち込める煙の隙間からドリアスの横っ面を捉えていた。


(ドリアス。相変わらず凄まじいまでの威力と質量だ)


 直撃すればいくら『城壁塗装』で防御しているとはいえ、一撃で戦闘不能にされてしまうだろう。


(だが、粉塵のせいで、こちらを見失うことまでは頭が回らなかったようだな)


 いまや、粉塵は部屋中に煙幕のように立ち込めていた。


 屋外の闘技場と違って、室内で起こされた粉塵はなかなか晴れない。


 彼は粉塵に隠れながら『物質生成魔法』で音もなく鉄球を作る。


(くらえ!)


 放たれた砲弾はドリアスに向かって一直線に突き進み、直撃するかに思えた。


 しかし、ドリアスはあっさりと杖で砲弾を受け止める。


 鉄球はまるで始めからそこにあったかのように杖の先でピタリと停止した。


(なっ……受け止めた!? いや、それよりも死角からの攻撃に完璧に反応して……)


 ドリアスは砲弾の飛んで来た方向を横目でジロリと睨む。


 すると煙の中にわずかに影が蠢いているのが見えた。


(そこか)


 ドリアスは素早く体を反転させ、砲撃を放った。


「う、うわっ」


 影は慌てて逃げ出そうと加速するも、あえなくドリアスの放った砲撃に飲み込まれ、沈黙する。


(強い……)


 リンはドリアスの力に目を見張った。


(敵の砲撃を受け止めるなんて、相手の2倍以上の出力が必要なのに……)


 リンはゴクリと喉を鳴らした。


 ドリアスは力が強いだけでなく、異様に戦い慣れている。


 まるで戦場で生まれ育ったかのようだった。


(これで二人片付けた。あと三人だな)


 ドリアスはいまだモウモウと立ち込める煙の中に油断なく目を走らせる。


 姿勢を低くして、周囲を警戒しながら、敵を探すその姿はまるで獣のようだった。




 光の剣が飛んで来た。


 リンは指輪が反射的に発動しそうなのをすんでのところで抑える。


(ダメだ。今、撃ったらドリアスさんの邪魔をしてしまう)


 案の定、ドリアスは自前で光の剣を発動し、敵からの攻撃を相殺した。


 間髪入れずに、床に光の線路が走って来る。


 ドリアスは床を砕いて、線路の進行を防いだ後、光の剣が飛んで来た方向に向かって砲撃する。


 今回は、敵がドリアスの予想とは反対方向に加速したため、逃げられた。


(チッ。外したか。だが、もう床はどこもかしこもボコボコだ。もうすぐ敵にも『加速魔法』で逃げる余地がなくなるはず。そうなりゃ……)


 ドリアスはニヤリと笑った。


(火力勝負に持ち込めるぜ)


「『野戦築城魔法』!」


 ティドロの呪文を唱える声が響き渡った。


 煙の中に長方形の影が浮かび上がる。


「みんな火力では敵わない。『野戦築城魔法』と『位相魔法』で逃げ道を塞ぎ機動力を奪うんだ!」


 ティドロの声に反応して、別の場所からも『野戦築城魔法』の呪文が唱えられる。


 たちまちドリアスは三つの壁に包囲された。


 ドリアスはティドロの壁に向かって砲撃を放った。


 ボコォと鉄球とゴムのぶつかる嫌な音がして、壁の一部が凹む。


 砲弾はその後も回転しながら壁にめり込み、推進して吹き飛ばそうとする。


「くっ」


 ティドロは壁の凹んだ場所に『質量魔法』をかけ、砲撃の威力を削ぐ。


(『野戦築城魔法』に『質量魔法』をかけなけば受けきれないなんて。でも……)


 ティドロの『質量魔法』によって威力を弱められた砲弾は、その推進力を失って、地面に落ちる。


(防ぎ切れる! 後は少しずつ封じることができさえすれば……)


 ティドロはふと傍にある瓦礫の山をチラリと見やる。


 そこには先ほどドリアスにやられた仲間がうずくまっているはずだった。


(『城壁塗装』を施しているから、致命傷は負っていないはず……。助けにいくか? 回復して戦列に復帰させればまだ……)


 ティドロは首を振って今しがた思い浮かんだ考えを振り払った。


(いや、ダメだ)


 今、迂闊に動けばドリアスの思うツボだ。


(大丈夫。助けるのは後からでも間に合う。今はドリアスを追い詰めることに集中するんだ)




 ドリアスは他の二つの壁にも砲撃を加えたが、いずれも一瞬壁に砲弾がめり込んで凹ませるものの、壁そのものを吹き飛ばすまでにはいかなかった。


 戦況は膠着した。


 リンは周囲を見回して状況を確認した。


(三方に壁を設置された。どうする?)


 三つの壁はそれぞれ両端を接せず、離れて設置されている。


(壁と壁の間を走り抜けて逃げるか? いや、でももし、それを見越して『位相魔法』が仕掛けられていたとしたら?)


 リンは壁と壁の間に目を凝らした。


 そこにはいまだ粉塵が立ち込め、地面に光の線路があるのかどうか定かではない。


 しかし、もしそこに『位相魔法』が掛けられていたとしたら絡め取られてしまう。


 リンは壁と壁の間に走り込んで、逃げたくなる衝動を必死にこらえた。


(せめて煙さえ晴らすことができれば……。ドリアスさん。どうする気だ?)


 リンはドリアスの背中から彼の考えを読もうとしたが、ドリアスの後ろ姿は何も答えてくれない。




 ドリアスは煙の中にいる敵の動きを掴もうと、目を凝らした。


(反撃してこない。とりあえず牽制は成功ってとこか)


 彼らはドリアスの砲撃を受け止めたものの、壁を支えるだけで精一杯に違いなかった。


(奴らは今、杖で壁を支え、指輪で『位相魔法』を発動し、壁と壁との間を封鎖している。お互い迂闊に動けない。ここからどうくる?)


 ドリアスはしばし思案する。


(なぁに、このまま待っていればいずれ煙が晴れる。そうなればこっちのもんさ。ここはどっしり構えておいて相手にプレッシャーをかけておけばいい。……それにしても)


 ドリアスはリンの方をチラリと見た。


(コイツ、もっと足を引っ張るかと思ったが、意外と場慣れしてんな)


 リンは指示通り、ドリアスの背中に隠れ続けていた。


 そればかりか、ドリアスが移動するのに合わせて、影のようにピタリと付き従っていた。


(俺の動きに合わせて動くには、俺が動くのを見てからでは遅い。ということは……コイツ、俺の動きを先読みしている?)


「ニール。お前随分肝が据わってるっていうか、落ち着いてんな」


「えっ!? あ、はい。どうも」


 リンは一瞬コードネームで呼ばれたことに気づかず、返事が遅れた。


「動きもサマになってるし……、まるで俺の動きを先読みしているみたいだ」


「……」


「もしかして『杖落とし』やったことあんの?」


「ええ、一度だけ公式戦に出たことがあります。二回戦で棄権しちゃいましたが……」


「ほぉ、ということは1回戦は勝ったってことか。やるじゃん」


「い、いやぁそんな。マグレですよ」


「俺の動きを予測しているのは? その動きと読み、誰に習った?」


「ドリアスさんの重心と足捌きを見て、大体の予測を……。傭兵の人に教えてもらいました」


「ふぅん」


(武闘派ではないと思ってたが……コイツ意外と面白いな)




 ティドロ達が動いた。


 壁と壁の間の空間に砲撃を加え始めたのだ。


 地面が抉れ、瓦礫が弾き飛ぶ。


 リンはハッとした。


(壁の間の地面を……)


「なるほどな。機動力を奪いに来たか」


 凸凹の地面を『加速魔法』で走り抜けることはできない。


 このままではドリアスとリンは城壁と凸凹地面の包囲網に閉じ込められることになる。


 そうすれば後はじっくりと削られるだけだ。


 やがて包囲網の中でも逃げる場所がなくなる。


(かと言って無理に走り抜ければ、『位相魔法』の餌食になるし。どうすれば……)


 リンはまたドリアスの方を見る。


「ふ。時間をかけてくれれなら好都合だぜ」


(こっちの魔法も時間がかかるからな)


 ドリアスの杖の先に光が集まる。


(これは……『物質生成魔法』?)


 リンは不思議そうにドリアスの魔法を見た。


 それはただの鉄球を生成するにしては随分じっくりと魔力が練られている。


「リン、お前は星を作ることができるか?」


「えっ?」


 ドリアスの『物質生成魔法』が形を成して行く。


 リンは周囲の小石、塵がカタカタと揺れているのに気づいた。


(なんだ? ドリアスさんの『物質生成魔法』に引き寄せられている?)


「いくぜ。『物質生成魔法・星屑』!」


(星屑?)


 ドリアスによって生成された物質は表面がザラザラな上、デコボコのまだ人の手のかかっていない、地殻の一部を直接取り出したような、鈍い緑色の光を放つ鉱石だった。


 しかし、それはその小ささに鑑みれば通常ではありえないほどの質量と密度を誇っていた。


 質量が発生するということは、そこに引力が発生するということでもある。


 今やドリアスの生成した星紛いの物質は周りのものをのべつまくなし吸い寄せていた。


 まるで人や建物、雨が重力によって地球に引き寄せられるように。


 リンは吹き飛ばされないようドリアスのマントに必死にしがみついた。




 ティドロは壁が吹き飛ばされないよう杖で支えながら、合間を縫って砲撃を加え、着実に包囲網を完成させようとしていた。


(よし。もう少しで包囲網が完成する。そうなれば……ん?)


 ティドロはなんらかの力によって周りのものがドリアスの方に引き寄せられているのを感じた。


(これは……風の魔法? いや、違う!)


 すぐに『野戦築城魔法』によって作られた壁も引き剥がされそうになる。


 ティドロは急いで壁を支えた。


 しかし、目に見えない力はどんどん強くなって、壁を地面から引き剥がそうとする。


「な、なんだこれは。一体……うっ」


 ついに壁が剥がれた。


 室内の全ての物質がドリアスの生成した『星屑』に吸い込まれて行く。


「ぐっ」


 ドリアスが呻いた。


 自ら作った重力に自分自身も吸い込まれそうになる。


(ここまでか)


 ドリアスは『星屑』を解き放ち、迷宮の彼方へと吹き飛ばした。


『星屑』は迷宮の壁を破壊し、吸い込みながら、先程の戦闘によって生じた土砂瓦礫、塵と埃、壁と100階層魔導師メイヤード達を引き連れて、迷宮の奥深くまで突き進んで行き、やがて光となって消える。


 引力と吹き荒ぶ砂利・つぶてから解放されたリンは、マントに伏せていた顔を離す。


(終わった……のか?)


 ドリアスの方をチラリと伺う。


「ふー」


 ドリアスは珍しく深いため息をついた。


 肩で息をして、その横顔には滝のような汗が流れている。


『星屑』を生成するのは、彼にとっても流石に重労働だったようだ。


「大丈夫ですか?」


 リンは恐る恐る聞いてみた。


「ああ」


 そう言いつつもドリアスは険しい表情を崩そうとしない。


 迷宮の奥を睨んで、まだ敵が潜んでいないか警戒しているようだ。


「どうやら敵は全員掃除できたようだな」


 ドリアスはそう言って、目をつぶった。


 リンはそれを見てホッとした。


「さて、迷宮から出るか」




「それにしても凄い魔法でしたね。『星屑』」


 リンは迷宮の壁に背中を当てて、魔獣との遭遇を警戒しながら言った。


「まだ、未完成だけどな」


 ドリアスも周囲を警戒しながら言った。


「そうなんですか?」


「ああ、生成の途中で放出しただろ? まだまだ発展の余地が……っと。出口だ」


 二人は迷宮の壁が途絶えている場所まで辿り着いた。


 迷宮を抜けるとすぐに貯水池ダムに行き着く。


「さて、それじゃあ最後の仕上げといきますか」


 ドリアスは貯水池ダムの栓の役割をしている扉に向かって砲撃を浴びせた。




 270階層の別荘街で、アルバネロ公は機嫌よく目を覚ました。


 近年稀に見る寝覚めの良い朝だった。


「うーん。いい朝だ」


 彼はベッドの上で背伸びし、起き上がる。


(さて、塔の建設はどうなっているかな?)


 最近、朝一番で港湾の様子を眺めるのが、アルバネロ公の日課だった。


 彼は近海を眺めることができる部屋に向かいながら、自分の将来の地位を思い描いて悦にひたる。


(この仕事が完成すれば国王からの評価も上がるだろう。そしてイリーウィア姫からも……)


 アルバネロ公はイリーウィアの高価なドレスに包まれた魅惑的な腰つきを思い出しながら、いやらしい笑みを浮かべた。


(同期の者達に比べれば出世が遅れてしまったが、今からでも決して遅くない。500階層に辿り着ければ、彼女を、王室を娶ることも決して夢ではない)


 やがて近海の方を一望できるベランダに辿り着くと、召使いに望遠鏡を持って来るように命じた。


「なんだ。今日はやけに風が強いな」


 ベランダに出たアルバネロ公は、自身の頰を打つ風の激しさに顔をしかめた。


「近海の方で嵐が起こっているようです」


 召使いが答えた。


「嵐? 全く協会は何をやっているんだ」


 アルバネロ公は協会が自分の管轄下であることも忘れてそうのたまった。


「まあ、我々の塔は嵐に襲われても大丈夫なように設計されてあるはず。ちょっとやそっとではびくともせんだろう」


「望遠鏡をお持ちしました」


 召使がアルバネロ公の下にかしずいて、望遠鏡を差し出す。


「おお、持ってきたか。どれ、塔の建設は進んでいるかな? 他の二大国に遅れを取ってはいないだろうな?」


 アルバネロ公は望遠鏡のレンズを覗き込んだ。


 彼の目に飛び込んできたのは、折れ曲がった塔だった。


 塔はその全長のうち、ちょうど中ぐらいの高さで、くの字に曲がり、まだ工事中の尖った先っぽが徐々に地面に向かって傾いている最中だった。


 塔の窓という窓からは、水がピューっと吹き出しており、内部が海水で水没していることがうかがえた。


「えっ?」


 アルバネロ公は素で驚いた声を出してしまった。


 今、自分の目で見ているものが信じられない。


「まさか、何かの間違いだろう。そんなはずは……」


 そうこう言っているうちに、他の二大国の塔も崩れ始める。


 二つの塔は大黒柱が折れて崩れるというよりもむしろ地表の自壊に合わせて崩れていた。


 そう、新港湾は、建物の重さに耐えかねて地面の方からヒビ割れを起こし、沈もうとしていた。


(港湾そのものが沈んでいる? なぜ?)


 アルバネロ公が望遠鏡の先を少しずらすと水路に沿ってキラキラと輝くものが流れ出しているのが見えた。


 魔石と魔道具だった。


 蓄えていたはずの魔道具が、新港湾から流れ出している。


 それに伴い新港湾に居着いていた精霊達も離れていく。


(バカな。こんなことが。こんなことがあってたまるか)


 その時、ベランダに繋がる部屋のドアがけたたましく開けられた。


 召使が息急き切って入って来て報告を始める。


「大変です。ご主人様。港湾を海賊が襲ったとの情報が……」


 すると召使が最後まで言い終わらないうちに、もう一人の召使が入って来て新たな知らせを持ってくる。


「大変です。ご主人様。港湾を謎の嵐が襲い塔が崩れております」


 さらにもう一人の召使いが入ってきて報告した。


「大変です。ご主人様。港湾から魔道具や魔石が流れ出し、島自体が沈みつつあります」


 アルバネロ公は無言でその場に立ち尽くした。


 屋敷のベランダは重苦しい沈黙に包まれる。


 誰もが言葉を発するのを憚った。


「ご主人様、いかがなさいましょう」


 召使いの一人が恐る恐る尋ねる。


 アルバネロ公はしばらく茫然としていたが、やがてワナワナと震えながら命令する。


「協会のあらゆる人員を使って港湾が沈まないようにしろ。それと今すぐ、海賊供をひっ捕らえろ。盗まれた魔道具を奪い返すのだ」




(ええい。だから言ったというのに。あの海賊船を放置していては危険だと)


 守備隊長は、内心で舌打ちしながら艦隊を指揮して、沈みゆく新港湾に向かっていた。


 問題はアルバネロ公の二つの命令だった。


 新港湾の保全と海賊討伐。


 果たして、どれだけの船を海賊の追跡に向け、どれだけの船を港湾の維持に向ければ十分なのか。


 そのようなことは誰にも分からなかった。


「ええい。とにかく島の上に乗っているものをどかすぞ」


 賢明なる守備隊長は、人命とスウィンリルの環境保全を優先して、動員できる全ての船舶と人員を港湾の再浮上作業にあてることにした。


 島の上に乗っている瓦礫を『質量魔法』でどかせたり、船の艫綱に繋げて引っ張ったり、建物を砲撃で吹き飛ばしたりするのだ。


 守備隊の最初の目標は最も高い建物であるアルバネロ公の塔だった。


 守備隊は溺れている人々を助けながら、人命を損ねないように注意深く塔を崩す準備をする。


「砲撃部隊は位置についたか? よし、位置についたな。撃て!」


 塔に向かって砲撃が加えられていく。


『物質生成魔法』と『質量魔法』の得意な魔導師によって砲撃が加えられ、塔は先端から徐々に吹き飛ばされていった。


 瓦礫は嵐の余波で起こった激流によって、近海の方に流されていく。


 港湾が沈んでいく速度が少しだけ遅くなった。


 守備隊の面々は確かな手応えを感じる。


「よし。この調子だ。このまま、砲撃を加え続けろ!」


「隊長。申し上げます」


 伝令係の部下が駆け込んできて言った。


「なんだ、こんな時に」


「アルバネロ公からの伝令です」


「なに!? アルバネロ公から? 一体なんだと言うのだ。この港が沈むか沈まぬかの瀬戸際に」


「塔への砲撃を中止するようにとのことです」


「なんだと!? なにをバカな……」


「まずは別の建物から崩していき、アルバネロ公管轄の塔についてはなるべく現状を維持するようにとのことです」


「そんなことを言っている場合か。港湾を維持するには最も質量の高いこの塔から破壊する他ない。躊躇していては甚大な被害が出るぞ」


「しかし……」


「くどい! 何があっても私は作業を中断することはない。アルバネロ公にそう伝えろ!」


 守備隊長はそう怒鳴って部下を追い返したが、すぐに部下は戻って来た。


「隊長、申し上げます」


「ええい、今度はなんだ?」


「アルバネロ公からの伝言です。貴公の指揮権を剥奪する、とのことです」


「なに!?」


「速やかに指揮権を後任の者に譲ること。代わりに貴公は海賊船の追跡に向かうように、とのことです」


「ぐっ……」


 守備隊長は怒りに肩を震わせたが、これ以上作業を続ければ命令違反になる。


 彼はやむなく指揮権を副隊長に委ね、その場を後にした。


 副隊長はアルバネロ公の意向を優先したため、作業は大幅に遅れてしまう。


 結局、港湾は建物の重みに耐えられず、地割れと共に、水の底へと沈んでいった。


 港湾の水没は著しい水位の変化を招き、270階層の街という街、港という港を洪水で水浸しにした。


 また、沈んでいった土地や建物は、260階層の家屋や船舶に甚大な被害を及ぼした。




 ドリアス達は近海で魔石と魔道具のサルベージに勤しんでいた。


「チンタラすんなよー。テキパキやるんだ」


 作業員達は網を使って魔道具を引き上げたり、海水のべっとりついた魔道具を布で拭いたりして、忙しく立ち働いていた(『浮力発生魔力炉』に魔道具を入れるにあたって、海水が付いているのは好ましくなかった)。


 リンも彼らに混じって作業にあたりながら、指示を出していた。


「海水を拭き取ったら、魔力炉の近くの倉庫まで運んでください。急いで。守備隊が来るまでの間に出来るだけ多く引き上げるんです」


 そうこう言っているうちに守備隊らしき船団が地平線の向こうからやってきた。


 守備隊はすぐに海賊船を捕捉して向かってくる。


(くそっ。この戦力ではどうにもならんぞ)


 守備隊長はどうにか空いている船を掻き集めて、海賊を討伐するための船団を編成した。


 とはいえ、本隊は港湾の維持に努めているため、その装備と戦力は寄せ集めの感が否めず、脆弱極まりない。


 守備隊長は内心で悪態をつきながらも部下達の前で弱気を見せるわけにもいかず、気丈に振る舞い続けた。


 しかし、それが空元気なのは部下達も察していた。


 港湾を鎮めるほどの力を持った魔導師を相手に、この戦力で戦いを挑めばどうなるか。


 火を見るより明らかだった。


「ドリアスさん。守備隊が来ました」


「ほお、あの協会ノロマ供にしては素早い対応だが……、しかし、随分貧弱な戦力だな」


 ドリアスは目を細めて守備隊の方を見ながら言った。


「どうします? 迎撃しますか?」


「いや、いいだろ。可哀想だし。階層を上げて、逃げよう」


「分かりました。総員、船の中に入って下さい」


 リンがそう命じると船員は引き揚げ作業を中断し、バタバタと船の中に潜り込んでいった。


 全ての扉が閉められ『浮力発生魔力炉』が作動する。


 やがて水面が盛り上がって『羽クジラ』が現れ、ミスリル船を頭に載せながら、280階層の水の台地ウォータープレートへとジャンプした。


 守備隊の面々は、表向き海賊に逃げられたのを悔しそうにしながらも、負け戦をせずに済んで、ほっと胸をなでおろすのであった。




 次回、第149話「スウィンリルの深層」

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