第146話 ヴァネッサの失脚

 ドリアスを見かけたティドロは、一旦長官に報告することにした。


 ティドロが長官の部屋から出て来ると、仲間達が駆け寄ってくる。


「どうだった?長官殿はなんて言っていた?」


「ダメだ。やはりドリアスがいる確かな証拠がなければ人は出せない、とのことだ」


「チッ。悠長なこと言いやがって」


「確かにこの目で見た。あいつはこの階層にいたんだ!」


 仲間達が口々に不平を言い合うのをディドロは難しい顔で見ていた。


(協会の援護は期待できないか。となると、やはり自力でドリアス居場所を突き止めるしかない!)




 ヴァネッサは協会の庁舎から出て、門に向かって歩いて行くディドロ達を、自室の窓から見下ろしていた。


 ドアのノックが叩かれる。


「入れ」


「失礼します」


「ドリアスを見つけたのか?」


「はい」


「見つけたか」


(どうにかディドロより先回りすることができたな)


 ヴァネッサはホッと胸を撫で下ろした。


 彼女は腹心の部下にディドロ達を監視するだけでなく、ドリアスの居所を先に見つけるように指示していたのだ。


 いち早く、このスウィンリルに起こる異変を察知するために。


「話せ。ドリアスはどこで、一体何をしようとしている」


「は。我々がドリアスを見つけたのは、250階層にある工場地帯の一角です」


「工場……」


「いくつかの施設を押さえて、行き来しているようです」


「ドリアスは何を造っている?」


「どうも造船工場のようです。中では工員達が寝る間も惜しんで作業に勤しんでおり、物凄い勢いで船を組み立てているようです」


「その船の規模や部材は?」


「工場への潜入を試みたものの、機密情報までは入手することができなかったので、ドリアスが偽名で取引している業者を当たってみました。その結果、船の部材として利用されているものについては大方把握できました。ここにそのリストがあります。これである程度どのような船を造ろうとしているかは推測できるかと。あくまで推測ではありますが……」


「構わん。見せろ」


 ヴァネッサは部材と工場内の様子について描写した図を見て戦慄した。


(ミスリルの装甲に、大砲、機関。軍船を造ろうとしているとしか思えない。それもこれまで造られたこともないほど強大な。もしこんな船をドリアスが本当に造れるとしたら、スウィンリルで対抗できる魔導師は一人もいないだろう。スウィンリルの施設でこのような船を造ろうとは。ただこの階層を攻略するのが狙いではないな)


「ヴァネッサ様。このドリアスとかいう少年、正気の沙汰じゃありませんよ。これじゃあ、まるでテロを起こそうとしているかのようです」


(テロどころか戦争だな)


 ヴァネッサは心の中で訂正した。


「ディドロの言う通り放置していては大変なことになりますよ。早く手を打った方が良いのでは?」


 ヴァネッサは考え込む。


(やはり私の手には負えない魔導師か。こんな奴が学院に在籍していたとは)


「いかがいたしますか?」


 部下が聞いてくる。


 ヴァネッサは考えた。


 ドリアスと正面から戦えば果たしてどうなるか。


 得るものと失うものを計算してみる。


(ドリアスと戦うのが得か、繋がるのが得か、あるいは無視するのが得策か?)


 ヴァネッサの頭にはアルバネロ公のこともあった。


 彼らも彼らでまた何か陰謀を企てている気配がある。


 彼らの考えは分かるが、ドリアスの考えは分からない。


(無理だな。私にドリアスは手に負えない。アルバネロ公の不安を抱えながらドリアスに当たるのは自滅行為だ。かと言ってドリアスは私がアルバネロ公を片付けるまで待ってはくれないだろう)


 ヴァネッサはどうするべきか決めて、部下の方に向き直った。


「よく分かったよ。報告ご苦労。この件については私の方で処理する。君はこれ以降このことについて忘れるように。詮索することも行動することも禁ずる」


「はっ。かしこまりました」


 ヴァネッサの部下は彼女らしからぬ優柔不断な命令を内心訝しがったが、彼女には自分達に見えない見通しがあることも知っているので、その場は大人しく引き下がった。




 アルバネロ公はヴァネッサに謁見していた。


「長官殿にあたってはご機嫌麗しゅう」


 アルバネロ公は形だけ丁重に頭を下げた。


「アルバネロ公か。一体私に何の用だ?」


 ヴァネッサは素っ気ない態度で言った。


 アルバネロ公はヴァネッサの態度に苛つきを覚えたが、顔には出さないようにした。


 以前の言い合い以来、二人の間には何とも言えない緊張感が漂っていたが、お互い街の要職に就いていることもあり、仕事の都合上会わないわけにはいかなかった。


 そして会えば会ったで、280階層に住むアルバネロ公は、290階層に住むヴァネッサの足下にかしずかなければならない。


 かくして今日も今日とて、アルバネロ公はヴァネッサに頭を下げることで、どうにか書類を受け取ってもらうのであった。


(我慢だ。今は耐えるしかない。だが根回しさえ済めば……、いまに見てろよ)


「時にヴァネッサ殿。階層間会議にはご出席いただけるのでしょうな」


「ああ、あの会議か」


 ヴァネッサは興味なさげに言った。


 階層間会議とは、各階層の代表者がそれぞれの階層間に生じる課題や問題について話し合うための会議だ。


 予定ではヴァネッサとアルバネロ公のほか、スピルナの代表、ラドスの代表もその会議に出席することになっている。


 その会議では階層間を跨いだヒト・モノ・カネの移動とそれに伴う諸問題について話し合う予定だったが、アルバネロ公はのっけからその場でヴァネッサを非難して陥れるつもりであった。


(スピルナとラドスの貴族には話を通してある。三大国の重鎮が手を合わせて、根回しすれば会議の場で優勢に立てる。彼女が非難轟々にさらされて、会議を運営する能力がないと分かれば300階層のお偉方も彼女の統治能力に疑問を抱くことになるだろう。スウィンリルにおける支持者達も彼女を見放すはずだ)


 三大国が手を組めば会議の出席者の8割が手を組むことになる。


 8割近いものが反旗を翻せば、いくら彼女といえども自分の思い通りに議題を進めることはできないだろう。


(あとはこの女を会議に引きづり込めるかどうかだが……)


 アルバネロ公は探りを入れるようにヴァネッサのすみれ色の瞳をチラリとうかがった。


「ああ、そのことなんだが……実は私は会議の前に長官を辞任しようと思っていてな」


 ヴァネッサはまるでなんでもないことであるかのようにさらっと言った。


 アルバネロ公は耳を疑った。


「なんですと?」


「いや、以前あなたとに言われてから考えたんだ。確かに私は少し不正を犯し過ぎたかもしれない。このような公の職に就く身でありながら」


 ヴァネッサは弱気なため息をついた。


「全てはこの街のためを思ってこそやって来たことだが、今思うと私にスウィンリルの長官は荷が重かったのかもしれない。もう限界かと思うんだ。それで私は今期限りで引退したいと思う」


「なるほど。して、後任は誰に任せるつもりですかな?」


 アルバネロ公は探るような目でヴァネッサの方を見た。


 スウィンリルの長官は基本的に前任の指名によって決められた。


「すまないが私は疲れているんだ。もう政治のことは何一つ考えたくない。後のことは副官に任せるから、後任の人事についても彼と相談してくれたまえ」


 アルバネロ公は最も聞きたいことが聞けて、思わずニンマリする。


 副官達は優秀だがヴァネッサと違い、貴族と暗闘するような気骨もなく、与し易い相手だった。


 思い通りに操れるだろう。


「いや、よくぞご決断されました。晩節を汚さぬ潔い退任。スウィンリルの市民一同、諸手を挙げてあなたを賞賛するでしょう。あなたが行ってきた為政の数々、市民は永久に忘れず感謝し続けます」


「うむ。そう言ってくださると助かる。最後まで迷惑をかけてしまいすまない」


「いえいえそのようなこと。むしろこの街のために尽くすことができて幸せに存じますよ」


 アルバネロ公はすっかり気を良くしてニコニコと愛想よく振る舞った。




 後日、後任の引き継ぎはつつがなく行われた。


 三大国の者達は争ってこの街の政策をほしいままにし、自派に有利な政策を通し、私腹を肥やした。


 アルバネロ公を始めとする三大国の代表者達は争うようにして根回しと癒着に励み、自分の親類縁者や子飼いの平民をスウィンリルの要職に就けていった。


 誰もが私利私欲のために走り、街全体のための政策はすっかり忘れ去られてしまう。


 一方で、ヴァネッサはというと、協会職員用の庁舎から引き上げて、スウィンリルの端っこにある辺鄙な一角に居を移して、政界の動向を見守っていた。


(本当にこれでよかったのだろうか。危険をかいひするためとはいえ、敵に主導権を引き渡すなんて……)


 彼女が自宅の庭でくつろぎながら新聞を読んでいると、突然、また例の予知夢に引きずり込まれた。


 彼女は水中から急浮上し、水面に浮かび上がる。


 水面に横たわる彼女の眼前にはどこまでも澄み渡る青空が広がっていた。


 ヴァネッサは夢の中で高笑いした。


「ハハハ。やはりこれで良かったんだ。私の決断は間違っていなかった。これで危機は回避された。後は私の代わりに生贄になって、ひどい目にあう奴らのことを安全な位置から眺めておけばいい。果たしてお前達がどんな目に合うのか。楽しませてもらうぞ、貴族ども!」




 ドリアスの会社は急ピッチで船の製作を進めていた。


 工員達は一日12時間も働かされ、工場は昼夜を問わず稼働し、ものすごい勢いで船は組み立てられていった。


 工員達は食事と睡眠、その他生きるために必要な最低限の行為以外はずっと働き詰めだった。


 彼らがこのような理不尽な待遇に耐え続けるのも全てはドリアスの約束した破格の給与のためだった。


 リンが工場の片隅を歩いていると、工員達の話し声が聞こえてくる。


「今日も働き詰めだったな」


「ああ、クタクタだよ」


「だが、その分給与は期待できるぜ」


「へへ。俺、この仕事が終わったら新しい魔道具を買うんだ」


(ドリアスさん。ほんと給料のことどうする気なんだろ)


 リンは給与支払日のことを思ってハラハラしながら工場の中のことを切り盛りしていた。


 そしてついに船は完成した。


 着工記念に社員総出で船に乗り込み、遠洋に乗り出した。


 ドリアスは船上でパーティーを開き、船の完成を祝った。


 船が着水し、近海に乗り出した時には、歓声が上がった。


 彼らは自分達の仕事をやり遂げた達成感と給与が振り込まれる期待感に満たされた。


「みんな、よくここまで頑張ってくれた。ところで一つ耳寄りな報告があるんだ。会社が倒産してしまった」


 祝勝気分だった社員達の間に戸惑いが広がる。


 みなドリアスが何を言っているのか分からないといった表情だった。


 お酒の入ったカップを片手に互いの顔を見回し、ドリアスの次の言葉を固唾を呑んで見守る。


「すぐに債権者達によってこの会社の所有物は根こそぎ奪われてしまうだろう。この船も街に帰り次第押収されるに違いない。僕は全ての資産を取り上げられて素寒貧すかんぴんというやつだよ。無論、君達に支払う給与も今後の見通しもない。そこでかくなる上はこの船を使い海賊業に身をやつそうと思う。スウィンリルの街々を襲撃し、ありとあらゆる魔道具や宝物を奪い取るのだ」


 その日から、ドリアス達の船上生活が始まった。


 ドリアスの船は近海に現れては小舟を繰り出して、海岸の建物に襲い掛かり、スウィンリルの街という街を荒らし回った。



次回、第147話「崩れ行く水の街」

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