第138話 封鎖されるアルフルド
「スゲエ数の
アルマは学院の窓から外を見ながら言った。
おびただしい数の
いつもは青空と地平線がどこまでも続くように装飾されている天井と壁だが、今は黒々とした文字と記号に埋め尽くされていて、なんとも禍々しい風景になっていた。
「あれ全部ファルサラスっていうやつが操ってんの?」
「ああ、ファルサラスはアルフルドを封鎖するつもりのようだ」
ディエネが言った。
「封鎖?」
「爆弾の素材に使われたのがミスリルということは、仕掛けた人間は200階層以上の人間である可能性が高い」
「ミスリル製品の作り方なんて学院じゃ習わないしな」
テオが手紙を書きながら会話に参加した。
「そう。つまり200階層以上に在籍する魔導師が、200階層以上の施設でミスリル爆弾を作り、わざわざアルフルドまで降りて来て、奴隷に爆弾を起動させたということだ。なぜ犯人がアルフルドを狙うのかは謎だけれど、階層魔導師がアルフルドに来る手段は主に二つ。エレベーターと『次元魔法』だ。犯人がエレベーターを使ったとは考えにくい。公共のエレベーターを利用すれば、誰が、いつ、どのエレベーターに乗って移動したかが大精霊によって記録される。なので犯人の移動手段はおそらく『次元魔法』」
「だから『次元魔法』での侵入を防ぐために魔法陣を書いて結界を張るってことか」
「ああ、それで少なくとも次に犯人が爆弾を持ち込む場合、エレベーターを利用する事になる。容疑者をバッチリ絞れるってわけさ」
「街一つ封鎖するなんてとんでもない魔力の持ち主だな。500階層の魔導師っていうのは」
テオが呆れたように言った。
「凄かったよなあのファルサラスっていう人。あのイリーウィア様におもっくそ命令してたぜ」
アルマがたまげたように言った。
「王族を従わせることができるなんて。500階層の魔導師の権威ってのはそんなにも凄いのか?」
テオが少し怪訝な顔をしながら言った。
その最中にも手紙を書く手を止めることはない。
彼はもう10枚以上手紙を書いていた。
かたわらに置かれた紙を見るに、まだまだ書くつもりのようだった。
「権威があるというよりもとにかく力が強い。500階層の魔導師ともなれば単体で小国と互角に戦えると言われている」
「国と互角に?」
「それだけの力と影響力があるということさ。彼らの手にかかれば小国の軍事力に匹敵する軍を編成するなんてわけない」
「なるほどね。三大国の王侯貴族でも下手に逆らえば立場が危うくなるというわけだ」
「ファルサラスがわざわざイリーウィア様にあんなことさせたのはパフォーマンスの意味もあると思う。アルフルドの住民に自らの力を見せつけるために。爆破犯への牽制の意味もあるんだろう。とにかく、この事件は塔の威信をかけた……、おっと、また爆発が起こったようだ」
ディエネが言いかけたところで、遠くから爆発音が聞こえてきた。
黒い煙がもうもうと立ち上っている。
「凄い煙の量だ。あっちは繁華街の方だな」
アルマが窓の外を食い入るように見ながら言った。
「また死傷者が出ただろうね」
ディエネが気の毒そうに窓の外を眺めながら言った。
「なるほど。巨大樹に警備が敷かれたから、今度は裏をかいて反対方向で爆発を起こしたってわけだ」
テオはあくまで手紙を書く手を止めずに言った。
「……テオ。お前さっきから何やってんの?」
アルマが怪訝そうに聞いた。
「生活必需品の買い占め」
「いや、なんで?」
「もし今後、検閲と規制が強化されれば、おそらくアルフルドの流通は混乱して、慢性的な品不足が街中を襲う。そうなれば物価がアホみたいにあがるだろうから、今の内に物品を買い占めておく。」
(こいつ……こんな時に金勘定かよ)
アルマは顔をしかめた。
「テオ、君はこの事件、長引くと考えているのかい?」
ディエネが聞いた。
「さあね。僕には分からない。ただ、このまますんなり終わるとは思えない。だから何があっても大丈夫なように備えておきたい」
「それで。こんな時にリンはどこ行ったんだよ」
アルマが聞いた。
「失踪した」
テオがなんでもない事のように言った。
「は?」
「タイミングから察するにおそらくイリーウィア姫に拉致されたのではないかと」
ディエネが付け加えるように言った。
「ホントお前らって……」
アルマは額に手を当ててうなだれた。
ファルサラスによってエレベーターの検閲、奴隷達の監視強化、『次元魔法』による移動の禁止、ミスリルの押収、ミスリル製品の持ち込み禁止など、一時的に様々な緊急措置が下されることが発表された。
テオの予想通り、アルフルドの流通は大混乱に陥った。
皆、検閲がかかる前に仕入れと返品を急いで行い、階層を跨いでの輸送を急いだ。
エレベーターには商品が殺到した。
中には罰金を食らってでも、人間用エレベーターに物資を詰め込む業者が現れるほどだった。
運悪くミスリルを押収された業者は破産の憂き目にあう。
治安に関する不安と検閲による押収を恐れ取引を手早く済ませて店じまいする業者が多数出たため、慢性的な品不足がアルフルドを襲った。
不安は不安を呼び、街は混沌としたが、ファルサラスは怯むことなく、封鎖体制を作っていった。
「全てのミスリルをアルフルドから締め出せ。ミスリルを持っている業者からは問答無用で押収しろ。運び込まれてきたミスリルも同様だ。この街からミスリルを徹底的に排除するんだ」
アルフルドが爆破と検閲で混沌としている最中、リンとイリーウィアは100階層の部屋で日向ぼっこしていた。
この部屋には殊更たくさんの太陽石の光が届いており、あふれる四季折々の緑が眩しさを緩和し、ゆったりと日光浴を楽しむことができた。
二人は白虎の腹に背中を預けながら、くっ付いて話している。
このくらいの接触なら許されるようになっていた。
「あの、イリーウィアさん?」
「なんですか?」
「どうして僕はここにいるんでしょうか?」
「私が連れてきたからですよ?」
イリーウィアはさもなんでもないことであるかのように言った。
「はあ」
リンはファルサラスと別れた後、フローラを探そうと意気込んでいると、一陣の風に攫われていつの間にかこの部屋に来ていた。
ファルサラスにアルフルドヘの立ち入りを禁止されたイリーウィアは、『次元魔法』が封印されることを予測し、いち早くリンを100階層に連れ去ったのであった。
「今、アルフルドにいるのは危険です。騒動が収まるまでここでおとなしくしていましょう」
「え、ええ。そうですか」
リンは自分の身柄に関する自由と権利について彼女と議論することを諦めた。
彼女の元に一通の手紙が届く。
イリーウィアはふむふむとうなづきながら目を通す。
「どうやらアルフルドでミスリルが押収されているようです」
「ミスリルが?」
「物流の記録を遡って問答無用で取り上げているみたいですよ。先にミスリルを運び出しておいて正解でした」
「みんな、物凄い慌てようですね」
「ええ、皆不安なのですよ」
イリーウィアがリンの肩にそっと腕を回してくる。
「少し過剰ではありませんか? 確かに無残な事件でしたが」
「リン、彼らは爆弾や死を恐れているのではありません。不安そのものを恐れているのです」
「不安そのものを?」
「ええ。人は覚悟さえあれば大抵の恐怖に打ち克つことができます。例え死の恐怖でも」
「死の恐怖に打ち克つことなんてできるんですか?」
「出来ますよ。かつてとある兵士が私に向かってこう言いました。『次の戦で私は死ぬことになるでしょう。しかし私は決して無駄死にすることはありません。姫のためにこの命を捧げます。もし私の命と引き換えに、かの城を落とした暁には、姫よ、どうか私の功績を讃えてください』と。私は彼に約束しました」
「それでその兵士の方はどうなったんですか?」
「彼は宣言通り帰らぬ人となりました。敵の城壁に生身で突っ込んだのです。体がバラバラになるほどの勇姿でした。しかし、その功績により、ウィンガルドは戦争に勝利することができたのです」
「どうして……」
「彼は不治の病にかかっていました。厄介な魔獣に呪いをかけられたのです。余命幾ばくで失うものは何もありませんでした。彼は死を迎える覚悟が固まっていたのです。死を目前にしていながら彼の顔は晴れやかでした」
「……」
「もう一つ例をあげましょう。世の中に自殺に走る人がいますが、あれは将来の不安が死の恐怖を上回った時に起こす行動です。彼らは将来の不安から逃れるために自ら命を断つことを選ぶのです。まあ、とにかく人は不安から逃れるためならどんな無謀なことでも、滑稽なことでも実行します。死の恐怖を克服することすら」
「じゃあ今のアルフルドは……」
「今、アルフルドの街はどっち付かずの不確実性に襲われています。犯人の目的も動機も分からない。なぜこのようなことが起こっているのかも分からない。今後もこの街が無事機能していくのかどうか、果たして自分は明日まで生きていられるのか、死ぬのかもわからない」
「そうか。だからみんなこんなに必死で、何かから逃れるように……」
「けれども……」
イリーウィアはリンの頭を枕のように抱きかかえて、自分の顔にくっつける。
「あなたは不安になる必要はないんですよ。こうして私の腕の中にいるのですから」
確かに彼女の腕の中は心地よかった。
それだけですべての不安がなくなるかのように。
「みんなが大慌てしている間、私達は二人、ここでゆっくり楽しみましょうよ」
イリーウィアはリンの頭に自分の顔を埋めてその感触を確かめる。
リンの柔らかい髪が彼女の鼻先をくすぐる。
彼の髪からは洗髪剤の香りとペル・ラットの匂いがした。
獣の匂いが好きなイリーウィアはそれだけでうっとりする。
リンはこのまま彼女と一緒にここに居たかったが、フローラのことが頭をよぎった。
彼女はリンに助けを求めていた気がする。
「イリーウィアさん。そろそろファルサラスさんの結界が完成します。そうなればしばらく僕はアルフルドに戻れなくなってしまいます」
「そうですね」
イリーウィアは興味がなさそうに返事した。
「僕はアルフルドに戻ろうと思います」
リンは静かに、しかしはっきりと言った。
「イリーウィアさん。この部屋に連れてきてくださって、ありがとうございます。でも僕はアルフルドに戻らなければいけません。アルフルドには友達がいるし、やらなければいけないことがあります」
「そうですか」
イリーウィアは心なし残念そうな顔になったが、リンを拘束する腕を解いた。
「気をつけて下さいね」
「はい。またここに戻って来ます。イリーウィアさんに贈りたいものがあるので」
「あら、それは楽しみですね」
イリーウィアは微笑んだ。
「何かあったらすぐにヘルドを頼って下さい。彼は力になってくれるはずです」
リンはアルフルドヘと戻った。
数日後、
ファルサラスによってアルフルドは封鎖された。
まるでこの街だけ世界から切り離されたかのようだった。
アルフルドは封鎖された。
しかし、それにもかかわらず次の事件は起こった。
またもや人の多い場所、人の多い時間帯に、公共の施設を狙った爆破行為だった。
また奴隷の子供とプレゼント箱を使った犯行で、おびただしい死傷者を出した。
その場は一時騒然となる。
犯人への憎悪は否応にも上がり、いつまでも首謀者を逮捕できないファルサラスへの不満も高まってきた。
当局の苛立ちも募る。
「どういうことだ。これだけ検閲しているのになぜミスリル爆弾がアルフルドに流れ着く」
「おそらく既に犯人は一定量のミスリル爆弾をアルフルドに密輸していたのでしょう」
「だとしてもおかしいだろ。街中からミスリルを根こそぎ取り上げているというのに」
「よもやとは思いますが、貴族の館に備蓄されているのでは……」
「おい、滅多なことを言うな」
「わざわざ貴族階級がこんな事件を起こすわけないだろう」
彼らはファルサラスに聞こえないようヒソヒソとささやきあった。
街中のミスリルを押収している当局であったが、それでも貴族の館だけは踏み込んでいなかった。
ファルサラスは歯軋りする。
このままでは彼の権威は失墜するだろう。
「こうなったら戒厳令だ。軍を使え。アルフルドの街中を歩哨させろ。怪しい奴は片っ端から捕らえろ。奴隷は表に出すな」
翌日からアルフルドの街中には剣を持った奴隷兵士が歩き回った。
何か少しでも怪しいそぶりを見せたり、街の片隅で相談でもしようものなら歩哨している憲兵に声をかけられ、場合によっては連行、捕縛、投獄された。
とにかく爆破を抑止するためにあらゆることが正当化される。
リンはエディアネル公の屋敷を訪ねたが、門番は取り次いでくれなかった。
「帰ってくれ。エディアネル様は今、不在だ。約束や許可の無い者は何人たりとも門をくぐらせるなとの指令が出ている」
「エディアネル様にお会いできなくても構いません。フローラという子のことを探していて。その子はこの屋敷に仕えているはずです」
「そんな奴は知らん。帰ってくれ」
結局、リンは門前払いされた。
(くそっ。せめてヘルドさんと連絡が取れれば。こんな時に限って連絡がつかない。一体どこに行ってるんだか)
「チッ。鬱陶しいな。憲兵の奴ら」
テオは馬車の中でリンを相手に愚痴を言った。
エディアネル公の屋敷に向かった後、リンはテオと馬車を乗り合わせて帰路に着いていた。
先ほど、テオは馬車に乗っていたところを、いきなり降りるよう言われ、剣を持った兵士に尋問されていた。
物資が欠乏気味のアルフルドにおいて、やたらと大量の荷物を運んでいたので怪しまれたのだ。
警備兵は別れ際に「あまり怪しい行動をとって住民の不安を煽らないように」と注意してきた。
「何が不安を煽らないようにだ。不安を煽ってんのはお前らだっつーの、バーカ」
「街中の至る場所に捜査の手が入っている。街中の倉庫を根こそぎ開けて調べ回る気かな」
「こっちは商売上がったりだぜ。何考えてんだよ。あちこち爆破して回ってる奴は」
(フローラ。この騒ぎには君が関わっているのかい?)
リンが考えに耽っていると、聞き覚えのあるしゃがれた声が聞こえてきた。
「放せっ。私が何をしたっていうんだ」
リンが馬車の窓から声の方を見てみると誰かが憲兵に連行されている。
メガネと眉間に寄り切った皺、神経質そうな顔つき。
リンにとっては見覚えのある人物だった。
「カロさん」
「おお、リン殿」
「あの、放してあげてください。その人は僕の知り合いです」
リンは憲兵を説得してカロを解放させた。
「どうしたんですか? 一体なぜあなたが憲兵に……」
「情報統制だよ。当局に批判的な記事を書いたため、逮捕されそうになった」
「そんな」
「なんにせよ。我が社の新聞は一時的に発行禁止になった。ところでリン殿はどうして憲兵の人間と知り合いでござるか?」
「僕は捜査班の一員です。事件解決のお手伝いをさせていただいていて……」
「おお、そうでしたか。体制側に潜入するとは。さすがはリン殿、抜け目ない。頑張ってくだされ。ここで手柄を立てればまた一段と平民派の躍進に近づきますよ」
「え? は、はあ」
(今は平民派がどうとか言ってる場合じゃないと思うんだけど)
リンはカロの態度に違和感を感じたが、黙っておいた。
それよりも今は別の事を聞く必要があった。
「あの、カロさん。フローラという子を知りませんか?」
「フローラ? いえ、私にそのような知り合いはいませんな。一体どういったお方で?」
「奴隷階級の子です。僕も彼女について詳しく知るわけでは無いんですけれども、それでもこの事件に関わっているような気がして」
「なるほど。そうとなれば見過ごすわけにはいきませんな」
「ええ、何でもいいんです。とにかく何か情報を掴んだら教えて下さい」
「もちろんです。平民派の躍進のためならなんだってしますよ」
リンはこの後に及んで政局の事しか考えないカロの態度に苛立ちを覚えたが、何も言わないでおいた。
今は彼と言い争っている時間も惜しい。
(早くフローラを見つけないと。急がなければ嫌な予感がする)
遡ること数日前、まだファルサラスの結界が完成していない頃。
マルシェ・アンシエの面々は200階層に集まって話し合っていた。
「もうすぐ、結界が完成する。ファルサラスの検閲が厳しくなってきたな」
「さすがにアルフルドに爆弾を持ち込むのも難しくなってきたわね」
ルシオラがため息をついた。
「なに。アルフルド内に運び込んだ爆弾はいくらでもある。階層間の移動に『次元魔法』は使えなくなってしまったが、アルフルド内での移動になら『次元魔法』が使える」
「とはいえ、俺達がアルフルドに降りるのも危険だぜ」
ウィジェットが言った。
「今、アルフルドに降りたらそれだけで怪しまれて尋問。下手すりゃ連行からの投獄だからな」
「誰か協力してくれる人が必要よね」
「安心したまえ。すでに手は打っている。入ってきたまえ」
フォルタは部屋に繋がる暗い通路の方に向かって声をかけた。
「我々の新たな仲間を紹介しよう。次元魔法の名手にして、イリーウィア姫の側近、ヘルド・マキアス君だ」
部屋の外に控えていたヘルドが入ってくる。
彼の手の甲にはマルシェ・アンシエの紋章が刻まれていた。
次回、第139話「人形」
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