第136話 秘密の取引

 ニノの手から逃れたリン達は秘密の通路を出た後、水路に戻り、ダンジョンから脱出した。


「ここまで来れば大丈夫だ。いくらニノといえどもそう簡単には追ってこれまい」


「本当によかったんしょうか。ウィジェットさんを置いてきてしまって」


「ああ、あれだけ部屋にミスリルがあったんだ。自力で帰ってこれるだろうよ。しかし……あのニノという男、まるで狂犬のようだったな。誰彼構わず噛み付いて来る」


「ユヴェン。大丈夫かい?」


「ええ、大分落ち着いてきたわ。ありがとう」


 彼女はまだ少し元気が無いものの、青白かった顔は大分血色を取り戻しつつある。


「これからどうする? エレベーターで帰るかい?」


「そこのとなんですが、……僕達はエレベーターを利用できなくって。次元魔法で帰るんです」


「次元魔法? 君達は次元魔法が使えるのかね?」


「いえ、僕達は人を雇ってここまで来たんです。100階、150階、200階にそれぞれ次元の扉を開けられる人を雇って。帰りも同じ人に頼む予定です」


「そうか。君達はワケありだったね。よかろう。ではその次元魔法の地点まで案内しよう」


「ありがとうございます。ただニノは僕達が次元魔法で待ち合わせした場所を知っているかもしれません。彼は僕達が次元魔法を通って来たことを知っていた口ぶりだったので」


「下手に待ち合わせ場所に行けばニノの襲撃に遭うかもしれないということか」


「はい」


「では150階に潜伏するというのはどうだね?」


「150階に?」


「ああ、エレベーターを使えないのはおそらくニノも同じだろう。だから200階層と100階層を跨ぐ事は出来ないはずだ。そこに潜伏していればニノの追撃をかわすことができるだろう」


「なるほど。ですが150階にいく方法が……」


「私が『次元魔法』で送ってあげよう」


「フォルタさんが?」


「ああここまで乗りかかった船だ。最後まで付き合うよ」


「すみません。何から何まで。あの。いいんですか? 本当に。『ラフィユイの魔導書』僕達がいただいてしまって」


「ああ、火山の精霊ヴォルケを所有しているのも彼女だしね」


 フォルタは何も見返りを求めずにリンとユヴェンのために150階への扉を開いた。


「フォルタさん! このお礼は200階まで来たあかつきに必ずさせていただきます。何かあなたを探すために必要な情報をくださいませんか? 住所とか連絡先とか」


「残念だが、あんまり一ヶ所に留まらないものでね。住所や連絡先を渡しても意味がないと思う」


「では、所属しているギルドなどは?」


「……そうだな。ギルドなら教えておいても意味があるか」


 フォルタは少し言葉を途切れさせてからまた口を開いた。


「私の所属ギルドは……『不安を売る者達マルシェ・アンシエ』」


「えっ?」


 リンは聞き間違いかと思って、もう一度聞こうかと思ったが、その時には光の渦に包まれて、異次元の通路へと吸い込まれていった。


 二人は業者との約束の日まで150階のスラム街に潜伏した。


 いつ捕まるだろうとそわそわしていたが、ニノのくれたボロ切れのおかげで二人のことを怪しむ人間はいなかった。


 リンとユヴェンはしばしの間、不自由な時間を過ごした。




 二人は潜伏している間、火山の精霊ヴォルケと『ラフィユイの魔導書』の扱いについて話し合った。


『ラフィユイの魔導書』は二人で共有されることになった。


 どちらかが見たいと言えば、いつでも見ることができるようにして、ただし保有はリンがすることになった。


「ヴォルケは君の元にいるんだし、魔導書は僕に優先してくれないと」


 ユヴェンは例によって駆け引きをしてきたが、そこはリンも譲らなかった。


 彼女が、火山の精霊ヴォルケの力がないとミスリルを作れないと言えば、リンはイリーウィアとの繋がりがないとミスリルを作っても渡せない、と応酬した。


 彼女はしぶしぶ引き下がった。


 ユヴェンからしてもリンに対して今回の件で何か報酬は渡さないといけないと思っていたし、違法行為の共犯者である手前無下には出来なかった。


「リン。私達はこれからも仲間よね。裏切ってはダメよ」


「もちろんだよ」


 二人は『火山の精霊ヴォルケ』と『ラフィユイの魔導書』の存在を秘匿すること。


 協同してミスリルを製造し、イリーウィアに献上すること。


 火山の精霊ヴォルケを管理するために互いに協力を惜しまないこと。


 といった事を誓い合い、今後も協力体制を築くことを約束した。


(『ラフィユイの魔導書』によると『黒竜』を召喚するためには『火山の精霊ヴォルケ』が必要。召喚するかどうかは分からないけれども、いざということもあるし。今はユヴェンに預けておこう)


「ユヴェン。『火山の精霊ヴォルケ』のことで何か困ったことがあったら、遠慮なく相談してね」


(ユヴェンには『火山の精霊ヴォルケ』を大切に管理してもらわないといけないからね)




 一週間後、二人をこの場所へ連れてきた業者は来た時同様、次元の扉を開いて二人をアルフルドへと戻した。


 リンとユヴェンはアルフルドへとつつがなく帰還した。




 リンとユヴェンがアルフルドへと向かっている頃、アルフルドの審議場では、ヘルドの努力もむなしく、法案改正が可決されようとしていた。


 評議会から通達された法案は、各街の審議場に通される習わしだった。


 この後、審議にかけられ、やがて投票が始まるだろう。


(チッ。やはり上がってしまったか)


 審議場の傍聴席に座るヘルドは読み上げられる法案を忌々しげに睨みつける。


 その反対側の席では、変装して議会に紛れ込み、様子を見ていたルシオラが立ち上がった。


「行くわよ。フローラ」


「はい。エディアネル様」


 フローラは悄然とした様子で付き従った。


 もう彼女のいう通りにするしかなかった。


 助けてくれるかもしれないと期待していた、リンという人はお茶会に来なくなってしまった。


 もう残された時間はない。


 だから彼女も決めなければならない。


 彼女はターミナルの方へと向かった。


 ルシオラは目を細めて巨大樹の方を見やる。


(フォルタによると、奇しくも今日はリンが帰ってくる日ね。手を出さないように言われているけれど、まぁ間違って死んじゃう分には仕方ないわよね)


 彼女はリンに切り落とされて、未だに痛む腕をさすった。




 ターミナルの職員は白いワンピースの少女が歩いているのを見て首をかしげる。


(なぜ奴隷階級の少女がこんなところに?)


 奴隷階級がエレベーターを利用することは禁止されている。


 彼らは貨物用のエレベーターで運ばれることが常だった。


 彼は注意しようと彼女に近づこうとした。


「おい。君」


 係員が少女の肩に手をかけた瞬間、少女は彼に向けて手に持っていた箱を開けて見せる。


 箱の中から破裂音と閃光が飛び出した。


 係員は爆炎に包まれ消し炭になった上、五体バラバラになって吹き飛んだ。


 被害はそれだけでは済まなかった。


 周囲にいた数十人の人間も吹き飛び、破片と爆炎が周り一帯に散らばり、周囲の施設を破壊して、建物全体に振動を与えた。


 巨大樹は根元から揺れて、その振動は塔の上層にまで伝わった。


 ターミナルでは血と肉片、爆煙があたり一面に飛び散る。


 パニックに陥った人々は阿鼻叫喚の叫び声をあげ、逃げ惑う。


 子供の泣き声、女性の悲鳴、いい歳をした大人までが叫び声をあげ呻く。


 爆発の中心、箱を持っていた少女のいた場所は黒い煙と赤い炎に包まれて今もどうなっているのか見えない。




 リンとユヴェンはエレベーターに乗ってアルフルドのターミナルに辿りつくところだった。


 その表情には住み慣れた街に帰り、協会に捕まる恐れがなくなった安堵感が浮かんでいる。


 エレベーターがアルフルドのターミナルに到着する際、振動が起こった。


「きゃあっ」


「な、なんだ?」


 リンとユヴェンはエレベーターの手すりにしがみつく。


 エレベーターは制御を失って落下していった。


「くそっ」


 リンは咄嗟にユヴェンから杖を奪い、エレベーターに『質量魔法』をかける。




「ふう。助かった」


 リンとユヴェンのエレベーターは無事、ターミナルに不時着していた。


 二人がターミナルに降り立つとそこは阿鼻叫喚に包まれていた。


 青い炎がそこかしこに舞っていて、人が数人倒れている。


 二人はその無惨な光景に息を飲んだ。


 リンは呼吸がしづらいのを感じる。


「ユヴェン。かがんで」


 リンは空気が薄いことに気づいた。


 すでにこの近辺には一酸化炭素が充満しているようだった。


「何これ。火事?」


「分かんない。でもとにかく早くここから離れたほうが良さそうだ」


 倒れている人が多い場所があった。


 爆発の中心地と分かる。


「誰か。誰か助けてくれ」


 恐怖に顔を歪めた男がリンの方にやってくる。


 腕を押さえ、足取りも怪しくよろめいている。


 リンはよろめいている男を支えて落ち着かせてあげた。


「大丈夫ですか?」


「君、私の腕はついているかね? 先程そこで持ち主のいなくなった腕が床に落ちていたんだ」


 男は腕を押さえているにもかかわらずそんな事を言った。


 パニックに陥っているのだとリンは思った。


「大丈夫です。あなたの腕はきちんと付いていますよ。その落ちていた腕は別の人のものでしょうう」


「そ、そうか。僕の腕はちゃんとくっついているか」


「一体どうしたって言うんですか? あたり一面煙と炎に包まれているじゃないですか」


「白い服を着た少女が、持っている箱を開けたんだ。すると物凄い光と音が辺り一面に散らばって……」


「白い服?」


 リンの頭の中にフローラの姿がよぎった


 彼女の言葉を思い出す。



 ——魔導師様。二つのルールどちらかを破らなければならない場合、どうすればいいのでしょうか——



(まさか!)


 リンは爆発の中心地に向かって駆け出した。


「ちょっとリン!」


 ユヴェンが叫ぶのも構わず駆け寄る。


 焦げ付いた真っ黒な床に、多数の肉片が散らばっている。


 その中に白いスカートに覆われた足が見つかった。


 先ほどの男が言っていた少女の足だと分かる。


(違う。フローラじゃない)


 少女の体は上半身が吹き飛んでいてもはや誰だか分からなくなっていたが、それでもフローラにしては体が小さすぎるというのは分かった。


 リンはフローラでないことがわかってホッとしたが、同時に違和感を覚える。


(この子がこの騒ぎを起こしたのか? この子奴隷階級だよな。一体どうして……。それにどうやって……)


 少女の死体の周辺の被害は尋常ではなかった。


 建物の床と壁にはヒビが入っており、辺り一面の物資をことごとく破壊している。


 そしてエレベーターに乗っていた時の振動……


(炎上なんてもんじゃない。これは爆破だ)


 リンが思案していると青い炎が急にマークを形作る。


 苦痛に歪む男の顔。マルシェ・アンシエの紋様だった。


「!」


 紋様は一瞬浮かんだだけですぐに消える。


(今のは……気のせい? いやでも確かに……)


 リンは周辺を見やった。


 その場は粉塵と爆煙にまみれていて床で呻いている人を除けばリン以外誰もいない。


「おーい誰かいますか?」


 声が響いてくる。


 リンはそれを聞いて消防隊がやってきたのだと気付いた。


「皆さん落ち着いて。大丈夫です。急がないで」


「我々を壁にすれば安全です」


「怪我人はいますか?いたら返事をしてください」


 彼らは妖精を操って室内の空気を浄化し、水を振りかけ被害拡大を防ごうとしていた。


 自らを保護するため『城壁塗装』をしている。


「君。大丈夫か? 立てるかね?」


 消防隊の一人がリンに声をかける。


「あ、はい」


「危ないよ。早くここから離れなさい」


 消防隊の一人が爆心地でしゃがみこんでいるリンを引っ張って立たせる。


「あ、すみません」


「さ、早く」


 リンは追い立てられるようにその場を去った。




 この爆破事件はアルフルドの街を騒然とさせた。


 事件の詳細はすぐに誰もがつまびらかに知ることとなる。


『爆破魔法』が使われたこと。


 巨大樹のターミナルが狙われて、その場にいた魔導師が大勢死傷したこと。


 そして何よりも衝撃的なのが、犯行に及んだのが、年端もいかない奴隷階級の少女であることだった。




 次回、第137話「ファルサラスの派遣」

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