第119話 イリーウィアの建築魔法

 リンが学院の廊下を歩いていると下級生たちが通り過ぎるのを見た。


 その中にはミルジットもいる。


 リンは知らないふりをして通り過ぎようとしたが、ガシャンと何かの金属音がして振り向いた。


 ミルジットが手に持っていた籠を落としたようだった。


 籠の扉が開いて、中に入っていた伸縮自在のリスマモットは飛び出して高いところに登って行く。


 小さいリスに過ぎなかったマモットはみるみるうちに膨らんでいき、大型犬程度の大きさになる。


「ああ、どうしよう。どうしよう」


 ミルジットはなす術もなく慌てていた。


 クラスメイト達はというと互いに目配せした後、素知らぬフリをして進んで行く。


 それはミルジットのクラス内での立ち位置を示していた。


 今やマモットはその全長をクマくらいの大きさに膨らませていて、高い場所からミルジットを威嚇している。


 仕方なくリンはミルジットの元に駆け寄る。


 籠を手に取ってマモットに向き合う。


 マモットは初等クラスの授業でよく使われる魔獣だった。


 大きさを自在に操れて収納が簡単な上、牙や爪もなく、膨らんでもこけおどしのため、初等クラス魔導師の訓練には最適だった。


 しかしミルジットにはまだ手に余るようだった。


「マモット。籠に戻れ」


 リンはマモットに向かって魔獣の言葉で命令する。


 マモットは従うどころかリンの方を威嚇してくる。


「戻れっ!」


 リンが鋭く叫ぶとマモットはビクッと体を震わせた後、急速にしぼんで籠の中に戻って行く。


「はい。もう落としちゃダメだよ」


 ミルジットはリンに尊敬の眼差しを向けてきた。


「まあ。リン。あなたとっても賢いのね」


「えっ? か、賢い?」


 リンは少し照れくさい気持ちになった。


 今まで自分の事を賢いと言ってくれる子はいなかった。


 その日からミルジットはリンがどこに行くにしても後ろからついてくるようになり、リンもリンで彼女に優しくしてあげようという気になった。


 そういうわけで彼は師匠に彼女の口利きしてやる気になった。




「師匠。なぜ彼女に魔法を教えてあげないんですか?」


 ユインとの面談が始まるや否やリンはそう切り出した。


「彼女は学院にいるんだろう? 問題ないよ」


「依頼を受けて師匠をやっているんでしょう? 少しは彼女の面倒を見てあげたらどうなんですか?」


「私は依頼を果たしている。これ以上のことをする必要はない」


 ユインは相変わらずもったいぶった言い回しをした。


 仕方なくリンは別の聞き方をする。


「彼女は一体どういう子なんです? 貴族の子なのに全然貴族同士の横のつながりがないじゃないですか」


「彼女は家から放り出されたのだ」


「えっ? どういうことですか?」


「彼女の家は少し複雑でね。彼女の母親は現在死去している。父親は新しい妻を娶ったが、後妻はミルジットのことを疎ましがっているようだ。ミルジットの父親は娘と妻の板挟みになって悩んだ。彼とて二人の女の間を取り持つことに時間をとるよりも自分の仕事に集中したい。そんな時、ミルジットに魔導師の才能があることが発覚した」


「……」


「父親はたいそう喜んだろうよ。体良く娘を追い出す口実ができてね」


「そんな……」


「私が受けた依頼は彼女を塔に連れてきて監視することだ。依頼主からすれば彼女が立派な魔導師になる必要もないし、学院を卒業する必要さえない。世間体に配慮しつつ、彼女を塔に閉じ込めて家から離してさえいればいいのだ」


「ミルジットはそのことを知っているんですか?」


「あの頭の鈍さだ。察してしかるべきだろう?」


「……」


「そんなことよりも君は自分の事を心配したまえ。『生け贄魔法』の単位はまだ取れないのか?」


「今、取得しているところです」


「聞くところによると平民派の集会云々を主宰しているそうじゃないか。一体どういうつもりであんなことをやっている? イリーウィアとの関係は大丈夫なんだろうな」


「大丈夫ですってば」


 リンは久しぶりにユインに色々口出しされる煩わしさにうんざりした。


 聞くことは聞けたし早く退室したい気分になった。


「ならいい」


 二人は挨拶もそこそこにお互いよそよそしく部屋を出て行った。




 ラージヤの授業で教室は二つのグループにはっきり分かれていた。


 単位取得の望みがあるグループとそうでないグループ。


 単位取得の望みがない者に対してラージヤは非常に冷淡であった。


 彼らはラージヤの機嫌を損ねて、罵声を浴びるのにビクビクしながら、高額の授業料を支払って受講したこの授業に参加する意義をどうにか見出そうとしていた。


 リンは相変わらずウィンガルドの面々に囲まれながらイリーウィアの隣で授業を受けていた。


「動力部には魔石を使うとして、マストには『エントの木』。でもそれだとバランスが……、う〜ん……」


 リンは飛行船の設計図を見ながら頭を悩ませていた。


 自由課題の設計図だった。


 この授業で提出する予定のものだ。


「リン。おヒゲが乱れていますよ」


「おお、すみません」


 イリーウィアはリンの付けヒゲをいじって直してくれる。


 そんな二人の様子をユヴェンは後ろの座席から面白くなさそうに見守っていた。


(イリーウィア様ったら。リンのことばかり猫可愛がりして)


 ユヴェンはリンの方を恨めしそうに見た。


 最近の彼はなんや感や言ってはユヴェンに対して非協力的だった。


(なんにしてもこのままだとマズイわ。イリーウィア様から忘れられてしまう。どうにか心を繋ぎ止めないと)


 ユヴェンはリンの方を睨みつける。


(リンの奴、魔導競技で活躍したからね。そろそろ私も何かイリーウィア様にいいところ見せないと)


 ユヴェンはあらためてこの授業の重要性を、再認識した。


(この授業。イリーウィア様の視界に入るこの授業で何か明らかな功績を打ち立てるしたかないわ)


「ところでリン。その子は?」


 イリーウィアはリンの隣にちょこんと座っている女の子を不思議そうに見つめた。


 リンはちょっとげんなりした顔になる。


「ミルジット。君はまだ初等クラスだろ。この授業には出れないよ」


「ええ〜。なんでぇ?」


 ミルジットはリンのそばから離れたくないらしく動こうとしない。


 仕方なくリンは教室の外に追い出す。


「さあ、自分の教室に行った行った。」


 彼女はしぶしぶといった感じでエレベーターの方に歩いて行った。


「ふぅ。やれやれ」


「お疲れ様です。下級生の子ですか?」


 イリーウィアが改めて聞く。


「妹弟子です。師匠に面倒をみるように頼まれているのですが、懐かれすぎちゃって。四六時中付きまとってくるんですよ」


 リンが教室に戻るとちょうどラージヤが一人の女生徒の提出物をこき下ろしているところだった。


「確か君は学院魔導師5年目だったね?」


「はい」


「それでこんな初歩的なミスをしたのか?」


「すみません」


 ラージヤはため息をついた。


「何のためにこの授業に参加しているのかね? もうこの授業に出る必要はないと思うのだが?」


「うっ……はい」


 女生徒は逃げ出すように廊下へと飛び出して行った。


 俯いて髪がかかっていたため表情が隠れていたが、おそらく彼女は涙を流していた。


 ラージヤは辛辣だった。


 そして彼は才能至上主義者でもあった。


 彼は生徒の身分や身上に関わらず彼らの才能で態度を決めた。


 滅多に生徒を褒めることはなかったし、才能のない生徒にはどこまでも冷たかった。


「では今日は塔を製作してもらう」


 ラージヤは解説を始める。


「魔導師にとって塔は特別な建物だ。ガエリアスが魔導師を集める建物を塔に決めたように、塔は魔導師にとってあらゆる施設になりうる」


 ラージヤは塔の作り方の基本原則について解説を始める。


 土台の作り方。


 何が塔を頑丈にするのか。


 何が内側の空間の広さを決めるのか。


 そして何が塔の高さを決定するのか。


「では実際に塔の製作を行ってもらう。10分以内に土台を作り上げろ!」


 ラージヤの鶴の一声で生徒達は一斉に製作に取り掛かる。


 いつも通り生徒達は精霊を取りに行く係と下準備を整える係で役割分担する。


 まず真っ先に単位を取る見込みのある者から精霊を閉じ込めたランプに手をかける。


 自然と単位を取れない組は単位を取れる組に遠慮する。


 リンも土台を作るために必要な精霊を机に持って帰る。


「イリーウィアさん」


「精霊を持ってきましたか。では土台を作りますよ」


 リンは手慣れた作業で土とセメントの魔石を流し込み強度を高くする。


 次に設計図を元に印を打っていく。


「ふむ。大分手慣れてきましたね」


「ええ。おかげさまで」


 リンはイリーウィアと一緒に何度も建築魔法を行っているうちに作業が手慣れてきていた。


「土台はできたか? よしできているな」


 ラージヤは単位を取れる組の方だけ見て言った。


 単位を取れない組にはまだてこずている子がいたが、彼の視界には入らない。


「ではこれから塔を組み立ててもらう。誰か前に出て製作するものはいるか? 今なら直接私が見てやらんでもないぞ」


 教室にざわめきと緊張が起こる。


 巨匠に直接自分の魔法を見てもらえる機会。


 うまくやり遂げれば高得点だが、失敗すればみんなの見ている前で恥を掻くことになる。


「はい。僕がやります」


 ティドロがいの一番に前に出てくる。


 ヘイスールが当然のように彼に付き従って助手を務める。


 ティドロはこの授業のために用意した鉄、セメント、木、大理石などの魔石を素材として手際よく取り出し、組み立てて行く。


(さすがティドロさんだな。準備がいい。あれだけの魔石があれば100階の塔だって建てられる)


 100階は『圧縮瓶』で建てられる建物の上限だった。


 100階までたどり着けばこの授業で高得点を取れるだろうし、実際にティドロはそれを狙っているようだった。


 ティドロは魔石をどんどん入れて、塔を組み立てていく。


 魔石を喚起して材質を加工するスピードはイリーウィアに勝るとも劣らない早さだった。


(早い! でも、イリーウィアさんより雑なような?)


 以前はただただティドロの実力に驚嘆するばかりだったリンだが、今はある程度冷静に観察できるようになっていた。


(あれじゃあ、100階に辿り着く前に崩れちゃうんじゃ……)


 リンの予想通り90階にたどり着いた時点でティドロの塔はぐらつき始める。


 しかしティドロが焦ることはなかった。


 彼は銀色の結晶のような魔石を取り出した。


(あれは……ミスリル!?)


 リンは目を見張った。


(今年一体目のヘカトンケイルを倒したのはティドロさんだったのか)


『圧縮瓶』の中に投げ込まれたミスリルは建物の下部を補強する。


 ぐらつきは収まった。


「できました。先生」


 ティドロは100階建ての塔を提出する。


 クラスにはちょっとした歓声が上がる。


「なるほど。確かに素材、構造ともによく考えて建てられている。だが!」


 ラージヤは瓶の中の塔に杖を向ける。


 呪文を唱えて塔の一部を破砕し、内部を明るみにする。


「あっ」


「これでは内部の連絡が出来ない。私は言ったはずだがね。塔は魔導士にとって特別な建物だと。それは内部での活動を含んでいるからに他ならない。これでは意味がない」


 その後は形状、高度に至るまで事細かにこき下ろしてティドロを這々の体で下がらせる。


「次だ。誰か前に出て作ってみせるものはいないかね?」


「はい。俺がやります」


 今度はクルーガが出て来た。


「ナウゼ。ラディア。助手を務めてくれ」


「はい」


「喜んで」


 クルーガの建てた塔はティドロのものよりも背が低い一方で、実用的だった。


 内部にはエレベーターが張り巡らされ、物資を運び込むための倉庫も設置されている。


 またスピルナ人らしく軍事にも気を払われていた。


 外側には大砲も取り付けられている。


 ナウゼは惚れ惚れとした様子でクルーガの作った塔に魅入った。


(さすがクルーガさんだ。これなら塔の内部で高度に連携できるし、どこから攻撃されても対応可能だ)


「なるほど。スピルナ魔導士によく見られる型の塔だ。内部の連絡もよく考えられている。しかし!」


 ラージヤは精霊を召喚して塔の中に入れて見せる。


 精霊は息苦しそうな顔をした後、塔から出て行く。


「あっ……」


「この構造では精霊が速やかに移動することができず、力を十分に活用することはできん。精霊の力がなくては魔導士の力は半減する。精霊や妖精がいなければ水も引けないし、風も光も運べない。居住もままならない。繰り返すようだが、魔導士の活動を支えるものでなければならない。精霊を住みにくくしてどうやって魔導師を住み込ませるのかね? 私はそういう意味も込めて言ったのだがな」


「くっ」


 クルーガは引き下がった。


(ティドロさんやクルーガさんでも酷評されるのか)


 リンはラージヤの求めるレベルの高さに驚いた。


「チッ。何なんですかね。あのジジイ。偉そうに」


 ラディアがラージヤに聞こえないところで悪態をついた。


「よせよ。昔は700階まで行った魔導師だ」


 クルーガがたしなめるように言った。


 とはいえ彼も内心ではラディアと同じ心持ちだった。


(昔は偉かったとはいえ、自分より階層の低い魔導師に説教されるってのはどうもな……)


 クルーガは後輩の二人には聞こえないように心の中で言った。


「さあ。他には? もう誰も前に出て塔を作れる者はいないのかね?」


 ラージヤが煽るものの、誰も進み出てくるものはいなかった。


 ティドロとクルーガが酷評されたことで、皆怖気付いてしまっていた。


「では私が……」


 声の主に教室中の注目が集まる。


 前に出たのはイリーウィアだった。



 第120話「イリーウィアの建築魔法」

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