第117話 静かな洞窟の中で

 ラージヤの授業ではいつも生徒達は必死で準備をしなければならなかった。


 ただでさえ沢山の予習が必要な上、ついて行けない生徒は容赦無くおいていかれる。


 そのため生徒達はいつもヘトヘトになりながら授業に参加するのであった。


 今日は実際に建築魔法の実技を行うということもあり、生徒達は授業時間ギリギリまで建築資材調達に走り回ったため、授業前にはすでにすっかり疲労困憊していた。


 その中でリンとイリーウィアは、比較的余裕を持って授業に参加することができていた。


「早めに森を探索していた甲斐がありましたね」


「ええ、お陰で余裕を持って授業に望めそうです」


 二人が和やかに談笑しているうちにラージヤが教室に現れる。


「本日は、前もって言っていた通り、実技を行う。全員二人一組を作るように」


 ラージヤがそう言うと教室にちょっとした緊張感が走った。


 皆、身分を意識して目を左右に走らせる。


 とはいえ授業に参加しているほとんどの生徒は貴族階級のため、自分により近い身分属性の者とくっついて概ねつつがなく組み分けがされる。


 リンは若干焦った。


 誰と組めばいいか分からなかった。


 テオもこの教室にいたが、少し席が離れていた。


「ではリン。一緒に組みましょうか」


 イリーウィアがそう言ってくれる。


「え? いいんですか?」


「はい。アイシャはヘルドと組むので」


「だそうよ。仕方ないから組んであげるわ」


「どうも」


 アイシャとヘルドは満更でもなさそうに一緒に作業し始める。


 建築魔法の授業では『圧縮瓶』という魔道具を使う。


 瓶の高さは1メートルほど、直径は50センチほどだが、この中に入れられた物は通常の大きさから縮尺を自在にコントロールできるため、瓶の中で家を建てて、課題として提出できる。


「では本日の課題は神殿だ。圧縮瓶に神殿を入れて提出するように。土台には土とセメントを使い、柱の材料は……」


 ラージヤは配布した設計書が生徒全員に行き渡ったかどうかも確認せずに課題の要点について口頭で説明し始める。


 授業にも関わらず生徒の都合など御構い無しだった。


 生徒達は必死で要点をメモした。


「できた者から提出するように。時間内に提出できない者は単位取得できないと思え」


 生徒達はギョッとした。


 みんなより一層張り詰めた態度になる。


 それは鬼気迫るほどだった。


 生徒達は急いで土の魔石やセメントの魔石を瓶の中に放り投げ、中で喚起し、展開した後、杖で操って形状を整えていく。


 リンも配布された設計書を片手に急いで作業を開始した。


(神殿の高さは70メートルくらい。瓶の長さは1メートルだから、縮尺は百分の一でいいか)


「えーっと。まずは瓶の中に土とセメントを流し込んで……」


「リン。まずは土台の耐性を確かめなければ」


「あっ、そうか。神殿は石造りだから……」


「土台が弱ければ倒壊してしまう恐れがあります。土の精霊に土台を固めてもらう必要があるかもしれません」


「ええ〜。土の精霊なんて用意してませんよ」


「向こうにありますよ」


「あ、ホントだ」


 イリーウィアの言う通り精霊を閉じ込めるランプが教室の隅に置いてあり、目敏い生徒達はすでに物色している最中だった。


「僕が取って来ます」


「ついでに水の精霊も取って来てください。湿気を抜く必要もありそうです」


 リンがランプ置き場に辿り着いた頃、幸い土の精霊と水の精霊のランプは残っていた。


 しかし決して十分な量があるわけではない。


 クラス全員に行き渡ることはないだろう。


(これじゃあ課題をクリアできない人もいるんじゃ……)


 リンはラージヤの方をちらりと見た。


 彼は生徒達の必死さなどどこ吹く風といった様子で読書していた。


 ランプを追加するつもりなどなさそうだった。


(全員に単位を与えるつもりはないってことか)


 リンはランプを持って戻ると、先ほどよりも一層急いで課題に取り組んだ。


「イリーウィアさん。土の精霊と水の精霊です」


「ご苦労様です。では建築を始めましょう」


 イリーウィアはリンがとってくるまでに下ごしらえを終えていた。


 必要な魔石と魔道具が机の上に整然と並べられている。


「はい」


 リンは急いで瓶の中に土の魔石とセメントの魔石を放り込み喚起させる。


 瓶の底には茶色と灰色の粒が混じり合い、建物の土台を形成する。


「よし。それじゃあ石柱を立てていきますね」


 リンは石灰岩の魔石を瓶の中に放り込もうとする。


「リン。まずは印を打たないと。目印が無いとどこに柱を立てるか分からなくなりますよ」


「あっ、そ、そうか。いけない。いけない」


「えーっと、縮尺100分の1だから……柱の間隔は……」


 リンは指輪の光を瓶の中に送り建物のラインを大まかに描いて行く。


「! 思ったよりも狭い!?」


「ええ。この分だと土台から建物があぶれてしまいます。縮尺をより小さくしましょう。そしてやはり土台には相当の強度が必要です。大地の精霊を用意しておいて正解でした」


「わかりました」


 リンは縮尺を変更して、土台を広げるため土とセメントの魔石を瓶の中に入れる。


「これでよし。じゃあ今度こそ柱を立てるぞ。石灰岩の魔石を放り込んで……」


「リン。その前に小人を入れないと。後で配置につけても遅いですよ」


「あっ。いっけね」


(やっぱり授業で習ったことと実際にやるのとでは違うな。手順は分かっているつもりだけど。どうしても時間に追われて焦ってしまう)


 リンは力仕事用の小人を瓶の中に放り込む。


 瓶の中にミニチュアサイズの小人が現れる。


 彼らを配置につけてからようやく石灰岩の魔石を放り込んだ。


 魔石は輝きを放って砕け、縮小サイズの石灰岩が現れる。


 リンは杖を操って、内部の加工スペースまで誘導し、『質量魔法』と『冶金魔法』で石灰岩を柱状に整える。


 イリーウィアはリンが作業するのを横で見て、間違えそうになるたびに教えてくれた。


 自分でやった方が早くできるはずだったが、リンのペースに合わせてくれた。


(土台に時間をかけ過ぎちゃったな。授業終了までに間に合うか?)


 リンは焦った。


 もう周りの人達は仕上げに入っている。


「リン。ペースアップしましょう。交代です」


 イリーウィアが言った。


 のんびりしているように見えてきっちりペース管理していたようだ。


 今まではリンのサポート役に徹していたが、役割を交代する。


「いきますよ。壁用の石材を」


 リンはイリーウィアの指示通りに魔石を選んで瓶の中に放り投げていく。


 イリーウィアは一瞬で魔石を喚起し、形状を整える。


(! 速い……)


「次、屋根の石材を」


 イリーウィアは少し鋭く言った。


 リンの魔石を投げ込む動作も自然と素早くなる。


 イリーウィアは瞬く間に建物を組み上げていく。




 授業が終わる頃、教室内には明るい顔の生徒と暗い顔の生徒がいた。


 生徒達の表情は課題をクリアした組とクリアできなかった組ではっきり明暗が分かれていた。


「ふいー。どうにか間に合いましたね」


「ふふ。ご苦労様でした」


 二人はなんとか課題を時間内に提出できていた。


「ありがとうございます。イリーウィアさんのおかげでどうにかなりました」


「いえいえ。あなたが手伝ってくれたからこそです」


 実際、リンとイリーウィアの二人で作り上げた提出物は教室の中でも上々の出来だった。


 他の人達は焦って魔石を放り込んでしまい、印がきちんとつけられていなかったり、土台が崩れていたり、建物が倒壊したりしていた。


「どうしてですか。先生!」


 誰かが叫んでいる声が教室に響き渡った。


 見るとロークがラージヤに抗議していた。


「やり直させてください。そうすれば次はちゃんと出来ますから」


 彼の提出物は酷い出来だった。


 柱は倒れ、壁は剥がれ、屋根は曲がっている。


 お世辞にも立派な神殿とは言い難く、とてもじゃないが、高評価を得られそうにない。


「私はこの時間内に出来たものだと言ったはずだ。やり直したいのなら授業の外で勝手にやりたまえ。この授業外の提出物を受け取るつもりはない」


「でも……」


「それとも何かね? 私の授業方針に不服があるとでも? ならばもう参加しなければいいだろう。私は無理して参加してくれなど一言も言っていない」


「そんな……」


「おい、ローク。その辺にしておけ」


 シュアリエがロークを宥めた。


「ぐっ」


 さすがの彼も同国出身の、自分より身分が上の者に言われては引き下がらざるをえない。


 ふとロークの視界にリンが映る。


 ロークはリンの隣にイリーウィアが一緒にいるのを見て、二人がペアを組んだことを察した。


 そしてリンがイリーウィアの手ほどきによって高得点を得るであろうことも。


 ロークはさっと顔を青ざめたかと思うと急ぎ足で教室から出て行ってしまった。


 今の彼にとってリンは存在だけでも劣等感を覚える対象だった。


「おい、待てよローク」


 ラドスの四人組はバタバタと教室を出て行く。


 教室にはなんとなく後味の悪い雰囲気が残った。


 リンもその雰囲気に引きづられる。


「あなたが気にしても仕方のない事ですよ」


 イリーウィアはリンにそう声をかけた。


「さ、今日も狩りに出掛けましょう」


 イリーウィアは底抜けの笑顔をリンに向けながら言った。


 それは一時暗くなった教室の雰囲気を振り払うのに十分なものだった。


 ラージヤが全ての提出物を査収し、授業は終わった。




 魔獣の森は今日も今日とて極彩色でギラギラと輝いており、侵入する者を威圧しているかのようだった。


 森に潜む魔獣達は探索しようとする魔導師達を罠に嵌めようと手ぐすね引いて待っている。


「今日は私のとっておきの場所まで連れて行ってあげますよ」


 グリフォンに乗って森の上空を飛びながらイリーウィアは言った。


「とっておきの場所?」


「ええ。もう少しです」


 イリーウィアはそう言うとグリフォンの手綱を操って進行方向を定める。


 いつもとは違う森の外れの方へ向かって行った。


 たどり着いたのは洞窟の入り口だった。


 常に危険を感じさせる森の中で唯一ここら一帯だけ妙に静かだった。


 いつもリンに攻撃を仕掛けてくる毒虫も現れず指輪は一向に光らない。


「ここは?」


「とても良質な精霊が集まる場所です」


 二人と一匹は中に潜り込む。


 リンが洞窟の中に入ると精霊が満ち溢れていた。


 そこかしこを精霊が行き交い、通り過ぎた後には魔力の光が影のように尾をひく。


「うわぁ」


 リンは思わず歓声をあげる。


「ここにいるのは皆、中級レベルの精霊達です。あなたと契約してくれる精霊さんもいるかもしれませんよ。もうすぐ卒業ですし、あなたもそろそろ精霊を従えなければ」


「はい」


 リンは精霊一人一人に話しかけてコミュニケーションを取ろうとした。


 何人かの精霊はリンに興味を持ってくれて話しかけてきた。


 契約を結びたいと伝えると前向きになってくれる精霊もいた。


 中でもカボチャ頭の精霊ランタン水犬の精霊ウォーターリーパーは格別の好意を示してくれた。


 カボチャ頭の精霊ランタンは手に持っているランプの灯りでリンを照らしてくれる。


 水犬の精霊ウォーターリーパーは水でできた舌を出してリンのほっぺを舐め回した。


 しかしそこまでだった。


 ここにいる精霊達は身持ちが固かった。


 契約には至らない。


 精霊達は言った。


 すぐには判断できない。


 君のことがよく分からないから。


 時間をかけてお互いのことについて知り合いたい。


 リンは了承した。


 イリーウィアの方はと言うと彼女はさらにモテモテだった。


 精霊達の方からまとわりついて彼女にアピールし、彼女とすぐさま契約を結ぶことを望んでいた。


 リンは苦笑した。


 彼女はどこに言ってもこんな感じだった。


 彼女がシルフを精霊達に示すと、精霊達はがっかりしたり、恥ずかしがったりしてイリーウィアから離れていく。


 洞窟の精霊達が束になってもシルフには敵わないだろう。


 リンはイリーウィアと洞窟の中にある座り心地のいい岩の上に腰掛ける。


「どうですか? 精霊と契約できそうですか?」


火の精霊ランタン水の精霊ウォーターリーパーが興味を示してくれました。ただ契約には至りませんでしたが……」


「彼らはあなたの才能を見定めているのですよ。魔導師と共に塔の高い場所にたどり着けば、上級精霊になれますから」


「なるほど。それで契約を結んでくれないのか」


「初めは仕方ありません。精霊達は慎重なものです。粘り強く話しかける必要があります。彼らの望むこと、あなたの望むことを知るために」


「はい」


 リンとイリーウィアは二人でしばらく洞窟内でくつろいだ。


 暗い祠の中に精霊の光が燦々と降りしきって、二人の頭から注がれる。


 リンはとてもいい気分で静かな心地になる。


 うたた寝してしまいそうだった。


「なんだかいい気分ですね」


「精霊の魔力が充満していますからね」


「そうか。精霊の魔力は僕達の心を癒すから」


「ええ。そういうことです」


 リンはふと時間が気になってきた。


 今はどのくらいだろう。


「イリーウィアさん。そろそろ帰らないとお茶会が始まりますよ」


 そう言って立ち上がろうとしたリンだが、イリーウィアが袖を引っ張ってその場に座らせる。


「イリーウィアさん?」


「いいではないですか。もう少しここにいましょうよ」


「……そうですね」


 リンは内心ここにいていいのだろうかと思ったが、イリーウィアがそう言うのであればきっといいのだろう。


 そう思うことにした。


 二人は寄り添いながら精霊達の魔力が充満する洞窟の空気を吸って居心地よく過ごした。


 それは俗世の煩わしさを忘れさせてくれる時間だった。




 二人は予定よりも長い間、洞窟の中で過ごした後、グリフォンに乗って帰った。


 二人が森の空を来た道に沿って帰る頃にはすっかり日が暮れていて、夜の帳が落ち始めていた。


 リンはイリーウィアのリラックスした様子を見てこれなら相談に乗ってくれるのではないかと判断する。


「あのイリーウィアさん相談があるのですが……」


「ふむ? なんでしょう」


「実は以前お話しした平民派としての活動が行き詰っていまして。イリーウィアさんの力を貸してもらえないかと……」


「どういったことですか?」


「平民派の会議に参加していただければ嬉しいのですが……」


「まずはデュークに問い合わせてください。私では判断しかねますので」


(ぐっ。体良くあしらわれたか)


 頭の固いデュークに言って了承を得られるとは思えなかった。


(流石は王族。面倒事を断り慣れているな)


「それにしても……」


 イリーウィアは流石にちょっと呆れたようなため息をついた。


「あなたも落ち着きのない方ですね。魔導競技に参加したと思ったら、今度は政治活動。あなたは一体どこに向かっているのです?」


「もう学生でいられる時間は残り少しですから。色々な可能性を試しておきたいんです」


「それにしたって……ねぇ」


 イリーウィアは視線を逸らすようにして遠くを見た。


「あっ、あの木」


 リンが突然言った。


「? なんですか?」


「『エントの木』に似ているような……」


「確かに。あの近くにヘカトンケイルがいるかもしれませんね」


「ぜひ今度行ってみましょう。飛行船の材料に必要なんです」


「そう言えばなぜ飛行船なのです? 飛行船なんて作っても所属させてくれる灯台や港がなければ、塔で運用することはできませんよ?」


「ふっふっふっ。実は僕にはとあるツテがあるんですよ」


 リンはまたイリーウィアの前で見栄を張る例のクセを発揮して話し始めた。


「ほう。ツテとは?」


 イリーウィアは冗談交じりといった様子で聞いた。


「詳しくは言えませんが僕には500階層クラスの魔導師に知り合いがいて、彼女が教えてくれたんですよ。新しい灯台を建設する計画が持ち上がっていることを」


(彼女?)


 イリーウィアの瞼が微かにピクリと動いた。


 リンはその事に気付かなかった。


「僕もその計画に一枚噛みたくて。彼女にも約束を取り付けているんですよ。それで今のうちに飛行船の勉強をしておくんです」


「ふーん。そうですか」


 イリーウィアはいやにそっけなく言った。


「来週はどうします? できればレッドゾーンまで行きたいのですが……」


「知りません。私は来週ヘルドとお約束があるので」


 イリーウィアは拗ねたような調子で言った。


「イリーウィアさん? うわっ」


 グリフォンが急に加速して、風を切って飛び始める。


 リンは振り落とされないようイリーウィアの背中にしがみつかなければならなかった。




 次回、第118話「グレンデルとの戦い」

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