第113話 表の顔と裏の顔

 リンは法律学の授業に参加していた。


(政治家の道を目指す以上、法律についても学ばなくちゃね)


 教室に向かいながら昨日、カロと話したことを思い出す。




「当面はギルドの設立と議会の設置を目標にしたいと思います」


「議会の設置……ですか?」


「左様。格差が広がっている背景の一つが、評議会が全てを決めている事です。貴族ばかり所属している評議会がね」


「なるほど」


「いきなり階層間の区別を無くせと言っても要求は通らないでしょう。なのでまずはアルフルドの事はアルフルド民で決めることができるよう、自治をするために署名を募り、賛同者を集め、協会に圧力をかけるのです」


「ではまずは人集めからですね」


「それについてはこちらでどうにかしましょう。あなたは学院の卒業を優先してください。あなたが高位魔導師にならなければ何も始まりませんからね。リン殿の方で何か案はありますか?」


「はい。やっぱり100階、200階に人を送り込むことが重要だと思うんですよ」


「ほう」


「ですから希望者を募って『迷宮攻略魔法』や『物質生成魔法』を無料で教える講座を開こうと思っているんです」


「なるほど。それはいい案ですな。リン殿の方ではそちらを進めてください。また週末に連絡を取り合いましょう」




 リンが法律学の教室に入るとそこはガランとしていた。


(全然人いない授業だな)


 既に受講申し込み期限が迫っていたため、人気の授業は取れず、この授業に来るしかなかった。


 教室の中には一人しか生徒がいなかった。


 その一人の生徒はこちらを向くやいなや話しかけてくる。


「おや? 君はリン」


「あなたは、えーっと……」


「ディエネだ。ラドスの上級貴族」


「あ、どうも僕はただのリンです」


「君のことは知っているよ。いろんな意味で有名だしね」


「いやあ、お恥ずかしい。いつも一緒にいる四人は?」


 多くの学院魔道士同様、ディエネも自国の身分の近い者と一緒に行動する事が多かった。


 彼はほとんどの場合、ラドスの四人組と一緒に行動していた。


「たまにはあの四人と離れたくてね」


 ディエネはカラッとした態度で言った。


 リンもついついつられて笑ってしまう。


 リンは少し話しただけでディエネと親しくなれるような気がした。


 穏やかで、それでいて身分の高さを鼻にかけるところもない。


 なんとなくザイーニを思い出させた。


 二人は教授が来るまでしばしの間、交流を楽しんだ。


 少しすると法律学の教授・シェンエスがやってくる。


「おや? 珍しいな。この授業に生徒が二人も来るなんて」


 彼は意外そうに言った。


「やれやれ。これでは授業を始めざるを得んな」


 彼はどうにも憂鬱そうな様子で言った。


(変な人だな。自分の授業に生徒が来るのを嫌がるなんて)


「では仕方がない。第一回目の法律学の授業を始める」


 シェンエスは淡々と授業を開始した。


「法の下の平等という考え方がある。我が塔においても学院を卒業した魔導師には一定の権利と義務が与えられ、魔導師として一応平等な扱いを受けるというわけだ。しかし……」




 ラージヤの授業。


 テオは何食わぬ顔でナウゼとラディアの脇を通り過ぎた。


 いつものことである。


 お互いに相手が視界に入っても存在しないかのように振舞って久しかった。


 しかし今日はいつもと違った。


「おいテオ」


 ラディアが話しかける。


「なんだよ」


 テオはぶっきらぼうに返事した。


「リンに言っとけ。今年の魔導競技、俺がナウゼの仇を討つってな」


「……」


「『杖落とし』だろうと『猛獣回し』だろうと関係ない。出られないナウゼの代わりにこの俺が……」


「リンは出ないよ」


「は?」


「じゃあな」


「おい待て!」


 ラディアは手が出そうになるのを必死にこらえてテオに追いすがる。


「どういうことだ? なぜ奴は出ない。知っているぞ。奴がウィンガルドの上級貴族の指導の下、グリフォンに乗る練習をしていることは……」


「政治家の道に進むんだと」


「? そりゃ魔導師なら誰しも軍事と政治両面で……」


「活動家になるんだってさ」


「……はっ!? かつ……どう……家!?」


「どういうことだ?」


 ナウゼが食いついてくる。


「さあな。本人に聞けよ」


 ナウゼとラディアはしばらくの間ポカンとしていた。


 しかし事実を飲み込むに従って、ナウゼは肩をワナワナと震わせる。


「何がしたいんだあいつはっ」


(ホントだよ)


 テオは心の中でナウゼに相槌を打った。




「リン。聞いたわよ」


 グリフォンでの練習の合間、休憩している時、アイシャは切り出した。


「何をですか?」


「平民派として活動するそうね」


「ええ、まあ」


「なかなか思い切った決断ね。イリーウィア様には相談したの?」


「いえ、でもイリーウィア様も理解してくれると思うんですよ。より多くの人に機会が行き渡るよう援助の手を差し伸べるのは、力と地位がある者の義務だと思うんです」


 リンはカロからの受け売りをそのまま言った。


「うーん。確かにイリーウィア様も本国では孤児院の設立を始めとして貧困層の救済には気を遣われていたけれど……、

ただこの場合は……」


「? 何ですか?」


 アイシャはしばらく腕を組んで言葉を探したが、諦めた。


「ダメだ。これ以上の説明は私には無理だわ。ヘルドに聞いて」




 リンの行動は学院の多くの階級、グループの者に困惑を与えていた。


 ラドスの四人組もそれらの困惑しているグループの一つだった。


「おい、どういうことだ。あいつは王族のお気に入りだろう? なぜ平民派になっている」


 レダが困惑気味に言った。


「フン。ついに馬脚を現したってことだろ。奴の狙いは反逆だ」


 ロークがニヤリと唇を歪めながら言った。


「平民派の反逆か。ここ数十年大規模なものは起きていないはずだが.…」


「以前起きた時はどうなったんだよ」


 レダが恐る恐る聞いた。


「記録によるとアルフルドが火の海になった」


「あーあ。また俺達では手に負えなくなってきたな」


 そう言いつつもナタは張り付いた軽薄な笑みを絶やすことはなかった。


 彼は自分に降りかからない騒ぎや揉め事を対岸の火として見るのが好きだった。


「計画変更だ。一先ずリンとは距離を置こう」


 チノが言った。


「それではダメだ!」


 ロークが語気を強めて言った。


「もう今回の件で分かっただろう? やはり奴は危険だ。排除する方向で動くしかない!」


「焦るな。まだリンとイリーウィアの関係は切れていない」


 チノは少しイライラした調子で言った。


 リンの方をチラリと見る。


 リンとイリーウィアはちょうど隣り合って座って談笑しているところだった。


「あら、リン。またお髭をつけているんですか?」


 イリーウィアはリンの付けひげをツンツンとつついた。


「以前よりもフサフサですよ!」


 リンは明るい調子で言った。


 二人の蜜月関係が維持されているのは誰から見ても明らかだった。


 この後、二人はまた狩りに出かけるだろう。


 放課後の狩りは二人にとってすっかり恒例行事になっていた。


「もう少し様子を見よう。行動に移すのはそれからでも遅くない」


 チノは自分を落ち着かせるかのように声を低めて言った。




 放課後、リンはヘルドに呼ばれて馬車に乗っていた。


「済まないね。急に呼び出したりして」


「いえいえお気遣いなく。イリーウィア様のためとあらば断るわけにもいきません。僕にできることであればなんでもさせてもらいますよ。それでこれからどこへ?」


「それは到着してからのお楽しみさ」


 二人は馬車とエレベーターを何度か乗り継いだ。


 帽子を目深にかぶり、途中で変装までして追跡されないように注意した。


(随分用心深いんだな。何を警戒しているんだろう)


 リンにはイリーウィア様のためになること、ということ以外何も聞かされていなかった。


 リンは不審に思いながらも、なすがままに任せて、馬車の中でくつろぎながら目的地に着くのを待った。


 着く途中、リンはヘルドに自身の活動について意見を求めてみた。


「ヘルドさんはどう思いますか?」


「いいんじゃないかな。下々の者に温情を与えるのは身分あるものの義務だ」




 やがて馬車はアルフルドの外れにある倉庫で止まる。


「ここは……倉庫ですか?」


「まあまずは入ってくれ」


 リンはヘルドに伴われて倉庫の中に入っていった。


 通路には至る所にビッシリと魔法文字が描かれている。


 精霊の侵入を防ぐものだと気付いた。


 リンは倉庫の一室に通される。


 そこにはおびただしい数の木箱が設置されていた。


 ヘルドがその一つを開ける。


 中には見た目にも滑らかな絹が収まっていた。


「これは……虹蚕の絹? それもこんなに沢山。なぜこんなレアなアイテムがここに……」


「ここにある虹蚕の絹、これは塔の監視をくぐり抜けてつくられたものだ」


「監視をくぐり抜けて?」


「ウィンガルドに所縁のあるギルド『王家の仕立屋』は『虹蚕の絹』の製造及び流通を塔によって厳格に管理されている。大精霊の力を借りてね。しかしウィンガルド王室はこの監視を巧妙にかいくぐる方法を思いついた」


「一体どうやって……」


「クズ繭を利用するのだ」


「クズ繭?」


「そう。絹の生糸は蚕の繭からつくられるが、ギルドに供給される蚕の繭のうちいくつかは汚れや破損によって使い物にならないものがある。それがクズ繭だ。しかしギルドは秘密裏にクズ繭から上質の生糸を作り出す方法を編み出した。クズ繭から上質な生糸を作り出していく内に、通常の繭からもより多く生糸を生産する方法を編み出した。今となっては秘密裏に生産される生糸のほうが量が多いそうだ。いくら塔といえども工場の内側まで常に監視することはできない。協会は巨大樹のエレベーターを通じ供給する繭とそこから生産される生糸の量を比較して、数量に隔たりがないかチェックしているだけなのだから」


「じゃあ、ここにある虹蚕の絹は……」


「そう。ギルドによって秘密裏に生産され、正規のルート以外で流通されたものだ」


「なぜその様なことを? 通常のルートで堂々と流通させればいいじゃないですか」


「それではダメだ。正規のルート、つまり巨大樹のエレベーターを利用して下層に運んで流通させれば塔に税金を払わなければならない。バカみたいな額の税金だよ。それこそ儲けが吹っ飛んでしまうくらいの。しかしこっそり作りこっそり運び出された分について税金がかけられることはない」


「ん? それってつまり……」


『密輸』と言いかけてリンは口をつぐんだ。


「今度成立する規制緩和の法案は知っているかい?」


「えっ? ええ。確かそこには虹蚕の絹も含まれていたような……」


「あれはウィンガルドの利権を狙い撃ちにしたものだ」


「えっ? そうなんですか?」


「そう。ウィンガルド所縁のギルド以外にも虹蚕が生産されるようになればやがて激しい競争が起こり、ウィンガルドの利益は大幅に減ることになる。大打撃だよ」


「……」


 リンはここにきてようやくヤバい話に足を踏み入れつつあることに気がついた。


 これ以上聞けば後戻りできなくなるのは必至だったが、この場から離れる口実も思い浮かばなかった。


 何よりヘルドが出口側に回り込んで退路を塞いでいる。


「僕は王室より一つの任務を授かった。あらゆる手を使ってこの規制緩和の法案成立を阻止、あるいは骨抜きにすることだ。そこで君を将来有望な魔導師、姫様に誠心誠意仕える騎士、また清廉潔白の士と見込んで頼みたい事がある」


「な、なんですか?」


「この仕事を君にも手伝って欲しい」


「え、でも……」


「リン。君は姫様にたくさんの借りがあるよね」


「えっ? え、ええ。まあ」


「今度の法案ひどいものだと思わないかい? 表向きは機会の平等とより開かれた市場を謳ってはいるが、実態はウィンガルドの権益に嫉妬したスピルナとラドスが主導している。格差の是正と自由競争のためと詭弁をほざいてね。平民の連中はこぞってこの法案に賛成するだろう。我々ウィンガルドの貴族がどれだけ平和と秩序のために貢献しているかなんて露ほども知らずに。平民の奴ら、あいつらは何もわかっちゃいない。こんな法案を通したところで平民階級に恩恵が行くことなんてないよ。限られた商人がまた幅を利かせるだけだ。それどころかギルドの規制が無くなれば、今度は品質劣悪な、いかがわしい商品が出回ることになるに違いない。虹蚕の絹と称した偽物の品がね」


「ですが、僕は……」


「それだけじゃない。現在の体制、三大国の体制に亀裂が入るかもしれない。そうなればまた戦争だよ」


「戦争……」


「それだけデカイ金が動くってことだ。リン。頼む。これはもはやウィンガルドの利益だけの問題じゃない。世界の秩序を維持するためだ。君は下々の者の安寧のためにも働きたいんだろう?」


「ですが、こんな大事……、僕に出来ることなんて……」


「何。簡単なことだよ。君が今やっている平民派の運動。あそこでちょっとばかし世論を誘導してくれればそれでいい。法案をつぶす方向にね」


「え!? そ、それは……」


「この仕事を完遂した際、法案がどのようになっているかは分からない。しかしそれは僕達が新たな利権にありつけることを意味する。一緒にウィンガルドの裏の柱となって姫様を支えようじゃないか」


「……」


「よもや君はあれだけ目をかけてくださった姫様を悲しませるようなことはしないよね」


 ヘルドはニッコリと微笑みかけてくる。


 リンもニッコリと微笑みかえした。




 ヘルドからの依頼を受けてから三日と経たないうちに、リンは自らが立ち上げる平民派ギルドの立ち上げ会に参加していた。


 リンはそこにいる面子を見回してみた。


 カロの話だと有力な平民の集団ということだったが、ぱっと見ではそんな風にはとても思えない人物がほとんどだった。


 出会った頃のシャーディフと大して変わらないような人達もいる。


 さらにそれよりも酷い人達も普通にいた。


 ならず者であることを隠そうとしない人達もいる。


(あ、あれ? 有力な平民階級の集まりって話じゃあ……)


「ではリン殿。まずは私が演説をして、その後で皆に紹介しますので。合図をしたら壇上に立って話をしてください」


「えっ? は、はい」


 カロは壇上に立っていささか過激な演説をぶった。


 貴族達の社会がいかに腐っているか、いかに自分たちがいわれのない搾取を受け踏みにじられているか。


 この不条理な現状を打破し、正義を実行するために立ち上がるしかないこと。


 そしてリンが喋る順番がやってくる。


 カロの紹介で壇上に立つ。


「同志達よ。彼は平民階級ながら元マグリルヘイムに所属し、ウィンガルド王室とも深いつながりを持って、更には魔導競技で勝利経験のある将来有望な少年だ。やがて立ち上がるギルドの旗印となってもらうべく来てもらった」


 壇上に立ったリンは人々の視線に一斉にさらされる。


 リンは背中に冷や汗が流れるのを感じた。


 カロの後を引き継いだ以上、前後で矛盾のある内容を話すわけにもいかない。


「皆さん。一緒に貴族の支配を揺るがし解放されましょー」


「「「「うおおおおおおー」」」」


(あれ? 何やってんだ僕は)


 リンは自分で自分が何を言っているのかわからなくなってくる。


(大丈夫大丈夫。矛盾はしていないさイリーウィアさんのために働くのも平民派として活動するのも)


 リンは無理やり自分にそう言い聞かせた。


「我々はギルドが正式に認められ、議会が成立するまで解散することはない! このギルドは議会の前身になるでしょう」


「「「おおー」」」


「ついでに評議会の法案も潰しましょー」


「「「ん? お、おおー」」」


(リン殿。あなたには平民派の旗頭になって貴族と戦ってもらいますよ)


 カロは眼鏡の奥を妖しく光らせてほくそ笑む。




 次回、第114話「エディアネル公」

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