第110話 天才

 艦隊の季節。


 塔に所属する飛行船が帰ってくる。


 飛行船の中では塔に帰還できることを喜び、興奮を抑え切れない者は少しでも早く塔の全景を見ようと甲板に出ていた。


 その中に学院魔導士が着るはずの紅のローブを着ている少年がいた。


 長髪にがっしりとした体つきの少年で魔導士にも関わらず大剣を腰に下げていた。


「4年ぶりくらいか。あんま変わってねーな」


 彼は差し込む日差しに目を細めながら塔を見つめる。


 塔は上空を雲に覆われ決してその全貌を見せようとはしない。


「相変わらず陰鬱ですこと」




 リンが下宿で新聞を読んでいると、今期一体目のヘカトンケイルがマグリルヘイムによって討伐されたという記事が目に入る。


 併記されている地図を見ると、先日、リンがヘカトンケイルと遭遇した場所とほぼ同じ地点が示されていた。


(あちゃ〜。先を越されちゃったか)


 リンは落胆しながらも学院に出かける準備をした。


 しかしなんという速さだろう。


 昨日の今日で、すぐに討伐されてしまうとは。


(やっぱり有力ギルドの組織力には敵わないのかな)


 部屋の扉がコンコンと叩かれる音がする。


「リンさん。馬車が来ましたよ」


「あ、はい。今行きます」


 リンはローブを羽織って杖を持った。


(とにかくヘカトンケイルを倒すアイテムを手に入れないとね)




「よおボウズ」


「はい?」


 リンが学院の廊下を一人で歩いていると声をかけられる。


 その人物は上背が高く屈強で引き締まった体格で紅のローブを着ている。


 髪は肩までかかるほど長い。


 しばらく散髪をしていないようで伸び切った髪を伸びるままに任せて、無造作に垂らしている。


 ずいぶん長い間、旅塵にまみれていたみたいで、ローブの至る所が土色に汚れている。


 それでいて不潔な感じはせず飄々とした雰囲気を放っていた。


 リンは彼の姿を見て首を傾げた。


 その姿からずっと塔の外にいたのだと分かる。


 時期に鑑みて、飛行船に乗って帰ってきたのだろう。


 しかし学院魔導士は余程の事情がない限り、塔の外に出て魔法を使うことは許されないはずだった。


 彼は腰に大剣をさしていたがよく見るとそれは剣型の杖だった。


 柄の部分には魔石が埋め込まれている。


 リンにとって見たことのない型の杖だった。


 リンは不思議に思って彼と目を合わせてギクリとした。


 まるで飢えた獣のような目をしていた。


「な、なんですか」


 リンは少し緊張しながら聞いた。


 彼はリンの緊張を見て取ったのか、剣呑さを内に潜め、朗らかにニッコリと笑う。


「クルーガってやつ知らねぇ? 探してんだけど」


「えっと……クルーガさんは学院を卒業したので、100階層にいます」


「あれ? そうなの?」


「あ、でも今日は午後からラージヤ先生の授業があるのでそこに行けば会えると思いますよ」


「お、マジで? ラッキーだな。君、ちょっとそこまで案内してよ」


「え? ああ、はい」


(なんだか強引な人だな)


 しかしリンは悪い気がしなかった。


 彼の朗らかさは人を自然に巻き込んで、むしろ喜んで巻き込まれたくなるようなところがあった。




「こんにちは。イリーウィア様」


「あらユヴェンさん」


 イリーウィアとユヴェンは学院の一角で和やかに挨拶した。


 ユヴェンはリンがいないのを見て内心ほくそ笑んだ。


 今日はリンを差し置いて彼女に取り入ることができそうだった。


 二人は一緒に廊下を歩きながらお話しした。


「ところでユヴェンさん。リンのことを見ませんでした?」


 イリーウィアが聞いてくる。


「ああ、リンなら飛行船から降りてきた変な人に連れて行かれるのを見ましたよ」


「変な人?」


「はい。学院魔導士の紅いローブを着ているくせに、何故か飛行船から降りてきて……」


「あの。もしかしてその人は腰に大剣を差していませんでした?」


「えっ? ええ、はい」



 イリーウィアはそれを聞くやいなや青ざめ、駆け出した。


(まさか。彼が帰って来たの?)


「ちょっ、イリーウィア様?」


 ユヴェンは訳も分からずその場に取り残される。


「なんなのよもう」




「クルーガさーん」


「おお、リンか。お前もこれから授業……っ」


 クルーガはリンを見て朗らかな笑みを浮かべた後、一緒にいる人物を見てサッと顔色を変える。


「あんた……ドリアス」


 クルーガは魔導競技で敵と相対する時のように鬼気迫った表情になる。


 ドリアスもまた先ほどの剣呑さをあらわにする。


「よお。クルーガ」


「帰って来てたのか」


 クルーガは警戒するように身構える。


 リンは事情が飲み込めず不安そうにして、二人の顔を交互に見比べる。


「久しぶりだな。どうだ。少しは成長したのかよ」


「……まあ外で遊んでたあんたよりはな」


 そう言いつつもクルーガは額に脂汗をかいていた。


「ほーう。なら確かめてやるよ。『杖落とし』しよーぜ。勿論防具も『城壁塗装』もなしでな」


「やめてくださいよ。俺はもうそういうのから卒業したんです」


 クルーガは取り合わないというようにそっぽを向いてしまう。


「なんだよ。つまんねーな。可愛がってやろうと思ったのによ」


「これでも忙しいんでね。失礼しますよ」


「ふーん。お前も丸くなったねぇ」


 クルーガは立ち去って行く。


 入れ替わりにイリーウィアがやって来る。


「ドリアス!」


「げっ。イリーウィア」


 今度はドリアスが慌てる番だった。


「帰って来ていたなんて。教えていただければ迎えに行ったのに。どうして教えてくださらなかったの?」


 リンはイリーウィアの様子を見て驚いた。


 こんな風にうろたえた彼女は初めて見た。


「ではリン君。僕はちょっと野暮用が出来たのでこれで失礼するよ」


 そう言うとドリアスは加速魔法で風よりも速くどこかへ立ち去っていってしまった。


 学院の廊下で加速魔法を使うことは禁止されているというのに。


 イリーウィアはドリアスが去るのを見守った後、リンの方に向き直った。


 肩を掴んで問い詰めるような目で見て来る。


 リンは彼女の必死な形相にギョッとした。


「リン。あなたどうしてドリアスと一緒に歩いていたの? 一体どういう関係? 彼はこれからどうするとか、何か言っていなかった?」


「えっと、ドリアスさんにはクルーガさんのところに連れて行くよう言われて、その後どうするかは何も聞いていません」


 リンは矢継ぎ早に質問されて狼狽したが、どうにかきちんと答えを返した。


「そう。そうですか」



 それだけ言うとイリーウィアは急に肩を落として悄然とする。


「ヘルド」


「はっ。なんでしょうか」


「本日のお茶会は欠席します。皆にはこう伝えておいてください。気分が優れないので部屋で安静にしていると」


「かしこまりました」


 それだけ言うとイリーウィアはフラフラとした足取りで危なっかしく廊下を歩いて行った。


 リンはポカンとしながらその様子を見守る。


 ドリアスの作ったのっぴきならない雰囲気にあてられて、次第に廊下が騒々しくなり始め、早速そこかしこで人々がある事ない事噂し始める。


「何? どうしたの?」


「ドリアスが帰ってきたって……」


「リンと一緒に歩いていたみたいだ」


「リン? なんでリンと……」


 リンは嫌な予感がした。


 何か得体のしれないことに巻き込まれているような……


「何をしている!」


 ラージヤが教室の前で鋭く怒鳴った。


 生徒達はギョッとして噂話をやめる。


「さっさと教室に入れ。噂話がしたいのならヨソへ行け!」


 鶴の一声で生徒達は教室の中へなだれ込んで行く。




 授業が終わると真っ先にヘルドがリンの元に来た。


「リン。ドリアスと知り合いなのか? 一体いつから付き合っている?」


「いえ、先ほどたまたま声をかけられて案内していただけです」


「ちょっとちょっとリン君。なんでドリアスと一緒に歩いていたの。どういう関係?」


 ナタが駆け寄って来て尋ねた。


 遠巻きにチノ、ローク、レダもこちらを見ている。


「えっと。ドリアスさんとは……」


「リン。探したぞ。ここにいたのか。ドリアスと一緒に歩いていたようだね。奴はどこに行った?」


 ティドロが息急き切って迫ってきた。


 リンは一辺に色んな人達から話しかけられてすっかり困惑する。


 するとユヴェンがにこやかな笑みを浮かべながらここぞとばかりに割り込んできて取り仕切り始める。


「まあまあ。皆さん。落ち着いて。リンも少し戸惑っているようです。何よりこんな所で立ち話もなんです。どこか落ち着いて話せる場所に行こうじゃありませんか」




 一同は大人数が話せる場所に来るとリンは中央の椅子に座らされ、先程と同じことを話した。


 皆初めは熱心に固唾をのんで見守っていたが、リンがあまり大した事情を知らないことを知ると、がっかりした様子になる。


 ラドスの四人組はさっさと立ち去り、ティドロも体良く断りを入れて立ち去った。


 ヘルドは残ってリンに事情を説明してくれた。


「ヘルドさん。ドリアスさんってどういう人なんですか? 学院魔導士なのに塔の外で活動しているなんて……」


「いわゆる天才だよ」


 ヘルドはドリアスのことについて語り始めた。


「僕もこの塔に来る前のことだし、当時はまだ子供だったからきちんと知っていることじゃないんだけれどね。ドリアスは幼い頃、イリーウィア様に才能を見込まれ魔導士としての修行ができるよう援助してもらった。戦地を彷徨う外国の傭兵の息子に対して異例の抜擢と言っていい」


 ヘルドは複雑そうな顔をしながら言った。


 彼も決してドリアスのことを快く思っていないようだった。


「彼は塔を訪れるや否やたちまちその才能を遺憾なく発揮した。初等クラスの時、すでに基礎魔法の大部分を修得し、偶然魔獣の森で遭遇した一つ目の巨人サイクロプスを質量の杖だけで倒した。中等クラスでは『魔導競技なんて子供の遊びだ』、と豪語し、それにキレて決闘を挑んできたクルーガを返り討ちに。すでにマグリルヘイムからの勧誘を受けていたし、イリーウィア様からも騎士団の訓練に参加するよう言われていたが、どちらの誘いも断る。高等クラスでは学院魔導士の身ながら遠征軍に抜擢され、数年間を遠征の地で過ごしたと言う。そして今帰ってきたというわけさ」


「すごい経歴の人なんですね」


「嫌われ者さ」


「どうして嫌われてるんですか?」


「今、言ったようにどこにも属さない一匹狼だ。取り立ててもらったにも関わらずイリーウィア様からの誘いも頑として断っているしね。それでいながらルールを破りまくっている。俺がルールだといわんばかりだ。見ただろう? 加速魔法で廊下を走り去っていくのを。あんなもの序の口だよ。にもかかわらず協会も教員共も彼を罰することができない。まごう事なき天才だからだ。1000階層、『天空の住人』の筆頭候補者だと言われている」


「ほえ〜」


 リンは感嘆の声を漏らしてしまう。


「イリーウィアさんはどうしてあんなにうろたえていたんでしょう」


「まあ……古い付き合いだからね。ドリアスもドリアスだよ。あれだけ取り立ててもらいながら。恩知らずな奴だ」


 ヘルドは言葉を選びながら言った。


 リンはイリーウィアの事情をなんとなく察した。


(王族と言ってもなんだかんだ言って人間関係には悩むものなんだな)


 しかしリンはこのことを前向きに捉えることにした。


(あのドリアスって人とイリーウィアさんとの仲を取り持てば、恩返しできるかもしれない)




 次の週、イリーウィアは先日の取り乱しなんてまるでなかったかのように普段通りニコニコとした笑顔でリンの元に現れた。


 数日前、ドリアスはアルフルドの街を離れており、その知らせは街中に伝わっていた。


 しばらく帰って来ないということだった。




 次回、第111話「妹弟子」

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