第106話 元700階の男

「やっほー。リン」


 リンは教室に行く途中でテリムと鉢合わせた。


「テリム。君もラージヤ先生の授業?」


「うん。その様子だとリンも受けるようだね」


 二人はユヴェンを挟んで微妙な距離感を保っていた。


 周囲には二人をライバル関係とみなす向きもあったが、お互い揉め事を好まない性質から周りの雰囲気に左右されることなく上手くやっていた。


 実際、二人はこうして歩いていてもなんの問題もない友人同士に見えた。


 二人が教室に入るとそこは人々でごった返していた。


 ラージヤの建築魔法は高等クラスでしかも高額な授業なため、限られた人しか受講できないはずだが、それにも関わらず教室には溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。


 リンはこのような混んだ授業には久しぶりに参加した。


 学院魔導士だけでなく、空色のローブを着た100階層の魔導士、紫色のローブを着た200階層の魔導士、黄色のローブを着た300階層の魔導士までいる。


「今日はテオと一緒じゃないんだね」


「ああ、あいつ一回目の授業は受けないんだ」


「彼らしいね」


 テリムはクスクス笑いながら言った。


「イリーウィアさんと一緒に授業を受ける約束してるんだけど……まだ来てないのかな」


 リンは教室を見渡してイリーウィアの姿を探してみるが見当たらない。


「じゃ、来るまで二人で話そうか」


 テリムが言った。


 二人は人々の間を縫うようにして空いている席に辿り着いた。


「テリムはもう卒業後に入るギルド決まったんだよね」


「ただのコネだよ。アリント系の貴族が多数所属しているギルドだからね」


 テリムは苦笑いしながら言った。


「リンこそ王室騎士団に入るんだろ?」


「いやぁ、まだ決まってないよ。誘われただけで。本当に入れるかどうか……。それにしても凄い人出だね」


 リンはあらためて教室の中にいる人間の多さに驚かされた。


 その多さもさることながら顔ぶれも凄かった。


 ほとんどは知らない人ばかりだが、知っている人達もいた。


「リン。知り合いいる?」


「うん。ほらあそこにいるのティドロさんとヘイスールさんだよ」


「ああ、マグリルヘイムの」


 他にもスピルナ人ではクルーガやナウゼ、ラディア。


 ラドスの四人組、ラドスの上級貴族シュアリエ、ディエネ。


 クルーガはリンを見ると軽く手を上げてくる。


 ナウゼとラディアはこちらを見ようともせず通り過ぎた。


 ラドスの四人組の反応は以前と少し変わっていた。


 ロークだけは相変わらず苦々しい表情を向けてくるが、他の三人は以前のように敵視するような態度を向けてくることはなかった。


 その代わりに奇妙な親しみを込めた視線を向けてくるようになっていた。


 リンは彼らのこの視線に覚えがあった。


 ユインが以前自分に対して向けていた、商品を見るような目と同じだった。


 いずれにしても集まっているのは皆、そうそうたるメンバーだった。


「凄いね。身分も実力も一級の人達ばかりだ」


「そりゃあラージヤ先生の授業だからね」


「ラージヤ先生ってそんなに凄いの?」


「うん。一時は700階まで到達して『天空の住人』に届くんじゃないかと言われた人だよ」


「へえ〜」


「ま、今では落ちぶれて、しがないアルフルドの一教員だけれどね」


 テリムは素っ気なく言った。


 自分は彼とは違うというと言わんばかりだった。


 リンがテリムとしばらく話していると、アイシャが近づいてきた。


 リンに話しかける。


「お迎えにあがりましたわ。王子様。姫様がお呼びですわよ」


 アイシャは皮肉っぽい調子でそう言いながらイリーウィアの座っている席を指し示した。


 彼女がご機嫌斜めなのはその表情を見れば明らかだった。


 私を迎えに来させるとはいい度胸ね。


 そう言いたげだった。


(やべ。もうイリーウィアさん来てたのか)


「じゃ、僕は行くよ」


 リンはテリムにニッコリと笑いかけてそう言った後、席を立ち上がる。


「うん。僕の友達も来たみたいだ。またね」


 二人はにこやかに別れる。


 リンはアイシャと一緒にイリーウィアの座っている席に向かった。


 リンは教室でのイリーウィアを見て新鮮な気持ちになった。


 彼女は親しい女生徒と一緒に談笑して、友人達と一緒に教室の一隅に華を添えていた。


 その姿からお茶会でのお姫様ぶりは想像できない。


 今の彼女はただの女学生にしか見えず、それは親しみのもてる姿だった。


 リンは初めて彼女と会った時、お姫様と言われてもすぐには信じなかったことを思い出した。


「あら。リン。よく来ましたね。こちらにいらっしゃい」


 イリーウィアは友達への挨拶をひとしきり終えるとリンを自分の隣に来るよう手招きした。


 リンは借りてきた猫のように控えめな態度で彼女の隣に座った。


 彼女と机を共にするというのはなんとも妙な気分で緊張した。


 ふとリンは頭に何かぶつけられるのを感じた。


 紙くずが床に転がっている。


 誰かが自分に向かって投げたのだと分かった。


 振り返ってみると遠くの机に座っているユヴェンが恨めしそうな顔をしている。


 その顔はまさにこう言っているようだった。


(イリーウィア様が教室に来るならどうして私にも教えてくれないのよバカ。せっかく取り入るチャンスだっていうのに!)


(いや、僕も今さっき知ったところなんだって)


 リンとユヴェンは口パクと身振り手振りでコミュニケーションをとった。




 やがてラージヤが教室に訪れる。


「授業を始めるぞ」


 ラージヤは教室の様子など一顧だにせず講義を始めようとする。


 まだ立って談笑していた生徒達は慌てて席に着く。


 彼らは一様にそれまでの緩んだ表情を引き締めて真剣な顔つきになった。


 700階まで到達した男の話を聞き逃すまいとして。


 彼は自己紹介や授業の説明すらしなかった。


 自分のことは知っていて当たり前。


 授業の内容も事前にチェックしているのが当たり前。


 そう言わんばかりだった。


「魔導師はこの塔で何を残すのか。発明した魔法、上階に到達した栄誉、それもあるだろう。しかし魔導師としてその生きた証を刻む最も確かなもの、それは魔法による建築物だ。実際、建築魔法は塔の根幹を支える魔法と言っても過言ではない。魔導士は学院を卒業したその瞬間から塔に住む権利を有する一方で設備を維持・改築する義務がある。ここグィンガルドの塔において建築は政治とも密接に関わっており、より広域の建造物をカバーした者はそれだけ多くの支援者を得ることにもつながる」


 リンは授業を聞きながらラージヤの容貌を観察した。


 鼻にまで刻まれた深い皺。


 真白に染まりきった髪。


 そのようなもはや老境に達しようとしている容姿にも関わらずその双眸は今だにギラリと光り、威圧する迫力があった。


 話し方にもこちらを畏まらせ真剣にさせる厳かさがこもっている。


 背筋もピンと張り詰めており、その歩く様からはとても老人とは思えない。


 しかしそれでいながらどこか虚勢を張っているような印象をリンは持った。


 まだ俺は終わっていない。


 そう言っているかのような。


 リンはなんとなくシャーディフを連想した。


 ラージヤは授業を続けた。


「魔導師の建てる建物は多岐に渡る。家、倉庫、工場、議場、道路、城郭、橋梁、運河、鉄道、エレベーター、船舶、港、そして塔だ。この授業ではそれぞれの建て方についていちいち説明する気はない。そんなことは各々他の授業においてすでに学んでいるだろうし、自分が建てるべきものについて各々研究に励んでいるはずだろう。この授業においては全てに応用できる普遍的な原則のみ授け、もっぱら実践を中心に授業を進めていく」

 ラージヤはぐんぐん授業を進めていく。


 前提となる知識は備えていて当然とばかりに基礎を振り返ることなど決してしない。


 設計、基礎工事、骨組み、外装に関する原理を凄まじい速さで説明していく。


 生徒達は授業についていこうと必死でノートを取っていた。


(初めの授業なのにすごいスピードと密度だな)


 リンはついていくのに四苦八苦しながらノートを書いていく。


 高等クラスになってからだんだん授業についていくのが大変になっていたが、その中でもラージヤの授業は別格で内容が濃かった。


 少しでも聞き逃せばすぐに置いていかれそうなくらいに。




「では今日の授業はここまでだ」


 ラージヤがそう言った瞬間教室に弛緩したような空気が流れる。


 皆んな全力疾走したような心地よい疲れに包まれていた。


 リンはぐったりした様子でペンを置いた。


 急に密度の濃い知識をたくさん詰め込まれて、頭の中はグチャグチャになっていた。


 その場にへばってしまう。


「ふふ。お疲れ様でした」


 イリーウィアがねぎらいの言葉をかけてくれる。


「もうダメです。今日は何も考えられません」


 彼女は涼しい顔をしている。


 あんなに難しい話を一遍に聞いたというのに平気なのだろうか。


「最後に。科目要綱にも書いていたことだが、この授業では自由課題を君達に提出してもらう。各々、研究したいと思っている建物について所定の紙に記入し、提出するように」


 生徒達に紙が配られる。


 リンとイリーウィアは記入していく。


「リンは何を自由課題に選ぶのですか?」


 イリーウィアがリンの手元を覗き込む。


 彼女の顔が近づいてきて、栗色の艶やかな髪がリンの耳元で揺れる。


 それだけでリンは緊張してしまう。


「僕は飛行船を造ろうと思っています」


「飛行船ですか?」


「はい。魔導競技で、光魔法と水は相性がいいことが分かったので。何か海や河川に関連するものを課題に選ぼうかと……」


「ふむ。なるほど」


 本当はアトレアの灯台建設に一枚噛みたいためだが、そのことは伏せておいた。


 授業が終わり生徒達はパラパラと帰路についていく。


「ではリン。一緒に帰りましょうか」


「えっ? は、はい」


 リンはイリーウィアと一緒に帰り支度を始めた。


 今日は王室茶会の日だった。


 リンはイリーウィアと並びながら学院の廊下を横切る。


 廊下で待っていたデュークは苦々しげに二人の後に続く。


「イリーウィア様。私もお供します」


 慌てて後を追いかけてきたユヴェンが言った。


「あらユヴェンさん。ではみんなで一緒に行きましょうか」


 イリーウィアはヘルドやアイシャも伴って学院の外に出る。


 イリーウィアは彼らを伴いながらもリンにばかり話しかけた。


 二人は和やかに話しながら学院の出口に向かった。


(いいのかな。イリーウィアさんと一緒に会場入りしちゃって)


 リンにはイリーウィアが心なしか羽を伸ばしているように見えた。


 リンは知らないが、それは彼女が何事か企んでいる時の仕草だった。




 彼女は屋外に出たところで急に召喚陣を描いた。


 周囲の人間は彼女の急な動作にギョッとする。


 リンとイリーウィアの周りに旋風が巻き起こる。


「イリーウィアさん? 何を……」


「折角なのであなたの特訓の成果を見てあげましょう」


 リンはいつの間にかグリフォンの背中に乗り、手綱を握っていた。


 イリーウィアがリンの後ろに座る。


「王室茶会の会場まで私をグリフォンで連れて行ってくださいな」


「ちょっ、そんないきなり……」


「イリーウィア様。私も乗せてください」


 ユヴェンが甘えるように言った。


「ふむ。ではアイシャ。彼女はあなたが連れて行ってあげてください」


「は、かしこまりました」


 ユヴェンはリンを睨んだ。


(いや、僕の方を睨まれても……)


「では出発です。飛び立ちなさい。グリフォン」


 グリフォンは翼を広げて天空に飛び立つ。


 いつも通りデュークが慌てて後を追った。


 グリフォンは旋風を纏いながら物凄いパワーとスピードでその巨大な体躯を推進させていく。


 リンはなんとかグリフォンを操ろうと試みる。


 イリーウィアのグリフォンは他よりも一わまり大きくて安定感があったものの、その分気性が荒く、気を抜くとすぐに暴れだしそうであった。


 上空から見たアルフルドの街は素晴らしい景色だった。


 高層の建物が立ち並び地上を赤いローブを着た魔導師達が行き交っている。


 しかしリンにそれを楽しむ余裕はない。


 リンはアイシャに教えてもらったことを必死で思い出す。


(手綱と魔法語でグリフォンに意思を伝える。高度とスピード、進路に注意を払いつつ、振り落とされないよう姿勢も気をつけて……)


「グリフォン。そのままの高度とスピードを保って……、そうそのまま……、うわっ」


 リンはグリフォンに魔法語で指示を送るが、グリフォンはリンの要求する飛び方に満足がいかないらしく、しきりにより高く、より速く飛ぼうとする。


 リンは建物にぶつからないよう手綱でグリフォンの行く先を必死に操るのだった。


(くそっ。言うことを聞かない。イリーウィアさんはいつもこんなじゃじゃ馬を乗りこなしていたのか)


「ふうむ。まだたどたどしい飛び方ですねぇ」


 イリーウィアが後ろから脂汗をかいているリンとは対照的に余裕のある声で言った。


 上空数十メートルにも関わらず。


「大丈夫です。任せて下さい。僕にだってこれくらい……」


 リンは彼女にいいところを見せようと躍起になった。


「ふふ。こうしているとあなたと会った時のことを思い出しますね」


 イリーウィアが感慨深げに言った。


「もうかれこれ3年ですか。あなたも随分と背が伸びました」


「そう言えば。いつの間にかイリーウィアさんに追いついちゃいましたね」


 リンは必死に手綱を握りしめながら返答する。


「ああ、ダメですよ。そんなに引っ張っては。グリフォンは繊細なんですから」


 彼女はリンの腕に触れて力を抜かせる。


「わっ、すいません」


 そうして彼女にあれこれ指導されているうちにどうにか高度を保てるようになる。


「ふう。ここまで軌道に乗ればどうにか……」


「そうですか? では、えいっ」


 イリーウィアが杖を振ってグリフォンの尻尾を引っ張る。


 するとグリフォンは急に鳴き声を上げて体を揺らし暴走する。


 高層の建物に向かってものすごい速さで突っ込んでいく。


「ちょっ、ファッ!?」


 リンの眼前に建物が迫ってきた。


 このまま行けば壁に激突して二人は衝撃にさらされるだろう。


 高度数10メートルの上空でそんなことになれば、その後どうなるかは目に見えている。


 リンは死を覚悟して青ざめた。


 しかし建物にぶつかる直前イリーウィアが次元魔法を発動させる。


 二人と一匹は建物の壁に描かれた魔法陣に吸い込まれ、異空間を通り抜ける。


 異空間の先は塔の外だった。


 リンの眼下にはグィンガルドの街並みと商人たちがひしめく大通りが見える。


(し、死ぬかと思った)


 リンは生きた心地がせず青ざめたままグリフォンの首にしがみつく。


「ちょっとイリーウィアさん。酷いですよ」


「ふふ。まだまだ修行が足りませんね」


 イリーウィアは上空の風圧にさらされる髪を手で押さえながら言った。


 高度数100メートルのこの場所には強い風が吹いていた。


 グリフォンは二人を乗せたままゆったりと塔の外周に沿って飛び続ける。


「どうです? このまま魔獣の森に狩りに行きませんか?」


「えっ!? 今からですか? お茶会に行くって言ってたのは……」


「デューク達を撒くための嘘です」


 イリーウィアはしれっと言った。


「グリフォンは森の中でこそ真価を発揮します。いい訓練ですよ。さあ」


 リンは戸惑いながらもイリーウィアに導かれるまま手綱を操りグリフォンを森に向けて回頭させる。


 二人を乗せたグリフォンは塔の北側にある魔獣の森へと飛んでいく。



 次回、第107話「放課後の魔獣狩り」

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