第91話 ユインの助言

 リンは衣装部屋を出てユヴェンやアルマに事情を話した後、手頃な空き教室に駆け込んだ。


 机の上に裂かれた服を広げ、改めて検分する。


「一体誰が……どうしてこんなこと」


「間違いないわ。リンに嫉妬しての犯行ね」


 ユヴェンはすぐにそう断定した。


「リンがイケてる友達に囲まれたり、姫様のお気に入りになったりしてるのを見て悔しがって犯行に及んだのよ。身分が低いくせにいい思いしやがって、許せないってね」


「いや、さすがにそう決め付けるのは早計じゃ」


「いいえ。間違いないわ。だって私が同じ立場だったら同じこと思って同じことするもの」


「なるほど。説得力あるな」


 アルマが言った。


「リン、やり返さなきゃダメよ。犯人を突き止めてみんなに言いふらすの。私ならこの塔に居られなくなるまで追い詰めてやるわ」


「う、うん」


 リンはユヴェンにそう言われて勇気付けられたものの同時に背中に冷や汗をかくのを感じた。


 ユヴェンは絶対に敵に回してはいけないタイプだ。


 例えば彼女が敵と見なせば執念深く相手を追い回し、追い詰め、息の根を止めるまで執拗に嫌がらせをしてくるだろう。


 以前はリンがターゲットだったのだ。彼女はリンを監視して、虎視眈々とリンの弱みを探していたに違いない。


 ユヴェンを王室茶会に連れて行ったのはファインプレーだったかもしれない。


 もしユヴェンを連れて行かなければ後でどんな嫌がらせを受けていたことか。


 リンはユヴェンが味方でいて良かったと思うのであった。


 その日、結局リンはユヴェンに言伝を頼んでパーティーを欠席することになった。




「はい。直ったよ」


 ザイーニが紅色の衣をリンに手渡す。


 そこにはほぼほぼ以前と同じ状態まで修復された砂漠色の衣があった。


 パッと見では八つ裂きにされた後とは分からない。


「ありがとうザイーニ。これがないとパーティーに行けなくなるところだったよ」


「僕が服飾魔法の授業を受けていて良かった」


 ザイーニはそう言ってリンに微笑む。


 ここはリン達の会社の事務所。


 リンはユヴェンと別れた後、会社に戻ってザイーニとテオに相談していた。


「もっと厳重に保管しなくちゃダメだよ。滅多に手に入らない高級な生地なんだから」


「やっぱりそうなの?」


「ああ、この服は虹蚕という七色の体色を持つ虫から取れる絹でできている。魔法による染色と相性が良くて、他の織物では再現できないような複雑な紋様と鮮やかな色合いを表現できるけれど、虹蚕の飼育をウィンガルド王室が、染色技術を塔のギルド『王家の仕立屋』がそれぞれ独占していて、王国と塔の莫大な収入源の一つになっている。生産量が少なくて価格がバカみたいに高いから、上級貴族御用達のブランドとして確立しているけど、その中でもこれは最高級の品だよ。高位魔導師や上級貴族でもおいそれと手に入れることはできない」


 ザイーニは品定めするように指でなぞって衣の手触りを確認する。


「アルフルドにいる魔導師でこれほど上等なものを着ているのは、イリーウィアを除けば君くらいじゃないかな」


「へ、へえそうなんだ」


(いいのかな。そんな貴重な代物を僕が持っていて)


 リンは自分が借りている物の価値を再認識し、思わず震えた。


「しかし一体誰がこんなことを……」


 ザイーニが考え込むように腕を組んだ。


「衣装室とロッカーには鍵がかかってなかったんだろ?」


 テオが聞いた。


「うん。一応関係者以外立ち入り禁止だけど……」


「じゃあ、誰でも犯行は可能ってことか」


「でもロッカーには名札が付いていないし、普段から衣装部屋に入る人でないと僕の服って判別できないと思うよ」


「そうなるとやはり王室茶会に参加している貴族階級の者が犯人か」


「わかんねーぞ。そうと見せかけて実は平民階級のやつが、前々から入念に犯行を計画していて、リンのロッカーの位置を把握していたのかも」


「おい、まさかルシオラじゃねーだろーな。あの女が俺達に復讐するためにアルフルドまで来たんじゃ……」


 アルマが恐怖に怯えきった顔で言った。


「まさか。腕を斬られたんだ。当分はまともに外出も出来ないだろう」


「他にリンを恨んでいる奴といえばラドスの4人組かな。あいつらはリンが王室茶会に出ることに嫌な顔をしてたし」


「いや待てスピルナの二人組も怪しい。あの二人もリンに対して急によそよそしくなったし」


「あるいは平民階級のやつかも。俺達のこと妬んでる奴らが相当いたからな」


 テオとザイーニはその後も疑わしい連中を挙げていったが、それはどれだけ挙げてもキリがなかった。


「お前ら恨まれ過ぎだろ……」


 アルマが呆れたように言った。


「しかし妙だな。この裂き方。服飾魔法で直せるようにわざわざ縫い目に沿って裂かれている。一体何が目的でこんなことを」


 ザイーニは自分の補修跡を見ながら思案する。


(直せるようにしたということは……今日だけリンがパーティーに行くのを阻止したかった? 一体なぜ? 誰がこんなことを……)


 ザイーニは考え込むが答えは出ない。


「とにかく今後はもっと厳重に保管しとけよ。どこの誰に狙われるとも限らないんだからさ」


 テオが釘を刺すように言った。




 ユインとの面談。


 リンとユインの間には相変わらず微妙な緊張感があった。


 お互いに余計なことを言わず、相手のことに踏み込まず、必要なことだけ話して淡々と進める。


「迷宮魔法のレポートを見たよ。随分出来がいいじゃないか」


「ええ。実際に迷宮を探索してからは、魔法のイメージがしやすくなりました」


「そうか。200階の魔導師に狙われたのは気の毒だったが、怪我の功名だったかもしれないね」


 リンはすでにルシオラの件をユインに話していた。


 ユインは一応心配して同情の念を示した。


 型通りの挨拶の域を出ない、社交辞令の範囲ではあるが。


「今日はこのくらいかな」


 ユインはリンと話し終えた時に毎回見せる疲れた表情になって一息つく。


 リンも緊張から解放されて少しくつろいだ。


「時にリン。今月はイリーウィアのパーティーに行かなかったそうだね」


「ええ、少し事情があって」


「事情? そりゃまたどんな」


 リンは少し話すのを躊躇ったが、話すことにした。


「実は嫌がらせを受けたんです」


「嫌がらせ?」


「ええ、ロッカーに入れておいたはずのパーティー用の服がズタズタに裂かれていて」


「ふぅん。それは気の毒だったね」


 リンはユインの言い方を不審に思った。


 彼にとって王室茶会に関する報告はリンとの会談において一番の関心事なはずだった。


 彼は王室茶会の情報と引き換えに面談を引き受けていると言っても過言ではない。


 なのになぜか行けなかった原因について深く詮索することも問い詰めることもしない。


(ひょっとして師匠は何か知っているのかな)


 リンは試しに聞いてみることにした。


「あの、師匠はもしかして犯人に心当たりがあったりします?」


 そう言うとユインは意味ありげにニヤリと笑った。


「さあ? どうしてそう思うかね?」


「なんとなくです。師匠は僕の知らないことを色々知っているので」


「心当たりがある、と言ったらどうするつもりだい?」


「教えてくれませんか?」


「聞かない方がいいと思うけれどね」


 リンは少しひるんだ。


「僕は大丈夫です。師匠さえよければ聞かせてください」


「そうか。君がそこまで言うなら、まあ教えてやるのもやぶさかではない」


 ユインはいかにも仰々しい感じで言った。


「君の服をズタズタにした犯人。それは……」


 リンは固唾を飲んでユインの次の言葉を待つ。


「ユヴェンティナ・ガレットだよ」


「!? はっ? えっ?」


 リンはあからさまに動揺した。


 ユインは貴族としての品格と師匠としての威厳を崩さないよう努力したものの、内心では可笑しさを抑えきれないようだった。


 顔には隠しきれない喜色を浮かべていて、唇の端は歪んでいる。


(まさかそんな。どうして……)


 リンはユヴェンが自分を王室茶会から遠ざけたがる理由について考えてみる。


 しかし思い当たることはない。


 むしろ彼女にとって、リンは今のところ王室茶会との唯一の接点。


 彼女にとって手放したくない重要な人脈なはずだ。


「冗談でしょう? 彼女が一体どうして。どうしてそんなことをするっていうんです? だいたいなんで師匠がユヴェンのことを知ってるんですか。僕、彼女と親しいってこと師匠に話しましたっけ?」


「君に独自の情報源があるように私にも独自の情報源がある。それだけのことだよ」


(まさか。監視されてる? 一体どうやって)


 リンは記憶を遡ってみた。


 ユインに何か魔法をかけられたかどうか。


 しかし覚えはない。


 そもそも魔法をかけられれば何らかの痕跡が残るはずだった。


「おかしいですよ。だって彼女は王室茶会に行きたがっていたし、僕が一緒に行かないと不自由するのは分かっているはず」


「そう。だから服も直せる程度に裂いた。そうだろう?」


「そんな。師匠、どうせまた僕を脅かすためにいい加減なこと言ってるんでしょう? その手は食いませんよ」


「リン。もう彼女、ユヴェンティナと付き合うのはやめた方がいい」


「なっ……」


「これ以上彼女と付き合えば、君は必ず後悔することになる」


「そんな……そんなのどうして師匠に分かるっていうんですか。そんないい加減なこと……」


「彼女ははっきり言って異常だよ」


「勝手なこと言わないでください!」


 リンは叫んだ。


「誰と付き合おうと僕の勝手でしょう? あんただって本当は僕のことどうだっていいと思ってるくせに。こんな時だけ保護者ヅラしないでくれ!」


 ユインは肩をすくめる。


 それを見てリンは顔を赤くした。


 自分が動揺して興奮したことを悟られたようで恥ずかしかった。


「だから聞かないほうがいいって私は言ったんだけれどね。まあ誰と付き合おうと君の勝手だ。それに口を挟むつもりはないよ」


「っ」


「今日の面談はここまでだ。これ以上は何も話し合えまい。次の面談までにしっかり頭を冷やしておくように」




 リンは面談を終えた後、心ここに在らずといった様子でフラフラと学院に登校した。


 教室に入って席に着く。


「リン。おはよう」


 リンは不意に声をかけられてギクリとした。


 ユヴェンだった。


 ついつい身を固まらせてしまう。


 リンはこの授業をユヴェンも受講していたことをすっかり忘れていた。


「どうしたの? 何かあったの?」


 ユヴェンは普段と違うリンの様子に首を傾げながらこちらを見てくる。


 リンもドギマギしながら彼女のことを観察した。


 彼女の仕草に一切の邪気は感じられなかった。


 彼女は本心からリンのことを心配しているようだった。


「ううん。なんでもないよ」


「そう? なんだか顔色が良くないわ」


「大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけ」


「ふぅん。なんだか分からないけれど。あんまり無理しちゃダメよ」


「うん。ありがとう」


 ユヴェンはそのままリンの隣に座って授業の準備を始める。


 その様子に普段と違うところなんて何一つなかった。


(やっぱりユヴェンがあんなことするなんて変だよ。きっと師匠は何か思い違いをしたんだ。それか僕への支配を強めるためデタラメ言って脅かそうとしたか)


 リンはユヴェンを見て改めてその考えを強くした。


 むしろユインこそが真犯人じゃないか。そんな気さえしてくる。




 王室茶会の日。


 リンはユヴェンと一緒に90階層行きのエレベーターに乗り込んだ。


 リンもユヴェンもイリーウィアに貸してもらったパーティー用の衣装を着ている。


 リンは以前の事件以来、砂漠色の衣を厳重に保管していたので再び裂かれることはなかった。


 ユヴェンの顔色をチラリと見る。


 彼女は腕を組んでいつになくピリピリした様子で神経質そうに窓の外を見ていた。


 どうも機嫌が良くないようだった。


 お茶会に行きたくないのかな、とリンは思った。


「ねえリン」


「ん? 何?」


 急に話しかけられて、リンは思わず声を上ずらせてしまう。


「アイシャって人いるじゃない。ウィンガルド上級貴族の……」


「ああ、あのなんというか向上心が強そうな感じの……」


「あの人とね。もうこれ以上深く付き合わない方がいいと思うの」


 リンは首筋がヒヤリとするのを感じた。


「へえ。またどうして?」


 緊張を悟られないよう、なるべく普段通りの声色になるよう、リンは努力しなければならなかった。


「上手く言えないけれど。あの人性格悪いと思うわ」


「そうかな」


「そうよ。イリーウィア様は優しいけれど。あのアイシャって人は私達のことなんだか蔑んだような目で見ている。そんな気がするの」


 リンは曖昧な笑顔を浮かべた。


「ね、リン」


 ユヴェンは急に懇願するような、甘えるような態度になって、猫なで声で瞳を潤ませながら顔を近づけてくる。


「思い出して。これまでで私が間違ってたことなんてないでしょう? ルシオラの時だって彼女は悪人だって見抜いたし、その通りだったじゃない。いつだって私はあなたのためを思って忠告してきたわ。今回も同じよ。確かに証拠はないけれど。それでも私の直感が言ってるの。あいつは性悪女だって。お願い。私の言うこと信じて」


 リンは機嫌をとるようににっこりと笑った。


「分かったよ。君がそこまで言うのなら、もうアイシャさんとはこれ以上付き合わないようにする」


 ユヴェンの顔が急に晴れやかになる。


「私のこと信じてくれるのね」


「もちろんだよ。それに僕も彼女のことはちょっと感じ悪いなと思ってたんだ。上手く言えないけれど」


「そうよ。何だか感じ悪いわあの人。よかったわ。私の言うこと分かってくれたみたいで」


 ユヴェンはリンの腕に抱きついてくる。


「さ、楽しいパーティーの時間だわ。先月は休んじゃったんだから。今月はうんと楽しまなきゃ」


 そのうちユヴェンはリンにしなだれかかって体重を預け、肩に頭を乗せるくらいに密着してくる。


 リンは自分の二の腕に彼女の胸が当てられているのを感じた。


 まだ成長途中のふくらみではあるけれど、リンからすればうろたえるのに十分なものだった。


 なにせユヴェンとここまでくっついたことなんて今までにない。


 リンは彼女の態度にドキドキした。


(大丈夫だよ。僕とユヴェンはきっと上手くやっていける。師匠の言うことなんて気にする必要ないさ)


 エレベーターが90階に着くまでの間、二人は寄り添いあって、お互いの体温と感触を楽しんだ。



 次回、第92話「アディンナの危機」

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