第88話 迷宮の中の迷宮

「くそっ、ダメだ」


 テオが壁を拳で叩いた。


 彼らの前にはルシオラの出現させた迷宮が横たわり、今まで通ってきた道をふさいでいた。


 彼らに開かれた唯一の道は、長々と続く壁がわずかに途切れた場所、不気味に口を開けている迷宮の入り口だけである。


 テオはルシオラが出現させた迷路の長さを簡単に測量した。


 壁の厚み、通路の幅、そして今まで歩いてきた距離。


 その結果どれだけ迷路が短くても攻略に1日はかかることがわかった。


「この規模の迷路じゃ、道を間違えずに絶えず走ったとしても元の場所に戻るのに2日はかかってしまう」


「しかし、それではアルマの治療が間に合わないぞ」


 ザイーニが言った。


 アルマは顔にスカーフをかけられたまま横たわっている。


 先ほどの爆破によって火傷と裂傷により顔の表面はグチャグチャになってしまった。


 呼吸が不規則でいかにも苦しそうだ。


 ザイーニが先ほどからアルマの治療にあたっているが、彼はうめき声を上げ続けていた。


「僕ではこれ以上の治療は無理だ。すぐに医務室まで連れて行かないと」


「それよりもリンよ。あいつが迷路の中に一人でいるのよ。早く助けないと」


「壁を破壊してまっすぐ進めないのかい?」


「無理だ。この厚さと材質。僕たちの質量と加速度では破壊するのにかえって時間がかかる」


「発火魔法なら? どうにか火を起こして燃焼させればいいんじゃないの」


 ユヴェンが言った。


「それも無理だ。無魔の霧のせいで妖精は使えないし、それにこの材質には類焼性がない。爆破できれば別だけれど。僕達はまだ炸裂魔法を習っていない」


「それじゃあ……」


「退路は完全に断たれた」


 テオは悔しそうに迷路の壁を見つめる。


「ルシオラの迷宮に入ればどんな罠が待っているかわかったもんじゃない。間違いなく時間を取られるし、下手をすれば命を落とすこともありうる。アルマを間に合わせるためには、……別のルートを辿るしかない」


「……リンは?」


「今はアルマの方が優先だ。リンのことは……信じるしかない」




「参ったな」


 リンは迷宮の中をさまよいながら一人呟いた。


 ルシオラの作った迷宮は先ほどまで居ただだっ広い迷宮と違い、狭い道で、両側の壁が手を伸ばせばすぐ触れられるところにまで迫っていた。


 それは一直線の道の中で逃げる場所も隠れる場所もないことを意味した。


 迷宮は入り組んでおり、暗くて不気味だった。


 得体の知れない迷宮で、リンは曲がり角に差し掛かるたびに物陰に何か潜んでいるような気がして仕方がなかった。


 通路の向こうから、あるいは後ろから急にルシオラが現れるんじゃないかとビクビクしながら進むほかなかった。


 リンは寒気に身震いした。


 先ほどまではどちらかというと暑かったが、ルシオラの出現させたこの迷宮の中は妙に寒かった。


「テオ達と完全にはぐれちゃった。壁も破壊できないし、自力で迷路の出口に辿り着くしかないな」


 リンは分かれ道に辿り着く。


 道は右と左に分かれていた。


 リンは右の道を選ぶ。


「テオ達は大丈夫かな。迷宮には飲み込まれていないように見えたけれど。アルマの怪我は……」


 リンが独り言を言っていると背後から獣の雄叫びのような音が聞こえてきた。


 リンは思わず振り返る。


 しばらく息を潜めて気配を殺しじっとする。


(今のは魔獣の鳴き声?)


 魔導師の出現させた迷宮に魔獣が待ち構えているのは十分ありうることだった。


 獣の鳴き声は一度鳴り響いた後、しばらく聞こえてこない。


 もしかしたらただ風の音を聞き間違えたのかもしれなかった。


 リンは杖を持つ手をさらに強く握りしめた。


 キマイラやケルベロスを思い出す。


 あれらの魔獣はイリーウィアやユヴェンの援護のおかげで倒すことができたが、果たして一人で遭遇して倒すことができるだろうか。


 嫌な汗が額を伝わった。


 リンはしばらく警戒した後、何も起きないのを確認するとまた迷宮を歩き始める。


 すると今度はリンの胸元にいるレインが「キッ」と鳴き声をあげて丸まる。


 どうやらこの先から危険を感じているようだった。


「この先に危険があるということかい?」


 リンは道の先に神経を集中させる。


 かすかに魔力の気配が感じられた。


 指輪は光っていない。


 明白な敵意が向けられているわけではないようだった。


(魔獣がいるのかな。あるいは何か罠が仕掛けてあるのかも。さっきの道は左に行くべきだったか)


 リンは来た道を戻ることにした。


 先ほど聞こえた獣の唸り声が気にかかったが、道を戻るにつれてレインは落ち着きを取り戻していく。


 リンはホッとして足を速める。




「くそっ。ここもダメか」


 テオは道を塞ぐ迷宮の壁を見て舌打ちした。


 テオ達はルシオラの迷宮を迂回してやり過ごし、アルフルドに復帰する道を探していた。


 しかしどれだけ回り道をとっても必ずその先にはルシオラの迷宮が待ち構えており、どこまでいっても彼らの退路を阻んでいた。


 しかも負傷したアルマを抱えているためどうしてもその歩みは遅くならざるを得ない。


 彼らの苛立ちと焦りは募る一方だった。


 テオはザイーニと交代でアルマを抱えながら進む。


 ユヴェンは先頭を歩いてこちらを見ている魔導師を牽制していた。


 貴族階級の証である白銀の留め金がなるべく彼らに見えやすいように胸を張って。


 彼女は貴族階級のため攻撃される心配はなかった。


 しかし自分たちを見つめる視線は徐々に多くなっていく。


「おい、なんかさっきより見られてる気がしねーか」


 テオが言った。


「ああ、なんだか集まってきているような感じだ。しかも近づいてきている」


 ザイーニが言った。


 三人はだんだん不気味になってきた。


 一応今の所、彼らに敵意は無いようだったが、多人数になれば何をしでかすか分からなかった。


「まさか貴族に対して手を出したりはしないでしょうね」


「ありえなくは無い。命までは取らないだろうが、魔導師同士で戦いがあった場合、身代金目当てで貴族を誘拐することもあると聞いたことがある」


「ちょっと。冗談やめてよ」


 ユヴェンが青ざめながら言った。


 不意に三人の指輪がかすかに光り輝き始める。


 誰かが自分たちに敵意を持ち始めた証拠だ。


 三人に緊張が走る。


 奥の暗がりで何か枝の割れるようなパキッという音が鳴った。


 誰かの足音に違いなかった。


「誰だ!」


 テオが鋭く叫び指輪の光を向ける。


「君たちこそ誰だ。学院魔導師がここで何をしている」


 出てきたのは灰色の髪にメガネをかけた少女だった。


 眼鏡の奥からは鋭い眼光が覗いている。


 テオやユヴェンと同じくらいの年齢だった。


 胸元には上級貴族の証であるクリスタルの留め金が光っている。


「君は……確かレンリルの工場にいた少年」


 セレカを見るとテオ達を付け狙っていた者達はまた敵意を潜め様子見に戻った。




 リンは指輪の光とレインの反応を頼りに危険な道を避けながら迷路を進んでいた。


 レインが危険を知らせるたびに何度も引き返しては別の道を選ぶ。


 その繰り返しだった。


 このように危険を避けることを繰り返しているうちに息が切れてきた。


 リンは緊張と長時間の歩行ですっかり疲労困憊していた。


 魔力を消耗して、息も切れ切れ、だんだん意識も朦朧としてくる。


 リンは何度も迂回して道を進んでいるうちに急に風が吹き抜けてくるのを感じた。


(風が強くなってきた。まさか出口が近いのか?)


 リンはすがるような気持ちで地図を取り出して確認してみる。


 しかし地図上の現在地は先ほどまでいた道からどんどん外れている。


 リンは不安になってきた。


 自分はどこに向かっているのだろうか。


 なるべく危険を避けてきたつもりが、かえって間違った場所に誘導されているのかもしれない。


 リンの不安をよそに風はどんどん強く吹き、心なしか道も明るくなってきた。


 曲がり角を曲がると道の奥には強く光が差している場所があった。


(出口か?)


 リンは導かれるようにその場所に向かう。


 今まで壁が前にあった迷宮だったが、壁が途切れ、目の前が開けている。


 迷宮の先には空があった。


 リンは光さす方に飛び出した。


「ここは……塔の外?」


 リンは塔の外壁に面する突出した場所にいた。


 眼下にはグィンガルドの街並みと港へと続く大通りが広がっている。


 リンは横風にさらされた。


「あら? あなたそんなところで何やってるの?」


 リンは突然かけられた声にぎょっとする。


 声は塔の外側、飛んでくるはずのないところから飛んで来た。


 声の方を向くとそこには白いローブを着て大きな水晶の上に乗っている少女がいた。


「アトレア!?」


 リンは思わず叫ぶ。


「リンじゃない。何してるのそんなところで」


 アトレアはキョトンとした顔で空に浮かびながらこちらを見ていた。



 次回、第89話「アトレアの霊獣」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る